第41話 新しい恋の予感
鉱石市場はいくつもの横幕式のテントが張られ、その中に敷かれたシートに商人が持ち寄った鉱物が所狭しと並べられている。
そのテントの前には魔晶石、宝石の原石、金属、魔金属などメインとして扱っている物と文字を描いた大きな看板が立てかけられている。
だから市場全てのテントを回る必要はないけれど、目的の物は店に並んでいる物によって形や大きさ、純度も値段も違うから欲しい物にこだわる場合はそれを扱っているテントを一通り見て回ってから考える必要がある。
早速自分が欲しい物を扱っているテントを確認していく。隣のレオナルド卿も頼まれた買い物とはいえ手は抜きたくないらしく、しっかり確認しているようだ。
一時間かけてひと通り見終わった所で、それぞれ買う物を購入する為に一旦別れた。
私が欲しいのは魔道具の土台となる金属と繋ぎとなる金属、そして――
(うーん……ギリギリだなぁ……でも今ここで買っておかないと純度の高い魔晶石が手に入るかわからないし……)
手の平の丁度半分位で質が良い感魔晶石があるのだけど、これを買うとスッカラカンになってしまう。
質が良ければその分精度も上がり、大きさの割に術式を書き込める範囲も増える。この位の質なら卒業課題として作る予定の魔道具にも十分使えそうだ。
商人のおじさんが『ここまでの物は滅多に出回らないからお得だよ』と後押ししてくる。確かに、掘り出し物だと思う。
(うん……元々合同実習の昼食は抜いてもいいかって思ってたし……買おう!)
結局、鉱石市場で材料を揃えただけでお金が無くなってしまった。その後市場を出て商店街の道具屋に入り回復薬と保存食を買い込むレオナルド卿の近くでウィンドウショッピングを楽しむ。
「……マリー嬢はここでは何も買わなかったのですか?」
会計を済ませてお店を出た際に何も持っていない私にレオナルド卿が不思議そうに尋ねる。
「あ、えっと……実は鉱石市場で持ってたお金全部使ってしまったので……私自身は治癒魔法も解毒魔法も使えますし、食料品も日帰りの実習だと思えば昼食を我慢すれば何とかなりますから……」
「それは……魔法はともかく、昼食はちゃんと食べた方が良い。これをどうぞ。予備にと購入した物です」
紙に包まれた保存食のパンを1つ、押し付けるように差し出される。
「そ、そんな……受け取れません! そういうつもりで言った訳じゃないので……!」
「しかし……合同実習は魔物とも戦うので体力を消費します。空腹の状態で魔物と戦って怪我をしてしまうかも知れません。遠慮なさらず受け取ってください」
(柔らかい声と表情で言うようにはなったけど押しの強さは変わってないなぁ……)
いらないと言っているのだからその気持ちを組んで欲しい……と内心思っていたら表情に出てしまっていたのか、
「……ああ、では私の買い物に少し付き合って頂けますか? 一つ、買いたい物があるのですが、人の意見も聞いてから購入したい物だったので。これはその対価として受け取ってください」
そう言ってレオナルド卿は私にパンの包みを手渡した後。私の返答を聞かずに辺りを見回しながら先を歩き始める。
(買い物の相談位、対価なんてなくても手伝うのに……)
でもレオナルド卿は私の事心配して言ってくれてるんだろうし、うっかり事情を打ち明けて気を使わせてしまった私も悪い。実際パンを貰える事自体はありがたい。
私の気持ちを察して柔軟に妥協案を出してくるレオナルド卿は私と同い年のはずなのに私よりずっと大人なように感じる。
(また一つ、借りができてしまった……けど、今せっかくレオナルド卿が頼りにしてくれたんだし、しっかり買い物の相談にのらなきゃ!)
レオナルド卿の後をついていく途中、何か見つけたように足早になったので慌てて付いていくとあるお店の前で止まった。
お店のドアに掛けたれた看板には<香水>と大きく書かれている。
「レオナルド卿の買いたい物って……香水ですか?」
意外すぎて思わず確認すると、頬を人差し指で掻きながら肯定される。
「そうです。先日妹から珍しく話しかけられまして……『兄さんが態度を改めた事は認めるけどまだまだ近寄りがたい印象を受けるから、香水でも使ってみたら?』と……ですが私は香りに関しては疎くて……好き嫌いも分かれるアイテムですので自分だけで判断するのは良くないと思いまして……」
ロザリンド嬢のちょっと不器用な助言を微笑ましく思いつつ、ちゃんと受け止めるレオナルド卿にも好感を抱く。
「なるほど……確かに香水って好き嫌いありますもんね。分かりました、私で良ければ選ぶのお手伝いします!」
中に入ると親指大の色とりどりの小瓶が棚や中央のテーブルに綺麗に並んでいる。全てお試し品だ。テスターを開けすぎて嗅覚が麻痺したり屋内が酷い匂いにならないよう、テスターの小瓶の中には香水が一滴だけ垂らされている。
小瓶の下に敷かれた紙に香水の名前と香調の説明が書かれていて、それを見ながら良さげなものがないか確認していく。
その中に一つ、フレデリック様が使っていた香水を見つける。無意識に小瓶の蓋を開けるとふわりと懐かしいマリン系のスッキリした香りが漂う。
フレデリック様は今でもこの香りを使っているのだろうか? 久しく嗅いでいない匂いはあの頃の記憶と感覚を少しだけ思い起こさせる。
「それは……ちょっと私には合いませんね」
近くで香りを嗅いだらしいレオナルド卿が少し眉を顰める。
海の爽やかさをイメージした香りに抵抗を示すのは意外だった。『フレデリック様と同じ香りだから嫌なんですか?』とは聞けない。
「マリン系はどちらかというと水色や青系統の貴族の方が好まれる香りですから、レオナルド卿とは相性悪いのかも知れませんね」
「マリン系……香水にも細かい系統があるんですね……言われてみれば青系統の貴族から漂う香りにあまり良い印象はありません」
(私自身は緑系統の貴族が好むウッディー系やグリーン系の匂い、そこまで嫌いでもないけれど……)
もし公爵家の人間にとって香りすら色の相性が関わってくるのだとしたら使える香水の種類はかなり絞られてきそうだ。
せっかくなら香水を提案したロザリンド嬢も勧めて良かったと思えるような物を選んであげたい。
香水の説明を読んでいるレオナルド卿をじっと見てみる。スパイシー、アニマル、グリーン……どれも悪くは無さそうだけど、合うかと言われたら違う気がする。
香水を使うというシーンなら今みたいにきっちり着こなした時に使う物だろう。
「うーん……レオナルド卿は絶対スッキリした香りが似合うと思うんですよね……マリン系が駄目なら……あ、これはいかがですか?」
シトラス系のスッキリした匂いという説明を見て小瓶を開けて差し出してみる。淡く柑橘類の爽やかさを連想させる香りが鼻をくすぐる。
「ああ、これは……嫌いではありません。マリー嬢はいかがですか?」
レオナルド卿のフワッとした微笑みに、こちらも安堵する。
「個人的には好きな香りですね……この爽やかさはレオナルド卿にも合ってると思います」
「では、これにします」
「えっ、でも他にも……」
シトラス系の匂いはまだ他にもいっぱいあるのに、その判断の早さに驚く。
「あまり私の買い物にお付き合いさせるのも悪いので。その香水の名前は……」
レオナルド卿はそのテスターが置いてあった場所の紙を確認するとカウンターの方へと歩いていった。
「ペスコリモーネの香水ですね。どの小瓶に入れましょうか?」
カウンターに立っているお姉さんが手で指し示した受付の後ろの棚には色とりどりのおしゃれな小瓶がズラリと並んでいた。
「では、三段目のその桃色の瓶を」
可愛かったりお洒落だったりの瓶の中から、レオナルド卿は迷いなく即答する。あれも良い、これも良い、と悩んでしまう私には無い即断力に関心すら覚えてしまうけど――
(私がレオナルド卿にアプローチしてるって噂がたってるらしい今、そんな色の瓶持ってる所見られたら……)
そもそもこのデート状態を寮の生徒達に見られちゃってる時点で今更ではあるけれど。もし桃色の瓶を誰かに見られたら少なからず『良い仲』だと誤解する人達は出てくるだろう。
そうなったら私にとってもレオナルド卿にとっても負担になってくるんじゃないだろうか?
「レオナルド卿、シトラス系の香水を入れるなら分かりやすく黄色や橙色の瓶に入れた方が……レオナルド卿の魔力も黄色ですし……」
「マリー嬢が選んでくれた香水ですから、マリー嬢と同じ色の小瓶に入れたい」
真っ直ぐに私の目を見て言ったレオナルド卿の声は柔らかいのに、その眼差しは真剣そのものだった。
笑顔じゃないのに、真顔なのに、その眼に熱と、何処とない哀愁を感じて――心の中に小さな火が灯ったように熱くなる。
「普段持ち歩いたりする物でもありませんから、誰かに見られて噂になったりはしないと思います。マリー嬢が私が桃色の瓶を持つ事自体不快であれば替えますが……」
真っ直ぐな好意にあてられて、胸が激しく高鳴りだす。
「め、め、迷惑とか……すみません、私の事は気にせずレ、レオナルド卿自身で決められてください」
「では、桃色で」
柔らかい笑みなのに、何だかいつもと違う。目を合わせられない。
(どうしよう……どうしよう、今、カッコいいって、思っちゃった……!?)
久々の心の動揺にちょっと頭が追いつかない。フワフワドキドキ気持ちに戸惑いながら香水のお店を出て馬車に戻る。
帰路に着く際、何度か声をかけられる度にビクッとしてしまってレオナルド卿を心配させてしまった。
「それでは、今日はありがとうございました」
しっかりと頭を下げるレオナルド卿は馬車を降りる際のエスコートも完璧だった。
「い、いえ、こちらこそありがとうございました! あ、あの、明日の課外授業、お互い頑張りましょう……! で、では失礼します……!!」
(駄目だ、胸が、ドキドキする)
寮の部屋に向かう時に、ツナギ服姿のネイと鉢合う。
「おかえり、どうだった? 上手く仕留めたの?」
裁断機の調子が悪いのは本当だったみたいだけど、やっぱりレオナルド卿に代役を頼んだのも意図的な物だったらしく、ニヤニヤしている。
でも、今はそのニヤニヤに応える余裕がない。
「ごめん……!! 仕留めてないって言うか仕留められてしまったっていうか、ネイにお礼を言えば良いのか怒れば良いのかも分からない……!! 今はちょっと部屋で頭冷やさせて……!!」
早口でそう捲し立てた後、私は自分の部屋のベッドに潜り込んだ。
(お、お、落ち着いて……今は恋愛モードは抑えるのよマリー……! またフレデリック様の時みたいに視野が狭くなっちゃうから……!! 同じ失敗を繰り返したら駄目……!!)
何度も自分にそう言い聞かせる。好きな人の事で頭が一杯になり、好きな人と一緒にいたいあまりに勉強でいっぱいいっぱいになってしまったあの頃。
恋は楽しい。だけどまた引き千切られるような思いをしたら――また身を引き裂かれるような思いをしたら。
この残り少ない学院生活――あと半年は友達との会話を楽しんだり、卒業課題を作る為の勉強に集中したい。楽しいのだ、恋に飲まれない今の生活は多少の不安こそあれど、とても充実しているのだ。
そう思うのに、これまでのレオナルド卿の笑顔や真顔、彼の優しさで頭が一杯になってしまう。
(ああ、もう、駄目だってば……!!)
頭を横に振ってみてもちっとも効果がない。ここにきて自分の恋愛脳をひたすら恨む。
結局、その日食べた夕食の味もよく分からないまま、再びベッドに潜り込んでみても胸が強い鼓動を繰り返してなかなか眠れなかった。




