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二階の最奥まで進むと、そこには重厚な古い扉があった。
他とは一線を画す扉は自ずと存在感を表している。
ユエは躊躇なく扉を開放すると、さっさと中に入った。
続いてルイジェが入り、扉を閉める。
既にユエが物色を始めた執務机の周りを放置してくるりと見渡した。
アルザス家のカイルが使う執務室やルイジェに与えられた女主人の執務室よりも一段見劣りする内装。
しかし、一般的な貴族の執務室よりは長い年月を掛けて磨かれた重厚感がある。
壁に掛かった絵画は無名の作ではあるが、美しい田園を描いていた。
だが、それが妙に浮いている。
屋敷で見たどの骨董品よりも一段見劣りする品だからだ。
「駄目ですね。矢張り簡単には足は出さない。それとも外れだったか……」
ユエがそう言い出した後、ルイジェに振り返った。
「気になりますか?」
ルイジェが絵画を繁々と観ている姿に作業を中断し、近寄って来た。
「ええ。元は違う絵が飾られていたようです。僅かに壁紙の日焼けが違います。良く見ないと分からない程度に枠が浮いています。ユエ、絵を外してみましょう」
額縁に手を掛けると少しの引っ掛かりを手に残し、簡単に外れた。
中はくり抜かれ、比較的新しい紙束がそこに収まっていた。
ユエと顔を見合わせ小さく頷いた。
すると部屋の外からいくつかの足音がいくつか近寄ってくる気配がした。
「ルイジェ様っ」
「こちらへ」
♢
「ルイジェはまだ見つからないのか?!」
カイルが荒々しく声を上げる。
憤りが呼吸にまで現れているように、酷く興奮している。
「申し訳ございません!」
怒声を浴びせられたルイスは顔面蒼白だ。
「お前が付いていながら、どうしてこんな事になったのだ」
あの時、パウダールームでユエにルイジェは体調が悪くなってしまった為、暫く休まる旨をカイルに伝えるように言われたルイスは大人しく指示に従った。
報告を聞いたカイルが戻った時には既にパウダールームはもぬけの殻であった。
慌て探し出したが、夜会の会場であるホールにも居らず、今いる庭園も隅から見たが居なかった。そしてカイルは煌びやかな灯りの漏れる邸宅を庭園から見上げて、途方に暮れた。
これ以上ルイジェが戻らぬようであれば、サンクリフト侯爵に事態を告げなければならない。
カイルが唇を噛み締めていると、後方から思わぬ声が掛かった。
「カイル様!こちらでしたか」
「ルイジェ!!何処に行っていたんですか?!」
ルイジェが近寄り、そっとカイルの噛み締めていた唇を指先でなぞった。
「何か悲しい事でもあったのですか?」
下方から覗き込むルイジェに、憤りが一気に湧き上がる。
しかし、言葉に出来ず俯いた。
「私の所為ですね?すいませんでした」
ルイジェが眉根を寄せるとカイルは首を振った。
「何処かへ行ってしまったかと思いました。貴方を無理矢理こんな国に連れて来てしまったから……。もう愛想を尽かされてしまったのかと思って、私は……、私は……」
堪らないというようにカイルはルイジェを掻き抱いた。
ルイジェは小さな子のように縋り付くカイルに困惑した。
まだ出会って間もないルイジェをこんなに大事にしてくれていたのかと胸が熱くなった。
家族に対する感情とは明らかに違う何かが芽生える。
しかし、それは抱いてはいけない感情であるとルイジェは良く分かっている。
それを受け入れてしまう事はあってはならない。
カイルはルイジェを女性として愛しているに過ぎない。
否、愛ではまだ無いのかもしれない。
妻として娶った責任感から来る感情を、家族として迎え入れた者に対する慈しみを、優しいこの人は勘違いしているのかもしれない。
男であるルイジェはきっと受け入れられない。
ましてや騙して近寄っているルイジェを受け入れる筈が無い。
———唯、今だけ。
この時だけは。
この浮かされてしまうような熱い身体に総てを委ねてしまいたい。
それは本心からの気持ちであった。