痴話
それから数刻のあと――。
闘技場には静寂がだけがあった。
「……………………」
「乱世さん……」
既に我道たちはシェリスや龍崎らをはじめ、傷ついた仲間や部下たちの対処のために地下施設へと後退している。
この場で待ち受けるのは……俺と勇の二人のみ。
「……やはり、迷いはある、か」
「……はい。すみません……」
口にはしつつも勇は闘技場の入り口一点から目を逸らさずにしている。
『あいつ』が現れるのは……その一箇所のみ。
それを識っている。
「謝ることなど、ない。そもそも……それを強いているのは俺だ」
本来であれば、あいつとの決着は、俺一人で付けなければいけないものだというのに。
俺の……俺自身の持つ、役割として――。
「乱世さん……!」
勇が……俺を見た。
「……そうだな。俺の今の考えこそは……弱気だ」
「……わたしが……わたし自身が望んだんです。あなたと……乱世さんと、ここにこうして立つことを」
「………………」
勇の言葉には、淀みがない。
(勇は……強くなった……。いやー―)
もとより強かったのだ。羽多野――勇という娘は。
その強さと同じか上回る以上の優しさ……。
それを持っていたが故に、未熟な俺の目などには、弱さに等しく見えていただけのこと……。
そうだ――。
全ては、俺の内面こそが原因だった。
しかし……。
(おそらくは……勇と……彼女と共に歩むということを決めた、あの時から、俺は――)
「……乱世さん……!」
闘技場の入り口から響く、足音。
「ああ」
いまや俺にも迷いはない。
勇と共に……ただ、前を見据える。
「……来た、か」
半ば崩壊した入り口をくぐり、現れたもの――。
「ほう……?」
闘技場に姿を現した椿芽は、そこに立つ俺と勇の姿を見て笑みのようなものを見せた。
俺の知らない……笑みを。
「まさか……二人だけで出迎えとは、な」
「椿芽さん……」
「ふ……」
勇を見据える椿芽の瞳には……明確な意思の光が見える。
「今の今まで姿を晦ませて、いまさら何をしに現れた? 私を嘲りに来たという訳でもあるまい」
「椿芽さん、あなたは……!」
「……待て、勇」
俺は勇を制して、前に踏み出す。
「……まずは愚問をさせてもらう」
「……ほう?」
「何故……お前はそこに居る。何をしている……椿芽……!」
「なるほど、愚問か」
「ああ。しかし……そうと判っていても、せねばならない問いだ」
「わたしの……保護者、監視者としては、か?」
「違う。俺は――!」
「……いいじゃないか、乱世」
「……なに?」
「もう……いい。薄々は知っていたことだ。ともすれば……この学園に来たときから……」
「椿芽……」
「気づかないようにしていただけかもしれない。お前の意思にも……父上の真意にしても、だ」
「……………………」
「ふふ……。そうしていれば、お前だって今のその位置には立っていない……。私はそう信じていたのかもしれないが、な」
「……それも真意ではないだろう」
「どうかな……? どちらにしても……未練なことだ」
椿芽はゆっくりと抜刀する。
「どちらにせよ……私はお前を、そして……」
切っ先を勇と俺の前で揺らす。
「勇……お前を」
その先の言葉を椿芽は飲んだように見える。
「どんなにあがこうが、勇……お前に私は超えられない」
「椿芽さん……! そんなの……そんなのは違うっ!」
「黙れ……」
「椿芽さんは間違ってる……! どういう経緯であっても……それまでのことを! わたしが知らない、乱世さんとの『それまで』を捨てていいことになんてならない! 否定なんかしちゃ……ダメなんですよ、それはっ!」
「黙れッ!」
「椿芽さん……!」
「もはや……語る必要もあるまい。いまは――」
「拳を交わらせる以外……ない、か」
「知れたことよ……!」
勇はそれでも小さく息を飲んだのだろう。
「……………………」
「勇……!」
言葉を弄して椿芽を諌めること、それそのものは……できなくはないのかもしれない。
そも、椿芽は論理的な行動原理で動いているのではない。
全ては感情……シンプルな感情そのもので行動をしている。
俺がどこか羨みを持つがほど、純粋な――。
「全てが丸く収まる方法など……」
「はい……。それは、わたしにだって……」
わからない。
ただ……お互いが『こうなってしまった』ということ……。
それ、そのものだけが目の前の事実。
突き詰めてしまえば、ただの矮小な痴話喧嘩。
付随する全てのものは……おそらくは贅肉。
互いの足場を固めるための……理論武装。
それが……この場の3人の全てだ。
「……いくぞ」
椿芽が柄を支える腕に意気を込める気配。
「……勇」
「はい……!」
俺たちも構え、互いに出方を見る。
「………………ッ」
先に間合いを詰めたのは……椿芽だった。
(刀を納めて居合にしない……! やはり、椿芽も……)
こちらの出方を……手の内に何か有る事に気づいている。
「…………っ!」
俺と勇は、二つに別れ……そのまま大きく弧を描くようにして椿芽を挟むように動いた。
「やはりか……ッ!」
刹那に迷うこともなく、俺の方に向かう。
(勇には誘われない……! 単に意地だけのことではないなッ……!)
単純な戦力とすれば、いかにパワーアップをしたとしても、勇は俺に及ぶべくもない。
先に潰しておくのがセオリーと言えばセオリーだったはずだが、椿芽はそれをしない。
「まずは……お前だ、乱世ッ!」
「ちっ……」
速い――!
しかし、それは無刹による斬撃ではない。
俺の視力と反射だけでもかわすことはできる。
「乱世さんッ!」
勇は反射的に俺の援護に駆け寄ろうとする。
迂闊な行動ではない。
もとより今の椿芽は一人で倒せる相手ではない。
多少の危険があったとしても、常に二人で仕掛ける、受けるは決め打ちにあったことだ。
しかし……。
「いいッ! いまは……来るなッ!」
二の太刀を文字通りの紙一重でかわし、叫ぶ。
「…………!」
勇の表情には、僅かに動揺はあった。あったが……。
「はい!」
拘泥はせずに、俺の言葉に従う。
それもまた当初より決め置いていた、俺と勇のルールでもある。
一定の距離を間合いとし、椿芽の『本気』の攻撃に備える。
「二人がかりで仕留めるつもりでは……ないのかっ!」
斬撃が髪をかすめ、すぎる。しかしこれも本気ではない。
「安い挑発はやめてもらいたいな。格が落ちるぞ」
「ふん……!」
さらに重ねられる斬撃を、捌き、しのぐ。
「俺に話があるのだろうが……!」
「のぼせ上がるな……っ!」
腕に装備された篭手で、刀身を流し、弾く。
動きを殺さないことが前提の、こんなささやかな防具では、とても椿芽の斬撃を真っ向に弾くことなどは望むべくも無い。
いや……流すことができるのも、椿芽がまだ本気ではないからだ。
闘いが真に入れば、もはや受け流すなどという思考そのものが、俺を殺すだろう。
「ふん……!」
「……………………」
6度目の太刀で、椿芽は一度……距離を開けた。
「…………!」
牽制をされる形となった勇に緊張が走るが……。
「ふん、乗ってはこないか。つまらぬ……」
「………………」
「勇も俺と同じだ。安い挑発に乗るような不遜な態度でここに及んではいない」
「そう……仕込んだ、か?」
「……そうだ」
「ふん……。女の操縦に慣れたつもりか、それで……」
「言いたくば、言え」
「それで鳳凰院の奥義をも、与えてみせた……。小賢しいよ、本当にな」
「……やはり……気づくか」
あれは……先刻、この場で見せたが初のこと。
茂姫の準備で、この闘技場内の監視装置はカットされている。
いくらかは、あの頼成の部隊が残っていた可能性もあるが……。
あの連中に、先刻のシェリスや志摩との闘いを伝達できる程の判断能力があるとは思えない。
椿芽は対峙した時点で――。
地面に残る足捌きの跡や、壁などに残るダメージの痕跡。
そして、会場の空気そのものなどから――。
俺や勇の挙動だけではなく、闘技場に残る闘いの残滓全てから……それを察してみせたのだ。
「よくもそんなことができると……感心しているさ」
「するさ。お前を……止める為ならばな」
「よくも言う……!」
「椿芽さん……! わたしも……もう、引きません」
「…………ほう」
「あなたの……乱世さんの気持ちだって……わたしは判ってる……。だから……これまでのわたしが卑怯だったっていうのなら……それはその通りに受けます」
「……………………」
「でも……だからこそ、引かない。引けない……! わたしは……」
「………………」
「わたしは……わたしも、本気……だから……!」
「……だろうな。それはわかるさ、勇……」
一瞬だけ……椿芽がかつての表情を滲ませたのだろうか。
「つ、椿芽さん……」
「判っていない……判らないままのお前なら、私は先の局面で、まずお前を斬ったさ」
「………………」
椿芽:「それでいい。それでなくては……ここに居る甲斐もない」
「椿芽さん……!」
「……そこまでだ、勇」
「乱世さん……! でも……!」
勇の心はいまや俺にも痛いほどにわかる。
それぞれがそれぞれに自分の非も、至らぬ部分も識っている。
普通の……凡そな世の範疇にすれば、闘いの必要も、必然性すらも無いことなのかもしれない。
話し、触れ……歩み寄れば済むこと――。
その程度の、幼稚なぶつかりあいでしか無いのだろう。
しかし――。
「……それは……その想いは、確かに椿芽の根源だ。しかし……いまやそれは根源のことでしかない」
「ふ……」
「それが判っていても……避けられない。そうなのだろう、椿芽……」
「……そうだな」
椿芽は……刀を鞘に収めた。
闘いを終えるための納刀ではない。
無刹の読み合いの領域に於いて――。
太刀筋を見せぬ、識らせぬ、悟らせぬ――。
その、居合いの髄が本末として効かぬ領域においてをや――。
尚の上、『速さ』を得るために。
「私にすら……別の未来は見えぬのだ」
「見た、というか……未来を」
「見たさ。だからこそ……こんな恥ずべきことも、できる」
その言葉がどこまでの真実かは判らぬ。
判らぬが……椿芽が危険な領域に居るのは、確かなことだ。
そしてそれは――俺が招いたものだ。
(乱世さん……)
勇が声に乗せず、俺に語りかける。
(判っている。お前のその……心の痛みも、本当のものだ。それは失くしてはいけない。いけないが……)
(はい……判っては……います)
(今の椿芽は……それを識ったうえ……自分でも判った上で……それを利用もするぞ)
(……はい)
先の椿芽の……勇に見せた表情は、本心のものであったろう。
しかし、だからと言って、殺気はいささかも落とさない。
もちろん、いまや勇にも、そういった機微や駆け引きに関することは判り得ている。
しかし、だからこそに……こうも苦しむ。
この状況下で、唯一まともな感性を残しているのは勇だけなのかもしれない。
(器用ではない……無様、なのだ。俺や……椿芽のようなものは……)
(わかる……つもりです)
「……相談は終わったか?」
「ああ、待たせたな」
俺は……構える。
そして――。
「ふっ……」
ファースト――セカンド――サード――。
負荷なく制御のできる、最高の段階まで……アクセラのギアを上げる。
「………………!」
勇もまた……椿芽に応じて、無刹を行えるよう、身構えた。
「ならば……いくぞ」
椿芽もそれを察し――。
「鳳凰院の奥義……そんな小細工で到れる領域ではないと知れ……!」
無刹を――啓いた――。