ずれ
夜の慣例となった椿芽との泉での沐浴――。
「そうか、羽多野はそれほどに成長しているか」
「ああ。正直……ここまでとは思っていなかった」
俺は、今日の成果を椿芽から聞いた。
今日は自転車特訓と同時に、羽多野のほうの修行も並行して行っていたという。
あの夏期休暇の一件からの流れであれば、羽多野の師匠は椿芽ということにもなろう。
心技共にして、だ。
「羽多野にすれば、覚悟……そう、覚悟のようなものが変質したせいかもしれないな」
「覚悟……か」
「今の羽多野は乾いたスポンジのようなものだ。水を与えれば与えるほどに、それを吸収してみせるだろうさ」
「………………」
「椿芽……? どうか、したか?」
続けようとしていたところで……俺は椿芽の異常に気付いて言葉を止めた。
「ずいぶんと嬉しそうに話す……のだな」
「うん……?」
「勇のことだ。ここのところ……そう、だ」
「それはそうだろう。仲間の成長を喜ぶのは……」
当然、の、ことだ。
「それだけでは……ないよ。お前……乱世は」
「椿芽……?」
「仲間の成長とか……そういうものだけではないよ、お前は」
椿芽は何故か苦笑するようにして、もう一度……繰り返すように言った。
「なんだ? それは。どういう……」
どういう、意味だ……と。
俺もまた苦笑するような表情で言おうとした。
したが……。
「もう、判っているのだろう」
「……………………」
「怒る、か?」
「は……?」
「明瞭と言われれば……私にさえ苛立ちを向ける……。やはり……私の知らない乱世だ」
「ば――」
俺が――?
「馬鹿を言うなって。どうして俺がお前に……」
俺は……苦笑が絶える間ができぬよう、慎重に言葉と表情を選んでいたのだと思う。
それは、目の前の椿芽に対して、というよりも……。
むしろ、俺自身を欺瞞――いや、納得をさせようとするが為に。
「……………………」
「椿芽……どうした。お前……おかしいぞ」
「おかしい……か」
「ああ。お前らしくもない」
「……らしく?」
「ああ」
「そうか……。ふふ……らしくない、か。そうか……はははッ……!」
「椿芽……?」
椿芽は……哂う。
然して可笑しくも無さそうに、ただ哂う。
「……それを言うのか、お前が」
「………………」
「お前に言われては……御終いなのだな、私も」
「椿芽……」
その身に触れようとする俺の手を……椿芽は払った。
「……いい。気にするな……すまん……。確かに……変だ。私は……」
「………………」
「ふふ、ほんとう……どうかしている、な」
「…………ああ」
お互いに――という言葉は、飲んだ。
「ふ……」
椿芽は何故だか僅かに嬉しそうに笑んだ。
先刻のような可笑しくもない笑みではなく……ようやく、俺の識っている貌で……。
「先に……上がるぞ」
「……ああ」
泉から上がり、服を着始める。
「……乱世」
「……なんだ?」
「………………」
「………………」
「いや……いい」
「……そうか」
椿芽はそれきり……何も言わずに、寮の方に向かった。
俺はそれを見守るようにしつつ……。
「なんだ……俺は。天道乱世……違う、のか。俺は……」
混濁した意識を振り払おうと、一人、腐心していた。
椿芽の異常に、ではない。
俺の……その彼女の言葉を前にした、俺の異常に、だ。