第48話 合同課外実習・終了
突き刺した――と思った瞬間、視界が淡黄色に染まる。その光が消えて再び川や森の景色が見えるようになって、すぐフレデリック様の左手を確認する。
フレデリック様の左手から痣は綺麗に消えていた。突き刺したのだから傷の手当を、と思ったけれど傷はおろか、血の一滴すらついていない。
(すごい……!)
これが、公爵家が持つ神器の力――と思っている内にレオナルド卿が膝をついたのでそのまま倒れ込もうとする所を支えて止めた。完全に意識を失っている。
(後の事は任せるって、そういう意味……!?)
ひとまず意識を失っている2人を何処か平らな場所で寝かせてあげないと――と思った所でエクリュー先生達が助けに来てくれたのは幸いだった。
私は浮力魔法をかけてもらい自力で、意識のない二人はレオナルド卿はエクリュー先生が、魔法学科の教師らしい小柄な教師がフレデリック様をそれぞれ浮かせて浮力魔法を使って崖上に上がった。
私達が入った上にレオナルド卿や先生達が立て続けに入ったお陰か、帰り道はもう魔物一匹いない状態になっていた。
帰る道すがら何故こういう状況になったのかをエクリュー先生に事情聴取される。アニイラシオンの特性を知らずについお金に目が眩んで欲張ってしまった事を謝罪した上で、フレデリック様の呪具が暴発したと伝えた。
レオナルド卿は私の好きなようにすればいいと言った。だからフレデリック様が言った言葉をそのまま伝えた。
「……アニイラシオンは急に必要になった際にすぐ確保できるよう浮遊術を使える人間しか行けないよう橋を落としたままにしていたんです。ですが貴方のようにお金に困った苦学生が同様の行動を取るかも知れませんね。橋を直すか警告を促す立て札を立てるか……何かしら対策をしておかなくてはいけませんね」
フレデリック様を浮かばせている後ろの先生が困ったように呟いて、レオナルド卿を横に浮かばせるエクリュー先生は困ったように苦笑いしている。
「すみません……あの……皆の成績は……」
「ああ、大丈夫ですよ。皆、自分の行いをちゃんと反省しているようですから。貴方とマリアライト卿以外は注意だけで成績に影響する事はありません」
優しい声で言ってくれたエクリュー先生の言葉に少し引っかかりを感じる。
「え……フレデリック様は……」
フレデリック様が私を助けに降りた事が減点に繋がるのならそれは何とかして食い止めたい――と思ったけれどエクリュー先生は別の事柄を紡いだ。
「呪具は危険な物です。今回は自分にかかったとしても下手をすれば貴方に術がかかっていた恐れもあった。そういう不安定な物を所持していたマリアライト卿にはそれなりの罰を下さねばなりません……と言っても本人の被害とレオナルド様だけの負担に留まりましたからね。減点と1、2週間程の謹慎で済むと思いますよ」
それでもフレデリック様にとっては相当な屈辱だと思うと(正直に言った方が良いのかな?)という思考が一瞬よぎった。
だけど即座に思い直す。レオナルド卿が解いた呪術が命術――禁術だなんてバレたら、謹慎どころの罰じゃなくなる。でも――何だろう、この心の引っかかりは。
皆助かったにも関わらず、黒い靄が心を覆うような酷く暗い気持ちで洞窟を抜けると、突然横から誰かに抱きつかれる。
「マリー…!! 心配したのよ~……!!」
「ごめんテュッテ、心配かけちゃって……」
エクリュー先生は浮かぶレオナルド卿を連れて魔導工学科の大馬車の方へと歩いていった。もう一人の先生もフレデリック様を連れて魔導学科の方へと運んでいく。
大馬車の方にチラホラ生徒の姿が見える。まだ戻ってきていないグループもあるようだ。
「ねぇテュッテ……何で先生より先にレオナルド卿が助けに来てくれたの?」
「私達が洞窟を抜けるのと同じタイミングで彼のグループが帰ってきたのよ~。『マリー嬢は……!?』って聞かれたから先生より先に説明したら道順聞かれて魔力回復促進薬2本も飲んで高速移動で走ってっちゃったの~」
って事は解呪直前に飲んだあれは3本目だったのか。相当強靭な精神力と体力を持っているとは言え、3本目ともなると若干狂気を感じる。
そこまでしないと解けなかった呪いだったのだとしたら――その無茶に感謝するしか無いのだけど。
でも、ここまで無茶をされてしまうと怖くなってくる。彼はいつかその無茶で取り返しの付かない目にあってしまわないだろうか?
ギュッと抱きしめてくるテュッテの優しさに浸りながらそんな事を考えていると、気まずそうにこちらを見ているティント卿と目が合った。
「あ、テュッテ、私の鞄は? ティント卿にアニイラシオン渡さないと……!」
テュッテが肩にかけていたらしい鞄を受け取る。もう魔力は吸引されないようだ。白かったはずの花びらが桃色に染まっている。恐らく私の魔力で染まってしまったのだろう。
「はい、ティント卿の分。花の色変わってるけど大丈夫?」
「う、うん……魔力抜きの処理すれば大丈夫だから……でも3本もいらないよ。1本あれば十分だ」
ティント卿は物凄く申し訳無さそうな表情で両手を横にふる。
「でも……お金に困ってるんでしょう?」
「それは……でも、僕がこれを欲しいと言わなければ君は崖から落ちなかった。本当は1本だけでももらっていいのか分からない。人を危険な目に合わせておいて、受け取っていいのかって……」
私が自らの欲を爆発させてしまった結果なのにティント卿にそう思わせてしまった事に少し罪悪感が生じる。
「面倒臭ぇ奴だな。もう過ぎた話で今、皆、無事で、ここにいっぱい花があるんだから受け取りゃいいじゃねぇか! ソルフェリノ嬢はお前の為に行動したのにお前はその行動そのものを否定すんのか?」
「そんなつもりは……!」
マダー卿の横槍に反発するティント卿に持っていた花を1本だけ差し出す。
「ティント卿……私が危険な目にあったのは私が欲張っちゃったせいで、自業自得だわ。これだけあればお金の事を気にせずに授業や卒業課題に打ち込める。この花を手に入れる事ができたのはティント卿のお陰だから、せめてこの1本は感謝の気持ちとして受け取ってくれたら嬉しい」
「……分かった。ありがとう、大切に使うよ」
ティント卿は目を潤ませて、アニイラシオンを受け取る。良かった。かなり迷惑かけてしまったから喜んでもらえて嬉しい。
「それでいいんだよ……ったく世話焼かせやがって。じゃあな。今後ギルドで会った時はよろしくな!」
マダー卿は何度も頷きながら武術科の馬車の方に歩いていった。
そうか、武術科の人で家を継がない人はここを卒業したら何処かの騎士団に所属するかあるいは冒険者だったり傭兵だったりで生計を立てていくんだ。
私やティント卿が魔道具師や薬師になった時はまたマダー卿のお世話になる日が来るかも知れない。
(私は……どうしよう?)
この学院を卒業する事を目標にしてきたから、いまいち未来の自分が見えない。ただ、このまま普通に卒業して家に戻れば近い内に誰かとお見合いさせられて嫁がされるのは目に見えている。
それ以外の未来を想像してまず思い浮かぶ人がいる。
その人ともし結ばれる事が出来れば――と思う反面、あんな無茶をする人だ。結ばれた先の未来はけして平穏なものではないのだろうなとも思う。
「……マリー、私、お金なんていらないからね~?」
「えっ」
突然のテュッテの言葉に思わず声が出る。テュッテは眉をハの字にして困ったようにして微笑む。
「私の考え過ぎかも知れないけど、マリーの事だから私にお金返そうとしたのかもな~って。でも、私今お金に困ってないから受け取れないわ~」
「でも」
「困った時に助け合うのが友達でしょう~? 私もいつかお金に困るような事があった時、マリーを頼るわ~。その時私が助けた分だけ助けてくれれば、それでいいのよ~」
テュッテの優しさにありがとう、と返すとまた涙が溢れた。
その後、他のグループも戻ってきた。他に魔物の量が多くて救難信号を出していたグループもあったみたいでボルドー先生達が気を失った生徒達を担いで出てきたのが見えた。
私のように知識がないが故に危険を招いてしまうケースもあれば、予想以上の魔物の量に体勢が崩れていく――学院に管理されている場所の採取にも魔物討伐にも危険は常に付き纏っているのだから、管理されていない場所はより一層危険なのだろうと思い知った。
『――順調に行ったグループも、そうでなかったグループも今回の実習で学んだ事を胸に刻んで皆強く生きて欲しい。』
ボルドー先生が大馬車に乗った生徒達にそう伝えた後、大馬車が動き出す。魔力切れだったり動きすぎたのか疲れ切ってぐったりしている生徒や眠っている生徒がいて、行きの雰囲気とはまた違う空気が漂っていた。
そんな生徒達を気遣ってか行きよりは大分揺れが小さい大馬車の中、皆、意識の無いレオナルド卿や気を失って寝そべっている生徒を蹴飛ばしたりしないように気を使いながら、楽な体勢で目を閉じている。
リチャード卿も疲れ切っているようで馬車の隅によりかかって目を閉じていた。そんなクラスメイト達を眺めながら、私は再び解呪の時の事を漠然と考えていた。
『――それ以上は言わないで下さい。《《罰さなくてはならなくなりますので》》――』
レオナルド卿もあの呪いがどういう物か分かったのかも知れない。貴族の頂点である公爵家の子息なら命術について何か教えられていてもおかしくない。
皇城にある公爵家の人間のみが入れる書庫には様々な禁術に関する情報も納められてるって話も聞いた事もある。
禁術だと聞いてしまったら立場上、術者を罰さなくてはならない。
以前のレオナルド卿なら有無を言わさずに強引に聞き出してでも罰そうとしたのに。
(きっと、私が以前フローラ様を庇ったから……)
フローラ様を庇えば向こうも多少は恩義に感じて手を引いてくれると思っていた。実際、あれ以来何もされていなかったからもう大丈夫だろうと思っていた。
こういう目に合いたくないから庇ったのに。
アニイラシオンの魔力吸引で確かに危機には陥ったけれど――あの呪いさえなければ、私もフレデリック様も無事に帰れた。レオナルド卿だって倒れずにすんだ。
フレデリック様に一言お礼と謝罪を言うだけで終わったのに。
フレデリック様は分かっているはずだ。あの呪いが誰が、誰にかけようとしたものか。きっと目を覚ました彼は自分の大切な人が、かつて自分が大切にしていた人を禁術を使ってまで呪い殺そうとした事実にどう向き合うのだろう?
優しく諭すのだろうか? 厳しく責めるのだろうか? 何も言わずに打ち拉がれて一人落ち込んで苦しむのだろうか?
(……ふざけないで)
はっきりとした明確な怒りが、私の中で燃えあがろうとしていた。




