水泳競技
スタートからしばらく走る――。
『現在……順位は3200位です』
その間、羽多野が定期的に現在のランキング状況を報告してくれていた。
「それは……いい調子なのか?」
『参加チームが9500組ですから……。結構いいとは思います。でも……』
「上位集団にはランカーが密集しているからな。実質的にはそれほどでもない、か……」
『ですね。でもまだ始まったばかりです。いまはペースを守ったほうがいいって思います』
「ああ、そうだな。……おい、椿芽!」
俺は少し先行して走る椿芽に声をかける。
勇はいいペースと言ったが……。
正直なところ、若干椿芽のペースが速く、それに引っ張られていることに気付いても、いた。
「……なんだ?」
「今の羽多野の通信、ちゃんと聞いていたか? いまは……」
「ああ……そうか。ペースだな。大丈夫、わかっている」
(椿芽……?)
『アニキ、その先から第一種目の水泳もき』
「ここからか。ふむ……なるほど……」
他のチームも適宜、水着に着替えて人造湖に飛び込んでいく。
(そういえば……ここは……)
以前、羽多野に連れてきてもらった場所だったな……。
「了解だ。それじゃ早速ルールを教えてくれ」
『アニキ……やっぱり事前に見ておかなかったもきね』
「見ていると思うか。俺が」
『いばられても』
「グダグダ言うな。こういう時のサポートだろう」
『いや……サポートメンバーは、いちいちルールを選手に、それも本番の最中に教える役ではないかと思うもき』
「むう」
ああ言えばこう言う。
『え、ええとですね……』
押し問答(?)を続ける俺と茂姫に、羽多野が割り込んできた。
『そこからは、選手のどちらかが泳いで湖を横断します』
「ふむ」
『乱世さんは一度……来た事があるので知ってるかもしれませんけど……そこは学園内の貯水湖としては、小規模なほうなので距離的には大したことはないです』
「大したことない、か……」
ざっと見ても対岸は遙か遠方だ。
まぁ、どうあれ海よりは狭いだろうが。
『でも、この武闘祭にあわせてトラップなどが仕掛けられていることが予想されます』
「トラップ? それは――」
どのようなものだ? と俺が問いかけようとした刹那。
湖の中ほどで大きな爆発が起こり、水柱が数十メートルほど吹き上がった。
「……………………」
『ええとですね。過去の例からすると、機雷とか……』
「……なるほど」
『あと――』
遙か遠方で今のよりは小さいが水柱が何度も上がった。
同時に何か……獣じみた吠え声が……。
「ぎゃーっ!」
「水にっ! 水中になにかっ! 口が……巨大な口がーっ……!」
「……………………」
『あとは……生物化学研の巨大実験生物が放逐されているとか……』
「…………なるほど」
『そういうトラップが設置されている可能性があります』
「……そのようだな」
そしてそれはもう『可能性』じゃなくなったんだが。
というか。
いつだったか、ここの水源は飲料などにも用いられることを想定している……と聞いた覚えがあるんだがな……。
『また、それに加えて――』
羽多野が何かを言うタイミングにまるで合わせるかのように。
「デス・ライト・ナックル――ッ!!」
「ぐわーっ!!」
「見たかいっ! あたしの……新技、クリムゾン・スピア!」
……あの声は間違いなく、我道とシェリス。
「……加えて……水中では他チームへの攻撃、妨害も有り……か?」
『あ、はい。さすがですね、乱世さん。飲み込みが早いです』
「ああ。たったいま……この目で見たからな」
別スタートから出発した我道たちも既に合流していたか。
ヤツらの直後につけているなら、ペースとしてはちょうどいいくらいと言えるだろう。
「よし……椿芽――」
ここは俺が……と言おうと振り返ると。
「……………………」
既に椿芽は水着に着替え、準備体操をしていた。
「……いつの間に」
「問題ない。乱世……ここは先に行かせてもらう」
「しかし……」
俺の見立てでは、椿芽はこれまでの行程で、ややペースを乱してしまっている。
もちろん、この程度では然したる影響もない程度ではあるが……。
それに椿芽の得物は刀だ。
あらゆる意味において、水中戦には向いていない。
「……まだ、先行した龍崎の背中も見えていない。追いつくぞ」
「おい……椿芽……!」
椿芽は呼び止めようとする俺の気配に気付かなかったか――。
(気付いていて……無視をした……?)
「……行ってくる」
そのまま……振り向きもせず、湖に飛び込んだ。
「……………………」
椿芽――?
『乱世さん……?』
「あ、ああ。いま……椿芽がスタートしたところだ」
『椿芽さんが? でも、それ……』
羽多野も俺と同じ懸念を抱いたようだった。
「……………………」
羽多野の考えにおいてさえ、ここはどう考えても俺がいくべきと思えたのだろうが……。
「それで残った俺はどうすればいい?」
しかし、俺はあえてそれ以上の動揺を与えまいと、話題を変える。
『あ、はい。メンバーのもう一人は……コース上の橋を通過し、先行してください。対岸で選手の到達を待ちます』
「あれか」
見れば……少し先に橋が見える。
俺は荷物を背負いなおし、足を踏み出す。
『乱世さん……』
羽多野の声には、俺以外にも見えはじめた椿芽の異常を察する空気がある。
「大丈夫だ。ここは……任せてくれ」
『……………………』
「大丈夫だ……あいつは」
俺は念を押すかのように、もう一度言っていた。
まるで……自分に言い聞かせるかのように。
※ ※ ※
人造湖の対岸……水泳競技のゴール地点では、次々と選手達が上がってきている。
ゴール地点には次の競技の為の乗り物――。
自転車が用意されている。
椿芽にああ言った手前もあって、俺も少し前に一応試してみたものの……。
(なんとなく、で……どうにかなってしまうものだな。体の記憶というものは、存外に強い……)
『自転車って……ちょっと懐かしいですね』
不意に、インカムから羽多野の声が聞こえた。
「そう……か?」
一時、エネルギー問題が声高に叫ばれるようになった時代から、世間一般ではむしろ動力付きの乗り物よりもメジャーな認識であると思っていたのだが……。
俺や椿芽らのように、人里を離れた山奥住まいでもなければ、だが。
『あ……普通、そうですね。でも……』
「でも?」
『私……何故か、子供の頃から一度も乗ってないんですよ』
「羽多野の家も山奥にでもあったのか?」
『山? い、いえ……そういう訳でもないんですけど……。なぜか』
「ふむ」
まぁ……人にはそれぞれあるからな。
(それにしても……)
『アネさん、遅いもきね……』
「うむ……」
あの勢いなら、もうとっくに到着していてもおかしくない、と……俺も思うのだが。
あいつに限ってまさか、とは思うが……。
「羽多野、そっちで把握できているか?」
『大丈夫です。椿芽さんのバイタル……ちゃんと健在です』
「そうか」
俺たち選手は、それぞれIDカードを通じて本部へと、身体情報が送られている。
それが健在であれば、問題はないということ。
(馬鹿馬鹿しい程な、杞憂だ)
いかな不慣れな水中戦であっても、あの椿芽がこんな所で不覚を取るはずもない。
『ただ……』
「ただ?」
『時々、脈拍や血圧など……各種数値が急激に上昇することがあります』
「つまり……?」
『戦闘を行ってる形跡があります。いえ……むしろ、積極的に戦闘に参加しているような……』
「……………………」
確かに、先のようなルールの元であれば、戦闘を回避し続けることは不可能だろう。
バイタルに目立った変動がないというのであれば、苦戦をしているということでも無さそうだ。
しかし――。
(しかし……俺は……不安のようなものを……感じている……?)
椿芽が戦闘を行っていることそのもの、ではない。
いくら俺でも、そこまで過保護じゃない。
ただ……。
スタート前に、あれだけ順位を気遣い、半ば俺を無視して自分が泳ぐことを選んだ椿芽。
それであるにも関わらず、戦闘を避けず、こうも時間をかけてしまっている……。
その、『ちぐはぐ』さ……。
そこに、何かを感じている俺が居るのだろう。
『乱世さん……』
不安そうな羽多野の声。
彼女も俺に近しい不安のようなものを感じてしまっているのだろう。
「いや……問題ない」
俺はあえて、感情をこめず、そう言った。
羽多野や茂姫……サポートのサイドにまで動揺を感じさせるわけにもいくまい。
『……………………』
「む……?」
次いで湖から上がってきたのは……。
「お? 天道……見かけねぇと思ったら、こんな所でサボってやがったのか」
「ちぇ、道理で……探しても、見かけないわけだ」
「我道……それにシェリス……? おまえたち二人とも、泳いできたのか」
「ああ。どっちかが向こう岸で片方を待つなんてのは、俺たちの主義に合わないんでな」
「しかし、ルールでは……」
「寝惚けてんのかい? 『両方が泳いで渡っちゃいけない』ってルールはないんだよ」
「なるほど」
もっとも……合理的に考えれば、片方の体力を温存できるルールなのだから、素直にそれに従ったほうが有利ではあるはずなのだが……。
まぁ、この男とその仲間には、そういう『道理』はそうそう当てはまらない。
「お前なぁ。ンな調子じゃ……とても勝ち残れねぇぜ?」
「むぅ」
そして……そういう意味では、俺たちも『そっちサイド』に本来は近いはずだ。
座して椿芽を待つ……などというのは、我道ではないが確かに性にあってない。
むしろ椿芽と共に泳ぎ、何かしら異変があったのならそれをフォローする……。
そうしていれば先のような懸念さえ無かったのだ。
「確かに……サボって寝ていたようだな、俺は」
そうも考えると、怠け者扱いも甘んじて受けねばならないことか。
(いかんな……)
ぬるい、認識だった。
「ふん。ようやく……目が開いたみてぇだな」
「これでちったぁ面白くなるよ」
言いつつ二人は用意されていた自転車に跨ろうとする。
「……ところで天道」
「……ん?」
「鳳凰院の嬢ちゃん……何かあったのか?」
「なに……?」
「手当たり次第……って感じだね。気合、入りすぎてるよ、ありゃ……」
シェリスまでもが、顔を顰めるようにして、言う。
「どういう……意味だ?」
「さぁな。パートナーだろ? 来たら直接聞けよ。じゃあな……!」
我道とシェリスはそのまま自転車競技にスタートしてしまう。
「椿芽……?」
気にはなったが……ともかく今は待つ以外には無い。
ここに来て……待機に回ったことが、改めて悔やまれる……。
※ ※ ※
「…………………………」
それほどの時間を置かず、椿芽が上がってきた。
「椿芽……」
「……我道たちは既に先、か」
「ああ。5分がた前……というところだ」
「そうか……。上手く逃げられた。流石は……というべきか」
言って……身体を拭くのももどかしく、先に進もうとする。
「椿芽……! お前……鞘はどうした」
「鞘?」
椿芽は、さも……たったいま気づいたという顔をして……。
「ああ……途中で落としたか」
剥き身のままに握られた刀――小豆長光を、どうということも無さげに見遣った。
「落としたって……お前……」
「問題ない」
「問題ないことが……あるか」
椿芽の言動は、疑う余地もなく……異常。いや……『異様』だ。
刀を剥き身で持ち歩くなどは剣士としての恥辱。全裸にて往来を歩くと同じか……いや、確実にそれ以上の恥ずべき振る舞い――。
そういった椿芽が常日頃口にしている精神論の部分を抜きにしても、だ……。
「そもそも……お前の『技』は、鳳凰院流の抜刀術だろうに……!」
鳳凰院流の極意は居合の技。
鞘を用いぬ居合いなど……あるものか。
その言動は先の精神的な部分も含め、己が流派への否定や冒涜にも等しい。
「問題ないと言っている……!」
「椿芽……!?」
「……もたもたしているなら、置いていく」
椿芽は振り返りもせず……まず水着から着替えるためにと、簡易更衣室に向かった。
「………………」
『ら、乱世さん……?』
『ねーさん、どうしちゃったもき!?』
「いや……」
流石の俺も……適当に納める言葉が見当たらない。
とにかく――。
「とにかく……先に進む」
『でも……乱世さん……』
「あいつのことは……とりあえず任せてくれ」
『……はい』
「それから茂姫……。興猫に鞘を探させて届けさせるのは……ルール違反か?」
『厳密にはなるかもしれんもきけど……その程度なら問題ないって思うもき』
「そうか……それじゃ、頼んでおいてくれ」
『いちお、了解もき。ねーさんの辿った道筋は記録されてるもき。流されたりしてなきゃ見つかるとは思うもきね。もっとも……あのニャー公がモキの言うこと聞いてくれるかはちょっと不安もきねー』
「いや……たぶん、大丈夫だ」
『もき?』
興猫も椿芽と闘ったことがあれば……今のアイツがどんなに異常な状況かは、察してくれるだろう。
『ま、いいもき。とにかく頼んでおくもきー』
「頼んだ」
『乱世さん……』
「ああ、判っている」
俺は……着替えを終え、俺を振り返りもせず、既に自転車をまたがっている椿芽を追い……。
「俺が……なんとかする……!」
自分もまた、自転車の元に向かった。