第47話 合同課外実習・6
フレデリック様は私が左手を見据えている事に気づくと、明らかに態度を崩した。
「な、情けない話だが、護身用の呪具が暴発してしまったみたいでね……! 自分に呪いがかかってしまったんだ……だが心配はいらない。もう少しすれば解呪するだけの魔力も溜まる……ソルフェリノ嬢、どうか先生達が来てもこの事は黙っていて欲しい。自分で作った呪具で自分で呪われたなんて事が知れたら僕の名誉に、マリアライト家の名誉に関わるから……」
呪具はその名の通り呪いが込められた装飾品や武具の事。危害を加えてきた相手に対してかかるはずの呪いが間違って自分にかかる可能性は確かに無い、とは言い切れない。けれど――
(また嘘ついてる……)
喋り方からも察せられるけど、名だたる呪術師を何人も生み出してきたマリアライト家の嫡男として生まれたこの方がどれだけ呪術に対して誠実に向き合っていたか、私は知ってる。
どんなに落ち込んでいても、絶不調でも、フレデリック様は自分の呪具で呪いにかかるようなヘマをする人じゃない。
だから今のこの状況は――フローラ様が私に対して込めた呪いが何故かフレデリック様にかかってしまったとしか思えない。
「……フレデリック様、その呪いはフロ」
「違う! これは僕の失敗だと言ってるだろう……!?」
ああ、そうやって、貴方はフローラ様を庇う。
私は恐怖からフローラ様を庇ったけれど、フレデリック様はもっと温かい感情で彼女を庇っているのだろう。
それが少し寂しくて――どうしようもなく、悔しい。
私からそんな稚拙な嘘で言い逃られると思われてる事も、その程度しか愛してなかったのだろうと思われてる事も。とにかく、悔しい。
でも今それを泣いて訴えた所で、何も変わらない。それが――虚しい。
「……フレデリック様、それはどういう呪いなんですか? その呪いからは魔力を感じません。何か特殊な呪いなんですか?」
そう尋ねてみてもフレデリック様は答えない。私もそれ以上何も言えず、かといってこんな状態のフレデリック様から離れる事も出来ず。川に浸されたフレデリック様の左手を見つめながらただひたすら先生達が来るのを待つ。
川は透き通っていて底の砂利も綺麗に見える。触ればきっと冷たいのだろう。だから左手を冷やしているのだと思うと、一刻も早く何とかしてあげたい気持ちにさせられる。
(私も呪術解除は覚えてるけど……発動する為の魔力が全然足りない……)
使い切って殆ど空になってしまった魔力の器は丸1日で再び魔力に満たされる。それは魔力の器が小さな人間も大きな人間も変わらない。回復する魔力量は魔力の大きさに比例する。
目眩はおさまったとは言えまだゼロになってから十数分しか経過してない私が呪術解除を使える程魔力を貯めるには後1時間位かかりそうだ。
今の私には何も出来る事がない。フローラ様が私にかけようとした呪いだと分かっている以上、フローラ様を庇おうとするフレデリック様に何をする義理もない。
それなのにどうしてこんなに心が苦しいのだろう? もう、過ぎてしまった恋だと分かっているのに。大量の水をかけられてもなお燻っていた想いの火種も、時がようやく消してくれたみたいだ。
ただ、だからと言って『何でもない人』になった訳でもなく。私にとって今のフレデリック様は一体どういう存在なのだろう?
自分の心に自問自答している内に、少し空が陰るのを感じた。空を見れば晴れていた空に薄く雲がかかっている。その雲が何とも言えず嫌な雰囲気を纏っているように見えて不安を煽った。
「マリー……」
フレデリック様の弱々しい声が響く。顔の方ではなくフレデリック様に左手の方に視線は移して小さく「はい」と相槌を打つ。
「……今まで、すまなかった……」
ポツりとフレデリック様の謝罪の声が響く。それは、数節前まで求めていた言葉。待ち望んでいた言葉だ。だけど――その言葉にはきっと続きがある。
「それでも、僕は……」
ほら、やっぱり――と思った後フレデリック様の言葉が途絶えた。
どうしたのだろうと思って視線と移すと、フレデリック様はしゃがんだ体制からそのまま横に倒れ込んでしまった。
「……フレデリック様?」
呼びかけてみても反応がない。嫌な予感がして改めて左手の甲を確認すると黒い痣がその形を気味悪く蠢きながら姿を変えて、5の形を作り上げた。
不安がよぎる。物凄く、嫌な予感がする。何故だろう? 何でこんなに嫌な予感がするんだろう?
(そう言えば……呪術解除を学んだ時の先生の言葉……)
あれは、1年前――呪術から身を守る為の授業を受けていた時だった。
『皆さんに今教えた呪術解除で今使われている呪いの殆どが解呪できます。ですが解けない物もあるのです。その1つが<命術>による呪いです。かつてこの世界には魔力の代わりに生命力を使って魔法を発動させる命術という物が存在しました。今は禁術として固く使用を禁止されている命術によって構成された呪術は魔術によって構成された呪術解除では解けません。命術かどうかは呪いに対して魔力が込められているかどうかで見分ける事ができます。』
今、フレデリック様の左手に渦巻く痣からは何の魔力も感じない。
(間違いない……これ、命術だ……だからフレデリック様はフローラ様を庇ってるんだ……!)
禁術を使う事が公的に許されているのはこの国を治める皇族、あるいは神の加護を受ける公爵、あるいは公爵が認めた人間のみ。
自らの私利私欲の為に禁術を使った事が知られれば侯爵令嬢と言えど重い罰からは逃れられないだろう。下手すればマリアライト家の危機にも繋がる。
それを使わせるまでにフローラ様に恨まれていたのかという恐怖とともに、思い出した言葉は絶望を告げる。
『命術によって構成された呪術を解除するには同じ命術で呪術解除を構築するか、呪いがかかった箇所を『切断』する他ありません。』
命術の使い方なんて知らない。私が使える方法は左手の切断――だけどそんな事したくない。どんな人間であれ、利き手を失ってしまえばそこから先の人生に大きく影響する。その殆どが、悪い方向に。
絶望の中でフレデリック様の左手の数字が4に変わる。
(これは……!?)
分からない。呪術は魔導学院では教えられない。でも、今数字が変わったという事は恐らく――0になったら何かが起きるという事だ。
こんな禍々しい痣だ、きっと魔物化したり、石化したり――命が奪われたり。
血の気が引いていく。もしフローラ様がこれを私にかけようとしていたなら、その結果は何だろうか?
死か、あるいは魔物化された後の死か――そのどちらかしかない。そして今、その術がかかっているのは私ではなく、フレデリック様だ。
(どうしよう……このままじゃフレデリック様が死んでしまう……!)
こんな所で死んでほしくない。魔物化して名誉を貶めてほしくもない。だって、呪術師の家に生まれたフレデリック様が今この呪術にかかっているのは、きっと――
(私を見捨てても、フローラ様を守る事は出来たはずなのに)
私が呪術にかかって死のうが魔物化しようが、フレデリック様ならいくらでも誤魔化す術を知っていたはずだ。
そうしなかったのは、この人が命を賭してでも守りたかったのは――フローラ様だけではなかったから。
ああ、もう、それでいい。それだけでいい。それだけ分かればもう、十分。
私物を入れた鞄から採取用のナイフを取り出して、鞘を抜いて両手で持つ。
助けたい。とにかく、今この場所でこの人を死なせたくない。どんな残酷な手段を取ろうとも、人の命を前にグロいとか嫌だとか言ってられない。
きっとフローラ様にはまた恨まれるのだろう。利き手を失って絶望したフレデリック様にも嫌われるのだろう。でもそれでも、私は、この人を死なせたくない。
(神様お願い……私に勇気をください……フレデリック様を助けてください!!)
ギュッと目を瞑って、神に強く願う。
そしてフレデリック様の手を――
「マリー嬢!!」
大きな声に立ち上がってふり返ると、山崖から凄い速さで光がこちらまで滑ってくる。その金色の姿がレオナルド卿だと認識した時には彼はもう私の目の前にいた。
「マリー嬢、ご無事ですか!?」
「は、はい……私は無事なんですけど、フレデリック様が……!!」
今ここに自分以外の人間が来てくれた事が、凄く心強かった。
喋っている間に涙が溢れる。フレデリック様が魔物化したり死んでしまうと思うと、心が引き裂かれるように痛い。
「……呪具が、暴発、したって、嘘、ついて……本当はきっと、私にかかるはずだった、呪術を……手を、切断、しないと……」
私の言葉にレオナルド卿がしゃがんで、倒れているフレデリック様の左手を確認する。
呪術に明るくないだろうレオナルド卿に状況を説明しなくては、と思うのに、紡ぐ声が所々で詰まってしまう。
「マリー嬢、大丈夫です。私がこれからマリアライト卿に巣食う呪いの解呪を試みます。ですから泣かないで、そのナイフを下に降ろして下さい」
私を見上げたレオナルド卿は真顔で、落ち着いた声で諭してくる。
どうやって――と問おうとした時、改めて言葉を重ねられる。
「黄の大剣は持ち主の魔力に応じてあらゆる物を断ち切れます……魔物も、魔岩石も、人の命を蝕む呪術すらも」
「でも、これ、普通の呪術じゃないんです。生命力の」
説明しようとした矢先、レオナルド卿は自身の口元に指を当てる。
「それ以上は言わないで下さい。《《罰さなくてはならなくなりますので》》。もう時間も無いので後の事は任せます。マリー嬢が願う通りにして下さい」
見ればフレデリック様の左手の数字が2に変わっている。本当に、もう、時間がない。足が震えてその場に座りこむ。
今のレオナルド卿はまた魔力回復促進薬を飲んでいるのか、魔力が溢れ出ている。
思えば今降りてきたのも赤・黄系統だけが使える上級魔法――術者の行動速度を著しく上げる高速移動だ。
今の彼ならもしかしたら、やってくれるかもしれない――そう思った瞬間、レオナルド卿が腰にかけた皮製のポーチから小瓶を取り出して煽る。
(えっ、今、もう飲んでるんじゃ……!?)
彼の体から更に魔力が放出される。そしてしゃがんだ体勢のまま背中の大剣を掴むとそのまま前に振り下ろす。
黄の大剣は大きな陽の如く光輝いて、目が眩む。それでも事の成り行きを見守る為に細目で彼らの方を見据える。
全身が金色の光に包まれたレオナルド卿は一息吸い込んで、フレデリック様の左手に金色に輝く黄の大剣を突き刺した。




