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第一王女殿下は冷静沈着で非常に聡明だそうだが、皇太子殿下の評判は散々な物だった。
気に入らない女官や側仕えを嬲り殺しただの、第七王子を暗殺した首謀者であるだのといった物騒な噂が絶えない人物であった。
戦勝国が潤うという理屈は分かるが、戦争の準備で資金繰りをしていた戦前と、戦後の賠償などに追われる最中潤っているとはどういう事だったのだろうか。
それが違和感の正体ではないだろうか。
そしてもう一つ。
ルイジェはこうしてグラナダ王国に送り込まれてはいるが、内部事情を内通する相手を明確に指示は受けていないのだ。
ユエが仲立ちするとして、ユエの背後にいる人物を正しくルイジェが思い描く必要がある。
その人物が外れていた場合、母と妹の安否に関わる問題だからだ。
最悪の結末が頭を巡り、ルイジェは自身の両肩を身震いして抱き締めた。
「寒いですか?」
向かい合わせで座っているカイルがそっと声を掛けてきて、ふと我に帰る。
「い、いえ。緊張してしまって」
取り繕い声が裏返ってしまった。
その声が返って緊張しているように捉えられたのか、マスクの下から覗くカイルの唇が弧を描いた。
「大丈夫ですよ。ご存知のように後ろの馬車にはルイスもユエも居ますし、私も勿論付いていますから」
励ましに、困ったように笑みを返す。
何にしろ、際は投げられてしまったのだ。
そう覚悟を決めた時に、馬車がサンクリフト家の前に到着した。
♢
会場内は薄暗く、怪しげな雰囲気を持っていた。
所々に区切られるように薄布の天幕が張られており、その中では香が焚かれていた。
その甘ったるい匂いが、ルイジェとカイルの下まで忍び寄っている。
カイルはルイジェの腰を抱くように身を寄せていた。
ユエとルイスは付かず離れずの距離で二人の後を静々と付いて来ている。
かなり上背のあるカイルを見上げると、仮面の下に苦笑を浮かべている。
だから言っただろう、とでも言いたげな眼差しにルイジェは苦笑を返した。
暫く辺りの貴族達の会話に耳を傾けていると、会場の吹き抜けになっている大きな螺旋を描いた階段に一人の仮面を纏った老紳士が立つ。
騒めきの渦を呑み込むように息を吸い、語り出した。
「今宵お集まり戴いた紳士淑女の皆様方、今宵は普段の紳士淑女の心の仮面を脱ぎ捨て、偽りの一夜を。どうぞ、心ゆくまでお楽しみください」
会場内が一段と喧騒が増した。
あまりの熱気に圧倒されていると、強烈な視線を感じた。
その視線の先を辿ると、一人の男性が天幕の陰から酒の入ったグラスを片手に弄ぶ仕草をしながらルイジェを見ていた。
ルイジェは視線の強烈さに顔を逸らす。
仮面を付けている限り、ルイジェの素性が暴露る訳では無い。
だが、ドミノマスクから覗くルイジェの美貌を完全に隠す事は不可能なのだろう。
彼方此方から送られる意味深な視線にルイジェは辟易してしまった。
そうこうしている内に、数人の女性の話し声が耳に入る。
「まあ!それは本当ですか?」
「ええ、そうなのよ。殿下から戴いたの」
「東国は野蛮な民族性とは聞いていますが、矢張り金細工に関しては素晴らしい技術を持っていますのね」
「そうでしょう?でもこれよりも凄い贈り物を戴いたのよ」
「まあ、何かしら」
「実はね……」
女性達は一層近寄り、小声でニ、三交わした後、どっと湧いた。
「彼女らが気になりますか?」
不意に声を掛けられ、頭上にあるカイルの顔を仰ぎ見る。
「え、ええ。東国の事を話されていたようなので」
「彼女等の内の一人は第二皇子殿下の遊び相手でしょう。殿下は美しい人間が好きなようです。だから気をつけてくださいね」
「気をつけると言っても」
「一人でウロウロしていると攫われてしまうかもしれませんからね」
珍しく茶化したような声音が、会場の熱気に呑まれて強張っていたルイジェの緊張を解した。
ルイジェはやっと平常心を取り戻すと共に、カイルに申し出た。
「カイル様、少し化粧直しに行ってもよろしいでしょうか?」
「ルイスとユエを連れて行っておいで」
カイルに言われて頷いた。
そうして二人と共にその場を後にした。
カイルに言われて頷いた。
そうして二人と共にその場を後にした。
♢
今回ルイジェがサンクリフト侯爵の夜会を選んだ理由は幾つかあった。
ルイジェは届いた山のような招待状と貴族名鑑を見比べながら、家宰のアルバートと執事のルイスに各家の主だった情報を聞きながら選んでいた。
グラナダ王国と東国の戦争で一番得をした人物は誰か。
それはアルバートとルイスの言によると、面だってはランチェスター家とワズロフ家であるらしい。
ランチェスター家は、別名を死神伯爵とも呼ばれるような物騒な家紋だそうだ。
此度の戦争で新しい戦争の幕開けを鮮烈に印象付けた武器、火砲。
それを王国に提供したのがランチェスター家だ。
ランチェスター家は、ガラブ国の書物をグラナダ王国の言葉に翻訳し、錬金術師達に開発させた。
使い物になるまでに如何程の期間が必要だったかはルイジェには分からないが、その殺傷能力は凄まじい物である事は良く知っている。
その火砲によって生み出した莫大な財産は王国貴族であれば誰もが知っていた。