10月9日 別ルート
高橋 バイトの先輩。記念日に詳しい。もしも異世界に行けたら、火の魔法を覚えたい。ライターを持たなくてよくなるので。
バイトに行くためいつものように家を出た。
バイトは22時から。バイト先のコンビニまでは歩いて7.8分。
何があっても対応できるようになるべく30分前には着くようにしている。
…まあ何があるわけでもないが。
家を出て数分後、お守りを家に忘れたことに気がついた。
昨日バイト先の店長からもらったものだ。
いや、『もらった』ではなく『買った』が正しいか。5000円で。
正直ぼったくられたと思ってる。
別に取りに帰っても十分時間があるが…まあいいか。絶対必要なわけでもないし。
バイトへの道すがらのT字路に差し掛かる。
ここは家とバイト先のちょうど中間地点ぐらいだ。
なおのこと家に戻るのが億劫になってきた。
うん、このままバイトに行こ…
…
…
…
「あれ?」
突然の場面転換に頭が混乱する。
さっきまで普通に歩いてたはずなのに、今はうつ伏せに倒れている。
なんだ?失神でもしたのか?
タバコの吸いすぎかな…
とりあえず体を起こして…
「ど、どうなってんだ…」
目の前には一面の草原が広がっていた。
360度どこを見渡しても地平線が見える。
こんな場所日本に…いや、世界にあるのか?
その答えは空にあった。
2つの太陽がさんさんと輝き、雲ひとつない快晴であった。
太陽が2つなら、『さんさん』じゃなくて『ろくろく』になるのか?
そんなくだらないことを考えられる自分に少し驚きつつ、結論づける。
そう、ここは異世界に違いない。
今流行りの異世界転生、いや、見た感じ姿形はそのままだから転移か?
とりあえず一旦その場にあぐらをかく。
わからないことだらけではあるが、まず今できることを考えねば。
つーかバイト間に合うかな…そんなこと言ってる場合じゃないか。
まず、持ち物を確認しよう。
洋服、靴はそのままのようだ。全裸じゃなくてよかった。
ポケットにはタバコとライターもそのまま入っていた。
持ってた肩掛け鞄はなくなってるみたいだ。
持ち物はこれだけか…
そして今いる場所の確認。
多少の起伏はあるものの、やはり草原が広がるばかりだった。
何もランドマークになるものがない。
食べ物も飲み物もない。
…まずいな、このままじゃ餓死するぞ…
なんとか人里に着くか、少なくとも飲み水は確保しなきゃ。
異世界もののテンプレだと何かチート能力があったり、通りがかりの異世界の住人に助けてもらえたりするものだが、それは期待できなさそうだ…
ああ、あと魔物に遭遇するっていうパターンもあるな。
そのパターンはごめん被りたいが…なんかこっちに一直線に飛んでくるものが見えるんだけど…
「まずいな…逃げよう」
しかし、時すでに遅し。立ち上がったときにはその飛来物はすでに俺のすぐ頭上まで到達していた。
大きな羽を羽ばたかせながら地上に降りてきたそれを観察する。
全長20mはあろうかという巨体、爬虫類を思わせる顔に2本の角、鋭い爪と牙、巨大な尻尾…
うむ、異世界物の定番、ドラゴンって奴だな。
冷静に分析しているように聞こえるかもしれないが、その実、足がすくんで動けないだけだ。
やばいな…見逃してくれないだろうか…
ドラゴンはこちらを一瞥すると、大きく息を吸い込み、俺に向かって炎を吐き出した。
まあ、そうだわな…わざわざ一直線に飛んできたってことは、何かしら目的があるわけで…
1番考えやすいのは、目障りだから排除しに来た、ってな理由だろう。
炎が迫ってくる。避けられる気はしない。あぁ…死んだわ、これ…
今までの人生が走馬灯のように思い出される。…大したイベントはなかったな…
全てを諦めて目をつぶる。できたら即死であんまり痛くないといいんだが…
…
…あれ?何も起きないぞ?
もうすでに死んでるとか?
恐る恐る目を開けると、目の前に傘で炎を防いでいる女性がいた。
3輪のバイクに跨り、傘、いやあれはパラソルか、それを炎の方へ広げている。
長袖のカッターシャツに紺色のベスト、スラックス。
職場の制服って感じの格好だ。でもどこかで見たような服な気がする…
そんなことを考えていると、目の前の女性がこちらに顔を向け、話しかけてきた。
「〜〜〜〜〜〜〜?」
何語か全くわからない…微笑みながら声をかけてきたということは友好的と捉えていいんだろうか?
ふと、バイクの荷台にクーラーボックスのようなものが積んであるのに気がついた。
蓋が開いており、中にはヨーグルトと…ヤクルト?
あっ
「ヤクルトレディ…⁉︎」
「あら?日本語…?」
バイト先の店長の息子さんが小説家で、その作品の一つにヤクルトレディの異世界転生ものがある。
目の前にいる女性は、その主人公の容姿にそっくりだ。
もしかしてあの小説の中に入り込んでしまったのか?
「もしやあなたも日本からこちらに?」
炎を防ぎ終わり、パラソルを閉じながら問いかけられた。
「あ、はい。ついさっき来たばっかりで」
「それならいろいろと驚かれたでしょうね。ここはびっくりすることばかりですから」
女性はクスクスと笑いながら3輪バイクから降り、こちらに体を向けた。
「申し遅れました、わたくし…とその前に」
激しい衝撃音と共にドラゴンの尻尾が俺たちに向かって叩きつけられた。
それだけでも腰を抜かすほど驚いたが、それ以上にそれを目の前の女性が受け止めたことにさらに驚いた。
左手一本でだ。
尻餅をつき、目を見開き、口をポカンと開けている俺に、女性は説明をしてくれた。
「荷物の積み下ろし作業もありますから、ヤクルトレディには多少の腕力も必要なんですよ」(ニコッ)
…この腕力が必要って…コンテナでも運ぶのかな…
「さて、少しお話を致しましょうか?」
女性はドラゴンに向けて笑顔で語りかける。
表情は柔らかく、語勢も穏やかだ。
それでも周囲の温度が数℃下がったようなプレッシャーを感じる。
ドラゴンもそれを感じてか、すぐさま後ろへ跳び、俺たちから距離をとった。
こちらへ向け威嚇をしているが、なんとなく恐れが透けて見える。
「まずは…突然間に入り込んでしまい、大変申し訳ありません」
女性は深々とお辞儀をしながら謝罪した。
「ここがドラゴン様のテリトリーであることは重々承知しております。しかし、こちらの方は抗えない力に巻き込まれて、ここに迷い込んでしまったのです」
なるほど。俺が領域侵犯をしたから殺されかけたのか。それは悪いことをした。頭を下げておこう。
「謝罪の品として…今お渡しできるのはこれぐらいですが…寛大なご配慮をいただけますと幸甚の限りです」
そう言って女性はバイクに積んであるクーラーボックスから、ヤクルトを1本取り出した。
ただし、超ビッグサイズの。
20リットルぐらいあるんじゃないか?つーかクーラーボックスに入るサイズじゃないだろ、あれ。
ドラゴンはそれをじっとみたあと、ゆっくりとこちらに近づき、尻尾を伸ばしてきた。
「ありがとうございます!」(ニコッ)
女性は巨大ヤクルトを差し出し、ドラゴンはそれを尻尾で巻いて掴むと、さっき向かってきた方向へ飛び去って行った。
「お優しい方で助かりましたね!」
「今のは意思疎通が取れてたんですか?日本語で話してたように聞こえたんですけど」
「あの日本語は実はあなたに向けてのものですよ。あのドラゴン様とはテレパシーで会話してたんです」
「そうなんですね。お気遣いいただいてありがとうございます」
「いえいえ!申し遅れました、わたくし、シロ・クルト・ターヤと申します」
「あ、俺、いや私は高橋といいます。高橋 圭です」
「高橋さんですね。もっと砕けた話し方で結構ですよ。わたくしのは職業柄ですので」
「あっ、ほんとですか。じゃあこんな感じで。えっと、名前はなんと呼べばいいですかね?ターヤさん?」
「シロ、あるいはレディと呼ばれることが多いですね。お好きに呼んでいただいて結構ですよ」
「じゃあ…シロさんで。あっ、遅くなってすみません。助けていただいてありがとうございます。いの一番にお礼しなきゃいけなかったのに」
「いえいえ(ニコッ) しかし、高橋さんは落ち着いていらっしゃいますね。急にこんな状況になったのに全く動じてないように見えます」
「いや、わけがわからなすぎて、逆に冷静になってるというか…どうやってきたかも覚えてなくて…」
「そうなんですね。…あら?これは…」
シロさんは何かに気がついたのか、口元に手を当てて考え込んでしまった。
な、なんだ?どうしたんだ?
「いえ、すみません。実は私も日本からこの世界に来たんです。私の場合は転生ですけど」
「転生ですか」
「ええ。前世ではヤクルトレディとして働いてました。事故でトラックに轢かれて命を落としてしまって…不憫に思った神様がこちらの世界に転生させてくださったのです」
「なるほど」
小説の設定通りだな。
事故というか、シロさんの前世の犠牲がなければ、100人単位で死者が出ていたような事件だったはずだ。
「俺は日本にいたときと姿形が変わってないので、転移ってやつになるんですかね?」
「よくご存知ですね!わたくしも最初はそうかと思ったのですが…高橋さんの場合は少し違うようですね…」
「違う?」
「ええ。あなたは日本でトラックに轢かれて亡くなったようです。そして魂だけこの世界に紛れ込んでしまった…なんらかの力によって」
「えっ?ってことは今俺、幽霊みたいな状態ってことですか?」
「いえ、今は肉体はありますよ。構成しているものが魂だけというだけで」
「…?よくわからないんですが…」
「魂の一部が肉体の代わりになっています。そのせいで少し脆弱になってます…この世界の生き物は皆、固有スキルというものを持っていますが、あなたにはそれがありません。そして魔力もほとんど感じられないですね…」
そういえばそんな設定があったな…
この世界は他の異世界ものよろしく、魔法が存在する。
それを使うために必要なのが魔力で、それは後天的に伸ばすこともできる。
それでも生まれ持っての才能である固有スキルには敵わないことが多い。
固有スキルの強弱によって人生の難易度が変わるともいわれていたはずだ。
そのどっちもないって…辛い人生になりそうだ…
「ああ!申し訳ありません!説明をしないといけませんね。固有スキルというのはですね」
「あ、いえ大丈夫です。人生ハードモードということがわかりましたので…」
「そ、そうですか」
「でもなんで俺の死因とか今の状況がわかるんですか?」
「わたくしの固有スキル『ヤクルトレディ』の効果の一部ですね。ヤクルトには生きたまま腸に届く乳酸菌シロタ株が使われているので、その応用で生物の魂などを追跡できるのです」
「なるほど…なるほど?」
このこじつけ具合も原作通りだな。
なんか納得いかない気がしても、読んでいくうちに『ヤクルトレディだから』の一言で全て理解できてしまうようになるのだから面白い。
「…」
「あの…どうかしたんですか?」
「いえ…高橋さんの肉体の方を『みて』いたのですが…ちょうどお通夜が行われていて…多くの方に慕われていたんですね…」
「いや、そんなことはないと思うんですけど…基本的にぼっちでしたし」
「…恋人がいらっしゃいましたか?」
「彼女いない歴=年齢でしたよ…さっき生涯彼女なしが確定しましたね、あはは」
「…(あまりに悲痛そうな顔をしている方がいらっしゃいましたから、特別な関係な方かと思いましたが…まだそうではなかったということでしょうか?こんなにも泣き腫らして…)」
「…?あの…」
「高橋さん、元の世界に戻りたくはありませんか?」
「えっ⁉︎戻れるのなら、そりゃ戻りたいですけど…もしかしてシロさんの力で生き返らせてもらえるとか?」
「いえ、この前神様とお話しした時にお聞きしたのですが、亡くなった命を元に戻すことは神の領域で、人間には不可能なのだそうです」
「そうなんですね…」
「しかし、高橋さんがトラックに轢かれなかった世界線を作ることはできるかもしれません」
「トラックに轢かれなかった世界線?それは、パラレルワールドを作るってことですか?」
「その通りです!とても理解が早くて助かります!」
「なんかイメージ的にパラレルワールドを作る方が難しい気がするんですけど…」
「普通であればそうですね。でも今回は高橋さんの魂、わたくしの力、そしてもう一つの要素があるので、可能性は十分です!」
「なんかよくわからないですけど…ヤクルトレディの力を信じます!俺は何をすればいいですか?」
「お任せください!まずはこちらの契約書にサインをいただけますか?」
「…は?ど、どういうことですか?」
「道筋としてはこうです」
シロさんがいうには、俺の今の記憶を事故に遭う前の俺に送り、行動を変えることで事故に遭わないようにしよう、ということらしい。
ヤクルトレディは商品の自宅へのお届けもしているので、その応用で記憶も届けられるらしい。
…ここにはもう突っ込まない。
契約書はそのお届けの申し込みに必要なものとのことだ。
かといってここから日本、つまり異世界に記憶を送るのだから、莫大なエネルギーが必要だ。
そのための代価に俺の魂を使うそうだ。
まあ、こっちに残ってもハードモードの人生が待ってるしな…
記憶も全部は持っていけない。しかも、内容が内容だけに夢だったんじゃないかと思われる可能性がある。
確実に助かるにはどうすればいいのか…
「そこで出てくるのがもう一つの要素です!」
「そうでした。さっきなんか言ってましたね」
「運命だとか歴史の修正力とかいう言い方をするのですが、おそらく過去の高橋さんに10分遅く、あるいは早く家を出るようにさせても、トラックに轢かれて亡くなる、という結果に行き着いてしまうと考えられます」
「えっ。じゃあ無理ってことですか…?」
「それを解決できるものをあなたはもう持っていたのですよ!心当たりがありませんか?」
なんだ?そんな特別なもの持ってたか?うーん…あっ!
「店長のお守り…」
「それです!あのお守りには運命すら捻じ曲げるほどの莫大な力が秘められています。あれを忘れさえしなければきっと回避できると思いますよ!」
「…店長ってほんとに何者なんだろう…」
「わたくしにもはかりかねますが…もしかすると高橋さんがこのような特殊な転移をしたのも、店長さんの力がはたらいたのかもしれませんね」
…うん、考えるのはやめよう。あの人の得体が知れないのは前からだしな。
「わかりました!じゃあこの契約書にサインをすればいいんですね?」
「お願いいたします!印鑑は…お持ちじゃないですね。拇印で結構ですよ。こちらに朱肉をご用意してます」
うん、異世界感の全くない会話だな…
「あと、こちらはサービスです。事故はバイトの前に遭われたんでしたよね?お仕事前の栄養補給にどうぞ!」
そう言ってヤクルトを一本手渡された。これ、日本まで届くのか?
「何から何までありがとうございます。本当に助かりました」
「いえいえ(ニコッ)それではお届けを開始します。くれぐれもお守りをお忘れなく」
「わかりました」
「それではお気をつけて!」
「はい!ありがと
はっ!…いつのまにか居眠りしてたのか…
なんか変な夢を見てた気がする…ヤクルトレディの異世界転生の最新巻を見ながら寝たからかな?
21時か…そろそろ行く準備しなきゃな。
えーと、携帯持った、財布持った、タバコ持った、ライター持った
忘れ物ないな?
…あっ、忘れてた。昨日のお守り持っていかなきゃ。
危ない、危ない。
…なんで持っていかなきゃいけないんだっけ…まあいいか。
よし、行くかね…あれ?
机の上にヤクルトが置いてある…こんなの買ったっけ?
まあせっかくだし飲んでいくかな。
ごくごく この飲みきりサイズが嬉しいよな。美味しいし。
さてと、出発しますかね。
「いってきます」
『敏腕ヤクルトレディは異世界でも無敵です』 店長の息子作の小説。現在25巻まで刊行中。
シロ・クルト・ターヤ 上記小説の主人公。固有スキル『ヤクルトレディ』を駆使して八面六臂の大活躍をする。