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第35話 運命の分岐点・1(※フローラ視点)


 外から聞こえてくる激しい雨音は、まるで天が私を祝福してくれるようだった。もうすぐあの女が襲われてこの学院を去る――そう思うとつい口元が緩んでしまう。


「フローラ……? 何か良い事があったのかい?」


 図書室のテーブル席で隣り合う兄様が微笑みながら問いかけてくる。


「ふふ……私、こうしてお兄様と2人で一緒に勉強できる事がとても嬉しいのです。またお兄様が素敵な人と巡り会えるまで、こうして2人で過ごせる事が本当に嬉しい……」


 そう言うと兄様の表情の微笑みに少しだけ陰りがさす。その少し悲しげな目を見るたび、心が掻き毟られるように痛みだす。


 でも大丈夫、もうすぐ――もうすぐ、兄様の視界からあの雌犬を追い払えるから。


 今朝、いつも朝一番に訓練場で訓練している名も知らない腕っぷしの強そうな男子生徒に<従属>の催眠術をかけた。


 術者の痕跡を辿らせない事に重点を置いた結果、術者よりかなり魔力が劣る人間にしかかけられない――という制約があるものの少し離れた位置からでも目を合わせるだけで対象を捉えられる、マリアライト家秘伝の強力な呪術の1つ。


 この大雨で工学準備室の様子は分からない。ただ、宿した魔力が不自然に途切れて嫌な予感がしたの。


 念の為、兄様にはお手洗いに行ってくると伝えて様子を見に行くと、リビアングラス卿とソルフェリノ嬢が立ち話していた。彼女の表情は怯えこそあったけれど、まだ余裕が感じ取れた。


 どうやら失敗したようね――と元の道に戻ろうと思った時の一瞬、リビアングラス卿と目が合った気がした。


 様子を確認しにきたのは失敗だった。厄介な人間に気づかれたかもしれない。


 もしあの女がリビアングラス卿に泣きついたとしたら――あの方自身はともかく、問題は彼の家。法と礼節を何より重視し、非道を嫌うあの公爵家に睨まれると厄介な事になる。


 いくら広大な領地を治める侯爵家と言えど、神の力を宿す公爵家には劣る。特に我らが主である青の公爵家――ラリマー公爵家には絶対に逆らってはいけないし、不快な思いをさせてはならない。


 そしてそのラリマー公爵家と対を成すリビアングラス公爵家とは絶対に対立してはなりません――と、兄様と一緒にお母様から何度も言って聞かされたの。


 兄様の同級生にはリビアングラス卿が、そして私の同級生にはラリマー嬢とリビアングラス嬢がいたから。


 幸いラリマー嬢とリビアングラス嬢はお互いに対立する事を避けていたから、私もお2人と険悪になる事なく皆ほど良い距離を保っていたのに。

 器が小さい癖に何も恐れない、あの目障りで出しゃばりなリビアングラス卿に目をつけられると厄介でしか無い。


 本当、あの雌犬は誰に泣きつけば良いのかよく分かっている。


(まあ目が合っただけですし……術にも失敗はなかったはず……もし仮にあの雌犬にバレて噛みつかれたとしても、振り払って止めを刺せばいいだけの事……)


 だって、兄様は私の言葉を信じてくれるのですから。


 襲うのが失敗したのは残念だったけど、あの女はすぐにバイトを辞めた。それなりに恐怖心を与える事はできたみたい。そして兄様はその数日後に朝練習を辞めた。


 その後もあの女を追い出すチャンスを伺ってみたけれど、なかなか機会を掴めない。


 従属の術は多少魅力の術と似通った部分があって同性相手だと今いち効きが悪く、あの女は常に人がいる場所にいるようになってしまったからあの女を《《魔力のかなり低い男》》に襲わせるチャンスがない。

 私だって授業や友人達との交流も大切にしなきゃいけないからあの女をずっと見張っていられる訳でもないし。


 何も出来ないこの状況の中、兄様は時折ぼうっと何処かを見ている。何か見ているのかと思って視線を追えば半分はその視線の先にあの女がいる。

 あの女のこの学院に存在している事が兄様を苦しめているのだろう。ああ、早く、何とかしなくては――


 婚約リボンの存在を思い出したのは、そんな時。


 未だにあの女が持っている、兄様の魔力が込められた、兄様の愛の証。

 そうだわ、あのリボンをあの女の元に留めておいてはいけない。何に悪用されるか分かったものじゃない。


 未だに婚約解消の話を切り出せないでいる兄様に『解消の話をすると同時にリボンも返してもらえば良いのではないでしょうか?』と提案すると『あれはあげた物だから今更返してくれと言うのは格好悪いよ』と苦笑されてしまった。


 その悲しみを友人達に零すと皆私に同意して悲しんだり怒ったりしてくれた。『マリアライト卿の婚約リボン、フローラ様にこそ似合いそうですのに』と言ってくれた友人の一言が深く心に残った。


 兄様――貴方の意思を尊重したいけれど、ごめんなさい。

 私は、貴方の愛の証をあんな薄汚い雌犬の傍に置いておきたくないの。



 兄様がもういらないのなら、あのリボンは――私が、欲しい。



 一度そう思ってしまったら、もう止められなかった。


 落し物を探している、という名目で彼女の部屋の近くで軽い魔力探知をかけて婚約リボンがまだあの女の部屋の中にある事を確認する。


 あの女はよく部屋の施錠を忘れる。共に過ごした2年間で何度か部屋の施錠を忘れたと慌てている姿を見た。だから今も忘れているだろう。


 兄様に髪のセットにもう少し時間をかけたいから、と言い訳して、あの女より遅く寮を出ることにした。そして神様は私に味方しているのか、思いの外早くその日は来た。


 軽い魔力探知で周囲に人がいない事を確認した上であの女の部屋のドアを確認し、目的の物だけ抜き取ってまた軽い魔力探知で周囲に人がいない事を確認した上で部屋を出る。


 すぐに洗浄と浄化の魔法をかけたリボンはとても綺麗で色鮮やかな紫色を保っていた。


(……どうして、私はこれを兄様から貰えないの?)


 私はこんなにも兄様を慕っているのに、この兄様の愛の証がもらえるのは私以外の誰か。私には可能性すら与えられない。


 せめてこのリボンは私のポーチの中に忍ばせて、私だけの物に――と思ったのに。



 生徒会でリビアングラス卿が魔力探知をしだしたのには寒気がした。『クラスメイトの婚約リボンが無くなったので調査したい』というあの男の眼差しはただ一点私を見据えていた。


 やはりあの雌犬は私が犯人だと告げ口したのだろう。


 ただ私のポーチは魔力を通しにくい素材で出来ている。リビアングラス卿の弱い魔力で探知できるはずが――と思った時、彼は2つの小瓶を取り出して立て続けに一気飲みした。そしてとても強い黄色の魔力探知が発動した。


(何で、こんな……!!)


 彼の魔力の器の中にある全部の魔力を一度に消費せんばかりの魔力探知をかけると、リビアングラス卿は確信したように力づくで私のポーチを奪った。

 兄様が止めようとしてくれたけど彼の筋力と一時的に高まっている魔力には叶わなかった。


 ああそうだ、あの兄様が大恥かかされた武術大会と同じだ――この男は魔力回復促進薬マナポーションを使って乱暴な手段に出る。


 私のポーチから引っ張り出された紫色のリボンを見て、兄様は呆然としていた。

 それと同時にあの女がやってきた。


(全部……全部、貴方のせいよ!!)


 人目が多すぎて睨みつけるなんて行為はできないからこそ一瞬だけ、この忌まわしい雌犬の一族全て呪い殺さんばかりの恨みを込めて見つめる。


 強いものに圧倒される犬の習性か、あの女は簡単に脅しに屈した。


 そして私の為に怒ってくれる兄様の後についていく。あのままあの場所にいても他の生徒からの追求を食らうだけだ。リビアングラス卿がどう出るかは心配だけどあの女も自分が言った言葉を今更嘘だとは言い辛いはずだし、今はそんな事より兄様が心配だ。


「……兄様、ごめんなさい、私が……」


 ある程度生徒会室から離れた場所で、まだ尚先を歩く兄様に向けて謝る。

 こうやって私が謝れば、兄様はいつだって微笑んで許してくれる――はずだったのに。


(……え?)


 振り返った兄様の顔は、とても苦しそうで泣きそうな――今まで見た事のない辛い表情をしていた。




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