男子のメンツ、女子のプライド
頼成のクーデターに拠る天文学園の暫定統一から数週間――。
学園は表面上の平静を取り戻しては居た。
一般生徒の平常授業は再開され、頼成組の統治下のもと、ポイントバトルランキングも同じく再開されていた。
しかし――。
※ ※ ※
「くそッ……!」
かつて牙鳴遥が座していた椅子に背を預けながら、頼成が苛立ったように机を叩く。
クリスタルのグラスが転げ、中に湛えていた琥珀色の液体が机一面に零れ、むっとした酒のにおいを部屋にばらまいた。
「……荒れているな」
「当たりめぇだッ!」
頼成は腹立ち紛れにそのグラスを投げつけてくるが。
「………………」
軌跡を読むまでもなく、僅かに首のみを傾けてそれを避ける。
「我道や真島……それぞれの代表は未だに地下に潜ったまま、捕らえられもしねぇ。あの副会長……牙鳴遥もだ! それに……それに……ッ!」
「……乱世か」
その名を自ら口にしたのは、何日ぶりのことであったろうか。
ひどく懐かしく感じている自分が、堪え様もなく可笑しかった。
その薄く笑んだ口から漏れた声音を、矢張り勘違いをしたのだろう。頼成は更に激昂する。
「そうだッ! あの……天道乱世だッ!」
椅子から撥ねるように立ち上がり、つかつかと歩み寄る。
「……何を笑いやがる」
「……………………」
正面に立ち、その手先で私の眦を上げさせる。
不快ではある。
あるが……今の私は、この男の道具だ。
この程度の無礼さは飲み込んでもみせる。
「……笑うな」
「哂ってはおらんよ。ただ……無様では、ある」
「………………!」
刹那、頼成の掌が頬を打った。
「…………」
打たれてはみたが……。
私はそれが驚くほど痛まぬことに気づいていた。
「てめぇは……俺に勝利を齎す女神なんだろうが」
「……………………」
「あの……停滞破壊者だって謂うんだろうがッ!」
それは――。
単に勝手にそう謂っているだけのことだ――。
しかし、それは言わない。
それが……そのことがこの男が自分に感じている価値だとすれば、道具にもそれを思わせる努力くらいは必要なのだろう。
「ああ、そうだ」
「だったら……!」
「だから……貴様に男を見せてみろ、というのだよ、私は」
「俺に……?」
「ああ、そうだ。お前にだ……頼成直人」
「ふん……」
鼻先で笑うようにしつつも……。
「ン、む……」
頼成は、私の唇を求めた。
癖、なのだ。
女に甘えるときの、この男の……。
だから、まるで濡れた生き物のような舌先がねじ込まれる不愉快も、それはそれで受けてもやらねばならない。
「ふん……」
同じように鼻を鳴らし、とりあえずの満足をしてみせた頼成は私から離れる。
「……いいだろうさ。やってみせる」
「……そうか」
「俺はな、こんな……」
つかつかと先刻まで座していた椅子に歩み寄り――。
ガシャン――!
片手でそれを、窓の外に放り投げた。
「……こんな椅子に大人しく座ってる人生なんざ、望んじゃいねぇんだ」
「………………」
「だが……だがな、椿芽。てめぇにも仕事は果たしてもらう」
「……心得ている」
私は背を向け、部屋を退出する。
廊下に出る際、頼成が何か言おうとしている気配は伝わったが……私はそれに気づかない振りをした。
「……男の機嫌を取り成すのも、骨が折れる」
廊下を行きながら、本能的な嫌悪に唇を拭う。
「キスなどという洒落たものは……私などではなく、誰か別の女にしてほしいものだ」
征服欲と性欲を履き違えているのだ、あれは……。
表現として近しい部分にないではないが、似て非なるものであると判る為には、熟し方がまだまだ足りていない。
「それとも……男子の面子か革命闘士のロマンチシズムか? はンッ……!」
吐き捨てるように嘲笑してみるが、特に心は晴れない。
どちらにしても――。
(あれが私に飽きるのも、早晩のことか……)
己の身を道具として扱われてはみたものの……。
「なれぬ、よ……。やはりな。私には……なれぬ」
おまえのようには……やはり、な……。
「……それこそが、ロマンチシズム、か……? 似合わぬことを……」
自嘲の笑みは、いはや私の癖だ。
「……………………」
ふと――。
窓の外に目を凝らす。
寒梅がほころびを始めている。
まだ暦に言う、冬至にも遠いというのに、だ。
「……ともすれば……もう、桜か。この国は、年を重ねるごとに暑くなる……」
そういえば――。
乱世は、蝉と桜が好きだ、と謂った――。
否――。
印象がふかい、というような言い方だったか……。
どちらにせよ、失われた記憶にしては、些かに欲張りなことだ。
さすがのこの国でも、蝉は桜の樹にはとまらぬ。
南にもなれば、北のほうでは桜がほころぶ時期に生まれ鳴く蝉もあるというが……。
その二つが、時と場所、ふたつに重なり合うことは……ない。
「……すれ違い、か。感傷めいているのか? 私が……?」
頼成が求めているのは――。
おそらく……彼女、だ。
勝利の女神だか、停滞破壊者だか……。
どちらの名前も、私のことなどではあるまい。
(私は……確かに何れ、未来を視ることはできよう……。しかし――)
私の足は……自然と、あの場所に向いていた。