番外編 1 復帰後
2025年4月20日、日曜日。徳島県に引っ越して(というか、戻ってきて、と言った方がいいのかもしれないが)ちょうど1か月になる。ヘリアンサスガールズにも書類上も復帰し、あと数週間でライブにも出られるようになる予定だ。大学の講義にも、少しずつなじみつつあるといった状況だ。
今日はヘリアンサスガールズ1期生の定期ライブがある。私は、復帰しましたという旨を伝えるために顔を出すことになっていた。
ショウとは結局別れることとなった。お互いの未来のために仕方ないと思っている、と話していた(なお、しふぉんとショウは大学で1回会ったようだった)。
レッスンは基本的に土曜日・日曜日と、平日の火曜日、木曜日、金曜日のうちどれか1回(1週間で3日)と言ったスケジュールになっている。メンバーも多いため、このようにしないと「事情で出られない」という日が多くなってしまうというプロデューサーの配慮のようだった。
プロデューサーは元お笑い芸人だが、世間から名前を聞かなくなってかなり久しい。「あの芸人、今どうしてるんだろう?」と調べてヘリアンサスガールズを知る人が多いようではあった。
ヘリアンサスガールズのメンバーと会うのは3年ぶりだったというわけではない(実際、長期休みに2泊3日で過ごしたりはしていた)が、こうやってメンバー同士として会うのは3年以上ぶりになっていた。しかし、彼女ら、特に1~3期生のメンバーは、3年ぶりに復帰した日に、さも昨日会ったかのように私に接してくれていた。
思い返せば、1期生と出会ってもうすぐ6年たつ。あの夏、ここで出会った日のことを鮮明に思い出すと、私は思わず涙してしまった。
忘れもしない2019年8月4日。オーディションの合格通知の紙に書かれていた日付だ。私はオーディションの行われたA駅前のビルに向かっていき、そこで4人と出会った。
私より20cmほど身長の高かった1人と、10cm差だった1人、大体身長が同じだった3人。私は当時、あの中で1番身長が低かった記憶がある。
その日に、プロデューサーさんからお披露目会を行うという趣旨のことを告げられ、市民会館へと連れていかれた。そこで最初のお披露目会が行われた。思い返せば、あれが初めて舞台に立った日のことだった。
ユニット名はそかかがくじで決めた。名前は「ヘリアンサスガールズ」(他にも3本ほどくじが刺さっていたが、他の候補が何だったのかについてはいまだに謎)。初めて聞いたときは全くぴんと来なかったが、少しずつ浸透していっていた。
あれから6年近くがたつが、他のメンバーも当時と変わらずに活発に活動している。それを思うと、過去を振り返ってもあまり意味がないような気がした。私は出かけていた涙を抑えて、レッスンで入ってきたゆっかにあいさつした。