椿芽の視た、闇
「く……ぅっ……!」
地に膝をつく椿芽。
零れ落ちた血が、足元に赤い染みを作る。
「椿芽……」
「馬鹿な……。こんなこと、が……」
「椿芽さん!」
その椿芽に駆け寄ろうとする勇だが……。
「寄るなッ……!」
切っ先が突きつけられる。
「椿芽……さん……!」
「……………………」
距離にすれば概ね3間、約5.45メートル。
椿芽にすれば十分に必殺の間合い。
然し――。
「寄らば――」
「斬る、か?」
然し――。
勇を庇うように、椿芽との間に立つ。
これで2間。
切っ先の直ぐ前に立っているようなもの。
然し――。
「いや……斬れる、か……?」
「………………」
切っ先は振れ、そこに膂力の伝いは、無い。
否――。
「気も心も無く振られる刃などは、鉄火場の出刃にも劣る……自分でもそう言っていたろう」
「何を……!」
今ならば――。
今の椿芽ならば、容易に組み伏せられもするのだろう。
そして、頼成に施られた術なりを解きもすれば……椿芽は以前の椿芽に戻る――。
そう考えるのは、道理か必然か。
(そう、すべき……そうするために、俺はこうしているのではないのか……?)
なのに……なんだ。
なんなのだ、この……迷い、は。
「椿芽……お前は、勝てない」
「……………………」
「お前にも……いや、お前だからこそ、見える筈だ」
「……そう、だな」
椿芽は剣を引く。
「椿芽さん……」
勇の安堵が背中に響くが……それは、彼女の優しさ、転ずれば甘さに相違ない。
だからこそ……俺はまだ勇を背に庇う。
「このままでは……このままでは、だ」
「え……?」
椿芽はどこか自嘲にも似た、複雑な笑みを浮かべている。
勇にそれが伝わらないのは……寧ろ、救いだ。
椿芽が踏み入れかけている、視始めている『その領域』は……俺にさえ判れば、それでいい……。
「諦めぬ……! 私は……諦めはせぬ」
「椿芽……」
「私は……鳳凰院流の継承者なのだ。いまや……それだけ……それだけなのだ……!」
「違う……! 椿芽、お前は……」
俺は――。
椿芽に追い縋るように言いながらも――。
俺には――。
どこかに安堵があるのではないのか。
「だから……まだ認められぬ。お前を……お前たちを……!」
「椿芽さんっ……!」
「もはや……それだけ……! それだけでしか……ッ!」
椿芽は身を翻し、逃走をする。
「椿芽さん、待ってッ!!」
「だめだ、勇……!」
俺は……追おうとする勇の手を取り、引き止める。
「なんで……!?」
「だめだ……! いま、あいつを追えば……」
「乱世……さん……?」
「いま、追えば……」
「乱世……さん……」
「お前も……戻れなく、なる……」
「………………」
既に……椿芽の気配は闘技場の付近にすらも、ない。
頼成の元に戻ったか……それとも……。
勇は、納得をした訳ではないが、それでも……俺の傍には居てくれる……。
「乱世、勇ーっ!」
決着を確認し、いの一番に、興猫が駆け出してきていた。
「………………」
後ろには……我道や真島の姿もあるが……。
「勇、すごいね! あそこまでやれるんだ」
「ううん、わたしは……あくまで、乱世さんのサポートをしてるだけだから……」
「どうかなー。ひょっとしたら、あたしより強くなっちゃってるんじゃない?」
「そんなことは……」
「強さ、という意味なら……質そのものが違う。あくまで俺と勇は、椿芽と戦うことのみに特化した訓練ばかりをしてきたからな」
「乱世がケンソン? 似合わないよ」
「ああ、かもな」
俺は苦笑するようにして、興猫の頭を小さく撫でる。
「にゃ♪」
「……天道」
「……どうした? 我道」
「なんで……鳳凰院を逃がした?」
「………………」
我道の目は、俺を見据えている。
射抜いている、と言っても良いくらいの鋭さか……。
「い、いえ……! 違うんですっ!」
「嬢ちゃん……?」
「あ、あの……。わたしが不用意に近づいたから……それで……。乱世さんは、わたしを気遣って……」
勇の言葉は、俺を庇う嘘、だ。
「……そう、か?」
そして……それを我道も気づいている。
「……ああ。椿芽には……まだ闘志も残っていた。退いてくれて……むしろ、助かったとすらいえる」
そして、俺のその淀みのない言葉も、嘘だ。
「……どうにも、そうは見えなかったがな」
「おい……我道? お前らしくもないな」
真島が怪訝な顔をする。
「………………」
「とりあえず……退けはしたんだ。天道たちが合流する前の状況を鑑みれば、上等だ」
「……ちがいねぇが、な」
「帝王を自称する者が……いささか弱気か? 状況からすれば、判る所もあるが……」
「そうだよ、我道。空気読みなさいな」
「……ああ、そうだな。俺らしかねぇ」
「我道……?」
我道は、もう一度だけ俺を一瞥してから……苦笑してみせた。
「……退いたといったが……椿芽以外もそうなのか?」
俺はあえて、その我道の態度を無視するように、真島に問い返した。
「ああ。鳳凰院の撤退と同時に……まだ合流できてない部隊への追撃も弱まったそうだ。夜半には合流できる」
「それって……やっぱり、椿芽さんが……?」
「……ああ。指揮権限をもたされていたのだろう」
それが退いたというのは……。
椿芽の独断か、それとも……何か他の事情があったものだろうか。
「どっちこっちチャンスでは、あるな。これでこっちの戦力を集結もできる」
「男闘呼組……パンクラス。それに、怒黒組の残党?」
「……それに、聖徒会の残党と、現体制に納得のいってねぇフリー層。かき集めれば、十分に頼成の勢力に対抗はできるぜ」
「チャンス……というよりも、この期を逃してはもはや難しい……というところだな」
「乱世さん……椿芽さんのことも……」
「……ああ。判っている」
「撤退したこともあって、連中……建て直しにも時間がかかるだろう」
「そうなれば……明日……だな」
明日――。
恐らくは、それで決着がつく。
すべての……そう、すべての決着が。