こ、こ、ろ
「俺には……欠けているものが、あった」
俺の隣、ベッドに腰掛けながら、羽多野は話を聞いてくれていた。
「欠けている……もの……?」
「感情や、人らしさ……そういった類のものだ。そういうものを全部……俺は、記憶と共に失くしてしまった」
「そんなこと……!」
「……聞いてくれ。同時に俺は……それはそれで構わないと思っても、いた。そんなものは……知識や反射でどうにでもなる。不都合などは……ないと」
「……………………」
「今では……多少は、その誤りに気付くことも、ある。それでは得られないもの、逃してしまうことも多いのだと……」
「乱世さん……」
「結果論、だな。実際俺は……色々なものを既に逃してしまっている」
「椿芽さんの……こと……?」
「いや……それは大きい……あまりに大きいことだが……全部じゃない。いや……結果、というべきか……」
「結果……?」
「そうだ。結果……だ。俺はその前において、既に色々なものを放棄して……手放していた」
「………………」
「椿芽も……そういう意味では、欠けていた。欠けていることを気付かないようにして……ずっと凛とした自分を保ち続けてきた」
「わかります……たぶん……」
「俺は……それを、自分が埋められると思っていた。思えば親父殿は、俺にそれを求めたんだろう。だから俺は、そうできるようにしてきた。してきた……つもりだった」
「乱世さん……」
「椿芽は……恐らく、俺に男を求めてきてくれていたんだろうと……思う」
「…………はい」
「わかるよな……やはり」
「わたしも……女、ですから……」
「俺は……それでいい。それでいいんだと思った。椿芽の望むものは……全て与えてやれれば……。そうすれば、仮にどういう選択をしようとも俺は俺で居られる。椿芽も椿芽で居られるのだと……」
「でも……乱世さんは、しなかった……」
「したさ。した……よ。そこまで……俺を……」
美化はしてくれるな、俺はそういおうとしたはずだ。
しかし。
「判って……ます……よ」
「羽多野……?」
「わかってるもん……わたし……。だけど……!」
羽多野は……俺の瞳を真っ直ぐに見詰める。
あの……一点に曇りのない、瞳で……。
「だけど……! それを全部知ってても……乱世さんは、乱世さんだった……。乱世さんで……いてくれた……!」
「羽多野……」
「わたし……わからないけど……! 流派とか……伝承とか……なんか……そう……そういうの……。だけど……! わたし……女、だもん……! 女の子……だもん……。だから……だから、その……」
「羽多野……」
俺は……腕を伸ばし、羽多野に触れた。
羽多野は小さく体を震わせ、強張らせたものの……それに為すがままにしてくれても、いた。
「奇麗事……じゃないから……。そういうの……知ってる……。わたしだって……わかる、から……。だから……」
「いいさ、羽多野……」
「乱世……さん……」
「そう、なんだ。お前が……たぶん、俺に教えてくれた……」
「わたし……が……?」
「ああ。今の俺なら……それも判る。いや……まだわかってやる努力ができる程度かもしれないが……」
「乱世さん……」
「上手く言えないが……」
「いいの……。だって……わたしも、同じ……だから……」
「俺は……俺はな、羽多野」
「うん……」
「お前に……心を貰った」
「うん……!」
羽多野は……俺に体を預け……俺を真っ直ぐにみたまま……頷く。
「あげた……よ? わたし……乱世さんに……!」
「羽多野……」
「具体的にどうって……わたしも上手くいえないけど……でも……! わたしにできたとしたら……それくらい……ううん、乱世さんがそういってくれるなら……!」
羽多野は何度も何度も、言葉を詰まらせる。
「わたしは……それができたんだもの……! そういうことが……できた子だったんだもの……!」
それでも……言葉を、想いを伝えようとしてくれる。
「羽多野……」
「乱世さん……!」
暖かな――。
ひどく暖かなものが――。
それきり、俺の言葉を塞いだ。
なんだ――。
こんなに――。
こんなにも――。
かんたんな、こと、だったのか――。
※ ※ ※
それから――。
「ふふ……」
羽多野は……俺にもたれるようにして、少しだけ笑った。
そうしてそれだけ、余韻に浸っていたのだろうか。
「椿芽さん……わたしに乱世さんを奪われたって……言ってました……」
羽多野は……ぽつりとそんな言葉を漏らした。
「……そうか」
「乱世さん……」
「俺は……あいつに……余りに依存し、依存も……させてしまった。それが……当然だと思っていた。だから……そう思われるのは仕方の無いことだ。だが、俺は――」
「乱世さん……」
「俺は……それでも羽多野、お前を――」
「待って……乱世さん」
「羽多野……?」
「ふふ……。なんだかちょっと不思議な気持ち……。すごく……すごく聞きたかった……乱世さんい言ってもらいたいって……夢にすら見ることもあったのに……」
くすくすと、忍び笑うようにして頬を染める。
「それを、いまは……自分で止めちゃうなんて……ね」
「羽多野……?」
「でも……いまは、だめ……。だめ、なんですよ……乱世さん……」
「だめ……?」
「椿芽さんはね……卑怯だと思う」
「椿芽が……?」
「一方的に乱世さんを奪われたって……。そんな風に言うのは……卑怯。ずるい……ずるいこと……」
「羽多野……」
「だって……わたし、まだ……椿芽さんと同じ場所で闘ってないもの……! 椿芽さんが一方的に結論を出すこと……出してしまえることじゃないんだもの……! 刀なんて振り回して、有耶無耶にしていいことじゃないって思うもの!」
言って、眦を落とす。
「もちろん……わたしも……卑怯……。それ以上に……卑怯……。乱世さんに対して……わたし、まだ……椿芽さんと同じ場所にすら来てなかった……私自身……逃げてた……」
「羽多野……。それは……」
俺、だ。
俺が……きっと逃げていた。
羽多野はずっと……ずっと、俺を……。
「わたしだって……奇麗事、じゃないんですよ? 乱世さんを……好きだってことは……気持ちは、ほんとう……。それは……わたしの心だもの。誰にも譲れない、ほんとうの……わたしだけの気持ち……」
羽多野は俺の頬に触れる。
「だけど……だけどね、乱世さん……。それでもわたしは……やっぱり闘ってなかった」
「闘っていなかった……か?」
「自分が好きっていうだけで……どこかで、乱世さんが振り向いてくれなくても……椿芽さんにヤキモチを焼いてる自分だけでもいいって……。そういう……そういうの、あった……。諦め……? 違うかな……。自己満足……? ううん……難しいけど……」
頬に触れた手が、小さく震える。
「わたし……椿芽さんになら……負けてもいいんだって……そういうものなんだって……きっと、どこかで思ってた」
「いまは……違うのか?」
「うん……! わたし……絶対……負けたくない……! 椿芽さんにも……。ううん、椿芽さん、だから……負けたくない。だって……だって! わたし……椿芽さんのことだって、好きなんだもの……!」
もう、触れる手に震えはない。
「椿芽さんのことも……大切だって思うから……わたしは、負けられないの……。だって……椿芽さんなんだもの……! 椿芽さんに、だから……。だから……だから、わたし……わたし……っ」
「羽多野……」
俺は……堪えきれずに涙を零す羽多野を……抱き寄せる。
「椿芽さん……あんな風に……! わたしに……あんなふうに……! あんなふうに言って……!」
「………………」
「ちがう……ちがうよ……。あんなの……椿芽さんじゃない……! わたしの知ってる……大好きな椿芽さんじゃない……!」
「……ああ」
「きっと……きっと、頼成に……あの人になにかされたんだ……! だから、あんなことを……!」
「羽多野……いい。もう……いい」
「助けなくちゃ……! 椿芽さんを……! そして……今度こそ、椿芽さんと闘わなくちゃ……! 椿芽さんだって……そうして……そうしてくれなくちゃ……! 同じ場所で、きちんと闘ってくれなくちゃ……ダメだものっ! 女……女の子なんだから……! 同じ……女の子なんだからっ!」
「……………………」
「わたし……もっと強くなる……! 椿芽さんに負けないくらい……もっと、もっと……!」
「……ああ、そうだな……」
「乱世さん……」
「椿芽を取り戻す……それは、俺とお前……二人でやるんだ」
今度は俺が彼女の頬に、触れた。
「乱世……さぁん……」
「二人でなくちゃ……ダメなんだ。たぶん……いや、きっと……きっとな……」
「はい……!」
仮に……。
仮に椿芽の離反が、あいつの中にある、本心……。
心の中にあった、そういうものが利用されているとしても……。
いや、だからこそ……か。
だからこそ……俺は、彼女と……。
羽多野勇と共に椿芽に対峙しなくてはいけない。
そうすることこそが、少なくとも、今の俺が……俺自身が選んだ選択には違いないのだから。