返り咲く八重桜
俺が住むワンルーム賃貸アパートの裏手に月極の駐車場がある。ここの脇に一本の八重桜が植えられていた。その種類までは知らないが、薄いピンク色の花を咲かせる八重桜である。
この駐車場がアパートを含む、いくつかの住宅に囲まれている為、一般道から、この木は見えない。駐車場の利用者と、そこに面した建物の住人等を除けば、この八重桜の存在を知る人は皆無だと思われた。
この八重桜には一つの傾向がある。春になると他の桜と共に花を咲かせ、その後、葉が生えるのと同時に花の季節は終わりを迎えた。ここまでは一般的な八重桜と同じであったが、空に浮かぶ雲の形が夏から秋へと変化し始める頃になると、その葉が黄色く色付き、そのほとんどが短期間で散ってしまう。他の桜が、まだ緑の葉を多く残している時期にも関わらず……。そして、本格的な桜紅葉の季節を迎えると、毎年、この八重桜は数輪の花を咲かせるのだ。一般的に言われる「狂い咲き」であった。
俺が、このアパートに住み始めて五年になる。この町にある支社への転勤に伴い越して来たのだ。家族は持っていない為、ワンルームの賃貸アパートで充分だった。
その年の秋。部屋の窓から見える「狂い咲いた八重桜」に気付く。俺自身、割と花好きだった為、機会があれば、この花を観察し続けた。そして、二週間程で、この花は枯れ、地面に落ちる。
翌年も、その次の年も、この八重桜は秋に数輪の花を咲かせた。しかも、同じ枝に……。
(この八重桜は『木そのもの』が他の八重桜と異なった性質を持っているのかも知れない)と、考え始めたのは、ここに住み始めて三年目の時である。秋に咲いた八重桜を眺めながら、俺は一つの推論を立てた。
本来、桜は落葉によって花となる芽の成長が始まる。その過程で一度、寒さを経験しないと花は咲かない。だが、その「寒さ」は「冬の寒さ」である必要は、ないという。俺が聞いた話だと、気温が十五度以下になると桜は「寒さ」を感じるらしい。
もし、桜の中に温度に敏感な枝があったとした場合、初秋でも、「寒くなり始めた」と、葉を落とし、更に少し気温が低い日が続けば、「寒い季節が来た」と、花を咲かせる準備を進め、その後、二十度以上の暖かい日が訪れる事により、「春が来た」と、花を咲かせるのでは、ないかと考えたのだ。いわゆる狂い咲きが「その木の全体」で起こらないのは「枝の単位」で感じる温度が違うと推測した。もちろん、これは「素人の考え」であり、科学的な根拠はない。一方、この秋に咲く八重桜が毎年、「同じ枝」で発生している事を考えれば、「全くの見当違い」とは言えない気もする。
俺は例の八重桜が植えられた駐車場も借りていた。通勤にはバスと鉄道を利用していたが、住んでいる場所が地方都市の中心部から少し離れており、自動車は必需品である。
十一月中旬の日曜日。俺は〈休日恒例〉ともなった日用品の買い出しを行う為、駐車場に置いてある自らの車へと向かう。その時、狂い咲きを起こした八重桜の花を写真撮影している女性に気付いた。年齢は二十代後半から三十代前半だろう。その手には少し大きめのカメラを持っていた。
この八重桜を知る人は少ない筈だ。おそらく、駐車場の利用者、または、そこを取り巻く建物の住人か、その関係者だと思われるものの、俺が知っている女性ではない。
俺は以前、狂い咲きのツツジ(躑躅)を見掛け、スマートフォンで撮影した事がある。この時、見知らぬ年輩の女性が俺に近付き、「珍しい! 秋にツツジが咲いている」と、驚きの感情を含む声を上げた。俺は思わず、その言葉に反応してしまう。
「完全な『帰り花』です」
すると、その女性は嬉しげに声を発した。
「『帰り花』……、良い言葉ですね。普通なら『狂い咲き』と、言うのに……」
そして、一呼吸してから呟く。
「私も、もうひと花、咲かせたいわ、この帰り花の様に……」
俺は、それを黙って聞いていた。
「撮影の邪魔をして、ごめんなさい」
女性は、そう言って、俺の傍を離れる。
「『帰り花』、良い言葉よね……」と、口にしながら……。
その様な経験を思い出しつつ、俺は自分の自動車に乗り込み、静かに発進させる。「狂い咲き」の八重桜を撮影する女性の邪魔にならない様、注意しながら……。
俺が買い出しから戻ったのは約二時間後である。駐車場に例の女性は、いなかった。車から荷物を降ろす前に俺は狂い咲きを起こした八重桜へと向かう。ほぼ無意識の行動であった。その時、桜の根本に一枚の紙が落ちている事に気付く。そこには「狂い咲く 桜を誰も 気に留めず」と書かれていた。女性による筆跡に間違いないだろう。瞬時に、この八重桜を撮影していた女性を思い出す。
(秋に花を咲かせた八重桜を見て一句、作ったのか?)
そう考えながら、俺もスマートフォンで、この花を撮影した。それは〈何気なく〉行ったものであったが、これが一つの要因となったのも事実だ。
買った日用品を部屋に運んだ後、コーヒーを入れる。とは言っても、インスタントだが……、それを飲みながら俺は先程、撮った八重桜の花をスマートフォンのディスプレイに表示させた。その時、落ちていた紙に書かれた川柳……、いや、「狂い咲く 桜」を「帰り花」だと解釈すれば、俳句だと思われる文字を思い返す。
(あの女性は、何だかの『想い』があり、八重桜の花を撮影して、この句を作ったに違いない。しかも、駐車場の脇で〈ひっそり〉と咲く『帰り花』をモチーフにして……)
同時に「狂い咲くツツジ」を見た年輩女性が口にした言葉も思い出す。
(女って、いつでも綺麗に咲いていたいんだろうな……)
ここで俺は悪戯を思い付く。そして、メモ帳を取り出し、悪戦苦闘を始めた。気が付けば一時間が経過している。そのメモ帳内で完成した短歌……、その様に呼べるものでないのは充分に理解しているが、これをビジネスバックに入れてある大きめの付箋に書き写し、部屋を出た。目的地は駐車場の八重桜だ。そこには「狂い咲く 桜を誰も 気に留めず」と書かれた紙が〈置いて〉ある。ここに俺は持参した付箋を貼り付けた。それは他愛もない悪戯に過ぎない。特段の結果を求める気もなかった。
翌日の朝……、通勤前に八重桜が植えられた場所に行くと、俺が付箋を貼り付けた紙が、そこに残っていた。しかも、新たな付箋が貼られている。それは明らかな「返歌」である一方、短歌ではなく、川柳……、季語がないので、そう判断したが、「五・七・五」の十七音で構成された「句」であった。
(これは面白いな……)と感じつつ、まず、紙に書かれた俳句に目を通す。
「狂い咲く 桜を誰も 気に留めず」
続いて俺が作った短歌を読み返した。
「秋空に 一際映える 桃色の 人も羨む 帰り咲く花」
続いて、例の女性が作ったであろう俳句を読む。
「気が付けば 愛でる人いる 忘れ花」
(『忘れ花』かぁ……、『帰り花』や『狂い咲き』と同じ意味の言葉だ)
これは他愛もない悪戯……、しかも、「言葉による悪戯」に過ぎない。その相手が〈誰〉であるのか、お互いに認識していない筈だから……。だが、ここは、関係者以外、立ち入る事がない駐車場。
(今後、面白い展開が待っているかも知れない)
俺は淡い感情を抱きながら、会社へと向かった。
返り咲く八重桜 (了)