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ジャガンナンド~強くあるために必要な、ほんのいくつかのこと~  作者: 神堂 劾
強くあるために必要な、ほんのいくつかのこと
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舞踏のように

「甘いッ!」


 俺の踏み込みに合わせて、椿芽の太刀が胴を薙いでくる。


「ちぃっ……!」


 正確には、『踏み込もうとした』タイミングにあわせて、だ。


(これほどかっ……!)


 想定はしていた筈だ。


 椿芽の奥義、『無刹』の先読みを。


 しかし……現実にしてみれば、こうも違う。


 そもそもが、ある意味において禁じられた奥義。


 俺すらも、実戦として相対するのはこれが始めてのようなものだ。


「乱世さんっ!」


「皮一枚だ……!」


 その上で俺の胴がまだ繋がっているのは――。


(まだ、その分別はあるのか、椿芽……)


 椿芽の『無刹』は、現状の負荷でも危険な領域ではあるものの、最後の一線は越えてはいない。


 だからこそ勇のサポートを受ければ、俺でも互角に対応することもできる。


(椿芽をどうにかするのならば……今しかない……!)


 仮に俺の想像が――。


 最悪の想像が正しいものとすれば、椿芽が一線を越える、超えさせられるのに、そうそう時間の猶予はないはずだ。


「もう一度仕掛けるぞ、勇っ……!」


「乱世さん、でも……!」


 劣勢は勇にも明確だ。声に困惑が乗るのを捕らえた俺は……。


「仕掛けるッ!」


 気合だけの声で強引に押し込んで見せた。


「は、はい……!」


 勇はそんな俺にですら、ついてこようとしてみせる。


 いい娘だ。


 だから……だからこそに、だ。


 勇の前で椿芽に一線を超えさせる訳にはいかないのだ。


「懲りもしない、か……」


 椿芽の目がすう、と細まり……瞳孔が僅かに収縮する。


『無刹』の兆候――。


 椿芽は正しくに今、数手先の『未来』を視ている。


「………………ッ!」


 それに対抗しうる為には……その、更に数手の先を進まなくてはならない。


 右から斬り払われるものを同じ右の受けで、流す。


 単純に言えば、それで一手が相殺される。


 当然、そんな単純なことではなく、もっと感覚……観念的な攻防ではあるのだが、至極単純に言えば『そう』ということだ。


 しかし、無刹は原則的に相手の動向を受けて読みが行われるものだ。


 こちらから仕掛ける場合、どう仕掛けるかの無限の選択の中から選ばれた行動への、さらに無限の選択肢が発生する対応を読み、さらに……。


 無限に分岐する選択を、全て外さずに数回、正解させねばならない。


 一人のわざでは絶対に無理なことだ。


(右、切り上げの斬撃……相殺の上で横薙ぎのひと太刀……相殺の上で1歩距離を詰めての柄打ち……)


 俺が目の前の椿芽の動向を読み、勇が第三者的な視点で並列的に状況判断を行う……。


 このコンビネーションが無くしては、とてもじゃないが一手すら読み切って相殺するのも難しい。


 勇の強制暗示……椿芽はそれがまるごとに通用する相手ではないが、その影響力も肝要だ。


 勇の能力――協力が無ければ――。


(いや……正確にはそういうことでもない。ないが……)


 勇本来の能力があれば、実際のところ……ここで椿芽を撃退するのは、そう難しいことではない。


 しかし、それは――。


「乱世さんっ!?」


「…………!?」


 油断があったか!?


 俺の直感が、『そうではない』と――。


「遅れたな、乱世ッ!」


 これが、この動きが『正解』ではないと――相殺が成されていないと警鐘を鳴らしたとき――いや、鳴らそうとした時には、既に遅い。


「しまっ……!」


 俺はコンマ数秒、視覚情報が脳に届く僅かな瞬間だけ、椿芽を見失った。


「タネは割れている……! 一見でな……!」


 椿芽は数手をまるごと放棄し、俺を霍乱かくらんして……そのまま勇に真っ直ぐ踏みこんでいた。


「ちぃっ……!」


 勇の単独の戦闘能力そのものは、実際、そう高くない。


 勇の能力に影響を及ぼされるもの相手であれば、それは無敵である。


 あるが……先のように椿芽相手ではダメだ。


「…………ッ!?」


 勇はそれでも、気丈にも応対の構えをしてみせはするが……。


「ははッ! それで構えてみせているつもりかっ!」


 距離を詰める間に、いくつもの迎撃の可能性が破棄されていく。


(いかん……!)


 椿芽もまた、その行程であっさりと無刹の危険領域に踏み込んでしまっている。


 勇の及ぼす『強制力』は椿芽の無刹の前には通用しない。


 しかし、『通用させない』効果を及ぼす為には、それをさせない先手さきてを読むがために、無刹の能力も過剰に消費させられる。


 普通の相手であれば、脳の限界深度に近いところで椿芽自身がリミットをかけるはずだ。


 しかし――。


「するかッ! 勇……! お前を斬るまで……!」


 文字通りの血涙を零しつつも、無刹の領域を止めない。


(いかん……!)


 当然、俺も二人の間に割ってはいるように、既に動いている。


 これは……相互に危険な状況なのだ。


 椿芽に関しては言うに及ばず……。


 勇もまた――。


 いや。


 勇に関しては、恐らく椿芽の太刀が振られたあとでも『死ぬことはありえない』。


 だが……それが危険なのだ。


 それこそが、いま俺がもっとも危惧することなのだ。


「させんっ……!」


 滑り込むように二人の間に割り入る。


 椿芽が勇を狙う。そのことは先を読む読まない以前のことで考えるまでもないこと。それが多いに幸いした。


 視覚や反射が追いつかなくとも、走れば間に合うことだ。


 蹴り上げたブーツの裏で椿芽の太刀を受け流す。


 同時に――。


「きゃっ……!」


 勇の肩口に掌底を叩き込む。


 単に突き押した勢いでは、二の太刀を阻む距離まで弾き飛ばせない。攻撃に等しい打撃でこそその勢いは生まれ得る。


 もちろん余計なダメージを与えぬよう、打撃の瞬間に、掌底の指を大きく開く。これで勢いは失しない上で、押し出した打撃そのものは分散される。


「ん……ぐぅっ……!」


 勇も瞬時に俺の意図を察し、自らでも飛び退りながらも、勢いを十分に活かせるように、腕や足を縮こめ、体を丸める。


 勇が二度ほど宙で回転をしつつも、それなりの距離を稼いだところで――。


「こ……のッ!!」


 二の太刀がくる。


 既に勇は安全圏にまで転がっている。


 この太刀は……単なる椿芽の意地。意地がそのものだ。


「虚勢だ、それはッ!」


 振り上げた足を戻す。


「知っているッ!」


 一見にすれば、それは踵を落とすようにも見えたかもしれない。


 しかし、こちらもそんな余裕などはない。


 打撃としての力などが入る余地もない。そのままただ脚を戻す行程の中で、太刀の柄に髪の毛ほどの接触をさせるだけだ。


 太刀を繋ぐ手を打つのではない。


 そこは斬撃にて、もっとも力が流れているところだ。


 正確には肩口だが、既にここまでのモーションが成されていれば、伝播は成されきってしまっている。


 そんな所を打って斬撃を止めるのは難しい。それ以前に、制御を乱された切っ先がどういう軌跡を通るかは予測しにくい――。


 今の椿芽にしてみれば、その切っ先のぶれをこちらに100%効果を齎すようにしてみせるのは容易いはずだ。


 だからこそ、振り切られる前に、力の戻りが生じ始めている柄の一点だ。


 僅かに軌道を逸らされた刃は、文字通りに俺の髪の数条を薙ぐに留めて中空に振りぬかれる。


「くっ……!」


「ちぃっ……!」


 舞踏に識の無いものが視れば、それはどこか優雅なダンスにも見えたかもしれない。


 逆に識のあるものがみれば、あまりに無様な有様と笑おう。


 椿芽はともかく、俺は脚を戻した時点で静止はしていたものの、平衡は限りなく失してしまっている。


 参の太刀が来れば、これはもうお手上げなのだが……。


「ぐ……ふっ……!」


 椿芽は鼻と口から大量に血を吐き、そのまま……よろめくようにして距離をとるしかなかった。


(奥義をああも使えば……!)


 毛細血管がまとめて破裂するのは避けられない。


 これまで出血が乏しかったのは、単純に気迫で押さえ込んでいたからに相違ない。


「はぁっ……! はぁっ……!」


「ぐ……!」


「乱世さん……!」


 受身も無く、無様に地に転がる俺に、先に立ち上がった勇が駆け寄る。


 俺の打った肩口を押さえる勇に……俺は反射的に案じる言葉をかけようとしていたはずだ。


 しかし。


「あいつが向かってきたら……逃げろと言ったはずだ……!」


「は、はい……でも……!」


「今はいい! だがこれからはするなっ!」


「は、はい……」


 立ち上がりながら、口に溜まった血の塊を吐き出す。


 かみ締めて砕けた奥歯の欠片がひとつふたつ転がった。


「ふ……ふふ……」


 椿芽は口元から滴る血を気にするでもなく、俺を勇を見やる。


「そこまで……! そこまで大事か……その女が……!」


「椿芽さん……」


「必要か……そこまで必要か……! 私を……私との時間を無きに追いやっても……!」


「椿芽……!」


 俺は再び椿芽と対峙しようとするが……。


「……乱世さん」


「勇……?」


 勇が……つい、と前に出る。


「わたしが……します。やります……」


「勇っ! 言っただろう、お前では――」


 俺は勇を押し留めようとした筈だが――。


「な――?」


 体が動かない……?


 膝が折れるようにして、地を舐めた。


「わたしがしなくちゃ……いけないんです……!」


「い――勇――」


 これは……この強制力は、まさか……!


(いや……違う……。勇の本来の力なら、こんな……直接的な影響ではない……)


 今の勇が持っている力……。


 暗示による強制力という、俺がリクツを付けた能力としての影響は……。


 こうまで直接的に『止めようとする俺を止める』という形で働くことはないはずなのだ。


 しかし……。


(しかし……! この影響力……俺が、俺が……動けなくなるというのは……!)


 不完全ながらも……確実に『彼女』の力だ。


「ふ……? なんだ……お前が……? お前が……私としようと……?」


「椿芽さん……」


「は……ははッ……! 思い上がりも甚だしいんじゃないかッ!?」


「……………………」


「確かに、以前よりは、やるようになったが――」


「椿芽さんは間違ってる……!」


「な……に……?」


「乱世さんは……あなたとの時間を無かったことになんかしようと思ってない」


「え……?」


「むしろ……!」


「…………!?」


「むしろ……ずっと大切にしようとしてる……! だから……だから……!」


「う――」


「だから……こんなことだって……する……! あなたが大切だから……!」


「う、う……」


「わたしだって……!」


「うるさいっ!」


「椿芽さん……!」


「知っているッ! 知っているさっ! だから……だから苦しいんじゃないかッ! だから……認められないんじゃないか……!」


「椿芽さん、あなたは……」


「わかるのかっ! 貴様にっ! あるべきと思っていたものがなくなるということがっ! あって当然というものがなくなることがっ!」


「わかるよっ!」


「い、勇……」


「わかり……ますよ……。わたし……わたしだって……。乱世さんを……ずっと、待ってた……。待ってたんだから……!」


「……!」


 その……勇の言葉は、いまの彼女の感情の吐露という以上には意味を持っていなかったとは思う。


 決して……それ以上の意味では……。


 しかし……。


「どこか……なにか足りないものを探して……待って……待ち続けて……。それで……会ったのが乱世さんなんだもの……! そう……なっちゃったんだもの……!」


(いまの言葉は……言葉そのものは……)


 ここに居る勇だけのものじゃない。


 俺が知る……『彼女』のものだ。


「椿芽さん自身の心を……気持ちを、本当にわかろうっていったって、それは無理かもしれない……。でも、判ろうとすることなら、わたしだって……!」


「勇……」


「だからこそ……わたしだって苦しいんじゃないですかっ! わたしだって……こんなのイヤなんじゃないですかっ……!」


「………………」


「椿芽さんは……今の椿芽さんは、誰のこともわかろうともしてくれてないじゃないですかっ! 乱世さんも……わたしも……!」


「わ、私は……!」


「おかしいですよっ! そんなの……! そんなの、わたしの知ってる椿芽さんじゃないですよっ……!」


「う……うるさいっ! 私は……私はいいんだっ! これで……これでいいんだっ……!」


「………………!」


 勇が椿芽に歩み寄る。


「く……来るのかっ! ならば……」


 対して椿芽は口元をゆがめ、瞳孔を狭める。


 無刹が――


「……いいえ……!」


「え……?」


 それでも尚、勇は真っ直ぐに歩む。


「戦いになんか……逃がさないっ! そんな楽なことに……逃げ込ませないっ……!」


「え……? わ、私は……」


 椿芽は柄に手を添えたところで硬直してしまっている。


 無刹は既に開かれている。


「わ、私、は……」


 しかし……読めない。


 読みようもない。


「………………」


 勇は、ただ……歩いてくるだけだ。


「私、は……」


 ただ振れば……切れる。


 抜刀などというものでなく、ただ、薙げば。


 それだけで……勇の首は胴より離れて転がる。


 造作のないことだ。


 ことなのだが――


「い、勇……」


「…………!」


 パシッ――!


「…………!」


 勇の手が、椿芽の頬を打った。


「意気地なし……!」


「あ……」


 椿芽が脱力をする。


「そんなの……わたしの知ってる椿芽さんじゃない……! あのとき……夏休みにわたしの背中を押してくれた椿芽さんじゃ……!」


「い、勇……」


「………………」


 椿芽はだらりと太刀を携えた腕を垂らしながら……ただ、勇の顔を間近で見ていた。


「わ、私は……」


 その瞳にかつての光が見えたのは、ともすれば僅かなことだったのだと思う。


 なぜなら……彼女の目は、まだ無刹を開いていたからだ。


「椿芽さん……! お願いだから……昔の椿芽さんに戻って……!」


「………………!」


 椿芽の瞳孔が、更に収縮をする。


(いかん……!)


「まさか……?」


 椿芽の表情に驚愕の色が広がりゆく。


「椿芽……さん……?」


「そうか……そうなのか……。お前は……お前が……!?」


「え……?」


「お前も視ている……? いや……違う。これは……もっと別の……もっと深い場所に居るモノ……?」


「椿芽さん……?」


 椿芽の失せていた殺気が、再び満ちてくる。


「そういう……ことか……。そういう……ことなのか……!」


「え――?」


「ふ……ふふ……。そうか……それならば……私が……この私が及ぶべくもないのも当然なのか……」


「椿芽さん……何を……?」


 勇の同様を無視し、椿芽がいったん間合いを遠ざけようとした。


 必殺の、間合いへと。


「勇ッ! 離れろッ!」


 俺は強引に呪縛を断ち切り、再び二人の間に割り入ろうと走る。


「乱世さん……!? だ、だめっ!」


 勇は反射的に椿芽を庇おうとするが――。


「離れろといっているっ!」


 俺は構わずに突進をする。


「乱世さん……!?」


「そうか……お前が決めていたのか……! お前が……全てを……!」


「え……?」


 椿芽は既に太刀を振っている。


 憎しみに曇りきったまなこで――!


「ちぃっ……!!」


 俺は間に居る勇を抱くようにして――。


「やっぱりお前がッ! お前こそがッ! 元凶なのかッ!」


「…………!」


 俺の背中を椿芽の太刀が裂く。


「乱世さんっ!?」


「くぅっ……!?」


 しかし……浅い……!


 俺が振りぬかれる前に押し入ったこともあるが――


「乱世ええぇぇぇぇッ!!」


 椿芽にも……覚悟が無かった。


 まだ……全てを『視た』わけではない。


「貴様は……まだッ!!」


 あくまで……直感的に感じただけのことでもあれば、割り入った俺への憎悪でそれはけもする。


「椿芽ッ!!」


「お前が……お前が私を……!」


 再度、太刀を引く。


 今度は――明確に覚悟の殺気だ。


 しかし――。


「いわば……言えッ! 憎しみでも……吐くかッ!」


 それだけに、むしろ御しやすいのも事実だ。


「お前が……私を弱くする……ッ!! いつも……いつもだっ!」


「泣き言か、それはッ!」


 来る、と想った刹那には過ぎている速さの刃をかわす。


「乱世ぇッ!!」


「椿芽ッ!!」


 次の刹那……椿芽の刃は俺の脇を掠め……俺の拳は椿芽のわき腹を抉っていた。


「ぐ……ッ!」


(鞘か……!)


 手ごたえが薄い。


 俺の拳は椿芽の鞘を砕き、そのせいで威力を大幅に殺がれていた。


(肋骨の数本は、いった筈だが……!)


 そんなものがダメージになる相手ではない。


 しかし。


「ぐ……ぐぅっ……!」


 椿芽は苦悶の表情を浮かべ……かろうじて距離だけは離した。


(勝ったか……! 体裁だけでも……!)


 もちろん、文字通りの「勝利」としては、かなりおこがましい状況だ。


「乱世さん……!」


「……問題ない」


 俺も……立っているのがようやく、だ。


 しかし……。


 いまは、これ以上……椿芽と勇を対峙させることのほうが危険だ。


 いまは……。


「ら……乱世……っ……!」


 椿芽が顔をしかめながらも、俺を視た……。

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