①
「えっちゃんちのお兄ちゃん家出しちゃったんだって」
お昼休みに教室でのんちゃんが得意げに言って回っているのを聞くのは今日だけで3回目だった。
相手を変えて何回も同じ話をしている。
えっちゃんちはえっちゃんとお兄ちゃんとお姉ちゃん、それと赤ちゃんの4人兄弟だけど一回お父さんが変わってて上の2人と新しいお父さんは仲が悪い。
この辺の人はみんな知ってる。
今の時代からするとなかなかのプライバシーの侵害だが当時は当たり前でなんとも思ってなかった。
…いや少し語弊があるか。
自分の家はそこまでじゃないから良かった。
というえっちゃんに対する下に見る感覚がある。
自分よりも境遇が悪いことに安心して、自分の立ち位置が良いと錯覚して、いい気持ちになるために噂ばなしをする。
明日には違う誰かの不幸な話で盛り上がるに違いない。
今思えばそう言うことだったのだろう。
のんちゃんはとっても可愛くておしゃべりが上手だったけど、そういう話も大好きだったからよく話が集まっていたんだと思う。
そんな素敵なのんちゃんが他人の不幸な噂ばなしをすると不思議と昏い親近感があった。
いやはやなんとも恥ずかしい話だが、素敵な子の下世話な様子に同じ穴のむじなだと喜んでいたようだ。
私の人生はそんなものだ。
後悔と恥が大半を占めている。
さて、えっちゃんちのお兄ちゃんはその後見つかることはなかった。家を出て都会に行ったのだろうと言われた。
17-8の若い男だ。1人で身を立てる方法はいくらでもある。
えっちゃんは、お父さんとあまり仲のよくないお兄ちゃんがいなくなってどこかホッとしているようだ。喧嘩が絶えなかったらしい。
のんちゃんが言っていた。
転校生は、私の話を興味なさそうに聞いていた。もっとものんちゃんが喋っていた内容そのままで、そこに私ののんちゃんへの昏い親近感の話など面白くもなかっただろう。
しかし興味ない様子のくせ、彼は私の話を最後までしっかり聞く。他の子はすぐに自分の話を始めて、私はよく話を最後までできないからそんな様子でも嬉しかった。彼いわく、私の話は飛んでメチャクチャで、最後まで聞かないと繋がらないらしい。みんなは途中で聞くのを放棄してしまうのだそうだ。彼と出会ってそうなのかと初めて知った。
上手い話し方は最初に結論ありきというから、私は話し方が下手なのだろう。
だから結論から言うと、まあえっちゃんのお兄ちゃんは見つかった。
家の庭から。
「なんでそんなことをするんだ?」
良く親や先生、同級生からも言われていた。
私の悪癖である。
興味が湧いたら、すぐに入ってしまうのだ。店の裏側、レジの中、人の家の庭、細い路地、神社の祭壇、病院の侵入禁止、犬小屋に山の中。
私の部屋は、なので納屋にある。
寝床は親と一緒だが、勉強したりするのは納屋で、良くこもっている。
もともと物置部屋だったのを気づけばそこで過ごすようになっていて、親も諦めて過ごしやすい環境にしてくれた。
まだ小学二年生だったので、そこで良くお絵かきを良くしていたように思う。
悪癖というくらいなので、まあ色々と人に迷惑をかけることが多かった。
本来は行っていけない場所だからだ。
だがどうしても体が勝手に動いて入り込んでしまうのだった。入ってはいけない場所という意識もあるのだが、自分の欲求に勝てた試しがない。
その日も私は1人でウロウロと近所を歩いていた。公園に行ったら年上の男子が野球をしていて遊べなかったからだ。
公園で会わなければ友達とも遊べない。
待ち合わせの概念がなかったし、公園で会えなければ遊べないものだと当時は思っていた。
歩いていると、綺麗な年上の女の子がバス停の椅子に座っていた。
えっちゃんのお姉ちゃんだ。
細くてすらっとして、色白で目が猫みたいにキリッとしている。中学生で、セーラー服で、憧れる。そばを通り過ぎる時に無駄にドキドキした。
通り過ぎた後、気になってもう一度盗み見るように振り返った。
頬が真っ黒だった。
化け物みたいに腫れ上がり、口の端から血が出てた。良く見ると手や足にも赤黒いような青タンのようなアザがいっぱいだった。
妖怪だ。
えっちゃんのお姉ちゃんの真似をした妖怪がいる。びっくりして、距離が近いような気がして怖くなって走って逃げた。
よく聞くと、えっちゃんのお姉ちゃんはハーハーと荒い呼吸をしていた。
私は焦りまくって、何故かお姉ちゃんを助けないといけないと無駄な使命感でえっちゃんの親に会いに行った。
その時の私は、親は子供を無条件で助けるものだと信じていた。
えっちゃんの親の顔は知っている。新しいお父さんは割と良く昼間は家にいた。だからえっちゃんちに行けばお父さんがいて、お姉ちゃんを助けてくれると思った。
えっちゃんちについて、大声でおじさんを呼びながら家に入っていった。
インターホンなんておしゃれなものはいつ使うのかなんて知らなかった。うちに来るお客さんはこんな感じで玄関のドアを開けて入ってくることもあり、それが不法侵入という意識もないまま入っていった。
家には誰もいなかったけど、真ん中に布団が敷かれた部屋があって、壁のものとか、本とか色々めちゃくちゃになってた。
ふとその部屋から縁側に出て庭に行く。
地面が柔らかい。
畑にして花でも植えるのか。
他人の家は、正直すごく興奮した。なんかもう楽しくてワクワクしていた。メチャクチャ探検した。お風呂場の位置や、子供部屋のおもちゃを見て、
家の鍵がしていなくて家人が不在なんて、田舎とはいえ非常事態だ。
よっぽどのことが起きたとわかる。
でもそんなの7歳の子供が気づくはずもない。
私はえっちゃんちのおもちゃで遊び始めた。
「何してるの」
気づいたらえっちゃんがいて、えっちゃんのお母さんが怖い顔をしていた。お母さんは赤ちゃんを抱っこしてて、大きな声で叫び出した。
「人の家に勝手に上がり込んで、おもちゃ盗もうとしたのか!?なんて子供だ!!
泥棒!!!!」
他にも色々と言っていたが、捲し立てられたため、言い返せなくて困っていた。
えっちゃんとはそんなに遊んだことがなかったから、勝手に入り込んだ自分が悪い。おばさんもびっくりしていた。謝ろうとして、ふと思い出した。
言い訳はある。
私は助けに来たのだ。
そう、えっちゃんのお姉ちゃんを助けに来たのだ!!
「あの」
おっきな声が出た。おばさんに対抗して、裏返るくらい大声。
「えっちゃんのお姉ちゃんの妖怪がいたから、本当のお姉ちゃんを助けに来た!!
どこにかくれんぼしたのか知ってる」
妖怪が恐ろしくなったお姉ちゃんは、隠れてしまったのだ。でも私は気づいていた。
お姉ちゃんがどこに隠れているのか、私はすぐに気づいた。
でもワクワクしてちょっと忘れておもちゃで遊んでしまった。
ごめんなさい。
なんとかそう言って、走り出す。
えっちゃんとおばさんは着いてきた。
えっちゃんとおばさんは気味悪そうな顔をしていた。
私は裸足で縁側を降りて、素手で地面を掘った。花を植えるために掘って柔らかい場所。
なんの種を植えたのか気になってさっき手を突っ込んだら、いたのだ。まさかそんなところに人がかくれんぼするなんて。
さすが中学生だ。すごい。
穴を掘って、髪の毛があったから、引っ張ったら少し抜けた。
「あ、お姉ちゃんごめん」
痛かったかな?呑気にそう思った。
振り返った時の2人の青ざめた顔を見て、私はまた何かやっちゃったんだと気づいた。
悪癖で人に迷惑をかけた時によく見る顔だった。
おばさんが、ものすごい声で叫んだ。
私の不法侵入はそれどころじゃなくなった。
おばさんは赤ちゃん抱えたまま座り込んで泣いていた。
えっちゃんも泣いていた。
近所の人が心配して入ってきて、そんな2人と泥だらけの私と、本物のお姉ちゃんを見つけて慌てて警察を呼んでいた。
そんな中、妖怪のお姉ちゃんはおじさんに連れられて帰ってきた。
最初人の家でなんの騒ぎかと肩で風を切っていたおじちゃんは、縁側に出てきて、
「な…何してる!!このガキ!!」
泥だらけで、地面に座っている私に掴みかかろうとして、到着した警官に捕まっていた。
その態度で、おじさんも本当のお姉ちゃんを一生懸命隠していたんだと思って、私は良かったと思った。
仲が悪くても、やっぱり親だから、お姉ちゃん助けてくれたんだ。
「おじちゃん、本当のお姉ちゃんがかくれんぼするのお手伝いしたの?そうだよね、じゃないと自分で地面に入れないもんね。妖怪のお姉ちゃんから隠したんだよね??
でも妖怪のお姉ちゃんなんで連れてきたの?
ばれちゃったよ。
全部」
おじさんは私の最後の言葉を聞いて、ものすごく低い唸り声をあげて私を見た。
前にテレビで見た子供を守ろうとする熊みたいだと思った。
でも私もお姉ちゃんを守りに来たのだ。
「大丈夫だよ、おじさん。お姉ちゃんは、無事だよ」
そして私の言葉は、限りなく事実だった。
私の話を聞いた転校生は、珍しく表情を変えた。ピーマン食べたみたいな顔をした。
「なにそれ本気なの?通りでヒーローな立ち位置なはずのあんたが腫れ物触るみたいな態度されてるわけだよ」
まあ今は意味がわかるが、正直当時は分からなかった。
「妖怪のお姉ちゃんは捕まって、白い大きな車に乗ってどこかに行ったよ。本当のお姉ちゃんはやっと地面から出れて良かった。おじちゃん妖怪捕まえられるすごい人だから秘密組織に狙われて、今はお巡りさんのところで働いてるんだって。私の兄ちゃんがおつとめって言ってた。
えっちゃんはお父さんが働きに出て悲しそうで可哀想だけど、妖怪がいなくなったからもう安心だよ。良かったよね」
当時の私は本気でそう思っていた。
成人式の日に、兄ちゃんに真相を聞くまで、全く詳細を察することなく過ごしていた。ぶっちゃけ他にも色々とやらかして怒られていたため、この件ではあんまり怒られなかったせいで印象に残っていなかったが、真相を聞いて青ざめた。
えっちゃんのお兄ちゃんとお姉ちゃんはおじさんに虐待されていて、お姉ちゃんを助けるためにお兄ちゃんはおじちゃんに殺されて、埋められた。
お姉ちゃんはあの日、おじちゃんに女性の尊厳を奪われそうになって暴れまくってなんとか家を飛び出したけど怪我をしてしまって、バス停で休んでいた。
おじちゃんは逃げたお姉ちゃんを追いかけて、捕まえて帰ってきたら、勘違いをした私がせっかく隠したお兄ちゃんを見つけてしまって、激昂したのだと思う。
クマの顔は、親熊じゃなく、殺人者の顔だったのだ。
未だに思い出す。私が親の愛だと感じた怒りの表情を。
…恥の多い人生である。
終わり