虚ろな、過去
わたしは――。
わたしは羽多野勇――。
天文学園普通科一年生――。
仙台地方で事故にあって両親を亡くし――。
環境兵器の影響による『能力』覚醒の可能性を見出されて天文学園普通科特待生枠に選定される――。
そして――。
そして――わたしは――。
「ここ、は……?」
聖徒会室を飛び出して、とにかく走った。
何も考えず……ただ、走った。
まるで乱世さんからも、逃げるかのように……。
「わたしが……わたしじゃ、ない……?」
そんなこと……もちろん、本当のことだなんて思えない。
普通に考えれば、当たり前のことだ。
だって……。
「覚えてる……。わたしを引き取ってくれた……おじさんのことも、おばさんのことも……」
新しい家での生活も……近所に居た友達のこと……。
そして……死んだ両親の顔も、おぼろげながら覚えてる。
落ち着いてみれば、ちゃんと……わたしにはわたしの記憶がある。
(なんであの時は……それが出てこなかったんだろう。どうして……言い返すことができなかったんだろう……)
わたしは今年、この学園にきて……。
(そして……乱世さんと出会った……)
間違いない。
だからわたしは、ここに――。
「それにしても……」
周囲を見回す。
「こんな場所……学園の中にあったかな……」
もちろんわたしだって、学園の中全部を見知ってるわけじゃないけど……。
聖徒会室を飛び出して、走りはしたけど、それほど離れてるとも思えない。
聖徒会室を中心に、学食や購買などのある学園中枢施設近辺くらいなら、流石に見覚えがあるはずなんだけど……。
「暗い……。それに……寒い……」
窓の外は、まるでもう夜になってしまったかのように、真っ暗……。
雨雲か何かにしても……こんなに真っ暗になってしまうことなんて、あるんだろうか……。
それに――。
「誰も……いない……?」
乱世さんと一緒に校舎に突入したときには、百メートルも開かずに、敵が配置されていたし……。
そういう人たちに遭遇しなかったとしても周囲では何かしら争う音や物が壊れる音などが、絶え間なく響いていた。
それが……いまは、まったく聞こえてこない。
静か過ぎて……耳鳴りの音すら響くほど……。
「乱世さんは……?」
自分から逃げ出した癖に、わたしは急に乱世さんのことが心配になってしまっていた。
飛び出したわたしを、乱世さんは追いかけてきてくれるのだとは思う。
だけど……それなら、なんでまだわたしは会えていないんだろう。
乱世さんの足が、わたしより遅いはずなんてない。
だとしたら……。
「………………」
わたしは不安と焦燥で、振り返る。
そしてそのまま……元きた道を、引き返そうと――。
「え――――?」
一歩を踏み出したとき――。
「おとう……さん……?」
死んだお父さんやお母さん――。
おじさんやおばさん――。
学園に来るまでの友達――。
端が見えない程の長い廊下の横に、わたしの知っている人たちが並んでいた。
ずっと……ずっと先まで……。
わたしの知っている全ての人たちは、一様にわたしのほうを見つめて、穏やかな笑みを浮かべている。
にこにこと……にこにこ、と……。
「な――」
喉がひりついたように渇いてる。
ごくりと唾を飲み下しても、その不快な渇きはちっとも晴れない。
「なんで……ここ、に……?」
至極当然な疑問。
だけど、お父さんやお母さんたちは、何も応えてはくれない。
ただ……にこにこと笑みを浮かべてわたしを見てる。
寒い――。
さむいのに――。
背中にじわりと汗が浮かぶ。
喉のひりつきは、更に痛みを増して……頭痛のような痛みでわたしを苛む。
「なんで……?」
おそるおそると……一歩を踏み出す。
彼らに触れようと……。
「ねぇ――!」
声を上げると、喉が泣きそうなくらいに痛くなる。
なるけど――。
「おとうさ――」
指先が触れる。
刹那、に――。
「あ――――」
指先が触れたとたん……おとうさんの体が『めくれた』。
ポスターか何かのように……急に張りを無くした紙のようになって……くしゃりとした音をたてて地面に丸まって、転がった。
「おと……う……さん……?」
同時に……その横のおかあさん、そしておじさん……おばあさん――。
「あ……あ、ぁ……」
友達……先生……そして、声をかわした程度の近所のひとたち……街角で出会っただけの全ての人たち……。
全てが……紙くずのように丸まって、地面に転がる。
「い、いや……」
こわ――い――。
歯が……知らず、がちがちと鳴る。
転がった紙くず――紙の人たちは、くしゃくしゃになったまま……。
それでも……くしゃくしゃの笑顔のまま、わたしのほうをずっと見つめていた――。
「いや……っ!!」
わたしはそのまま……廊下を走り出す。
長い――長い廊下は、いくら走っても終わりが見えない。
その間も……くしゃくしゃの人たちは、ずっとわたしを見つめて――。
(いや――いやだ――)
ずっとわたしに……笑顔を向け続けていた――。
『おかえり――勇ちゃん――』
『今日は遅かったのね――もう、夕ご飯できてるわ――』
『明日のテストさ――』
『こんにちわ、勇ちゃん――』
『放課後どこか寄ってく――』
『まぁ、勇ちゃんってば――うふふ――』
『あはははは――』
『ふふふふふ――』
わたしの知ってる言葉を、くしゃくしゃと繰り返してくる――。
(なに……? なんなの、これ……?)
わたし……頭がおかしくなっちゃったんだろうか……。
それとも、これは夢かなにか……?
『――いまが夢だって言うんなら――』
(え……?)
『――全部が夢だよ――?』
(――――――!?)
その――。
その、『くしゃくしゃとした声』は――。
「いやああああぁぁっ!?」
確かに――わたしの声、だった。