ドクトルとバルナス
むかしむかし、パパが買ってくれた、
アニメに出てくるような黒フレームの丸い眼鏡、
いつも不機嫌なパパが始めて買ってくれた、プレゼント、
笑顔のパパ、
大切な記憶、
わたしの宝物、
だから、パパ、
笑うから、パパの為に笑うから、
だから、もう一度、
わたしに笑顔を見せて、
旧ベラルーシ共和国 首都ミンスク
わたしは今、汚染された大地の上を歩いている。
廃墟と化したこの街に、人の気配はない。
その街の中を防護服を着た五人の兵士とわたしが居るだけだ。
ふと、先頭を歩く兵士が腕を上げ手を開く動作をする。
それを見たほかの兵士が素早く散開する。
「博士! ドクトル! こっちに!」
わたしの隣にいた兵士が腕を引っ張り廃屋に身を潜ませる、彼らは緊張した様子で外を眺めているがわたしは外ではなく、廃屋の方に視線が行った。
その廃屋にはかつて人が住んでいた名残があっのだ。
焼け焦げた家具、微かに焼け残った写真には家族が笑った瞬間の時を切り取ったかのように、映し出されていた。
わたしはそれに手を伸ばそうとしたが、地鳴りが響き渡るり手を止めさせた。
この場に居る全員が息を飲む。
黒い無機的な巨大な生命体が廃墟と化した街の中を闊歩している。
イビルマキナ。
最初の出現が確認されたのは、ここ、ベラルーシ。
その後世界各地に出現し、そして大樹と呼ばれる巣が出現した。
最初の出現地であるこのベラルーシは、ロシアとベラルーシの連合軍が迎え撃ったが、防ぎきれず、最後は彼らの大樹に向けて、ロシアが戦術核を使用した。
今なお、このベラルーシの首都ミンスクは放射能で汚染され人が住めなくなり、代わりに彼らがこの地の支配者となり、ベラルーシは人類攻撃の補給基地として機能している。
圧倒的な数で人類の殲滅を図る彼ら、それに対して我々はこの地球を捨てることしか出来なかった。
ふと、イビルマキナ足が止まる。
全員に緊張が走る、わたしは緊張のあまり唾を飲み込む。
歩兵の携帯火器ではイビルマキナにダメージを与えるどころか、傷すら付けられない。
見つかる、それは即ち死を意味していた。
しかし、イビルマキナは数分間その場に留まっただけで、スグその場から去っていた。
緊張の糸が解け、皆が安堵の息を吐く。
「寿命が縮むよ」
そう言ったのは、この部隊の兵士であるフェン・ウー中尉だ。
国連はイビルマキナに対抗する為に、各国の軍統合した地球防衛機構、通称地球軍を創設して対抗した。
緒戦は数と最新鋭兵器で身を固めた地球軍が圧倒していたが、次第に劣勢に立たされ今や、ユーラシア大陸は彼らの支配エリアとなり、戦線は欧州、インド、東アジアへと拡大している。
「急ごう、奴らは日が落ちると活発になる」
この部隊の隊長であるクリフハンガー大尉は防護服に取り付けられた時計を見ながら言う。
「夜行性だもんな、アイツらは」
「しかし、本当にあるんですが? イビルマキナに対抗する手段が」
「さあ、我々は上からの命令で動いているだけだ、本当かどうかは行って見ればわかる、そうだろう、博士?」
そう、あの悪魔に対抗する手段がまだある、その手段を手に入れるために、わたしはここに来たのだ。
わたしは、確かめなければならない。
真実を。
娘のことを。
五年前 ウクライナ・ドネツク州
分離派の攻勢があったのは、先週のことだがどうもわたしがここに呼ばれた理由がわからない。
「ヤコンスキー将軍、わたしに何か?」
ヤコンスキー将軍はウクライナ国内軍に最近創設された衛星監視局の局長であり、内務省対テロ対策局局長でもある。
この当時のわたしはウクライナの大学で高分子学の教授の傍ら内軍から依頼されていた研究もしていた。
「やあ、ドクトル、先週の報告書を読ませてもらったよ、研究は上手く言っているようだな、年内には形に出来るかい」
「この依頼を受ける時に言いましたが、わたしの専門は高分子学、ロボット工学は畑違いです、そう簡単に形に出来たら、ロボット工学を学ぶ学生達にパンケーキを投げつけられますよ」
「生クリームたっぷりのか。わかっている、そんな顔をするな、無理な依頼をしているのは十二分に理解している、しかし、新型人型戦闘機械開発は君が開発した新型人工筋肉が必要なんだ」
「はあ、それで、今回わたしを呼んだ理由は? 言っておきますけど分離派の事を訊きたいのなら何回訊かれても答えは一緒ですよ、両親とは一切連絡をとっておりませんし、会ってもいません」
わたしの両親は熱烈な新ロシア派の人間だった。
ドネツク州とロシアの境の小さな田舎町に育ったわたしにとって、ロシアと訊くと最初に浮かぶのが両親の顔だ。
小さい事はやれ、ロシアは優しいだの、景気が良いだの、何だかんだ言っていた。
しかし、当時のわたしは両親が言っていた様な新派になることは無かった。
わたしはわたしの目で見たモノしか信じない。
それがわたしの小さい時からの考えだった。
将軍に呼ばれたのでわたしは両親のことを聞かれるのかと思っていた、そうではなかった。
「いや、今回はその事ではない、君を是非紹介して欲しいと言う人物が居てね」
「わたしにですか?」
「付いて来い、別室で待たせてある」
将軍はカップに入ったカフェオレを飲み干すと、部屋を出る。
わたしはその後に続く。
「君は離婚していたね」
唐突だな、わたしは思った。
「ええ、もう離婚して二十年になりますが、それが何か?」
「確か奥さんは日本人だとか」
「ええ」
「日本人の奥さんを持つなって羨ましいよ、君は? 何で別れたんだ?」
「意見の相違…… ですかね、家庭のことでよくブツかっていたので」
「フムン」
「それが?」
「君に会わせたいのは彼だ」
そう言って通された部屋に居たのは一人のアジア人、身なり名からスグに日本人だとわかった。
「紹介する、こちらはドクトル・ジゴバ博士、こちらは――」
「はじめまして、博士、わたしはヨウスケ・マスイと言います」
「どうもはじめまして、マスイさん、マスイと言う名前は初めて聞くな、漢字でどう書くのですが?」
「これは面白い、 漢字を聞いて来る人は初めてですよ、まあ、『マスイ』と言う読み方自体は珍しくありませんが、漢字表記は珍しい方らしいですよ」
そう言って彼は名紙を渡す。
『NPO法人 日本文化交流復興会 摩寿意 洋介』
そう書かれていた。
「変わった漢字だ」
わたしがそう言うと彼は笑って「ええ」と答えた。
「それで、わたしに用とは?」
「ええ、実は今度わたし共が主催する高校生との文化交流に、是非、教授のご高説をと思いまして」
「……わたしの専門は高分子学だ、とても高校生に聞かせるような――」
「無論、承知しています、ここでは何なので、どこか二人で話せる場所に移動しませんか、どうも、ウクライナ語は苦手で」
成程と思った、わたしに会う条件がウクライナ語で会話することか、将軍は彼がただのNPOの職員とは思ってはいないようだ。
「わかりました、わたしは午後の講義があるので夕方、近くにバーがありますのでそこで」
わたしはバーの住所と店の名前を渡してその場を後にする、その後ろに付いて来る将軍はわたしの横に並び歩きながら話しかける。
「どう思った?」
「国連の研究機関に居た頃に遭った、産業スパイとは違いますね、情報機関の可能性があります」
「どこだと思う? 中国か? それとも朝鮮か?」
「わかりません、わたしはそっちは本職ではないので」
将軍は二重顎を摩りながら呟く。
「内務省で当たらせたが、ヒットなし、内務省経由で国防省の情報局問い合わせて見たが、こちらも芳しくもない、そもそも、この法人の履歴に偽りはない、日本の法人元に問い合わせたが、マスイと言う人物は実在している」
「しかし、どういう繋がりで将軍と?」
「いや、わたしの姪の高校が例の法人交流をするらしい、姪がわたしの名前と君の名前を出したら興味を持ったみたいで紹介して来たんだ、可愛い姪の頼みだ、断ることも出来ん」
「それで、わたしは、ああ言ってしまいましたが、会うべきでしょうか?」
「……こちらで護衛を配置する、奴がなんの目的で君に接触して来たのか訊き出せ」
わたしは目を丸くした。
「冗談よして下さい、わたしは研究者ですよ」
「わかっている、だが、これも仕事だと思ってくれ」
「あんまりだ」
「恨むなら日本人と結婚したのを恨むのだな」
最悪だと思った。
これは不運だ、わたしは諦めて施設を後にした。
夕方、仕事帰りのお勤め人がバーでごった返す中で彼を見つけるのは簡単だった、日本人はどうしてこうも、目立たないところに座りたかるのだろうか、わたしは奥のテーブル席に腰を下ろす。
わたしに気付いたのだろう彼はニコっとした顔で飲みかけのビールを飲み干した。
「遅くなってすみません、マスイさん」
わたしは嫌味を込めてウクライナ語で話しかける
「いえ、待つのは慣れていますので」
「そうですが」
「やはり、ウクライナ語は話しづらい、英語、話せますか?」
「日常会話程度なら」
「では、日本語は?」
「片言なら……」
「では、すみません最初に英語と言ったのですが、英語も苦手で、日本語でいいですか?」
「構いません」
「フムン、ようやく真面に話せる」
口調が変わった、いや、これが素なのだろう。
人によっては喋る言語によって人格や性格が変わると言うが、ここまで変わる人間は初めて見た。
「さて、あなたに会いに来たのは御高説をお願いしに来たわけではない、実はあるモノを見てもらいたいのです」
彼は鞄からタブレット端末を取り出してわたしに見せる。
そこに映し出されたのは、何かの数式の羅列と見たことのない、図形だった。
しかし、それなりの知識がある者がこれを見れば、これが何を意味しているのか、瞬時にわかる。
「これは天然無機物の構造体だな」
しかし、これを熟読するとある不可解なことに気付く。
「これは……」
「既存の構造体ではない、自然界で発見された新しい、無機物構造体」
「これの資料が正しければ、構造強度は自然界では最高クラスだ、しかし、この構造体、有機系等の構造体と酷似している」
「だからこそ新しい構造体なのです」
「……何故、これをわたしに見せる」
わたしの問いに彼は押し黙る。
数分の静寂の後、静かに口を開く。
「来るべき『時』に備えてです」
「どういう意味だ?」
「……もうすぐ春ですね、日本では桜が満開の季節になり、山々はさくら色の染まる」
「……」
「ドクトル博士、娘さんが亡くなってもう、八年ですが」
飲もうとしたビールが口元で止まる。
『娘』と言う言葉にわたしは言い知れぬ不安があったのだ。
まさか、彼は知っているのか、わたしと娘の秘密を、そう考えてすぐにその考えを捨てる。
人見知りだった娘がおいそれと、わたしとの秘密を明かすハズがない、では直接娘から聞いたのかと思ったがそれはない。
娘は死んでいる、このウクライナの空で。
日本航空機撃墜事件。
乗客乗員合わせて二百七名がこのウクライナの上空で、国籍不明のミサイルにより撃ち落とされた事件。
未だにどこの国から発射されたのか不明のままだ。
その事件に娘も巻き込まれた、十四歳の時だ。
生きていれば、既に二十二か。
「……それがどうした」
わたしがそう答えると、表情を変えずにマスイは続ける。
「いえ、特に意味はありません、ですがもし、もう一度、娘さんに遭えたとしたらどうします?」
「それは…… どういう……」
「それは――」
彼がその先の言葉を言おうとして急に口を噤む。
マスイはバーの入り口に目線が行っている、わたしはその目線の先を追いかけるようにして顔を動かそうとしたが、マスイが立ち上がったので視線を彼に戻してしまった。
「申し訳ない、話はこれにて」
「おい、何だ、急に」
「このタブレットは差し上げます、それからこの店に居る護衛の人にスグに保護してもらって下さい、いいですね」
「どういうことだ!」
「いいですね」
「お、おい!」
わたしの声を無視するかのように彼は裏口の方に向かう。
冗談ではない、こんな中途半端な会話で、しかも思わせぶりなことを言って黙って引き下がれるか、わたしは、彼の後を追って裏口から出る。
薄暗い路地、その路地で彼は携帯で誰かと話している。
「おい! マスイ! さっきは何を言おうとしていたんだ!」
「博士、付いて来るな! このまま、内軍に保護してもらうんだ!」
「そう言われて、はいそうですか、言うと思ったのか」
「伏せろ!」
彼が叫ぶと同時に銃声が鳴り響く、ほぼ同時にマスイはわたしに体当たりして、物陰に吹き飛ばすが、鈍い、肉が裂けるような音が数発響く。
わたしが振り向くと目の前にマスイが倒れ、その周りには血の海が出来ていた。
「マスイ……」
「博士!」
今度は別の場所から銃声。
撃っているのはわたしの護衛役である内軍の隊員だ。
彼が撃った弾丸が当たったのか、呻き声がした途端に銃声が止み、車が走り去る音がした。
「御無事ですが、博士」
「わたしは、しかし……」
マスイは助からないだろう、背中から大量の出血。
この出血量ではとても助かりそうにない。
「博士…… 無事か?」
掠れるような声で、彼はわたしに声を掛ける。
わたしは「ああ」と答えると、薄っすらと笑顔を見せ、苦手と言っていたウクライナ語で話しかけて来る。
「不甲斐ない、引退して二年と少し、若いからやれると思ったがやはり歳には勝てん様だ」
「何を言っている、わたしより、若いだろ、君は」
「ふ…… わたしは…… 元は情報局の人間だ、引退しても支援情報警護官として二年間は国の監視下に置かれる」
「やはり、君は本筋の人間か」
「わたしの任務は、彼女の警護と支援だった」
「彼女?」
「彼女が貴方を最後の希望だと言った、だからわたしは本部の意向を無視して貴方に……」
吐血、口から血を吐き出しながらも彼は話を続ける。
「博士! 世界は間もなく戦争になる」
「戦争……」
唐突に出た言葉にわたしは動揺するが、マスイが続けて言った言葉に更に動揺することになる。
「人間同士ではない、人類の存亡を賭けた戦争だ、その戦争に『負けない』為にわたしが渡した情報が役に立つ」
人類存亡を賭けた戦争、何だ、それは、まるでSFの様な話だ。
そんなことを考えていると遠くの方でサイレンの音がする、もうすぐ救急車が来る、だが、彼の顔は既に血の気が無く体は時間が経つに連れて冷めて行く。
マスイは最後の力を振り絞るかのようわたしのコートを掴み寄せる。
「だが、それだけでは、ダメだ、それを完成させる『鍵』が必要だ、ベラルーシのミンスクに行け、ミンスクの外れに古い製鉄所がある、そこの地下に彼女が待って居るはずだ」
「マスイ、先程から言っている彼女とは何者だ?」
彼は、静かに笑いながら答える。
「貴方の、娘だよ」
「なあ……」
衝撃過ぎて言葉が続かなかった。
生きている、娘があの子が。
戸惑うわたしを尻目にマスイは遠くの空を眺めながら言う。
「貴方の娘…… 里崎バルナスは生きている、八年前の旅客機撃墜事件、我々と奴らが仕組んだことだ、彼女の天才的な頭脳を手に入れるために、フフフ…… まさか、証拠隠滅の為に旅客機を撃ち落とすとは思ってもいなかったがな」
「奴らとは、お前の撃った連中か? それとも日本の諜報員か?」
「……日本ではない、既に市ヶ谷は奴らとは手切れしている、まあ…… 政府が…… 警視庁を使って追っていたのは知っていたが、日本の情報収集能力はまだまだのようだな、新興組織である、火星開発機構のシステム情報隊に先を越されるとはな……」
火星開発機構は、国連傘下の非営利活動法人だ。
主な内容は火星開発、火星移民を前提とした惑星改造を行っている、近々国連から分離独立して火星自治政府として、自治を行うことが決定している。
人類初の惑星自治政府誕生は、今後の惑星開発の加速を押し進めることが出来ると期待されている。
そして、彼らの活動を支えているののがシステム情報隊である。
彼らの任務は地球で作られた惑星型ネットワークシステム【パンドラ】の火星版を創ることである。
決して諜報部隊ではないハズだ。
「何故、そんな連中が君を……」
「貴方の娘さんを攫ったのが、火星開発機構だからだよ」
「そんな馬鹿な」
「本当だ、本当に…… ああ、星が綺麗だ…… 和美の言う通りだ、星が綺麗だ」
突然彼は日本語で話し出す、既に彼の瞳には生気がなく、虚ろな瞳は空ばかりを眺めている。
彼が眺めている空は夜空に数億の星々が輝いている。
「こんな事になるとはな…… 変な正義感出すんじゃあなかった、ごめんよ、もう、危険な仕事しないって言ったのに…… お父さん、お土産…… 買えそうにないや」
彼は瞳から大粒の涙が流れだす。
「早く…… 帰りたい、美知恵、和美、お父さん帰りたいよ、会いたい、帰りたい…… かえり……」
彼は最後の言葉を言い切ることは無かった、瞳孔は開き切り、既に脈も無い。
最後に彼が思っていたのは家族。
家族が居ながらどうしてこのような危険なことを。
救急車が来たのは、それからすぐのことだった。
担架に乗せられ運ばれて行く彼の亡骸、わたしはそれを見送った。
ふと、足元から振動がする、下を見ると携帯が落ちていた、血の付いた携帯、マスイのだと気付くのにそう時間が掛からなかった。
着信。
表示には『女房・美知恵』と映し出されていた。
本来なら警察の検分が終わるまでは触ってはイケないのだろうか、どういう訳がわたしはそれを拾い、そして出る。
『パパ? 仕事終わった、和美が早くパパに会いたいって、騒いでうるさいのよ、いつ頃帰って来れる』
『パパ! ねえ! パパとお話ししているの? 代わって! 代わって!』
『ちょっと、今、ママはパパとお話し中なのよ』
ああ、この人たちは知らないんだ、この携帯の持ち主がどうなったか。
知らないで話かているのだ、わたしはマスイだと思って。
『ねえ、どうしたの洋介さん、随分静かだけど、何かあった?』
「すみません、わたしは、ドクトルと申します、マスイさんに付いてお話しなければならないことがあります』
わたしは彼の死を告げた、無論どうして死んだかは伏せて。
その方が良いと思った、その方が残されたモノ者にとって良いことだと思ったから。
わたしに家族と呼ばれるモノ出来たのは二十年前だ。
その当時のわたし大学院を卒業して、国連科学開発機構の研究員としてニューヨークに来ていた。
そこでわたしが出会ったのはわたしの妻となった、里崎胡桃だった。
彼女は研究職ではなく、機構事務職員だった。
彼女との出会いは、リメイクされた『ドクトル・ジバゴ』と言う映画だ。
有名な映画のタイトルと似ていると言う理由から彼女から話かけられた。
会った当初、彼女はどうやらわたしをロシア人と勘違をしていたらしく、たどたどしいロシア語で話しかけて来たのだ。
そんな彼女を揶揄うつもりでわたしは中国語で答えてやったら、翌日、今度はギクシャクした酷い中国語で話しかけて来たのだ。
その時、わたしは笑ってしまった。
おかしな発音で『わたしは、映画が好き、お前、嫌いか」と訊いて来たのだ。
わたしは英語で「英語で話そう、お互いそっちの方が話がスムーズだ」と言った、すると彼女はこう答えたのだ「その国の人と話すのなら、その国の言葉で話したいの!」と真剣な眼差しで。
その真剣な目にわたしは心を奪われた。
そして結婚するまでにそう時間は掛からなかった。
半年の交際を経て結婚、その一年後には娘が生まれた。
当初、名前はパルナスとなる予定であったがわたしの日本語の発音が悪かったのだろう、彼女はバルナスと聞き間違え、そのまま届けを出してしまった。
まあ、当時のわたしとしてはどちらでもよかった、この様な些細なことも、妻を持ち子を得た幸せな家庭を創る事が出来た幸福の前では本当に些細な事だった、だが、そんな幸せもバルナスの成長と共に静かに、そして確実に崩れて行くとは、当時のわたしにはわからなかった。
実況見分が終わるまで、わたしは近くの警察署に待たされていた。
静かな部屋、簡素なオフィスに似つかわしくない古めかしい置き時計がある。
振り子が揺れ動く度に、カチカチと秒針の針が動く音がした。
ふと、振り子のガラスに人影が写る、その人影を見て心臓の鼓動が跳ね上がる。
「バルナス……!?」
死んだ当時、彼女が着ていたとされている花柄が入った白いワンピース、現代ではあんまり見かけなく麦わら帽子を被った少女。
黒い髪に丸い黒のフレームの眼鏡。
どうして、背中から冷や汗が流れ出出す。
お前は生きているのか、死んでいるのか、どっちなんだ?
少女の口元が動く。
『待って居るから、いつまでも、いつまでも』
「博士?」
振り向くとヤコンスキー将軍が居た。
「あの時計がどうした?」
視線を戻すと既に少女の姿はなく、変わらない感覚で振り子が動いていた。
「いや、別に……」
「知っているのかね、あの時計のこと」
「いえ、あの時計は何か特別なモノで?」
「ソ連の捕虜として連れて来られた日本兵が作った時計だ、昔から日本人は手先が器用だったようだ、あの大戦から百数十年、未だに現役動き続けている」
「はあ」
「あの男の遺体は日本大使館の館員が引き取りに来たよ、表向きは強盗に襲われそうになった君を助けたと言うことにしておいた、それでよいのだな」
「向こうのご家族にはそう伝えましたので」
あの時、電話越しで彼の死を告げた時の無言が重かった、長い長い無言は体中に巨大な鉛を背負わされているのかと思える程、重かった。
長い無言が流れた後、奥さんは静かにこう言った。
『そうですか、そう…… 大変ご迷惑をお掛け致しました、スグにそちらに向かいますので、どちらに伺えばよろしでしょうか』
何故彼女が謝る、謝るのはわたしの方だ。
わたしは重い空気から解放されると同時に怒りが込み上げて来た。
日本人はいつもそうだ、自分が悪くないのに一番最初に出るのは謝罪の言葉。
あの時も、そうだ、バルナスが死んだ時も妻は『わたしの所為だ、ごめんなさい、ごめんなさい』そうひたすら謝っていた。
「世の中はわからないことで溢れている、今日、それが分かったよ」
わたしはそう呟いた。
葉巻に火を付けようとしたヤコンスキー将軍の手が止まる。
「科学者らしからぬ発言だな、ドクトル」
「いや、科学者らしい発言ですよ、将軍」
「フムン、疲れただろう、今日は家に帰って休め」
「いや、行くところが出来た、将軍、しばらく休みを下さい」
「……今の状況下でわたしが許すと?」
「貴方が求めるモノを完成させるためですよ」
わたしは不敵な作り笑顔を見せる。
「わたしは科学者だ、可能性がそこにあるのならどんな危険を冒してもそこに行きますよ」
「……本当に休め、ドクトル」
「休んでい居られるか、彼が残してくれたこの構造体から新しい金属繊維を創りだす、そうすれば既存のクランカーの機動力を上げることが出来るハズだ」
「ドクトル……」
「わたしは狂気の科学者となりましょう、これで新ロシア派共を蹴散らす!」
そう言いながらわたしは違うと心の中で呟く。
わたしが故郷に戻って来たのは新ロシア派のクソ共のを根絶やしにするではない、ましてや、娘を探しに来たのでもない。
贖罪だ。
故郷に戻って来たのは贖罪為なんだ。
なのに、わたしは何を言っているのだ。
「わたしは、わたしは…… 娘を殺した連中を根絶やしに…… 根絶やしに…… 根絶や……し?」
「……ドクトル、新型クランカー開発はロシア派に対するモノではない、現在わか国で進めている軍部と内軍の装備の一新する計画内で持ち上がったモノだ、それに君がこれを引き受ける時に言っていたではないか、『戦争するためのモノではない、戦争を抑止為のモノです』と、忘れたのか?」
「いえ……」
「よろしい、とにかく今日は休め、それから、そのデータのことを考えよう、ベラルーシに行かなくてはならないのなら、情報局を通してあちらに打診する、良いな」
「ええ」
「そうか、ちょっと失礼」
鳴り出した衛星電話を取り出して話し始める。
ヤコンスキー将軍の言葉でどうやら正気に戻って来れたようだ、わたしは、どうも真面ではないようだ、八年も前に既に整理していることをどうして今になって、騒ぎ出すのだろうか。
娘は死んでいる、そう、死んでいるのだ。
今日は休もう、休んで頭を整理しよう。
そうと決まればとわたしは、ベンチから腰を上げヤコンスキー将軍に挨拶しようと声を掛けようとした時だ。
「博士」
そう言ってわたしを呼び止める。
今日はやけに呼び止められる。
「何ですが、将軍」
「君はあのマスイと言う男から『戦争が始める』と言われたんだな」
「ええ、それが?」
「事実だ」
「はあ?」
「ベラルーシに謎の構造物が出現した」
「構造物?」
「ああ、しかも、その構造物から攻撃を受けたらしい」
その日を境にわたしの人生、いや、全人類の生存を懸けた戦いが始まった。
目標の建物は既に朽ち果てていた。
マスイの残したデータから目標座標は直ぐに判明した、しかし向かうことは出来なかった。
イビルマキナ。
そして、大樹。
この二つが出現と人類に対して攻撃を開始したこと、そして何より、自軍撤退の時間稼ぎの為にロシアが戦術核を使用したことによりベラルーシは汚染地域となり、立ち入りが出来ない状況下になったのである。
あれから五年、戦いは敗戦の様相を呈している今現在、人類は地球からの脱出と最後の反攻作戦を模索している。
そして、今回はマスイの残したデータを元に新型人型戦闘機械開発を行うことが地球軍参謀本部で決定した。
そして、その開発責任者にわたしが選ばれたのだ。
「どうだ、博士?」
クリフハンガー大尉が言う。
わたしはその問いに頷く。
「ここだ、間違いない」
「だが、地下に行くような昇降設備がない、本当にここなのか?」
「ああ、マスイのデータにあったGPS座標はここだ」
「まあ、これだけ朽ち果てていればわからないのも無理もないか」
既に外壁が剥がれ、中の鉄骨材剥きだであり天井を抜け落ちて赤く輝く満月が見えていた。
「ウー中尉、Xスキャナーをどこかに地下に降りられそうな空洞はないか?」
「ありませんね、下にあるのは燃料タンクや、下水施設や給水設備だけです、それらしいモノは何も」
わたしは、周囲を見渡す。
本当にこんな所に娘は居るのだろうか、いや、居る訳がない。
わたしは頭の中で断言する。
娘は既に死んでいる、十三年前に。
例え生きていても、ここで五年間も待つハズがない、ここには居ない、でも何故だろうか、わたしは心の中でもしかしたら娘は生きているのかもしれない、そう言う淡い期待を抱いている。
ふと、何かの気配を感じゆっくりとわたしは振り向く、わたしの心臓の鼓動が跳ね上がる。
バルナス、あの時、別れたままの時の姿。
あれは、幻影だ、わたしの心が創り出した幻影だ。
この放射の中で防護服を無しで生きているられるハズがない。
ふと、彼女の口元が動く。
「こっち」
そうれだけを言うと、彼女は走り出す。
わたしは無意識に彼女を追っていた。
「博士! どこに行く!」
クリフハンガーが叫ぶがわたしは無視して彼女の幻影を追う。
何故、見る。
何故、わたしに声を掛ける。
これは彼女なりの復讐なのか、わたしに対しての。
工場の裏手に回り小さな小屋に彼女が入って行くのが見えた、わたしはその小屋に入る。
重々しいながらも真っ黒煤で覆われた発電機らしい機械、ここは自家発電用の小屋らしい。
その奥に行くと、バルナスの幻影が居た。
彼女が指を差すところには、ただ壁があっただけだった。
わたしが視線を戻すと、既に幻影はなく、静かな空気が流れるだけだった。
「博士、勝手な行動を取らないでください」
「ああ、すまない」
「ここに何か?」
「クリフ隊長、この壁を調べてくれないか」
「どうしてだ?」
「頼む」
「……ウー中尉、調べろ」
ウー中尉がX線装置を持って来て調べる、案の定小さな空間と電子キーを確認した。
壁に巧妙に隠されていた電子キーを見つける、不思議なことにその電子キーは生きており、電子兵装担当のハヤセ曹長が解読に入る。
「よくわかったな、博士」
「……幻影を見たんだ、死んだ娘の…… 生きているハズがないのに、どうしても本物にしか見えない」
幻影は人の頭の中で起きる脳の錯覚である、本物ではないしその場にいる訳ではない、なのにどうして、アレが本物に見えるのだろうか。
「博士、わたしには、生まれたばかりの娘がいる」
クリフハンガー大尉は唐突に話始める。
「妻の命と引き換えに生まれて来た子だ、可愛く、愛おしく、死んでも守りたいと思う」
「そうか……」
わたしが生半可な返事をする、彼は気を悪くすることもなく淡々と続ける。
「だが、神様と言うのは残酷なモノだ、娘は生まれながら各所臓器が機能不全になる特殊な病気だ、遺伝性らしい」
わたしはクリフハンガー大尉を見る、彼は薄暗い霧が立ち込めて来た星空のない空を眺めら柄続ける。
「今、ステーションの病室に居る、まだ、二歳だが、長くても十二までしか生きられないだろうと、医者は言っている」
「今は科学が進歩している、火星では冷凍冬眠技術の開発も成功している、近い将来、その様な病気も無くなるだろうさ」
これも心無い言葉だ、わたしはそう思った。
その心ない言葉にクリフハンガー大尉は静かに答えた。
「そうだな、だが、どれ程の未来が進化しても、今を超える事の出来ない壁はある、【パンドラ】が星々を駆け巡り、タイムラグで無しで会話が出来ても、世界と繋がることが出来も、宇宙開発に熱を燃やそうと、超えられない壁は必ずあるんだ」
「そうだな、すまない、生半可な受け答えをして」
「いや、博士…… わたしがこの作戦に志願したのは例え娘に故郷を見せてやりたいからだ、あのイビルマキナから、この地球を取り戻し娘と共に故郷に帰かえって、そこであの子が死ぬまで隣に居るつもりだ」
「そうか…… その子は幸せだな、父親が立派で」
「博士、娘さんと何かあったかはあえて聞きませんが、もし、この作戦が終わって地球を取り戻せたら向き合ってみたらどうです、父親として……」
「そうだな、その通りだな」
娘が怖かった、成長する娘が。
最初は幸せだった、いつからだろうか娘が怖くなったのは、娘が隣に居ると心が落ち着かず何かを見られている。
そんな感じがしてならなかった。
本格的に怖くなったのは、バルナスが八歳の誕生日を迎えた頃だった、時折わたしの書斎で本を漁るようになった。
八歳にしては難しい過ぎる程の分厚い参考書を何冊も何冊も読み漁るようになった、休みの日は書斎に籠り、飯すら忘れて読み耽っていることが多くなった。
そんな生活が三ヵ月続いたある日だ、バルナスがわたしにこう言ったのだ。
「パパ、他に本はない?」と。
わたしは全部読んだのかと訊く、バルナスは静かに頷く。
書斎には何千冊と言う参考書や論文をまとめた本があった、それを全て読み終えと言うのか、わたしは流石にそれは無いだろうと思い、父親ながら意地悪なことをした。
「じゃあ、パパの学問である高分子学が何なのかと言う論文を作ってきたら、欲しい本を買ってやろう」
我ながら八歳の子供相手に何を言っているのだろうか、だが、わたしはこの時気付いていなかったのだ、この子の才能に、翌日の朝、目に隈を作って来た娘がわたしに分厚いレポート用紙を渡してきたのだ。
「わたしの論文、読んだら感想頂戴」
そう言ってそのまま事切れたかのようにその場に倒れて眠りコケてしまった。
わたしはその論文に目を通す、子供の研究レポートぐらいだろうと思っていたが、そうではなかった、そこに書かれていたのは高分子学発生経緯とその研究課程、そして今後の高分子学のあり様と技術の進歩の可能性、そして何より独創的な感性で書かれたその論文は学会に発表できる程の完成度だった。
わたしは絶句した。
声が出なかった。
背中から冷や汗が流れ出ていた。
この論文は他の論文からの引用や研究課程などがあるが、九割近くはバルナス本人の考えで書かれていた。
怖かった、彼女の考えは長年研究してきた、わたしの考えをはるか先に行くモノだ。
翌日、バルナスに感想を聞かれたわたしは「なかなか」としか答えられないかった。
バルナス自身、それに不満を感じているわけではなく、静かに頷くだけだった。
あの子はわたしのより頭が良い、そんなレベルではなかった。
この子は間違いなくギフテッド(先天的な高度な学習知能を持つ子供のこと)だ、しかもそれはおそらく天才とか言われるレベルではなく、下手すると神の領域に達する可能性がある。
わたしは怖くなった、いや、怖いと言うよりは嫉妬に近いかもしれない。
親ならば喜ぶべきことなのだろうか、そうではなく、自分の存在が脅かされるとそう思えてならなかった。
わたしは、バルナスに特別な教育を受けさせなかった、普通の公立小学校に通わせた。
才能を伸ばすのが怖かった、そして、だが、周りはそうは見なかった。
バルナスは学校でも異常な程に本に執着した、本から得られる知識を吸収しては論文を書いてそれを吐き出す、彼女はそれを続けたのだ。
学校側からも「彼女の書く作文は、作文ではなく論文です」と言わしめる程、同年代とは逸脱していた。
それに目を付けた日本の大学や研究機関からの招聘が何回も打診されたが、わたしは妻である胡桃と話し合い、断り続けた。
だが、その断りがいつの間にかあらぬ方向へと進む事となった。
ある日のことだ、わたし達の元に児童相談所の職員の訪問があった、理由は虐待の可能性がある、と言うモノだった。
どうしてその様な事になったのかわからなかった、職員の話いわく「夜遅くまで図書館に残っているのは、親から逃げているのではないのか」と言う、図書館の司書からの通報だった。
確かにあの子の本への執着は異常で、既にこの家の本を読みつくしたバルナスは、ここ数ヵ月は学校から帰ると図書館に行っていた。
時折帰りが遅いので向かいに行ったりもしていたが、まさか、虐待の疑いを掛けられるとは思ってもいなかった。
わたし達はあの子が自主的に図書館に行っていると趣旨を説明してその日は帰ってもらったが、翌日も、その翌日も彼らはわたし達の元に訪れたのである。
それが数日続くと周囲から不審な目で見られるようになった。
そして、次第にわたし達家族は地域から疎外されるようになった。
今は思えば、あの時からバルナスには日本の『市ヶ谷』と呼ばれる組織が目を付けていたのかもしれない。
まあ、もう遅いことだが。
バルナスの異様な頭脳、そして近隣とのトラブルで胡桃は次第に衰弱、そしてわたしは、そんな妻を見たくなく、ましてや娘の側に居たくなく次第に帰りが遅くなって行った。
家族はゆっくりと壊れて行った、音を立てることなく、ゆっくり、そして確実に。
そしてあの日、飛行機事故に遭った日。
わたしは使用でイギリスに訪れていた、高分子学の会合に参加する為と久しぶりに故郷に帰ろうと思ったからだ、バルナスを連れて、しかしバルナスとの休みが合わず、バルナスが後から一人で来る事となった。
今思えば、そう、娘に自分の故郷を見せようなど父親の様な行動をしなければよかった、そうすればあの子は死なずにすんだ、そう済んだのだ。
解除された電子音で過去から現代に戻る。
ウー中尉とスティール軍曹、そしてサンダース軍曹が先行して部屋に入る、埃だらけの部屋には地下に通じる梯子があった。
二人の軍曹が先に降り安全を確認、その後に続く。
暗い。
薄暗いトンネルはまるで地獄の入り口だ。
「博士、離れるな、行くぞ! ムーヴ(前進)」
銃を構え二人が先行して後から三人がカバーの態勢で続く。
わたしはその後に続く。
トンネルは緩やかな勾配になっており、ゆっくりと地下へと進む。
本当にこんな所に娘は居るのだろうか。
数十分近く歩くと、次第に目の前に巨大な壁が現れる。
大型重機搬入用の扉、ハヤセ曹長が電子キーの端末にソケット差し込み、解読に入る。
「どうだ、ハヤセ、開くか?」
「上とは違ってここのセキュリティーは厳重ですね、複数の暗号キーを入力するタイプです」
「時間は掛かるか?」
「三十分下さい」
「わかった、スティール、サンダース! 後方警戒」
「了解」
「了解です、隊長」
わたしは、その場に座り込む。
正直、歩くのに疲れてしまった。
早くのこの防護服を脱ぎ、冷たい水を飲みたいモノだと思った。
ふと、天井を見ると何か傷の様な模様が見える、ライトを当てよく見ると、それは傷ではなかった。
血だ、血が天井にこびり付ていた。
その血の跡を辿って行く、天井から壁、壁から地面へと、そしてその先に居たのは死体だった。
「クリフ隊長、ちょっと」
わたしは、隊長を呼ぶ。
呼んだ理由は簡単だった、その死体は真新しいく防護服を着ている。
それに肩の紋章に見覚えがあったのだ。
「間違いない、火星情報軍の兵士だ」
イビルマキナとの戦争の最中に火星は独立、地球支援を名目に火星防衛軍を創設した。
火星情報軍はその中の一組織であり、火星システム情報隊が改正した部隊だ。
「奴らも、ここに?」
わたしの質問にクリフハンガー大尉は静かに頷く。
「でも、ここで何かあった……」
「……見てくれ、この傷、どう見ても重火器による傷ではない、何かの獣の様な」
「嫌な予感がする、ハヤセ、早くしろ、ここは危険な臭いがする」
「急かさないで下さい、あと、これとこれを入力して――」
解除を告げる電子音が鳴り響く。
「よし、ビンゴ! 開くぞ!」
開きかけた扉から黒い爪の様なモノが飛び出し、ハヤセの腹を突き破り、真っ赤な血が吹き散る。
そしてもう一つの爪が現れハヤセの頭を掴みと左右に引き千切った。
「イ、イビルマキナだ!」
甲殻類型のイビルマキナが中から出現したのだ。
真っ黒の無機質なその姿は異様な威圧感があった。
その威圧感に押されてか、サンダース軍曹が発砲、フルオートで連射するがイビルマキナに5・56ミリ弾では有効な打撃を与えることは出来ない。
それでも、クリフハンガー大尉もウー中尉そしてスティール軍曹も応戦する。
「ウー! 音響弾!」
ウー中尉がグレネードランチャーを構えイビルマキナ後方に向けて発射、放物線を描くように飛んだ砲弾は、乾いた音を立てながら床を転げ落ちる。
長い戦いの末に編み出したイビルマキナ戦術の一つである。
イビルマキナは人間には殆ど聞き取ることが出来ない低周波音で連携を取り合うとされており、この低周波音を利用してイビルマキナの注意を逸らすことが出来る。
イビルマキナ、クリフハンガー大尉達からその砲弾に体を向けそちらに引き寄せられる。
その間に我々は扉の内側に入り扉を閉める。
閉まる扉の向こう側でイビルマキナはまるで玩具で遊ぶかのように、砲弾を突っついていた。
扉が閉まり全員が安堵の溜息を吐く。
心臓に悪い、この歳になると驚きの余りの発作を起こすのではないかと心配になってしまう。
「全員無事か?」
「ええ、何とか」
クリフハンガー大尉は周囲を見渡して言う。
「こらまたすごいな」
わたしはゆっくりと顔を上げると至る所に死体が転がっていた、人間だ。
先程の兵士同様火星情報軍の兵士だ。
「さっきのイビルマキナがやったのか?」
スティール軍曹の言葉にクリフハンガー大尉は静かに答える。
「もしくは別のかもしれない、急ごう、ここに留まるのは最適とは言えない」
「ええ、そうですね先に――」
そう言おうとした時、わたしの視界に再びバルナスの幻影が現れる。
またか、またお前なのか。
わたしは、娘の方に凝視しているとクリフハンガー大尉が銃を構えていた。
「大尉?」
「何だ、あの子は何者だ? どうして子供がこんな所に……」
「クリフ隊長、貴方は見えているのかバルナスのことが」
「バルナス? あれが!」
まさかクリフハンガー大尉にも同じ幻影が見えるとは思ってもいなかったが、どうやら違うようだ、スティール軍曹、サンダース軍曹も銃を構えている。
三人共見えているのか、バルナスのことが。
ふと、少女が指を差す。
その指の先にはエレベーターがあった。
「降りろと言っているのか?」
「わからない」
「どう見る、博士?」
「わからないと言っているだろう!」
「お前さんの娘だろう!」
「娘だがわからないんだ、娘は何を考えているのか、本当にわからないんだ! あの子は、あの子は……」
わたしはその先が言えなかった、言ってしまえばそれを認めることになるからだ、それは科学者として親としても決して認めたくないからだ。
幻影のバルナスはそれを悟ったのか、悲しそうな顔をした。
まるで、わたしはそんな風に思われていたの? と、投げ掛けるように。
そして静かに幻影は消えた。
「……博士、先程は何を言いたかったのだ、あの子が何と?」
「何故…… そんな事を訊く?」
「……貴方がその先を言わなかったのは『親』として言わなかったのか、それとも『科学者』として言えなかったのか?」
やはり、子を持つ親は親の気持ちがわかるのだろう。
クリフハンガー大尉はわたしが言おうとしたことが分かったのだ、わたしが言おうとしたことが。
わたしは静かに答える。
「両方だ……」
「……そうか、ウー中尉! エレベーターを調べろ…… ウー中尉?」
ウー中尉の返事はなかった、それどころか姿が無かった。
「ウー中尉はどうした?」
今までき気づかなかったが確かに姿が見えない。
「ウー中尉を最後に見たのは?」
「つい今し方ですが、どこに行ったんだ?」
周囲を見渡すがどこにも居ない。
「どこに行ったんだ、アイツは?」
「どうしますか?」
「どうすると言われても、置いて行くわけには――」
ガタンっと、静かなフロアに音が鳴り響く。
気付くとエレベーターが勝手に動いている。
「誰が動かした?」
クリフハンガー大尉はわたし達三人を見るが皆、首を横に振る。
「何故勝手に……」
「た、隊長!」
スティール軍曹が叫ぶ、叫んだ先には小型のイビルマキナは火星軍の兵士の体の中から突き破って現れる、さながらエリアンの映画を連想させる光景だがそれが無数に現れると背筋がゾッとする。
それがゆっくりとこちらに向かって来る。
「クソっ! 考える暇なしか、音響弾はウー中尉がもっういる、クソが!」
「どうする、クリフ隊長!」
「どうもこうもない、誘いに乗るだけだ、スティール軍曹、サンダース軍曹! 接近を許すな! 撃て!」
スティール軍曹もサンダース軍曹も引き金を引く、フロアに銃声が途切れることなく雷鳴の様に光り輝き、排莢された薬莢が地面に乾いた音を響かせている。
小型のイビルマキナですら傷を負わせることは出来ない、出来るのは時間稼ぎだけだ。
「撃て! 撃ち続けろ!」
「弾倉装填!」
「スティール、手榴弾!」
スティール軍曹が手榴弾を投げる、乾いた音と同時に破裂、数匹のイビルマキナが吹き飛ぶが殺すことは出来ない。
「クソッ! 弾が切れる! 誰か! 弾を寄こせ! 早く!」
わたしは咄嗟に火星軍の兵士の死骸から小銃を拾い上げクリフハンガー大尉に投げ渡す、受け取ったクリフハンガー大尉はコッキングレバーを引き、撃つ。
「博士! エレベーターは?」
「もうスグだ!」
「早く、これ以上は食い止められない!」
既にイビルマキナ目と鼻の先まで来ている。
わたしは無意味上がるボタンを連打する、そんなことをしても意味がないのはわかっているのにも関わらずだ。
怖い、死が、目の前まで迫っている。
死ぬそう思った時だ、エレベーターが開く。
「全員乗れ!」
クリフハンガー大尉が叫ぶと全員が撃つのを止めて走り出す、足の早クリフハンガー大尉、その後にスティール軍曹が続く。
「早くしろ! サンダース!」
足の遅いサンダースがエレベーターに乗り込もうとしたが、鈍い音共にサンダースの足に小型の爪が突き刺さる。
サンダースの呻き声と共に白い防護服が赤く染まり始める。
「クソがァ!」
クリフハンガーは突き刺さった爪に銃口突き付け引き金を引く、二発、三発、四発。
ゼロ距離から撃たれた小型のイビルマキナの爪にヒビが入る。
イビルマキナは自らの爪を自切り離す、離れたところでスティールがそのイビルマキナ蹴り飛ばした。
エレベーターは閉まり、静かに降下を始める。
「サンダース! しっかりしろ!」
「あのクソカニ野郎、おれの黄金の左足に噛みつきやがった!」
「残念だだがサンダース、アレは歯じゃねえ、爪だ」
スティールが冗談を言う。
苦痛に歪み顔が和らいてムッとした顔になる。
「どっちだって、一緒だ! 畜生が!」
「止血剤と防塵テープで止血する、被爆したかどうかは帰ってから確認しよう」
「……帰れるんでしょうか、おれ達」
その言葉に防塵テープを巻いていたクリフハンガー大尉の手が止まる。
「……スティール、残弾を確認しろ」
「いや、今それどころじゃあ――」
「命令だ」
「サー」
サンダースの出血は派手だが、大きな血管を紙一重に躱しており見た目より出血は酷くない。
わたしは、弾倉を確認しているスティール軍曹を見る、まだ若い隊員、彼は心願してここに来たわけではないとクリフハンガー大尉が言っていたのを思い出す。
今や総力戦となり始めているこの戦争、無限に増えるイビルマキナに対して地球軍の兵士不足は深刻だ、今や、投げ崩してきな徴兵制度が各国で動員されている。
彼もまた、徴兵された兵士の一人だと言う。
「スティール、残弾は?」
「収まっているが半分、予備弾倉は残りは一つ、後は拳銃のみ」
「……サンダース! お前は?」
サンダースは持っていた拳銃の弾倉を抜きそれを投げ渡す。
「残弾…… 一発か」
「隊長は?」
「ゼロだ、空っぽだ、拳銃もない」
「何ってこった、これでどうやって任務を遂行しろと言うですか?」
「……やるしかないだろう」
その言葉にスティールが怒りの表情をする。
「何だスティール、何か言いたいのなら口で言え」
「進言してもよろしいでしょうか」
「許可する」
「任務は失敗です、この状況下では続行は無理です! 撤退すべきです!」
「撤退? どこに撤退すると言う。上はあの小型のイビルマキナと甲殻類型が居る」
「どこか、他の抜け道を――」
「他の抜け道を使ったとしても、本部に回収要請を出さなければならない、だが、何の戦果もなく回収を要請しても、回収してくれるとは限らない」
「まさか、回収されないなって……」
「クリフ隊長、もしかしてだが――」
「博士の想像通りだ」
わたしの方に掘り返りクリフハンガー大尉が言う。
「目標の回収が成功しない限り回収チームは派遣しない、それが参謀本部からの命令だ」
「つまり、おれ達は捨て駒と言うことですが?」
「いや、違うな、クリフ隊長。アンタ、もしかして知っているのではないのか、娘が残したモノ、わたしが解析している新型構造体の中身?」
「いや、知らない……」
彼は目を一瞬だが逸らした、間違いない何か知っている。
「知っていたら、危険を冒して兵士を派遣するわけないだろう」
「そうかもしれないそうではないのかもしれない」
「何が言いたい、博士」
「これはわたしの仮説だが、今回の作戦初めから無理があった、派遣する兵士は五名に加えて老いぼれ科学者一名を連れて敵地侵入、どう見ても成功する可能性はない、それでも参謀本部は我々を派遣した、何故だ?」
「人類の希望の為です」
スティール軍曹が答えるがわたしは首を横に振る。
「いや違う、わたしの研究は例のデータを元に基礎理論は完成している、既にそれを応用した兵器を開発されている、いずれ研究が進めば解析は完了して新型の人型戦闘機械も開発される」
「……どういうことです?」
「時間が経てば自ずと完成すると言うことだ、彼らに対抗する兵器は」
「いや、それはわかりますが既に人類は滅亡に瀕しているんですよ、そんな悠長なことは……」
「……スティールくん、国連政府は既に地球の放棄を決定している、宇宙に逃げれば人類は安泰だ」
「それは理屈だ」
「だが、一時的であるが人類は猶予期間を手に入れる、『敵の攻撃がないと言うことは敵からの攻撃に備える』ことが出来る時間を手に入る」
「フムン」
わたしは一旦深呼吸して話を続ける。
「だが、その猶予が無くなって来たのではないのか、いや、もう既にないのではないのかね」
「猶予がない? イビルマキナの攻撃で人類の滅亡までの猶予が無くなったと言うことですが!」
「いや、もっと深刻なことだよ」
「イビルマキナより深刻って、一体……」
「既にお前も目にしているハズだ、スティール軍曹」
「目にしている?」
クリフハンガー大尉はその場に腰を下ろして言う。
「火星軍による、地球統治の危機が迫っている」
「……はあ? いや、何ですがそれ? はあ、意味が、はあ?」
「考えてみろ、何故火星軍の連中が地球に居る? 火星が行っている支援は地球を脱出する民間人の護送支援しかしていないハズだ、それなのにこんな敵地のど真ん中でしかも完全武装で何故ここに居る!」
「……わかりません」
「火星軍は既にイビルマキナに完全に対抗する手段を手に入れている、そして彼らはその手段を地球側が持つことに危機感を抱いている、だから、危険を冒してまでも彼らは目標の破壊しようとした」
「だが……」
わたしも腰を下ろして深呼吸した。
「彼らは全滅している、もしかしたら彼らは未だに対抗手段を手に入れていないのかもしれない」
わたしがそれを言うとクリフハンガー大尉は否定した。
「そんなことは無いだろう、事実、わたしは彼らが開発した新型のクランカーの戦闘を見ている、今まで大口径砲でようやく倒せたイビルマキナに対して新型はビーム兵装をしていた、驚いたよ、イビルマキナがあんな簡単に倒せるとはな」
悔しさに滲む顔をしている。
「なら尚更わかりませんね、どうして我々が派遣された理由が?」
「別にどうだっていじゃないか」
今まで黙って聞いていたサンダース軍曹が口を開く。
「おれ、学がないからわからねぇけどよ、どのみちここまで来たんだ、最後まで行って見ようじゃないか、それで答えがハッキリする」
「……サンダース軍曹、調子はどうだ?」
「クソ痛ぇけどよ、ガキの頃にドッチ踏んで警官にタコ殴りされた時に比べれば屁でもねぇ。隊長、アンタはおれ達に他に隠し事しているような顔をしているが、おれは気にしないぜぇ、なんせおれを助けたからなな、心の内に野望を抱く奴はそう簡単に人を助けないもんだ」
「なんでそう言い切れる?」
わたしの質問に藪を突っつくなと言いたげそうな顔をするサンダースが言う。
「いいか、本当に画策ヤバイこと考えてる奴ってのはな、目で見ればわかるんだ、おれの従兄弟がよ、ヤベェ仕事に手を出した時のことだ、どう見ても危ない臭いがプンプンする奴でよ、おれが止めようぜって言っただけどよ、従兄弟はそいつに妄信的で、結局のところは尻尾斬りにされて豚箱行きだ、でだ、そいつの目は人を人とは思わないような目をしていたんだよ、だから目で見ればわかる、隊長、アンタは絶対に仲間を見捨てない人間だ、綺麗な瞳に悪人は居ないぜぇ」
突然に饒舌に喋り出したサンダースを見てわたしだけではなく、皆がポカンとしたような顔をする。
「何だ、変な顔をするなよ」
「いや、お前って意外とお喋りなんだな」
「当たり前だぜ、スティール! おれはな地元じゃ『伝説のDJライトニング』って名で通っているんだ、将来タイムズスクエアの大通りに『伝説DJ、サンダース』ってデカい看板を掲げるつもりだぜ、メジャーデビューしたらお前ら四人を特等席で招待するぜぇ! よろしくだぜぇ」
こいつがDJ? わたしは彼がバーでDJをやっうている姿を想像する、ウムン何というか。
「「「似合っているな」」」
三人の声が揃う、三人の視線が合う、何故だが知らないがその瞬間に腹の奥から笑いが込み上げて来た。
「おい! だから何が可笑しいだ!」
わたしは腹を抱えて笑い出す、久しぶりだこう笑うのは、いつ以来だろうが本気で笑うのは。
わたし達三人の笑いはエレベーター内で響く、そして静かに地下へと向かって行った。
エレベーターは地下深くへと潜って行く、まるで地獄の底の釜を覗きに行くような気持ちだ。
立ち上がったクリフハンガー大尉は静かにわたし達の顔を見て言う。
「現状、任務遂行は限りなく不可能に近いがやるしかない、我々の成否が地球の、いや、人類存続に関わるからだ、任務は目標の回収、それが何なのか正直分からない、しかし、火星政府が欲している以上、先を越される訳には行かない、スティール軍曹、サンダース軍曹、力を貸してほしい、頼む」
「今更頼まれても……」
「そうですよ、隊長! もうここまで来たのならやるしかないでしょう」
クリフハンガー大尉は静かに頷く、そしてわたしの方を見る。
貴方はどうですか? そう聞いて来る瞳にわたしは答える。
「無論、わたしは科学者だ、目的の為にここに居る、それにわたしにはどうしても確かめなきゃならないことがある、わたしも、最後まで共に進む」
クリフハンガー大尉の瞳に闘志が漲って来ているのがわかる。
ふと、エレベーターが減速し始める、もうすぐ扉が開く。
「博士、悪いがサンダース軍曹に肩を貸してやってくれ、スティール軍曹! 警戒!」
「サー」
二人が扉に向かって銃を構える。
わたしは左足を引き摺るサンダースに肩を貸す。
そして、目的地に到着を告げる音が静かにエレベーター内に響き渡る。
「開くぞ!」
静かに開く、地獄の扉。
暗闇の世界へ誘う扉が。
緊張が走る。
静かに開いた扉の向こうには、この世のモノとは思えない光景が広がっていた。
死体だ、白骨化したしかも一人や二人ではない数十人、数百人近い数の死体が犇めき合っていた。
その死体はまるで出口を求めるかのように。
「うわぁ、最悪、こういうパターンって、誰かが死ぬ時だよな」
サンダースが苦笑いしながら言うが決して笑えない。
「何かから逃れようとした形跡がありますね」
「イビルマキナか?」
「いや、違うだろう」
わたしが答える。
「イビルマキナならどこかに損傷しているハズだ、その様な痕跡は見られない」
ふと、死体から社員証のカードを見つける。
それを抜き取り見ると、そこには日本語で書かれていた。
「博士? どうした」
「こいつらは、神城重工の社員だ」
神城重工。
日本最大にして世界最大の国際複合企業。
軍事から文房具まで幅広い分野を手掛け、世界の殆どの企業が何らかの形で関わっていると言われているモンスター企業だ。
確か、火星開発機構の最大の出資者も神城重工だったような気がする。
「どういうことだ?」
サンダースが言うがわたしはある意味納得していた。
これだけの大規模な地下施設を財政難で喘ぐベラルーシや、遥か彼方の火星政府どこの国にも悟られずに作れるわけがない。
考えられることはただ一つだ。
「この施設は神城総合企業の施設の管理下に置かれていたのかもしれない、財政難のベラルーシに支援を名目に取り入り、各国に悟られないようにこの施設を作り上げた……」
「そんなことが可能なのか? 【パンドラ】に見つからずに建造することが」
この地球を覆うように張り巡らされた惑星型情報ネットワーク【パンドラ】は国連管轄下で開発された次世代通信システムであり、世界各地のあらゆるところにネットワーク回線を繋ぎ、タイムラグ無しで世界のどこでも人と繋がことが出来る。
しかし、これは表向きであり、実際は国連傘下の国々のネットワークを常時、アメリカが監視する為に作られたシステムでもある、しかし、世界各地のネットワーク情報を処理するには通常のスーパーコンピュータでは不可能であり、それに代わる新型の処理システム必要となった。
その莫大な情報量を処理する為に作られたのが新型の量子コンピュータ【地球の記憶】と呼ばれるマザー・サーバーがある。
この【アース・メモリー】の登場は地球統一組織である国際連合政府発足を促し、そして地球防衛機構における対イビルマキナ戦にも使われている。
「この様な施設が発見されなかったのは何か裏がある、行こう、クリフ隊長」
我々は進始める、イビルマキナに警戒しながら、薄暗い通路の先を進み開けたフロアに出る。
一瞬、何のフロアかわからなかったが辺りを見渡してこのフロアが何なのか理解した。
格納庫だ、しかもクランカーを駐機するハンガーになっている。
二階の部分の足場だから下を見下ろす。
クランカーが整列していた。
フロアにはぎっしりと整列する見たことのないクランカーまでそこに有ある。
「壮観だな……」
クリフハンガー大尉が言う。
「どこの機体だ?」
サンダースが言うとスティールが答える。
「ロシア軍に中国軍、見ろよアメリカもあればイギリスに日本のクランカーまで有るぞ」
「まるで、クランカーの見本市だ」
「ここで開発されていたのはクランカーか……」
歩きながらふと、背筋がゾッとする悪寒が体を襲う、わたしは静かに振り向く。
居た、バルナスだ。
こちらを見ている。
バルナス、お前は生きているのか、死んでいるのか、もし死んでいるのなら、どうしてわたしの前に現れる、どうしてだ、どうして?
わたしは心の中でそう呟くとまるで聞いていたかのように静かに唇が動く。
『わたしは死んでいるし生きてもいるよ、パパ』
『それはどういう意味だ』
『そのままの意味、パパ、もしかしてわたしのことを恨んでる?』
その言葉がナイフの様に、心に突き刺さる。
『恨んではいない、と言えばお前はわたしを許すのか?』
『わたしは、許すも何も!』
『お前を死なせたのもわたしだ、わたしが、無理にお前を越させなければ、いや、あの時、わたしが、わたしが!』
『パパ逃げて!』
バルナスの叫び声と同時に後ろから何かが崩壊する音、振り返ると天井が崩れ土煙が立ち込めていた。
そしてその煙が晴れると、無機的なカニを模した甲殻類が現れた。
「隊長!」
「イビルマキナだ! 走れ!」
こちらの声に気付いたのか甲殻類型がクリフハンガーの声に反応したかのように、こちらに迫って来る。
轟音を立て強大な体は周囲に整列していたクランカーを倒しながらこちらに向かって来る。
わたしは負傷したサンダースを担ぎながら走る。
重い、走る距離が倍に感じる。
先頭を走るスティールがドアを開ける。
クリフハンガー大尉は滑り込みように入り込む。
まだ距離がある、このままで捕まる。
ふと、そこでサンダースを捨てれば助かるのではないかと思ってしまった。
そうだ、ここで彼を捨てれば、いや、ダメだ。
ここで彼を捨てればわたしはあの日と同じになる。
もう、わたしの身勝手で人を死なせたくない。
わたしは歯を食いしばり、走り出す。
もう少しだ、もう少しで届く。
しかしあと五十メートルと言う手前でわたしの足はサンダースの足に絡まってしまった。
「博士! サンダース! 走れ! 早く!」
クリフハンガー大尉が叫ぶ。
背中からはイビルマキナの迫る轟音が聞こえて来る。
「サンダース! さあ、立つんだ!」
「いや、先に行け! 自前で走る!」
「無茶だ! 肉が抉れているんだぞ!」
「行くんだ博士、おれは大丈夫だ!」
「……すまない!」
わたしは走り出す、息が上がる。
もう年だ、心臓が破裂しそうだ、息が出来ない。
それでもあと少し、あと少しだ。
「博士!」
クリフハンガー大尉が手を伸ばす、わたしはその手にしがみ付く。
まるで天使に地獄から助け出される気分だった。
「サンダース! 急げェ!」
わたしは振り返るとサンダースが左足を引き摺りながら走っている。
「急げ! 急ぐんだ!」
声を張り上げる、あと少しだ、わたしは手を差し出す。
手を握れと、一緒に行こう。
あと少しだ、もう少しで手が届く。
彼も手を伸ばす、あと少し、でもその手はあと数センチのところで目の前から消える。
足場が崩落したのだ、手を取れ!
その声は届かない。
すまない、
そんな顔をするなよ、
そう言われた気がした、わたしは目を見開く、彼の瞳には諦めるなと訴えかけるようにわたしを見つめていた。
サンダースは崩壊した足場と共に落下して行く。
「サンダース!」
「博士! 中へ!」
クリフハンガー大尉はわたしの首根っこを掴み後ろに引っ張る。
わたしがドアから離れると、スティールがドアを閉める。
分厚い鉄の扉が重い音を立てながら閉まって行く、間を置かずに轟音が壁に響き渡る。
轟音と同時に壁と鉄の扉が変形する。
「行くぞ! 奥の部屋に!」
「さあ、行くぞ博士、立って! 立つんだ博士!」
わたしは無理やり起こされるかのように、半分立ち上がった状態で歩かされる。
また死んだ、人が目の前で。
わたしはどうしてこうも無力なんだ。
奥の部屋に進み、生き残った三人は深呼吸をする。
「どうやら、奴もここまでは来れないようだな」
「そ、その様ですね」
「博士、大丈夫か?」
「ああ、何とかな……」
「行くぞ、グズグズしているとまた奴が来るかもしれない」
「そうですね」
「……ああ」
わたしは引き摺られるように、歩く。
また、人が死んだ。
バルナス、お前はわたしをここに呼んでどうしたいのだ、わたしに何を期待しているのだ、彼女は復讐ではないと言った。
では、何の目的がある。
お前は何を創ったのだ、わたしに何を見せたいのだ。
我々は奥の部屋のさらに奥へと進む。
オフィスだろうか、机やパソコンが散乱していた。
わたしは、椅子を引き寄せそこに腰を下ろす。
「奥に進んだな、目的地はどこなんだ?」
「さあな、博士、わかるか」
「……いや」
「……落ち込むな、博士、彼は任務を全うした」
「全うか、わたしはどうだかな」
「……博士」
「隊長!」
スティールが何かを見ている、クリフハンガー大尉もそれを見る。
「博士、来てくれないか」
わたしは重くなった腰を上げ、彼らが見ていたモノを見る。
壁紙に掛けられた写真、その写真を見てわたしは目を丸くする。
そこにはイビルマキナが写っていた、かなり小型のイビルマキナだ。
そしてその隣に座った居る女性にわたしは釘付けになる。
「バルナス……」
あの時、最後にみた時より大人びているがあの丸い黒フレーム眼鏡、間違いない。
娘、バルナス。
「大尉、写真日付を」
「二〇八九年、九月十五日。どういうことだ? イビルマキナの出現日は」
「二年後の二〇九一年です」
「既にイビルマキナ確認日より、二年前に出現していた?」
「一体どうなっているんだ」
「博士、ここ、何か書いてあります」
彼がライトを当てた所に確かに文字が書いてあった。
「中国語? 何って書いてあるんだ?」
「いや、これは日本語だ」
わたしは呟くと、クリフハンガー大尉は目で訳してくれ言う。
「『新種生命体との会話に成功』と書かれている」
「新種? これが」
「ああ、だが、気になるのはコンタクトに成功と書かれていることだ、ここの連中は彼らと会話したと言うのか?」
「会話だって、話す前に攻撃して来る連中だぞ」
「博士、この写真にも娘さんが……」
その写真は研究チームだろうか、何か集合写真だ。
写真の下には『御三家にて研究チーム発足』と書かれていた、日付は先ほどの写真の二年前なる。
「御三家って何ですか?」
スティールの言葉にクリフハンガー大尉が答える。
「神城重工の創設者に関わった三家のことだ、確か、神城家、時神家、羅田家の三家を御三家と言うらしい」
「詳しいな」
わたしが言うとクリフハンガーは静かに言う。
「父が神城重工の役員だ、この面々には会ったことがある、噂だがこの三家を従わせているのか本家と言われるモノがあるらしい」
「本家?」
「ああ、まあ、本家と言われているだけで、名前はまでは聞いてな―――― おい、これどういうことだ」
クリフハンガー大尉が写真の一点を見つめていた。
そこに写っている人間を見て、わたしとスティールは言葉を失う。
「なんで、フェン・ウー中尉が写っているんだ?」
間違いなくフェン・ウー中尉だ、バルナスの隣に立っている。
どうして、次の瞬間クリフトハンガー大尉はわたしを突き飛ばした、わたしはその場に倒れ込むと同時に銃声がフロア内に鳴り響く。
「意外としぶといですね、てっきり奴らに食われているかと思っていましたが、まだ生きているとは」
「フェン・ウー中尉! 何のマネだ!」
「寂しいな、そこは生きていたかって、言って下さいよ、大尉!」
「再会がしらにブリットをぶち込む、奴にそんな言葉を掛けるつもりはないな!」
「まあ、そうですね、で、どうします、ここで大人しく死んでくれると、手間が省けるのですけど」
「誰がテメェの為に死ぬか、クソ野郎が!」
「スティール軍曹! 威勢は良いが状況をよく考えた方がいい、上の階であれだけ弾をバラまいていたら、直ぐ尽きるぞ」
ウー中尉はこちらの弾数を把握している可能性がある、弾が残り少ないと踏んで姿を現したのか、いや、そもそも、彼は何者なのだ?
「ウー中尉、君は何者だ! 何故、娘と写っている!」
「そんな事を訊かれて、素直に答えますか、答えませんよ、知りたければあの世で娘さんに教えてもらって下さい!」
銃声。
デスクに銃弾が着弾して火花が散る。
わたしはクリフハンガー大尉を見る、クリフハンガー大尉はスティールにハンドサインを送っている。
「どうしたのですが、早く、顔を出して下さいよ!」
その言葉が合図だった、クリフハンガー大尉が左に駆け出す、それに釣られてフェン・ウー中尉が発砲、クリフハンガー大尉の左肩に銃弾を受けその場に倒れ込む。
その隙にスティールに首根っこを掴まれたわたしは、反対側の扉から脱出をする。
それに気付いたフェン・ウー中尉がこちらに向かって引き金を引く、滑り込む様に入り込みスティールが蹴り飛ばしてドアを閉じる、と同時に鉄が弾け飛び様な音を立てながら扉が蜂の巣にされる。
「先に行くぞ! 博士!」
「しかし」
「行くんだ、大尉なら大丈夫だ、必ず追いつく!」
わたしは銃声が鳴り響く、部屋を背に走り出す。
わたしは振り向かなかった。
大丈夫、クリフハンガー大尉なら大丈夫。
わたしはそう言い聞かせ、その部屋を離れた。
⁂
肩に痛みが走る、こんな痛みは久しぶりだとおれは思った。
弾丸が斜めから入ったお陰で貫通はしなかった。
しかし、痛い、でも、ステーションに居る娘の痛みに比べれば軽いモノだ。
ふと、おれは小さい頃のことを思い出す。
小さい頃から怪我が絶えなかった、インドア派の父とは違いわたしはアウトドア派で休みの日は、自転車で遠出して近くの森の中を良く駆け巡った居た。
その甲斐あって、同年の子供に比べて身体能力は高かった。
高校を卒業後おれは海軍士官学校に進み、そのまま海軍士官となり、いくつかの艦艇勤務の内にネイビーシールズの先発試験を受けパスし、陸に上がった。
シールズの特殊作戦偵察コマンドに配属されてこの様な潜入任務は何回も経験しているが、今回の様に仲間から裏切られると言うのは初めてだった。
熱い、おそらく被弾した衝撃で鎖骨が折れた可能性がある。
おれ達が着る、最新の特殊汚染空域用防護服は体にフィットするように作られており、動きやすい、更に防弾繊維で作られているので、拳銃弾の様な小口径の弾ぐらいなら貫通することは無い、でも、ライフル弾は別だ。
「大尉、わざわざ囮になったのですが、イケませんね、軍の基本がなっていない」
「ああ、そうかよ、クソ」
「さっさと終わらせて、あの二人を始末して、例のモノを回収しなければならない、ああ、仕事一杯だな、なあ、早く出て来て下さい」
「嫌だね、裏切り者の命令なんって聞けるか!」
正直見逃してくれるのなら、出てやりたいがこういうタイプの人間は見逃してくれるわけはない。
さて、どうしたモノか弾無しのライフルが一丁にサバイバルナイフ一本、開いてはアサルトライフルを持っている。
分が悪すぎる。
考えるんだ、シールズの教えを思い出せ。
しかし、考えようとすると頭の中に浮かぶのは娘の姿だった。
バカかおれはまだ死んだわけではない。
でも、生きて帰れるだろうか、いや、生きて帰りたい。
深呼吸。
行くか。
銃から弾倉を抜き取りそれを投げる、乾いた音との後に銃撃音が響く。
未だ、飛び出す、一気に彼我の距離を詰めれば倒せる。
目の前に見えるフェン・ウーは投げた弾倉に銃口と視線が向いている。
制圧できる、がそれは間違いだったと気付くのは差ほど時間は掛からなかった。
左手に拳銃、銃口がこちらに向ていた。
誘い込まれた。
どうする、考える暇はない、飛び込む。
一気に距離を詰めれば勝てると思ったおれがバカだった。
一発、二発、腹と胸に着弾、拳銃弾は貫通はしないが着弾時の衝撃で激痛に体が襲う。
そのまま通り過ぎ地面に倒れ込む。
肋骨が折れた、息が出来ない。
「距離を詰めればどうにかなると思ったのですが、まだまだですね、大尉」
ゆっくりと距離を狭まて来る。
逃げないと、逃げないと。
でも、体が言う事を聞かない、動かない。
足跡が近づいて来る。
一歩また一歩。
おれは振り向く、笑ったフェン・ウーが居た。
「さようならだ、大尉」
銃声。
排莢された薬莢が落ちる音。
血。
視界に映るのはフェン・ウーではなかった。
最後に見たのは、笑った娘の顔。
それを最後に暗く、暗く、永遠の闇に包まれた。
⁂
わたしとスティールは更に奥へと進む。
かなり奥へと進んだような気がする。
「銃声が聞こえなくなった」
「スティールくん、少し休もう」
「いや、休んでいる暇ありませんよ、このまま進みます」
「進んでどうする、この先に娘がいるかわからないんだぞ!」
「それでも進むしかない」
「どうしてだ!」
「残った者が任務を遂行する、そうしなければ、死んだ者達が救われない」
彼は座り込んだ、わたしもそれに合わせて座る。
「なあ、博士、おれ達は帰れるのかな」
「さあな」
「ハッキリと言う」
「わたしは曖昧な答えは好きではない、本当か嘘か、はいかいいえか、本当はそのどっちかで答えたいが、今は本当にわからない」
「博士は、娘が何を作っていたのか、見当はないのか?」
「わからない、だが言えることはクランカー関係だっと言える」
「そうか…… 博士、もし、生きて帰れたらですが」
「おい、やめろ、その言い方だと死ぬ見たいに聞こえる」
「アハハ! そう言えば日本人の友人が言っていたけ、それは――」
「死亡フラグ、だろう、別れた妻もよく言っていたよ」
「いい奥さんだ」
「いい、奥さんか、確かにな、今思えば、あれ程良い妻は居なかった」
「……真面目な話だ、もし、おれが帰れず、博士だけが帰れたら、弟に伝えてくれ」
「……わかった、何と言えばいい」
「そうだな、ベタに行こうかな『母さんを頼む、お前達を愛している』とそう伝えてくれ」
「わかった、そう伝えよう」
ふと、ドアの向こうから何かが近づいて来るのかわかる。
この感じはクリフハンガー大尉ではないのは確かだ、フェン・ウー中尉が来る。
「博士、わたしが足止めします、行って下さい」
「待て、わたし一人で行けと言うのか、いや、一人ではない」
「何?」
スティールが指を差した所に再びバルナスの幻影が現れる。
「バルナス」
「さあ、行って下さい、娘さんに会って来てください」
「……すまない」
「やだな、確実に死亡フラグじゃあないですか」
「フン、行って来るよ、スティールくん」
「はい、博士」
バルナスが奥の扉をすり抜けて行く、わたしはその幻影を追うようにその扉を開ける。
あの子の幻影は先に進む。
ああ、バルナス、わたしはお前に何をしてやれた。
何もしてやれていない、わたしは、お前を疎んじていた。
お前の才能に、お前の頭脳に、お前の将来に。
お前が普通の子供だったら、どれだけ、心が楽だったか。
お前が普通の人生を歩んでいたら、どれ程喜ばしいことか。
普通に結婚して、普通に家庭をもって、普通の人生を。
でも、お前は普通ではないかった。
普通の人生は送れない、普通の家庭を持つことは出来ないだろう。
お前の生んだ子供はお前の才能と比較されるだろう。
親が子に嫉妬したように、お前は子から嫉妬されるだろう。
お前が普通なら、お前が普通なら。
わたしの人生は幸せだったのかもしれない。
バルナス、お前は、お前の人生は幸せだったか。
『わたしはパパの子供で良かったよ』
わたしは辿り着いた、娘の元に。
そこは広いサーバールームだった。
不思議だった、サーバールーム内には薄っすらとであるが、青い光が舞っていた。
その幻影の中央にわたしの求めていたモノと不思議な小さな黒い塊が居た。
小さなイビルマキナだ。
それはあの写真に写っていた写真のイビルマキナだった。
だが、そのイビルマキナは動かなかった、死んでいる。
そしてその傍らには一人の女性が、そのイビルマキナに寄り添うように眠っていた。
もしかしたら死んでいるのかもしれない。
でも、不思議と彼女がここで待って居たのではないかと思えて来る。
「バルナス」
わたしは、静かに近づく。
別れた時はまだ十四歳、でも、そこに居るのは二十歳過ぎの美しい女性だった。
「バルナス」
間違いない娘だ、ああ、大きくなって、こんなにも大きくなって。
更に近づこうとした時だ、銃声、同時に左足に激痛が走る。
血が噴き出す、激痛で意識が飛びそうだ。
「そこまでです、博士」
「フェン・ウー!」
「スティール軍曹はなかなか奮戦してくれましたが、わたしを止めることは出来なかったようですね」
「貴様……」
「ようやく見つけることが出来た、バルナス、このクソッ女、お前の所為でおれがどれだけ苦労したが」
バルナスに銃口を向ける。
「やめろ!」
「やめろだって? アンタさ、こいつに劣等感を持っていたじゃないのかよ」
「な、何だと」
「この女が教えてくれたぜ、いろいろとな、意外と口の軽い女だった、アンタさ、行きたくないって言ったアイツを無理やり来るように言い付けたんだってな、イギリスに、しかもその学会で発表したアンタの論文、本当はこの女が書いたモノだろう」
鼓動が跳ね上がる。
やめろ、違う。
「本当に口の軽い女だったぜ、あ、あと、下の口も軽かったぜ、ベッドの上で可愛い声で喘ぎながらいろいろ喋ったぜ」
「やめろ……」
「しかし、いい女だった、頭でっかちの女はちょっと優しくすると簡単に股を開くからな、あの女はその典型的なタイプだったよ」
「やめろ……」
「仕舞には自分から腰を振り出して――」
「やめろぉおおお!」
わたしの人生の中でこれ程の声を上げたことは無い、そして、これ程の人を殺したいと思ったこともない。
「何だよ、言っておくが、今の話は全部本当だぜ、アイツはおれのことを恋人か何かと勘違いしてらしいが、おれにとっては数ある女の中の一人だったよ、それを知った時のあの女の絶望の顔、最高だった」
「殺してやる」
「はあ、なに、聞こえませね、何か言いましたか! 盗作科学者さん!」
「殺してやると言ったんだ!」
銃声。
今度は右足。
「うるせんだよ、クソジジィ。何が殺してやるだ、やれもしないことを言うな、クソが」
「ああ、ああああああああ!」
「痛いか、痛いよな」
フェン・ウーは銃口を傷口に押し込み捻る。
意識が飛び様な痛みが体中に走る。
「おれは、こんな痛みじゃなかった、あの女があんな事をしなければ、全ては一瞬で終わるハズだったんだ、そしておれは火星で悠々自適なハーレム生活のハズだったんだ、あの女もそれに加えてやろうとしたのによ、どうして裏切るかなぁア!」
フェン・ウーの蹴りが顔に入る。
鈍いと共に奥歯が折れる。
「何が何がダメだ、やめようだ、勘違いも甚だしい、しかもコイツ、妊娠したって言いやがる、本当にふざけている、子供が出来れば独占できると思ったのか、アホが」
「お、お前は……!」
「あ、何だよ!」
「クソ野郎だ!」
更に蹴りが腹部を襲う。
内臓物が逆流しそうだ。
「ダメでちゅよ、科学者がそんな汚い言葉使っちゃ、ダメダメ!」
複数回、腹部に蹴りが入る。
わたしの内臓はついに耐えることが出来ず、逆流。
嘔吐したモノがヘルメット内に充満する。
「クソ汚い、さてと、『ファースト』彼女をどうたぶらかしたかは知らないがお前の所為で、計画は全て不完全な状態になった、しかも、我々の目を盗み対抗兵器を作らせていたのも驚きだ」
フェン・ウーはゆっくりと近づく、わたしは激痛で動けない。
やめろ、その言葉さえも喉から出ない。
「だが、これで全てが終わる」
銃口が小型のイビルマキナに向く。
やめろ。
「火星による統治、地球の再生の為に」
彼が引き金を引こうとした時だ、銃声、撃ったのはフェン・ウーではない。
彼は倒れている。
「う、クソッ、あの子供幻影を追いかけてたらこんな所に出じまったぜ」
「さ、サンダース?」
「博士! 怪我しているのか」
サンダースが駆け寄って来る。
今、目の前に起きていることが理解できない、さっきサンダースは崩落した足場と共に落ちて行ったハズだ。
「い、生きていたのか……」
「ああ、運良く、生き残ったよ、さて、これからどうしようかと考えていた時にアンタの娘の幻影に案内されたんだ」
「バルナスが……」
「もしかしたら、アンタを助けたかったんじゃないのか」
「そうかな、いや、そうかもしれない、そう思いたい」
「それより、他の奴は? 大尉とスティール?」
わたしは首を横に振る。
そうかと言って、彼はわたしの足に止血剤と防塵テープを巻き付ける。
「さてと、状況から見てフェン・ウー中尉を撃っても問題はならないよな」
「ああ、ならないと思う」
「フムン」
今度はわたしが肩を借りる番となった。
わたしはサンダースと共にフェン・ウーに近づく。
左胸を打ち抜かれているフェン・ウーは口から血を流して辛うじて息をしている状態だった。
わたしは、彼の持っていた銃を拾いあげる。
「わ、わたしを、撃つのか」
「だったら、何だ」
「フン、わたしを殺した所でこの世界は終わりだ、地球の時代は終わり、火星の時代が来る」
「……」
「地球は我々から奴らに対抗する手段を買い、我々は売る、その構図を創るハズだった」
「何と浅ましい考えだ」
「フン、き、貴様ら科学者だって所詮、同じ穴のムジナだ」
「同じにするな」
「同じだ、アンタらは開発してそれを世にバラまく、その先の起きる問題を考えずに、何が違う」
「少なくとも、わたしも娘も科学者としての矜持までは捨ててない」
「科学者の矜持だと」
「人類の幸福への貢献、だよ」
「フン、ほざけ、狂乱科学者の分際で」
わたしは、銃口を向ける。
引き金に指を掛ける。
「クタバレ、イカレ親子が!」
引き金に力を籠める、これを引けばこいつは死ぬ。
でも、引けなかった、その手をバルナスが止めたのだ。
「バルナス……」
『こんな奴にの為にパパの手を汚す必要はないよ』
「どうした博士、さあ、早く撃て! お前の娘をゴミの様に扱った、男がここに居るぞ! さあ、どうした、さっきまでの威勢はどこに行った!」
「撃たんよ、バルナスはそのまま苦しんで死ねと言っている」
「はあ、何を言っている、あのクソ女はそこで白骨化して死んでいるぞ!」
わたしは、バルナスを見る、彼女は白骨化などはしていない。
「君には白骨化して見えているのかね」
「何を言っている」
「サンダースくん、娘はどう見える?」
「美しい女性だ、是非とも付き合いたいね」
「何を言っている」
「それにわたしの隣には娘がいるよ、これが見えるかい」
「はあ?」
「おれにも見えるぜ」
「な、何を……!?」
フェン・ウーの視線が横に逸れた途端にまるでこの世の終わりを見たような顔をする。
「く、来るな、何だお前は!」
ああ、こいつは幻影に捉われたのか、彼にはバルナスはどう映っているのだろうか。
彼は必死に逃げようとする、その光景は見ていて滑稽だ。
「来るな! 来るな!」
彼はそのままバルナスの方へ近づく。
まるで亡霊に追い立てられているかのように。
必死の形相、恐怖、それがいま彼に見えているバルナスの姿。
と、小型のイビルマキナに近づいた時だ、そのイビルマキナが動き出す、サンダースは銃を構えようとするがわたしがそれを止める。
そのイビルマキナは彼が足元に着た途端に彼の頭を踏み潰した。
「あのイビルマキナ、生きていたのか?」
「いや、あれはたぶん、バルナスだ」
「はあ?」
「そうだろう、バルナス」
『パパ久しぶり』
イビルマキナが人の言葉を発した。
サンダースは驚いた顔をするが、わたしは差して驚いていなかった。
「大分、待たせたねバルナス」
『マスイさん、ちゃんと届けてくれた?』
「ああ、届いたよ」
『そう、良かった』
「だが彼は……」
『うん、わかってる。でも、マスイさんは悔いがないと思うよ』
「そうか……」
『そうだよ』
いや、後悔の念は有っただろう、最後に家族に会いたい。
それが彼が心に残した最後の思いだ。
だが、わたしはそれを言うことは出来なかった、言ってしまえばこの子を傷つけるからだ。
「バルナス、教えてくれ、わたしを呼んだ理由を」
『理由は…… 簡単だよ』
「簡単?」
『パパじゃなきゃ、作れないから、わたしの作ったシステムは』
「どういうことだ、ちゃんと説明してくれ」
『そうね、パパ『ガイア理論』って知っているよね、昔、パパが教えてくれた』
「ああ、無論だ」
ガイア理論は地球を一つの生命体と捉える考え方である。
惑星型ネットワークシステムである【パンドラ】この理論を元に構築されている。
『彼らはこの理論を元にある実験を行っていたの』
「実験?」
『もし、この理論が正しければ地球は何らかの意思を持って地球を動かしている、もし、その意志と直接会話が出来れば、地球の環境改善を行えるのではないのかって、だから、神城重工はわたしを攫った、当時わたしは神城重工の自然環境を考えると言うテーマに、興味があって、ガイア理論を元にした『地球会話シミュレーション』と言う論文を神城重工に送ったことがあるの、そこから、国機関を使ってわたしを調べ上げ、そして攫った、わたしの研究論文を元に地球と会話する為に』
「誇大妄想な考えだな」
『でも、返答があった』
「何だって?」
『わたし達は地球との会話に成功したの』
「なあ」
『そして、彼らが意思疎通の代理人として送って来たのが」
「イビルマキナ……」
『そう、彼らは如何に地球が危険かをわたし達に説明した、産業革命から始まった、エネルギー革命、森林の伐採による緑地帯の減少、それに伴う地球の温暖化。人間の行いか地球を苦しめて来たか、そして如何にして地球を救うのかと、わたし達に問ういて来た』
「何だが、難しいお題だな」
サンダースが言う、確かに一般的な人間ではこの手の問題は難しく考えることが多いが、わたしから言わせれば答えは簡単だった。
「サンダース、これらの問題を解決するのは簡単だよ」
「はあ?」
「人間が居なくなればいいだ」
「何だそれ?」
「今、地球で起きている環境問題の殆どは地球に住む我々人類が行ったことだ、そのツケをを払うのなら人間は居なくなった方がいい」
「本気で言っているのか、博士?」
「本気だよ、わたしは至ってね」
『相変わらずね、パパ』
「で、君達が出した結論は?」
『パパと同じよ、その為に神城重工は火星への移民計画を押し進めた』
「しかし、どんなに地球の危機を説いたところで人類は、はいそうですか、と納得しないだろう」
『そう、その為に神城重工は地球を去らなくてならないようにした』
「イビルマキナを地球に放ったのか」
『うん、でも、地球はそんな答えが欲しかった訳じゃなかったの、地球は対話によってこの星のことを考えて欲しかったの、だって人間もこの星で生きるシステムの一つだから、でも、人間は欲深かった』
「まあ、それが人間だからな」
「バルナス、既に人類はこの星から去ることを決めた、もう、手はないのだ」
『そう、だから最後の可能性を賭けるの、パパ、地球からイビルマキナを排して、再び地球と対話して、地球には人間も必要なの、そして考えて、人類がこの星に誕生した理由を』
「お前はその答えに辿り着いたのか?」
『うん、だから、わたしはマスイさんを使ってパパを呼んだの』
「お前の答えは?」
『それは言えないよ、また、わたしから盗む気かしらん?』
胸に突き刺さる言葉のハズなのに、痛くならない、それどころか心が和らく何故だ。
逡巡した先に答えをわたしは見つけた。
「心に刺さる言葉なのにな、どうして、こうも心が和らくのか、今わかった、バルナス、お前と面と向かって話すのは、これが初めてだな」
一瞬の間を置いてバルナスは答えた。
『うん、そうだね、パパが真面目にわたしの話を聞いてくれたのはこれが初めて……』
「なあ、寂しかったか」
『うん、ずっと寂しかった』
「すまないな、わたしは、わたしは、お前が怖かった」
『そんなの知っているよ、いつもわたしを見る目が怯えていたから』
「お前の才能が羨ましかった、わたしには無い才能だからな」
『わたしは恨んだよ、この才能、わたしはただ、パパに褒めて欲しかっただけなのに』
「わたしは、心の底からお前に嫉妬していた、本当に親失格だ」
『本当だよ』
「……あの日、どうして行きたくないと駄々を捏ねたんだ?」
わたしは今まで疑問に思ったことを口にした。
あの日、バルナスは初めてわたしに逆らった。
行きたくない、ここに居るっと、駄々を捏ねたのだ。
わたしは電話越しにそれを聞いていたが、学会の発表会を控えていて時間がなかった。
余りにも子供じみた駄々を捏ねたのでわたしの堪忍袋の緒が切れ、怒鳴り散らし、来ないのなら来ないのならわたしは帰らない、と脅したのだ。
妻の胡桃は何とか説得して送り出したと、学会後の電話で連絡を受けた。
そして、そのままバルナスは帰らない人となった。
「どうしてあの日、お前は来たくなかったんだ?」
『だってあの日、パパとママは仲直りさせようと思ったんだも』
「わたしと胡桃の?」
『うん、わたしだってわかってんだから、わたしの所為で二人の仲が悪くなっているって、だから、二人の仲を取り持とうとして……』
「なら、他の日でも良かっただろう」
『もう、パパとママも忘れている』
「うん?」
『あの日はパパとママの結婚記念日だよ』
「ああ、そうか忘れていた」
『もう!』
「あははは! すまない!」
『すまないじゃないよ、全く!』
「こら確かに博士が悪いな」
「サンダース、君まで言うかね」
わたし達は笑った、三人で。
久しぶりだ、笑ったのは、いつ以来だろうか、長い間、わたしは笑うのを忘れていた気がする。
心の重みが取れて行く感じがする、そう、重い重みが。
「さて、バルナス、君は今、死んでいるのか?」
わたしの質問にバルナスは即答した。
『うん、肉体は死んでるよ、でも、わたしの意思はまだ生きている』
「そうか、そうなのか」
『生きていて欲しいと思った?』
「ああ、生きているのなら謝りたかった、でも、もういい、お前と話せたから」
『そう、良かった』
「バルナス、イビルマキナに対抗する手段とは何だ、どうすればいい?」
『わたしがマスイさんに渡したのは新型構造体、それを活かすために新型機構とそれを支える補助システム、そして新型動力炉の基礎理論と設計図』
「新型構造体は、クランカーの強度を格段に上げたがその分、機動力が落ちている、わたしが悩んでいるのは機動力を上げる為のメインのシステム、つまり、新型動力炉だ。バルナスのお前の書いた設計では肝心の動力炉の動力源が無かった、現在、バッテリーから原子力まで幅広く試してみたが、どれも上手くいかない」
『当たり前だよ、だってあの動力源は――』
「新型構造体を元に一から創り出すだろう」
『流石パパだね』
「だが、あの構造式では制作を掛かると何世紀掛かるかわからないぞ」
『だから、ここに呼んだの、わたしが作った希望の鉱石』
小型のイビルマキナが溶け出し、結晶化していく。
「これは……」
『地球の記憶の欠片、わたしは【地球の記憶の鉱石】って呼んでいるの』
わたしは結晶を手に取ると青い光を放つ。
『これを動力炉に使えば、きっとこの地球を取り戻せる、そして地球と対話が出来る』
「暖かい光だな」
『うん、そうだね、四十六億年の記憶がこの石に詰まっているから』
「……地球を取り戻せたら、また、お前と話せるか?」
『うん、それまで待って居るよ、パパ!』
周辺が光り出す、青い光は見る見るうちに広がり始める。
「バルナス! わたしは!」
『わたしはずっと待って居るから、地球の記憶の中で! 待って居るから』
「わたしは、お前のこと! お前のことを! 愛している…… 父親として!」
『ありがとうパパ、最後にそれが聞けて良かった』
光が広がり始める、温かい温かい光はわたし達を包み込む。
『奇跡の光と共に、この地球に幸あれ』
十数年後、地球軍直轄、地球低軌道ステーション【希望号】
わたしの目の前には青い地球が見えている。
ここから見れば地球は綺麗だ、でも、もう、この地球には人は住んではいない。
誰一人。
「ドクトル、博士、久しぶりだな」
わたしが振り向くとそこに懐かし顔が居た。
「サンダース艦長、君も変わらないな」
このステーションの艦長であるサンダースだ。
彼は陽気な顔をして懐かしい手を握る。
わたし達はあの後いつの間にか、地球軍の駐屯地に居た。無論例の鉱石を持って。
汚染対策の為に一か月近く監禁されたが、不思議と汚染も被爆もなかった。
それどころか、サンダースとわたしの撃たれた足は傷が無くなっていた。
その後解放された後わたしは国連科学機構から出向と言う形、地球軍装備研究所の赴き、数年後には所長となっていた。
そして今日、ここに来たのは最後の反攻作戦の為の開発したわたしの武器とそれを扱うパイロットを引き取るために来たのだ。
「で、どうだ」
「あとは最終テストとパイロット選抜だけだ」
「例の手術か」
「ああ、機体の全体の性能が上がった分のパイロットの負荷も大きい、それに耐えるには人間自体、改造しなくてはならない」
「よく、こんな案が通ったな」
「既に人権どうとか言っている暇ない、国連は火星に租借地を創っている、表向きは移住の為としているが、おそらくは冷凍冬眠の計画を実行に移そうとしている」
地球軍は敗走した、既に地球からの全住民の退去完了宣言を出し、地球は彼らの支配エリアとなった。
国連政府は火星に借入年千年とした租借地を火星政府から受領した。
目的は現在進められている奪還作戦の完了まで、コールドスリープに入るための土地の確保だ。
「作戦は成功すると思うか、博士」
「成功しなければ、わたしは娘に会いに行けない」
「フムン」
サンダースと共にわたしは格納庫に向かう、そこには百二十七機のクランカーが整列していた。
「あれが完成した新型動力炉か?」
「ああ、地球の記憶の頭文字を取って、EM粒子炉と命名した」
この動力炉にはあの鉱石が使われている、現在再生できたのは百二十七個のみだ。
それを使った新型クランカー、機動力、運動性能、粒子を応用した新型火器。
どれを取っても既存のクランカーを凌ぐ性能を持っている。
「問題はこれに対応する手術の適合者が少ないと言うことだ」
「今、見つかった数は?」
「Aランクが二十二名、Bランクはその半分、後はCランクだ」
「かなりまだまだ、先だな」
わたしはステーション内の病院等を見て回る。
ここに居るのは現在医療でも完治不可能とされた奇病に罹った子供たちが集められている。
「今日、この中からAランクの適合者を搬送し、手術をする」
「そうか、この子達は兵器とされるのか」
「ああ」
「心は痛まないのか? 博士?」
「何故、痛む?」
「……しかしだな」
「既に、この段階に至るまでに地球の人口の七割は死んだんだ、これ以上悲しんでいる暇はないし、痛む暇はない」
「博士、搬送準備が出来ました」
わたしの秘書官が言う、わたしは「わかった」とだけ告げる。
「例の手術【コティホローシュコ手術】か、成功率はかなり低いのだろう」
「ああ、成功率は限りなく低い、Aランクでも成功率は四割弱、Bランクではその半分以下だ」
「それでも、あの子達は受けるのか?」
「ああ、だがわたしは強制するつもりはない、全てはあの子達が決めたのだ、コティホローシュコの様に、強くなる為にな」
「フムン」
「だが、実際は稼働実験や適合者のリハビリと訓練に更に時間を割かれるだろうが――」
わたしはその時、何気なく外を見た。
外には火星軍の巡察艦がステーションに入港していた。
国連政府と火星政府はベラルーシの作戦以降、関係は悪化することもなく、良くもなることもなく、至って普通のままだ。
言い換えればどちらの探られたくない腹があるのでお互い探らないでおこうと言う暗黙の了解が成されたのではないかと思う。
だが、非営利活動法人であった火星開発機構が、大きな犯罪を犯していたのに関わらず追求しないのはおかしいのではないのか、わたしはそう思っていた。
それを声高に叫ばないのは、今、わたしが死ぬ訳にはにはいかないからだ。
再び地球を取り戻し、娘と会う。
その目的を果たすまでは、ふと、その窓の下で簡素な家具しか置かれていない病室に一人の少女が居た。
白い髪に絶望すら疲れ果てたと言わんばかりの紅玉の瞳、ただただ、漆黒の闇に浮かぶ無限の星々を眺めていた。
「あの子は?」
「はあ、あの子ですが」
わたしの問いに秘書官が答える。
「フィル・クリフハンガー、十二歳。女の子ですね、病名は不明、全ての細胞組織が分泌崩壊する奇病です、長くてあと数年と言ったところでしょうね」
「クリフハンガー……」
「隊長の娘さんか」
「ああ、たぶんな」
「博士、そろそろ、行かなくては」
秘書官が行こうとしたのをわたしは止めた。
「まて、三島くん、彼女の適合率は?」
「え、ああ、無駄ですよ、彼女の適合ランクEです、ほぼ、成功しないでしょうね」
「Eか……」
わたしは、病室に入る。
彼女がこちらを向く。
その瞳にはまだ生きたいと、叫んでいるように見えた。
生きたい。
そう訴えかけている。
ならわたしは彼女に希望を与えよう、娘が希望を残したように、わたしは彼女に希望と奇跡を残そう。
わたしは手を差し伸べる、皺がよった手を彼女に。
「――今、君の手の中には二つの選択肢が存在している」
わたしは、そう言って彼女に全てを話した。
そして、彼女は全てを聞き終え、短い間を置いてわたしの手を取る。
さあ、全ての戦いを終わらせる為に行こう、君が生きたいと言うのなら。
後書き設定
この作品、テイク先生の世界観をシェアしていますが、わたしの没プロットも混ぜています。
ここでは、自分なりの意味付けと設定の一部説明させて頂きます。
イビルマキナ
無機的生命体であり、それ以外の一切の謎。
神城重工は何らかの手段でこのイビルマキナを操る手段を持っているとされている。
クランカー
人型戦闘機械。現状の陸上兵器主力機であり多用の兵装バリエーションを持つ。
開発は日本の神城重工。初期の目的は火星開発における動作補助用大型産業機械であったが、兵器転用が進み、純粋な産業機械としてクランカーは減少傾向にある。
惑星型ネットワークシステム【パンドラ】 (没プロットからの設定)
全地球測位システムであり、十二万七千機の小型無人衛星の並列化によりタイムラグ無しで世界各地と繋がることが出来るのが表向きにとされている。実際はアメリカ国防省主導より監視システム構築であり、エシュロンに替わる次世代監視システムである。
神城重工 (没プロットからの設定)
巨大国際複合企業。世界各地に四千を超える支社を保有しており総資産は既に天文学的な数字と言われている、御三家問われる三家が会社の中枢を支配している。
企業理念は、『世界平和』である。
火星開発機構(没プロットからの設定)
二〇四〇年から深刻化した地球温暖化と食糧不足、人口増加の対処をする為に国連総会によって火星開発がスタートする。
最初はNASAが主導で行われていたが、宇宙天体条約により、NASAから非営利活動法人であった火星開発機構に移譲される。
火星防衛軍情報軍団(没プロットからの設定)
火星防衛機構内に一組織、防諜、諜報活動、カウンターテロ対策、サイバー戦を主な任務としている。
コティホローシュコ手術 (没プロットからの設定)
EM粒子炉搭載型クランカーの爆発的な機動性に耐えるために行われる手術。
語源はウクライナの童話から採られている。
全ての臓器や筋肉を人工筋肉や人工臓器に入れ替える、所謂サイボーク化手術である。
全ての人工物に置き換えるために拒絶反応が強く、例え手術に成功しても定期的なメンテをしない限り、長生きは出来ないとされている。
EM粒子炉
後にEM機関と改名される。
語源は【The earth Memory】の頭文字から来ている。
地球の記憶が結晶化した鉱石を真空状態すると粒子反応を起こす、その際に発生する熱エネルギー変換して機体の動力として利用する。
鉱石は極めて不安定な構造体をしており、生成には長い時間を有する。