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血風吹き荒ぶ

 自転車を漕ぎつつ、指定されたコースを進むが……。


「むぅ……」


 こう、樹木の間を縫うようなコース取りでは、自転車に多少の慣れがあろうが無かろうが、そうそう意味はなかったろうな。


 しかも、あえてこのように整地もされていない獣道をコースとして選んでいる。


(これではそうそう、速度も出せない……)


 幸いというべきか……このコースのトラップは、先行するトップ集団が概ね片付けてくれているようだ。


 途中には大型肉食獣や、それに類する生物の残骸もいくつか転がっていた。


 もっとも俺や椿芽も、数回はワイヤートラップや対人地雷の洗礼を浴びてはいるが……。


(この程度のものなら……天文学園の競技としてはぬるいな……)


 そう考えれば、やはり本来的な肝は、ライバルとの戦闘……ということになるのか。


 もっとも、どちらにしても行程のまだ半分にも達していない現段階では、仕掛けが早い。


 まして、大半が不慣れである水泳や自転車の上での戦闘は避けるのが普通。


 活発に戦闘が発生するのは、最終のマラソン競技のとき……と、茂姫も言っていた。


 しかし――。


 俺は先行する椿芽の背中を見遣った。


 小豆長光は……無様なカタチで腰に結い止められている。


(……親父殿が見れば……卒倒ものだな。いや……)


『いつもの』椿芽であれば、仮に強要されたとしても、死んでもしない真似だろう。


「………………………………」


 さっきは羽多野や茂姫には言わなかったことだが……。


 俺は、上がってきた椿芽に関して、もうひとつ……異常を感じていたことがある。


(刀身にまみれていたのは……血脂だ)


 ちらりと見ただけで確証はないが……骨や臓腑までをも断った形跡すら見えたように思う。


 しかも、一人二人の相手でああもなるはずもない。


(どれだけ……斬った、椿芽……)


 椿芽は相手が余程に手慣れでもなければ、いきなりに斬り付けることは無い。


 まずは峰打ちにて様子を見る。


 ましてこの学園に来て以来は、そうそう偶発戦のたびに人を斬るということは有り得ない。


 血に餓えた獣でもあるまいし……。


(椿芽……)


 もちろん――。


 先の人造湖で戦った相手が、存外に手強く……。


 刃を返したままではやり過ごせない相手ばかりであったのなら、合点もいく。


 それならば、闘いのさなかで落とした鞘を拾う余裕すらなかった……という辻褄も合う。


『合点がいく』に『辻褄が合う』か……。


(それは……果たしてどうだ……?)


 この学園に来た当初でもあればわかるが……。


 俺や羽多野の話だけではなく……ここしばらくで椿芽も飛躍的にその実力を跳ね上げてきている。


 いまや、明確なまでに上に居るのは我道や頼成、秋津や真島のようなトップと、その腹心や幹部……。


 そういった、ランカー生徒くらいなもの……と断じるのは、増長や傲慢でもない。


 その上の壁はそれほどに厚いものなのだから。


 とまれ……そうそう、椿芽が苦戦する相手が未だ無名の中に居るとも思えない。


(苦しい解釈に判断を投げようとは……俺も……なっちゃない)


 しかし今は、もろもろを問いただすこともできまい。


 どのみち、どこかで野営は張らねばならなくなる。


 その時にでも……だ。


「乱世……!」


「む……?」


 かなり先ではあるが……開けた場所に出るようだ。


「……………………!」


 椿芽が太刀を結わえた紐を乱暴に千切る。


 意図はわかる。


 そういう場所に出れば……仕掛ける連中は仕掛けてくるはずだ。


 その判断は正しい。


 正しい、が。


(なにを……入れ込んでいる……!)


 ふたたび、胸中を刺す違和のとげ


 しかし――。


「……いる……!」


 それを考えているいとまは、無さそうだ……!


 俺と椿芽は来るべき襲撃者の存在に備えて身構えた。


「天道組かッ!」


「大物だッ! 逃がすな!」


 周囲を囲むように取り巻いたのは、怒黒組の制服。


 見れば、連中の髪や体に濡れは見られない。競技用の自転車も傍らに寄せてある。


 先行し、ここで水泳競技をクリアして体力を落とした選手を狙うための待ち伏せ配置の部隊か。


 その手には、奇しくも日本刀が獲物として握られている。


 めいも見得ぬような雑なものではあるが、既に抜刀をされていれば、動きが制限をされる馬上――もとい、自転車の車上では充分に脅威足りえる。


マズいな……抜けようにも数が多い」


 言いつつ、俺も椿芽も自転車を降りる。


「……知れたこと」


「なに?」


「寄らば……斬るほかにはあるまい」


「……!」


 先を行く椿芽が、愛刀――小豆長光を担いだ。


「………………!」


(担ぎ太刀、だと……? 椿芽……)


 担ぎ太刀の作法は、合戦の際に重宝する構えとして鳳凰院流にも伝わる。


 柄は定法通り左右の手で握ったまま、刀の峰を肩に乗せて、文字通り太刀を担ぐのだ。


 利点はいくつかある。


 まず、刀の重量を肩に乗せているから腕が疲れず、腕の血中酸素を温存出来ること。


中段や下段に構えるのと違って、全力で走っても刀が邪魔にならないこと。


そして、即座に袈裟懸けさがけに斬れる体勢となっていることだ。


 袈裟の攻撃部位は肩口だ。日本刀での斬割の内で最も殺傷力が高い。その性能は面打ちにも勝る。


 頭部を狙う面打ちだが、人間は脳を半分切除されても反撃してくるものだと、先の戦争で、この小豆長光を手に大陸で闘っていた椿芽の爺さんが言っていた。


 その点袈裟斬りは肩口から入って脊髄を断つから一瞬で敵を無力化出来る。だから実戦では袈裟に斬れ、と―――


 この技は、現代の剣道競技においては見られることはない。


 削除された技である。


 護身をうたい、剣の正道を万人に説くため制定された現代の剣道において、袈裟はよこしまな技であるからだ。


 自ら走り寄って斬殺する。これは封印された行為なのである。


(斬る気か、椿芽……!)


「ッ!!」


「!?」」


 血煙が舞った。


 重い何かがすっ飛んできて、地面に落ちた。


 腕だった。


「あ、ぎゃあああああ!」


 腕が地に落ちてからその悲鳴まで、間抜けなほどに間が空いていた。


 地面の腕にはまだ日本刀が握られている。これで斬る気だったのだろう。まさか逆に斬られようとは思いもよらなかったに違いない。


「き、貴様ッ……!」


 連中の目が、それを見て一斉に変じた。


 おそれと……それを塗りつぶす程の怒り。


「いかん……椿芽!」


 守らなければならなかった。


 確かに椿芽と連中の技量の差は埋めがたい。


 しかし……連中のあの目。


 恐れと怒り、アドレナリンに支配された『覚悟』の上では、その技量を塗り替えるアクシデントも起こり得ることを俺は知っている。


 脅しのための凶器は『自分が斬られる前にどうにかしなくては』という思考のもとに本当の意味の『凶』器に変じ得る。


 素人の刃は、時に玄人に手痛い傷を負わせることが有りえる。


 ましてやこの人数なれば、元が万分の一であろうが、確率そのものは底上げされる。


 そういった危惧も当然にあったのだが……。


(それよりも……だ)


 椿芽を守る――。


 その、俺にとって絶対にして不変であろう誓いよりも今は―――


(まず、守るのは椿芽の敵の方だ―――!)


 その危険性を差し置いても、今は……今の椿芽から鑑みれば、そちらが優先。


 椿芽より先に、俺の拳なり蹴りなりで椿芽の相手を倒す。


 日本刀で斬られるよりはマシだろう。


「うわあああ!」


 言っている端から、また一人犠牲者が出た。


 刀を取り落とした男が、地面を呆然と見ている。


 男自身の指が、そこに点々と散らばっていた。


 刀を握って斬ろうと振り上げたその拳を、椿芽がカウンターで捉えたのだ。


 運のいい奴だ。


 さっきの腕をやられた奴といいこいつといい、処置が良ければ失われた部位は繋がる。


 だが幸運が何時まで続くか分からない。


 椿芽は手っ取り早いところを斬っているだけで、別段急所を外している訳ではないのだ。


 袈裟が出たら人死にが出る。今日の椿芽がそれを躊躇ためらうとは思えない―――


「椿芽……ッ!」


「……………………」


 恐らくは……言っても聞きはすまい。


 俺はがむしゃらになった。


 目の前に居る奴に無茶苦茶に拳を振るった。


 殴るのにこれほど必死になったのは、これが初めてかも知れなかった。


 やがて――。


「はぁッ……はぁッ……はぁッ……」


 程なく、俺達の周囲には誰も居なくなった。


 斬られた者は、倒れ……血を流し、呻く。


 残ったものは、自転車なり自分の足でなりにて敗走した。


 負傷した仲間を置き去りにしたことをこの際、責めることはできまい。


 連中にしてみれば、椿芽だけでなく……逆に連中の命を案じていたつもりの俺も、鬼神に見えていたことだろうし。


(できれば……もっと早く判断をして欲しかったが……)


 朱にまみれた椿芽は、返り血を避けるいとまも惜しんで斬った程だった。


 血の池で遊泳したといっても疑われることはないだろう。


(椿芽……)


 俺はなにがしかの言葉を彼女にかけることもできず……。


「……実行本部か。こちら天道組二名。戦闘にて負傷リタイアが出ている」


 とりあえず……事後処理のための連絡をする。


 襲撃された側とはいえ、このまま捨て置きもできまい。


『了解。至急、医療回収班を向かわせる』


 椿芽の斬撃は鋭利だ。


 処置が早ければ繋がることもあるだろう。


 もっとも……血脂に塗れた刀身で斬られた傷の処置は難しかろうし……。


 まだしも脂の少ない序盤に斬られた者は、それはそれで時間が立ち過ぎている。


 どちらも聖徒会の能力次第か……。


「何をしている。余計なことに時間を割くいとまはあるまい」


 見れば、椿芽は自転車に跨り、苛立った声を投げてきている。


「椿芽……」


 迫る夕闇の濃密な赤も、椿芽の浴びた朱のいろを塗りつぶすことは出来そうになかった。


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