遠き日のこと
――張り詰めた道場の空気を斬るは、凛とした声。
「――異存は、御座いません。父上――」
年齢にそぐわない、毅然とした言葉だ……と、思ったと記憶している。
「む……」
目の前に座している初老の男性――。
自分がこれ以降に『師』かもしくは『義父』と呼ぶかを選ばなくてはならない人物は、小さく……呻くような声を漏らした。
威厳には満ちている。
いるが――。
客体として其れを視ている自分には……むしろ、その初老に近しい男性が、目の前の少女――。
自分の娘の淀みない言の葉と意思を浮かべた視線に、気圧されているのではないかと……。
そんな風にすら見えていた。
「良い、のだな」
「いっかな、問題も在りませぬ」
恐らく彼は、そこに迷い、のようなものが欲しかったのだろう。
しかしやはり、少女は礼に障らぬ程度の間で、即答をした。
「む……」
頷いたには、見えぬ。
そも――。
未だ客観である自分にすらも――『そういうこと』を直接な情感で捉えられぬ自分にすらも――。
酷であろうとは思える言葉を述べたのは、彼の人だ。
それならばその言葉の意味以上に問うのは、おかしな話だろう。
刹那、イメエジとして浮かんだのは、一太刀にて首を落とせぬ、不手際な介錯という……。
余りにも礼の無いものであったのだが。
「椿芽、よ」
「……はい」
彼の人の言葉は、既に親の言葉に変じている。
しかし、娘はそれを善しとはしない。
伸ばしたままの背筋が、その彼女の気性を現している。
「お前はまだ、幼い」
「………………」
眦が、僅かにぶれた。
異論は、ある。
あるが……其れは挟まない。
師を前であれば、その言葉は絶対のものであればこそ。
「いずれ……また、聞こう」
「如何様にも」
当主は座していた腰を上げる。
ちら、と……自分を見た。
客体の顔は崩せない。
否――。
崩さない。
それが楽だからか……その二人の間に、未だ入り込む余地を見出せぬ不器用さからなのかは……。
自分でも良くはわからなかったが。
「彼の世話は任せる。先の話の如くに……時が来るまでは、只……家族だ」
「……判りました」
些かの間があったのは……恐らくはこちらと同じ戸惑いがあってのものだろうか。
違和――。
家族という言葉の、違和――。
先のような話のあとでもあればこそ……それは、正に。
「……………………」
彼の人は、充分に邪魔にならないようしていただろう俺の横を抜け……道場を出た。
その場には……ただ、たゆたう違和だけが残される。
座した二人は違和を消化もできないまま、家族を命ぜられた。
俺――天道乱世と――。
少女――鳳凰院椿芽は、だ。
「天道……乱世、と言ったな」
凛とした聲と、言葉――。
「はい」
俺は……其れをたぶん、美しいと感じたのだとは思う。
「……………………」
少女は言葉を捜しているのか。
「………………」
俺は……黙る。
捜す言葉も、いまは在り得ない。
「聞いた……とおりだ」
「………………」
「私は……鳳凰院の流派を継ぐ」
「はい」
「血を継ぐ、ではない。流派を、継ぐ」
「……はい」
彼女の父親は、ともすればそれを望んではいない。
だからこそ……淀んだ。
言葉を、濁した。
しかし……俺が其れを指摘をするのは道理でない。
いや――。
それは……あくまで、客体の理、か。
俺は……。
たぶん、この少女の美しさを好いている。
見てくれの美貌などでなく……その、芯を。
聲や言の葉と同じ、凛としたもの、を。
「なれば……お前は、なんだ」
「道具にて、御座います」
「………………」
おや――。
と、俺は違に思った筈だ。
僅か……彼女が淀んだ、と。
しかし彼女の芯はぶれていない。
其の美しさは、未だ面差しの裡にある。
だから……俺はそこで勘を違えた。
「……拾っていただいた恩を感じもしますれば……」
俺の言葉を待っているのだ、と……。
そう思った。
我ながら不細工な間を作ってしまったものだ、と……。
そんな事を気にしていたようにも思う。
しかし、
「厭では――」
「…………?」
少女は……やはり、濁していた。
「厭では……ないか」
僅かに寄せられた眉根に、気付かないのは俺が愚鈍だった。
「……一向にも」
「そうか……」
少女は安堵をしたのか。
「なら……いい」
「…………」
「お前は……これより、私の……道具、だ」
「御意に」
少女は……そこで、ようやくに俺を見た。
凛とした、その立ち振る舞いそのままに。
「それから……」
「…………」
「その言葉遣いは止めろ」
「…………?」
「お前とは……家族をしろ、とも言われている」
なるほど――。
確かに、それは言った。
「家族は……そういう言葉をしないもの、なのだろう……? 私は……知らない、が……」
少女は……僅かにはにかんだ。
その笑みは……不器用にありながらも……彼女の『凛』を、いっかな失わない――。
「……判った」
「ふ……。素は存外に伝法なのだな……」
美しいと、やはり俺は想った筈、だ――。