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春や昔の  作者: 東雲しの
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采女(うねめ)の箏羽

……親王をお連れして落ちろ……


箏羽(ことは)は文を握りしめて走った。


……親王と伴にそなたの里に落ちよ……


箏羽は地方豪族の娘だ。

地方の豪族は朝廷への忠誠心の証として、容姿端麗で教養の高い子女を貢進(こうしん)する。

その采女(うねめ)の一人が箏羽だ。

古より存在する采女は、天子様の食事の時の配膳が主な仕事なので、帝の目に留まり寵愛を得て皇子様や皇女様を産んだ(もの)もいる。

母方を通して、采女の血を継ぐ天子様も存在する。

だが母方の身分が重要視される現在(いま)のこの国では、地方豪族出身の采女の子供は、中央豪族出身の(もの)や貴族の姫の子供と比べて低い立場に置かれる事がほとんどだ。

また采女司(うねめのつかさ)の管轄下となってはいるが、内裏の内侍司(ないしのつかさ)に配属されて、下級女官の女嬬(にょじゅ)となり、そして低い女官ながらも才を発揮して、女官の長たる内侍司(ないしのつかさ)典侍(ないしのすけ)となった娘も存在()る。

この第五小国の後宮……内裏は近隣の大国の〝それ〟とは違い、男子禁制の天子様だけの聖域ではなくて、男女の官人(つかさびと)が共に働く事は当然の事だ。

つまり大国にいる宦官という去勢された男性ではなく、ごく当たり前の男性が働いて来たので、当たり前の様にそんなものは必要なく男官女官共に働いている。それも実力のある女性(もの)は、男官を指示監理していたりもするのだ。

そして采女の様に、低い門地の出身でもキャリアを積み、才を活かして出世した女性達もいる。

采女でも采女司(うねめのつかさ)の長官や、内侍司ないしのつかさ典侍(ないしのかみ)となった女性(もの)も存在するが、それには限界があるのは否めない。

それは男性官僚にも当てはまる事だが、出自がもたらす限界は致し方のない事だ。

ただ稀に神仏に加護を授かれるもの以外は……。

さてここ第五小国では、女官は恋もできるし結婚もできる。

大国などの宮廷ものが有名で、後宮の女官は全て皇帝様の〝もの〟〝皇帝様のお手つきになる〟が、脳裏に浮かぶかもしれないが、そういう事はかなり稀で、大体そういったお方は高貴なる姫様が、〝それ〟を目的として入内されていたりするから、よっぽどの事がない限り〝そう〟はならない。

まぁ、天子様のお身の回りの事をしている女性(もの)達は、お目に留まる事は多いと思うが……。

さて、ここで女官と采女の違いが一つある。

采女はここ第五小国でも、天子様の〝もの〟なのだ。

采女は古の昔から、地方豪族が朝廷への服従の証として差し出すのだが、それはまた〝天子様の妻と成る〟を意味していたので、采女は天子様の〝もの〟なのだ。

それはこの内裏において今や身分も地位も低く見なされ、母親の身分が重視される第五小国では低い立場に置かれるから、その皇子達は〝皇子〟とも見なされず苛酷な一生を送る事も稀ではない。そんな現在いまでも、その名残だけは存在して、采女は天子様の〝もの〟なのだ。

ゆえに古より、容姿端麗で教養があって、そしてこの自由な恋愛事情の内裏であっても、決して手の届かない采女は貴族達の憧れの対象といっていいので、何かしらと悲しいお話しが語り伝えられている。

采女に恋した者は、天子に対して反逆と見なされたので死をもって償わされたし、恋した采女は相手を思って入水したり、相手を追って入水したり……。天子の愛を失って入水したり……。

そんな中でも、天子様から采女を下げ渡され、結婚を許される者も稀にいる。

その者は歓喜して天子様に忠誠を誓い、有り難い妻をこよなく愛した……という伝説も存在するが、現在進行形で采女は恋愛厳禁だ。なんだか何処かのアイドルグループの様だが、たぶん〝そんな感じ〟だ。ただ〝そこ〟に生死が存在する違いがあるが……。


さてそんな采女の箏羽(ことは)だが、采女司(うねめのつかさ)から内侍司(ないしのつかさ)の、女嬬(にょじゅ)へと移動となったので、それは忙しく、掃除や洗濯にと身を粉にして動いていた。

当然ながら帝に見初められれば、これ程一族にとって名誉な事はない……。と親は思っているだろうが、幸か不幸か箏羽は、全くといっていい程お目に留まる職種ではなかった。

そんなこんなの或る日、途轍もなく能天気な公達様と、偶然廊でぶつかり親しくなった。

何処の公達様か知らないが、公達といえば高貴なるお方だ、親しくなって恋文など頂いたら……采女だからどうしよう……なんて夢物語みたいな心配を同僚の采女と話していたら、本当に恋文が来てしまった。

まだまだ〝真実の恋〟とは縁遠いお年頃の箏羽だ、その真の意味すら分からずに有頂天になった。


「采女は天子様の〝もの〟だから、有頂天になったら命取りよ」


年嵩の同僚に釘を刺された。


「相手も死をもって償わされるわよ」


「えっ?だって、天子様は高齢でしょ?」


箏羽が文だけの問題と軽く答える。


「それでも」


年嵩の華菜は真顔で言った。


「それに天子様は女御様に夢中だから、私達にお目を留める事なんてないわ」


同じ年の真鈴が言う。


「それでも!」


箏羽に華菜は叱る様に言った。

箏羽はとても人の良さそうな、ちょっと品のある人を見下す所の無い、この公達様に多少の好意を持っていたので、采女の自分と関わりを持ってはこの方の御身にならないと、文を焼いて返事を書かずにおいた。

すると廊や渡殿(わたどの)で、待ち伏せているのか偶然か……。否々とても偶然とは思わぬ頻度で、遭遇する事と相成った。


「私は采女です」


箏羽は毎回そう言った。


「知ってる、だから何だ?」


「死をもって償わされます」


「今の時代にか?」


「今の時代でも……そうなんでしょう?」


「……どうなんだ?分かった〝そこの処〟を確認すれば、私の思いは受け入れてもらえるのだな?」


公達様は何時もの様に、能天気に言い残して渡殿を歩いて行ってしまった。


……それから何日も何日も、公達様は現れない。

箏羽も、華菜から散々聞かされたしなめられたから、決して思ってはならないと肝に銘じている。


「誰かに相談して彼の方が来ないのは、決して裏切りじゃないわよ」


華菜が慰めてくれる。


「うん……」


箏羽は頷いた。

あんなに人の良さそうな公達様だもの、箏羽だって死んで償って欲しくは無い……。

生まれて初めて雅びやかな文を頂いて、待ち伏せなども頂いて……。

まだまだ乙女の箏羽が、気にかからないはずはない

そんなこんなのモヤモヤはあっても、決して惹かれてはならないと自分を律しながら、日々忙しくお仕事に精進していると


「…………」


公達様が廊の隅で手招きしている。

ちょっとお顔を見ないだげで、なんとも淋しい様にされてしまった箏羽は、いけないと知りつつも駆ける様にしてお側に寄った。


「兄に聞いてみたが、なかなか難しい。なんで太古の昔程のものを残しているのか……実に恨めしい限りだが……しかしながら、例外もある事はあるから、そこの処をどうにか上手くやるしかないらしい」


「上手くやる?」


「ああ、主上は藤壺の女御に夢中だからな……なんとか上手い事言い包めて……」


「やめてください!」


箏羽は公達様が能天気に言うから、心底心配になって声を荒げたので、公達様は吃驚して凝視している。


「貴方様の身に何かあったら……」


知らず識らずの内に、涙が溢れて止まらない。


「何だ?そんな事……」


公達様は嬉しそうに、箏羽を抱きしめて言った。


「お父君様は、若い女御に夢中なのだ。きっと私の事も解ってくださる。特例として下げ渡して頂く」


「……お父君様?」


「あっ?そなた知らなんだのか?これでも一応親王の端くれなのだ」


「……そんな……」


親王様といえば、小国ながらもれっきとした歴史ある、第五小国の天子様の御子様であられる。

地方の豪族の姫は姫だが、この内裏では身分が低く馬鹿にしかされない、采女の箏羽とでは身分が違いすぎる。

それより何より箏羽は〝采女〟なのだ。天子様の〝もの〟なのだ。

仮令親王様であろうとも、如何様にできるはずはないから箏羽は困惑した。

采女の自分にそして親王様に、そして何よりも好きになってしまっていた自分の思いにだ……。


天子様は近頃、臥される事が多くなられた。

昨年ご寵愛の女御様に、それは玉の様な親王様がご誕生なされて、大喜びの天子様はまだお目が開かれぬ皇子様に、親王としての宣旨を下された。

ここ第五小国では天子様の御子様でも、親王としての宣旨を頂けないと、親王として見なされないのが決まりだ。

そしてこの国は、母親の実家の力がものをいう国だから、宣旨を頂けない皇子皇女は、母親の身分が低かったら苛酷な一生を送る。忘れられてしまう御子様方も存在するのだ。

そんなこんなを鑑みても、お目も開かぬ内に親王様として宣旨頂けるなど、藤壺の女御様に対する天子様の過剰なるご寵愛が伺える。

そして天子様は病床に臥される前に、以前から不仲となられていた東宮様を廃されたのだった。

確かに東宮様は、余りに傲慢で身勝手なお方であったので、天子様からは幾度と無くご忠告をお受けであられた。また、東宮様のお母君様の出自が低い事も、東宮様には負い目となられていたのだろう。

天子様にはなかなか、皇子様がご誕生になられなかった。

皇后様との御子様も三人共内親王様であられ、天子様のお着替えのお世話をされていた更衣様に、天子様がお手をつけられてご誕生になられたのが東宮様で、やっとご誕生の皇子様であったので、母親の身分は低いが即親王宣旨を下され、その後皇子様がご誕生にならなかったので東宮様となられた。

天の悪戯か、その後に后妃様方に皇子様がご誕生になれたが、この第五小国の慣わしとして、東宮と決定されたら余程の事が無い限り廃する事は叶わない。それは皇后様にも該当する事で、大臣達による悍ましい画策を阻む為である。

……が天子様は、若きご寵愛の女御様のご希望通りに、東宮様を廃される宣旨を下されたのだ。 それから時を経ずに天子様が臥される様になられると、廃された東宮様が巻き返しを謀られ藤壺の女御様は、天子様のご寝所に在る壁で覆われた塗籠(ぬりごめ)に閉じ込められてしまった。

そのまま東宮様が高御座に座られるか……と、誰もが思った。

第五小国の古からの慣わしであるから、東宮様が高御座におつきになるは至極当然の事だからだ。

だが、さほどにおいでではない親王様方が、その〝座〟を巡り争いを起こされた。

今上帝様の砌にも、高御座をめぐっては親王様方の争いが繰り広げられたが、いつの世もこの貴き御座をめぐって血の争いは避けられぬものらしい。

そして箏羽は、そんな親王様方の争いの最中に、能天気親王様の腹違いの兄宮様であられる、元長様より文を頂いた。

それには、親王様を連れて里に落ちろと記してあった。


能天気親王様は再三箏羽を娶る為に、天子様にご相談されようとされたが、東宮様を廃する問題を抱えておいでの天子様とは、なかなかお目通り頂けなかった。

その内、その事を嗅ぎ付けた東宮様……否その折はもはや廃されておいでであったか……

その廃東宮様に唆され、再び東宮として担ぐ重大なる過ちを犯しになられた。

しかし病床に臥せられる以前に、再三お許しを頂きに赴きの親王様のご真剣さに、お心をお打たれの藤壺の女御様は天子様にご注進くだされて、箏羽を親王様に下げ渡される宣旨を頂いていたのだが、藤壺の女御様は廃東宮様によって塗籠に幽閉されてしまわれたので、箏羽はそんな事を知る由も無い事だ。

ただ腹違いとはいえ、仁義に厚くどの親王様よりも人徳のある元長様が、この争いの中わざわざ端た女の箏羽に文を下されたのだ、かのお方のお文を信じて落ちるしかない。


箏羽は能天気な親王様をお探しする。内裏を大内裏を……。


「親王様のお屋敷はどこ?親王様は誰?」


御名は……。

一度くだされた文に書いてあったろうか?


初めて頂いた恋文に、浮かれていなければよかった……。

采女だからといって、諦めなければよかった……。

燃やしてしまわなければよかった……。


箏羽は仁寿殿(じじゅでん)清涼殿(せいりょうでん)の間にある庭で、文を届けに来た従者を見つけた。

転がりそうになりながら走り寄る。


「あっ……」


従者は箏羽を見つめて立ち止まる。


「親王様は?」


「あー、親王様は……」


従者は親王様が未だに、天子様のご許可を頂けないのをお気になされて、こうして清涼殿に様子を見に来ているという。箏羽はそんな事より、元長様からの文の内容を説明して、従者と共に親王様の元に再び走った。

その夜遅く、箏羽は親王様の牛車で都を出て落ちのびた。


その日の明け方、反東宮派である元長が廃東宮派を制圧し、それに乗じて高御座を狙った親王達をも制圧した。……と言っても、この親王達の争いは、東宮派を一網打尽とする為の、元長が煽って起こさせた物だ。

大きな力を分散する為に、親王達の欲を利用したのである。

たとえ誰が新天子となろうとも、今上帝より廃する宣旨を下されている、東宮以外でなければならない。

現在(いま)今上帝が最後の寵愛を注ぐ、女御の御子様である幼き弟であろうとも……。

第五小国の歴代の天子の中でも、数少ないと言われる親王達の中で、高御座という〝座〟に欲を持たない者は、能天気と揶揄されるそれなりに高貴な母を持つ親王と、天子様を支え続けた内侍司(ないしのつかさ)尚侍(ないしのかみ)であった母を持つ元長だけであった。


天子様はそれから貴い一生を終えられた。

二通の宣旨を遺されて……。

一通は、天子様ご崩御の後は、親王である元長に高御座を譲るとするもので、もう一つは采女の箏羽を能天気親王……佳寿の宮親王に下げ渡す……と云うものであった。


そして新天子となられた元長は、〝采女は天子のもの〟と云う古きしきたりを改められ、采女も女官同様に結婚を許す旨を告げられた。



★☆☆☆☆☆☆★



春の温かな日差しが降り注ぐある日、箏羽の里にひっそりと落ちのびた箏羽夫婦の元に、やはり同時期に牛車で都を出たご夫婦がお訪ねになられた。

先代天子様の高御座の〝座〟を争った親王達に陥れられて、不遇な一生を終えられた親王様を父に持たれ、苛酷な半生を送られた、現在(いま)は返り咲いて皇家の一員となられ、気儘な諸国を歌人として過ごされる、鳴瞭(なりあきら)様とそのご寵愛ひとかたならぬお方であられる。


「これは鳴瞭様……」


「久方ぶりでございます、()()()()()()


鳴瞭は朗らかに笑むと、幸せそうな能天気親王様を正視された。


「あの折、お兄君様……いや、天子様にご注進くだされたは貴方様とか?」


「我が父が同じような目に遭い、辛苦の涙を流して身罷りましたゆえ……東宮は全てをそなたに擦りつけて、我が身を保身し天下を得ようと致したかと……」


「……原来からの浅はかさが仇となる処でございましたが、天子様より御咎めも無く、有り難くも箏羽と夫婦としてくだされました」


「ははは……我らは果報者でございますが、しかとご記憶なさいませよ。我らは他の(もの)達と違ごうて、妻は一人しか持てませぬぞ」


「それは如何して?」


「天子様よりの、温情にて夫婦となれた我らでございます。もしも妻を泣かさば、二心と見なされ厳しく処せられますぞ」


「いやいや……そこ迄の思いで致したのだ、妻に二心は抱きませぬ」


「それが我らの幸せにございます」


東宮に唆されたとはいえ、過大なる罪をおかした能天気親王様だったが、天子様は罪に問われる事は無く、箏羽の里を治める役を下賜くだされたし、官位もそのままとしご用があらば、箏羽共々都にお呼びになられる。


麗らかな春の日、幸せな二組のご夫婦が花見を盛大に催された。

そのお噂は都まで告げられ、今上帝様の御代の安らかなる治安をお祝いされる歌が詠まれたと、永きに渡り伝えられている。



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