言の葉の力
「乱世、勇ーっ!」
「興猫ちゃん!」
「俺たちが不在の間、頑張ってくれたみたいだな、興猫」
「そりゃもう! なんせ、天道組にはあたしと茂姫しかいないんだから。大変だったよぉ」
「ああ。おかげで……いろいろと助かった」
俺は、駆け寄ってきた興猫の頭を撫でてやる。
「ふぅん……?」
興猫は、目を細めつつも、俺と勇を交互に見るようにして……。
「ど、どうしたの?」
「ふふ~ん♪ どうやら……もう、完全に乱世おにーちゃんを勇に取られちゃったみたいだねぇ?」
「え……!? ちょ、ちょっと……興猫ちゃんってば!」
「ま、そんなの……二人が修行に出る前に、判りきってはいたけどにゃー♪」
「も、もうっ……!」
興猫の言わんとすることはいまいち判らんが……。
「いや……実際のところ、贅沢を言えばもう少し時間がほしかったところだな」
「ふむふむ~? そうよねぇ。時間はいくらあってもイイもんニャー♪」
「だ、だから……なんでわたしの方を見てニヤニヤするのよぅっ!」
「俺のアクセラの新たな領域への完成ももちろんあるが……勇にも、もう少し教えておきたいところもいろいろとあった」
「イロイロ、ねぇー♪」
「だーかーら! っていうか興猫ちゃん、話がかみ合ってないことも知ってて言ってるでしょっ!」
「……?」
「にゃはは♪ 乱世のほうも相変わらずで安心安心♪」
「もぉ……!」
次いで、我道らも俺たちの方に歩み寄って来る。
「天道」
「我道、すまなかった。遅れてしまって……」
俺は……抱き上げていたシェリスの体を、我道に引き渡す。
「いや……。まぁ、結果オーライだ。ジャド……幽玄じいさんところまで連れて行ってやってくれ」
我道は彼女と、先に倒れていた龍崎志摩をのことをジャドに預ける。
「は……」
ジャドは、二人を抱えているとは思えない身軽さですぐさま闘技場の裏に消えた。
二人も決して軽いダメージではないが……ざっと見たところでは、命の心配にまでは及ばないだろう。
闘技場の地下には、聖徒会や、オーナーである頼成すらも把握できていない施設があるのだと、興猫には聞いている。
おそらくはそういった場所を利用し……治療を担当する幽玄や、晴海先生なども身を隠しているのだろう。
「……灯台下暗しとは良く言ったものだな」
「いやぁ……頼成の野郎も、ある程度は気づいていたんだろうさ」
「でも……それじゃ、なんで今まで……?」
「俺たちも、ただ隠れてたワケじゃねぇ。多少は情報戦のようなものもするさ」
「情報戦……ですか」
「ああ。ウチや真島ンとこが結託したこと……そして、手勢を固めてること。そういうのは意図的にわかりやすくやったからな」
「なるほど……そうなると、頼成もいくら聖徒会を制圧したとはいえ、被害を恐れて容易に手を出せないということか」
聖徒会や、学園中枢を制圧したからといって、そのままその設備や人員を使えるということでもない。
人員のほうは、例の洗脳だかコントロールだかがあるかもしれんが、そうそう大規模にできるものでもなし……。
設備機材に関しては、あの聖徒会の牙鳴姉妹のことでもあれば、万一に何かしらの準備を整えていてもおかしくない。
学園全体に張り巡らされているはずの監視装置が、頼成たちクーデター勢力が思うように使いこなせていないことを見てもそれは明らかだ。
「ああ、それから……まぁ、不確定要素だな。お前や嬢ちゃんが姿を見せ続けなかったのも、うまいこと作用した」
「乱世なんかは、まさに不確定要素だもんね。いろんな意味で」
「ふむ?」
「じゃ、それが今になって攻勢を仕掛けてきたということは……」
「焦れたか……それとも、向こうも向こうで準備、ってなモノが揃いつつあるのか……」
「できるなら前者と思いたいがな」
「ああ……シェリスや龍崎は、あくまで第一波なんだろうな」
「……………………」
我道の目は言外に言っている。
『あいつ』がこれから仕掛けてくる可能性も……高いと。
「真島の合流が間に合えばいいがな」
「いや……。その場合、そこは俺と勇に任せてもらいたい」
「乱世……勇……。いまのを見れば、あんたたちを信用しないわけじゃないけど……」
「いや、信用しろ。さっきは時間が足りないようなことも言ったが……あくまでそれは万全、という意味においてだ」
「うん……! 大丈夫、興猫ちゃん。わたしたち……負けないから」
「勇……」
「たいした自信だな。っと、そうだな……できりゃ、今のうちに、ちっとは説明してくれねぇか? 今の天道と嬢ちゃん。二人のアレは……?」
「ああ、勇には……鳳凰院流の奥義、『無刹』を教えた」
「なんだって……? し、しかしありゃ……!」
「もちろんだ」
我道が怪訝そうな顔をするのも無理はない。
そもそも無刹は鳳凰院の血と、その修行によって引き出された才能などが必須となる奥義だ。
門外の人間が、覚えようとしても不可能。それは、ついこの間、我道をはじめとするみんなにも話したことだ。
そして仮に習得ができたとしても、それは脳に多大な負荷を引き起こす可能性もある危険な技でもあると……。
「しかし状況予測行動という無刹の根本的な理屈の部分でならば、常人でもある程度は習得できないこともない」
「そうなのか?」
「ああ。もちろん、奥義の習得者のように正確でもなければ、3手も5手も読むことはできないが……」
実際、相応の武術の達人であれば、道の違いはあれども、似たようなことは、むしろ自然体で行っているものだ。
それらも通常は『勘』や『見切り』の類と呼ばれるものだが……。
「しかしよ、天道……。さっきのアレは……」
「ああ。シェリスと俺の戦いのとき……勇は、明確に彼女の動きを予測していた」
その結果に、少なくとも不確かさはない。
いまは俺も勇も本気ではなかったし、シェリスにはすまないが、その必要すらもないと判断していた。
だから数手先まで読むことはしていなかったのだが……。
「必要な状況なら4手か5手の先……数十秒くらいは誤差なく予測できます」
「数十秒先ってか……」
「椿芽の領域には匹敵できる数字だ」
ただし『俺が知っている椿芽』、という前置はあるのだが……。
「……どういうカラクリだ? その奥義ってぇのは、鳳凰院にしかできねぇものなんだろ? 本来は」
「簡単だ。脳の情報処理を……俺と勇、二人で分担している」
「二人で……?」
「はい。さっきの状況の時は、わたしが乱世さんに最初の予測を伝えて……」
「その予測を受け取った俺が、そこから絞り込んでさらに予測をかける」
「これならそれぞれの負担も少ないですし、予測の精度も上がります」
「なるほど。理屈じゃ、判るがな……」
「で、でもよ……。あのとき、お前さん……嬢ちゃんは、そこまで細かいことを天道に伝えてたとは思えねぇぜ? せいぜい右とか左とか……」
「あとは……座標と時間かな? あの数字は」
「うん。興猫ちゃん、正解」
「それだけで……予測が伝わるものなの?」
「ああ、声の伝達はあくまで補助のようなものだ。本来は必要なものじゃない」
今回は勇も実践では初めて用いるものでもあったし、念のためにさせたが……。
実際には、その言葉から逆に相手に読み返されてしまう危険性もある。
「え? そ、それって……本当なら、言葉もいらないって……?」
「なんだそりゃ……。アレか? チョーノーリョク……みたいなもんかよ」
「そうだな。ある意味……そうも言えるかもしれない」
「うを、マジで……?」
「あくまで、結果から見れば……ということだが」
「ふふ……。それがわたしの力……。乱世さんが教えてくれた、わたしだけの力、なんです……!」
「乱世が……見つけた?」
「……どういう意味だ? お前のことだ、そんなオカルトで煙に巻こうって事は無ぇんだろ?」
我道の言葉に頷く。
「……勇の能力には、予ねてから俺の中に疑問があった」
「疑問……?」
「ああ。当初……俺と初めて会った時には、勇の持ち味は、その……外見からは察せられない程のパワーだった」
「え、えへへ……」
「ああ、そりゃあ……俺なんかもちったぁ注目してたぜ。もちろん、パワーっていったって俺やパンクラスの軍馬、髑髏の爆山ほどのモンじゃねぇ。だが……その細身でアレだけの力を出されちまうんじゃ、俺たちガチのパワースタイルにゃ、立場がねぇってモンだ」
ブラッドが未だにどこか釈然としないといった様子で言う。
「いつだったか聞いた話にすりゃ、そもそも天道組にも、天道のヤツにぶちかまして……って事なんだろ?」
「そうだ」
確かにあの時俺は、油断をしていた。
しかし……だからと言って、アレが避けられない、もしくは踏ん張れない類のものであったかどうかは……今にしても疑問があった。
「それに……天道組に入ってからも、振り返って鑑みれば腑に落ちない部分もあった」
天道組の仲間内でのトレーニングにおいて、勇はあのときのような力を発揮することはほとんど無かった。
それは、俺たちに対しての無意識の遠慮など、本来の気弱さや、心根の優しさなどももちろんあったのかもしれない。
「そのせいで……しばらくわたし、おミソ扱いでしたもんね……」
「う~ん……。今だから言うけど、確かに勇は頼りなかったもんねぇ」
「あはは……」
「もっとも……試合では守備に徹していたとはいえ、それなりの結果も見せていた」
平行で俺や椿芽に訓練を受けていたとはいえ、それまでまったくの素人だった者が、いかに末端であろうとも、この学園のPG生徒と同等に渡り合うことは本来難しいことだろう。
「そして勇に倒された相手は……これも今、振り返ればのことだが、異常なまでにダメージが少ない」
KOはされているが、派手な傷や骨折などのダメージが残ることが一度もない。
これも当時は、先と同じように勇自身の心根の優しさのものだと思っていたが……。
「確かに……フツーは手加減のほうが難しいモンだよなァ」
「ああ」
手加減が過ぎれば相手を倒すことなどはできない。
いや……むしろ、勇が本来の認識通りの、俺やブラッドらが一目を置くようなパワーを持っているのであれば、加減が利かない、つまり相手を『壊しすぎてしまう』危険性のほうが高いだろう。
「そして……勇が見につけた、あの技……『くるくる』」
「そ、そうだな。今しがた龍崎にしてたのは、更にパワーアップしてたようにも見えたが……」
勇のあの『投げ』は、投げにして投げの技ではない。
修行のさなか俺も幾度となく受けたが、そんな範疇のものではなかった。
投げられたという自覚はおろか、その過程すらも認識できない。
気づいたときには、もう投げられた、という結果だけが目の前にあるのだ。
「手品か……それこそ、超能力とかって言われたほうが判りやすいぜ」
「『超』かどうかは判らないが……少なくとも、それこそが勇の能力のひとつの表れだった」
「勇の……能力?」
「うん! わたしの……わたしだけの力……!」
「羽多野の言葉には……いや、『聲』には、力がある」
「力……?」
「言霊などと謂われる類の……特異な力が、だ」
「コトダマ……?」
言葉そのものが、現実の事象に影響を与える……。
所謂、呪術の類の基礎となっている概念のこと。
「それを……そのままの意味の力を、勇は聲に宿している」
もちろん、勇は呪術などの心得などがあるものでもない。
正しい意味においての『言霊』とはまた違う、異質なものではあるのかもしれないが……。
「勇の言葉は……それを投げかけられた相手に、明確な影響を及ぼす」
「影響を……?」
「そうだ。『投げる』という意思のもとに発せられた声は、相手に『投げられた』という結果を与える。相手は自分でも意識しきれないまま、その『結果』のために自ら動いて……協力をするように動いてしまう」
同じく――。
『相手を倒すダメージを与える』『しかし大怪我は負わせない』という意思のもとに発した言葉を投げかけられたものは、実際に受けたダメージよりも大きいダメージを追ったものと錯覚して、自ら倒れる。
「小難しいリクツは判らねぇが……とどのつまり、催眠術みてぇなモンか?」
「ああ、その認識はなかなかに近いな」
しかし、勇はもちろん催眠術などの技術もないし……。
そも、力を使うときに、そういった術に必須な言葉を用いる必要もない。
あくまで『聲』そのものに力が宿っている。
勇の『聲』を受けたものは、発せられたそれが、本来の言葉としては何らの意味も持たない……。
気合の掛け声のようなものであっても、それを彼女の意図……いわば、『命令』と同じような形で認識させられてしまう。
オカルトでない方向で理屈をつけようとするのなら、彼女の聲のひとつひとつが、『圧縮された彼女自身の意思の塊』であるなどと言うこともできるが――。
「どっちみち、そりゃあオカルトだなぁ……」
「まぁな。俺も適当に理屈をつけただけのことだ」
「すごいね、勇……。そんな力があったら、なんかもう無敵じゃない?」
「だな。とどのつまり……相手に『ブッ倒れろ』とか言うだけで倒れてくれるってぇこったろう?」
「う、う~ん……。実のところ……そうでもないかも……」
勇は困ったように苦笑する。
「この能力は、勇の意思の力に大きく左右される」
「意思に? なんで?」
「そもそも『聲』は勇自身が技術や論理的な法則で使っているものではないからな。具体的に『こうしたい』『こうしてほしい』ということを言葉にこめているわけではない」
むしろそんなことを意識しようとすれば、聲の純粋さは失われることも特訓の中で確認している。
そもそも自分で理解して用いていた能力ではないのだから……。
頭で考えてそれを使おうとしても、逆に混乱していくほうが大きいということだ。
「普段、無意識にしている……呼吸や瞬きなどを、意識してやろうとすると、どうにも不自然になる」
「ああ、そりゃ……俺にも判りやすいか」
「もっと極端な例で言えば心臓などの不随意に動く臓器などは、どう頑張っても自分で止めたり動かしたりはできないものだろう」
「だから……わたし自身の意志……。こうしたい、こうできる……そう自然に思えることくらいしか、やりようがないんですよ」
聲は勇自身のリアリティを超えたことは強制できない。
もっともそれも自己の精神鍛錬である程度は向上もできる。
先の龍崎志摩の戦いも、それが顕著だ。
『自分はこの相手を倒せる』――。
その……一種、自己暗示にも似たものが成功すれば、聲は効果を発揮することができる。
勇の中の『相手を倒せる』という意思。それが……相手の『目の前の敵には倒されない』という意思を上回れば……。
その条件さえ満ちていれば、確かに勇は無敵と言って差し支えない。
そして今の勇は意思の力においては、龍崎志摩を凌駕するほどのものを見につけている。
もちろん、更に修練を積めば、ともすると、意識的に『聲』を使えるほどの領域に達することもできるかもしれない。
しかし……この期間でそこまでのことを望むのは、無理というものだろう。
それが先刻の『万全とまでは言えない』という意味だ。
「相手を倒す……攻撃としてはまだ不安が残るところがないわけでもないが、少なくとも、俺に『予測』を伝達することくらいならば、容易にできる」
「なるほど。それで……さっきのシェリスとの闘いで見せたアレに戻ってくるわけか」
勇の処理した『予測』を、聲に乗せて俺に伝達する。
それを俺が再度、『予測』にかける……。
互いに『無刹』を習得し、かつ勇には『聲』を有る程度確実に使いこなせる鍛錬も強いた。
それは、その要素のどれかが欠けていても成立しないものだ。
数ヶ月の成果としては……上等とはいえるだろう。
(椿芽相手としては……まだ不安は残るが……)
「……天道」
「ん?」
「ついでに言や……嬢ちゃんの力は、声が聞こえない……相手に耳をふさがれても、効果ねぇってことだな?」
「……そうだな」
我道の言葉には、言外に意図する響きがあったが……それはどうやら俺しか気づかなかったようだ。
「う~ん。そうなると……お手上げですねぇ」
「そらまぁ、そうか。しかし大将……ずいぶんとまぁ、基本的なツッコミだな?」
「ってゆーか、そんなの、言うまでもないから、乱世も言わなかったんじゃないのー?」
「…………まぁ、そうだな」
「……………………」
我道は、それきり別に何も言わないが――。
これだけの説明と、先程の実演から、勇の能力についての根本的な疑問にたどり着いていたか……。
(……さすがだな、我道)
俺が我道の慧眼に舌を巻いていたところ……。
「我道! それに……天道も居るのかか?」
闘技場に真島たちパンクラスの一団が入ってくる。
「おう。無事か? どうだ……外は」
「いや……連中は途中から、急に退いた」
「退いたァ?」
「おかげでそれほどの被害もなく来れたけど……逆に不気味なくらいだねぇ」
鳥喰も負傷した軍馬に肩を貸しながらも健在のようだ。
「……………………」
「乱世さん……! もしかして……」
勇が緊張の面持ちで……俺を見る。
「……ああ。間に合ったというべきか……いきなり、というべきなのか……」
「それって、もしかして……」
「……………………」
我道も俺を見た。
「ああ。椿芽が……来る」