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深淵を覗くモノ

 聖徒会執務室の資料――普段は閲覧する事もない紙媒体資料を紐解いていくと――。


「………………!」


 項を手繰る指先が止まる。


 その古めかしい資料のページには、一人の少女の名前……そして、見覚えのある顔写真。


「やはり……か……」


 あの時に聞いた名前とは、違う。


 それに……このデータは……。


(やはり……彼女が……?)


 その少女の情報は、全ての生徒が登録されている……データベースにも存在しなかった。


 否――。


 全く違う名前と情報……異なった情報で登録されている。


 改竄の形跡もない。


 いや……仮にあったとしても、それならばそれで……何故、自分は彼女に見覚えがあった……?


 名前を聞けば厭でも忘れ得ない……この忌まわしい存在。


 それを……何故、今の今まで……自分は気づけなかった?


 否――。


 それだけじゃあない。


 違和感の根本は、もっと異なったところ――。


(なぜ私は……忘れていた? 忘れていたことにすら……気付けないでいた……? ありえるか……? そんなことが……ありえるのか……!?)


 困惑と混乱は、脳を緩やかに、焼くかのよう。


 忘れてはいけないこと、だ。


 そも……この学園の成立の一端が……この忌まわしい少女にもあるのではないのか?


 ヒトがヒトでなくならないため――。


 ヒトとしての範疇を超えて……進化などと到底呼びようもないようなカタチに変貌した彼女を封じるため……。


 二度とあの悲劇を繰り返さないため……。


 それがこの学園のなりたち、ではなかったか……!?


 忘れるはずもない。


 忘れえるはずもない。


(狂ったのか……!? 私が……!? 狂わされた……? 彼女に……また、彼女に……!?)


 もしくは……世界そのものが狂ったのか。


 あの時……あの場所のように。


 もはやヒトの住めなくなった、あの……閉鎖地区と同じように……?


 混濁した意識は容易に狂気の垣根を越えようとする。


 だからこそ――。


「え――――?」


「ダメよ? 遥ちゃん……♪」


 だから――気付けなかった。


「そんなに強くしたら……破けちゃう」


 ページの端に皺を寄せるほどにしていた掌に乗せられた……白刃。


「ね……えさま……?」


 そして……己にそれを突きつけている、白磁のような薄さを持った、少女――。


「ね?」


 姉を――牙鳴、円の存在を――。


「紙媒体はぁ……さすがに彼女でも改竄できないから」


「え――」


 乾いている。


 喉が……からからに……。


「正確にはぁ……今の彼女には、かな?」


 それは……『それ』に触れたことによる緊張か――。


 それとも……目の前の姉に対する恐怖なのか――。


「ね――」


 姉さま、これは――。


 その言葉すらも、出ない。


 これは――『りょうほう』だ――。


「だめ」


「…………!」


 ちくり、と……白刃の乗せられた手首に痛み。


 ゆるり……と、手首に赤い筋が伝う。


「其れを知ろうとしちゃ……だめ」


「で、でも……でも……っ!」


「だめ」


 姉の相貌が……笑みのまま、変貌かわった。


「それをするなら……あたしは……遥ちゃんを斬らなくちゃァいけないワ?」


「ひ……!」


 喉が……明確に、恐怖に鳴った。


「そんなことはァ……させないで?」


「ね……ねえさま……」


「まさか……三度は言わせない、わよねェ……?」


「……っ」


「遥ちゃんはぁ……賢い子だものォ……」


「は……ひ……」


 掠れた声しか……出ない。


 視界が……涙で歪む。


 泣く――?


 わたし、が――?


 しかも……この胸の『えづき』は……。


 幼子のように……泣きじゃくってしまうような……そんな、確信。


 鼻の奥をツンと刺すような、涙の感触。


 本能的に『こわいもの』に突き当たったときの……理不尽な衝動……。


 わたし、が――?


「ほら……閉じ方ァ……わかるわよね? おててのうごかしかたァ……そ♪ そォ……いいこ……♪」


 意識の動きじゃない。


 自動的に……手がその資料を閉じた。


「はい……いいこ♪」


「ひ……ぃぃっ……!?」


 白刃が……目の前から消えた。


 その刹那……自分の手首が両断された感触を、確かに感じた。


「ひっ……! あっ……!」


 しかし――。


「あらあらァ……遥ちゃんってばァ……♪」


 実際には……次の瞬間には、白刃は鞘に収められている。


 耳には、音しか聞こえないが。


 白刃の動きはおろか……その閃きすら見えない。


 否――。


 あの時点……手首に刃を置かれ、皮膚の薄皮一枚を僅かに裂かれた段階で……。


『斬られて』は、いたのだ。確実に。


 結果、手首が健在なのは、ただ目の前の姉が『斬る』と想わなかっただけのこと。


 もし彼女が……常人と同じような意識、無意識を持ち合わせていて……。


 ふと、頭に『斬る――?』くらいの気まぐれな思考、脳で情報を伝達する化学物質か微弱な電流か……。


 そういったものが、微かにでも流れていれば……結果として左腕は転がっていた。


 そうなっていないのは……ただ……ただそれだけの結果の差異なだけ。


『斬るか斬らないか』の結果ではなく……。


『手首が落ちたか落ちないか』の差異なだけ。


 斬る、は既に為された結果。


 手首が落ちない、は唯一、姉が選択しただけの結果。


 こう聞けば、言葉遊びに等しい、観念的な言葉にも聞こえる。


 しかし。


 しかし……違うのだ。


 圧倒的に違うのだ。


 結果は決められている。


 過程とその後が選択されたのみ。


 牙鳴円ねえさまは……斬るという『結果』を『決定』できる。


 彼女が思ったその段階で……斬られる側には何もできない。


 斬られ方くらい選べれば僥倖ぎょうこうだが……恐らく、彼女はそれもさせてはくれまい。


 牙鳴円ねえさまは……それほどに残酷――。


 否、無垢なのだから。


「あらあらァ……遥ちゃん、まぁたおもらししてェ……♪」


「ごめ……ごめ……なさい……ねえさまぁ……」


 涙声。


 自分で気付いていない。


 鼻がきけば、自らの股間から立ち上るアンモニアの臭気にも気付けたろうし……そも、放尿の自覚くらいできたものだ。


 しかし……神経は未だに機能していない。


 姉に赦されて、ないからだ。


「ごめ……。ね、ねえ……さぁん……」


 粗相をしたことを判るのは……姉がそう謂うからだ。


 それだけの情報しか……赦されてない。


「やァん……♪ 遥ちゃんってばァ……可愛いんだから……♪」


 あ――。


 赦された。


 これはあくまで自分がそう思っただけのことだが……そこでようやく、心臓すらも動かしてもらえたのだと……。


「おいたは、ダメよゥ……?」


「う、うん……。ねえさん……ねえさぁん……」


「よしよし♪ こわいおもい、したでしょォ……?」


 幼子に戻り、姉に縋って泣くのを……姉は、優しく撫でた。


「う、うん……」


「でもねェ……? 遥ちゃんが触れようとしていたのは……もっとこわいこと……」


 躾けの時間は終わった。


 彼女は飴の使いどころも弁えている。


 姉、なのだ。


「こわい……?」


「そう。あたしですら……手の及ばない、ずっとこわいことォ……♪」


「ひっ……!」


「よォしよォし……怯えないでいいのよゥ? ふふ……」


「で、でもぉ……」


「大丈夫……。こわいことだけど……それはねェ?」


 しかし、次の刹那には、窓を越して……どこかを注視ている。


 どこにもない、どこかを。


 彼女のみに見える、『そのこと』を。


「それはァ……そしてェ……とォっても楽しいこと……♪」


 自らが決めるものではない未来――。


 それは恐らく、彼女たちのようなモノだけに赦された愉悦。


 この空のどこかで……恐らくは、もう一人のモノもそう思っているだろう。


 超えてしまった――。


 踏み外してしまった、とも謂うか――?


 とまれ、そういったモノにとっては……数の少ない……本当に少ない……。


 愉しみのひとつであるものならば――。

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