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分岐点

 どうにか補習授業も終える事ができた。


 まずは椿芽の恢復かいふくを待って、ようやく夏季休暇のスタートだ。


 ……ん?


 いや、この間の興猫とのバトルの後遺症などじゃない。あれは椿芽にすれば『いつものこと』。あの練習試合のすぐ後でとっくに復調していた。


 恢復すべきは……補習で被ったアタマのほうと言うべきか。知恵熱で40度オーバーを出すのはこの学園においてもアイツくらいのものだろう。


 兎にも角にも、当初は(少なくとも受講している当人にとっては)永遠に続くかと思われた補習ではあるが……。


(これまた当人らにとっては)真面目に受け続けていれば、いずれは終了にも至るものだ。


 俺にとっても今日はその補習明けのすがすがしい日になるはずだったのだが……。


「……………………ここはどこだ」


 気づけば俺は全く見知らぬ……毎日通う校舎を見下ろす、小高い丘の上に立っていたのだ。


 ……そこ。


『またいつものか』などと言わなくていい。


 それは本人が一番自覚しているのだから。


「……やはり、羽多野や茂姫の合流を待てば良かったか」


 既に所定の補習時間を終え、夏季休暇に入っていた羽多野は午前中に茂姫と共に買い物をしてから俺と合流し、パンクラス経営のプールにでも足を伸ばそうと約束していたのだ。


 予定よりも早めに補習を終えた俺は、まず昼食でもと学食に向かったのだが……。


 何をどうしたのか自分でも分からぬまま、この有様というワケだ。


 ……笑いたくば笑えばいい。


「しかし、この天道乱世、この程度ではうろたえない」


 伊達に道に迷い慣れてはいないのだ、俺は。


「……ふむ」


 適当な路傍の縁石を見つけ腰を下ろす。


 遭難した場合、何よりも体力の温存というものが肝要だ。


 焦って適当にあちこち歩き回ってしまうということは、往々にして良い結果は生まない。


 母を訪ねて何千里だかの主人公も、結局はほぼ元の場所と言っていい場所で母親と合流している。


 彼も落ち着いてその場で待っているべきだったのだ。俺はあの物語をそういう教訓の話と見ている。


「そう割り切ってみればどうだ。この初夏の日差しもそう悪くもない」


 何事に於いてもポジティブシンキングというものは重要なのだ――。


「確かにね。たまにはこういうのもいい」


「……?」


 不意にすぐ隣から声が聞こえた。


「道に迷ったときは、それがどんな状況であったとしても、素直に足を止めたほうがいいのかもしれない」


 隣の縁石に、俺と同じように腰掛ける者が居た。


「お前は……」


 いつかのあの謎の男――幽霊じみた存在感の希薄な男――が、例の如く何時の間にそこに居たのか、俺の隣で笑みを浮かべていた。


「そうすると……今まで見えなかったことが見えてくることもあるかもしれないからね」


「………………」


 相変わらず、気配を断っていたなどというレベルじゃない。


 この男はこうしている今も、目の前に存在している気配を俺に感じさせていないのだ。


 声をかけられることがなければ、俺は永遠に目の前の男に気付いていなかっただろう。


 希薄。


 あまりに存在そのものが、希薄。


 もしこの男が敵であるのなら……。


 俺は攻撃を受けるその時まで――。


 いや……攻撃を受けても尚、何をどうされたか判らないまま、男の存在を認識すらもできないまま、斃れているかもしれない。


「ふふ……相変わらず、警戒されてしまっているね」


「あんたは……何者、だ」


「何者?」


 目の前の男は、困ったように小首を傾げてみせた。


「その質問は難しいな」


「なにが……難しい。自分の事だろうに」


「何者でもない……というのが、僕の認識として正しいものなのだろうけど、そんな答えでは君は納得しないよね?」


「……当たり前だ」


 俺は生徒手帳を取り出し、この間、茂姫に教わった操作をする。


 このカードには、この学内に在籍する全ての人間のデータを照会することができる……らしい。


 特に興味も無かったので、俺もつい先日まで知らなかった機能だが……。


 本来は対戦時に相手のおおまかなデータを知るために活用されるものなのだ、と……茂姫に半ば呆れられながらも使い方含めて説明してもらったものだ。


「……なんだと?」


 NO DATE――。


 小型ディスプレイには、ただ一行、そう表示されている。


 もちろんこの学園には、生徒、教員以外も……。


 正式に学園に招かれた者以外も、存在はしている。


 ただし非合法で学内に居る人間であっても、方法はどうあれ、あの、学園を外界と隔絶する大門を超えなくてはならない。


 その際、自動的に生体データを記録されることも、知っている(仮にあの門や塀を乗り越えたとしても、門を通過した時点でスキャンが成されるとの事だ)。


 仮にその情報が記録に残らず、学園のデータベースに残らなかった人間がいたとしても……。


 その場合はunknown――未確認、と表示されるはずだ。


 NO DATEとは、記録そのものがそもそも無い……存在はしているがその情報は無い。


 そういう意味においての表示なのだ。


「やはり幽霊、とでも……?」


「幽霊か。どうにも詩的な表現だけど……それはちょっと気に入ったかな。それに、確かにそれに近しいのかもしれないね。今後、自己紹介の時にはそれを使わせてもらうことにしようかな」


「……………………」


「きみは……この間より、不純物が増えているね」


「なんだと……?」


 俺は問い返してから、それがこの間会った時の続き、であることに思いつく。


「勿論、それもアリなんだろうね。若者には時間が多い。迷いを経た末に……『そちら』の方向に進むことだって悪くはない。だって……何よりそれは君の人生なのだからね」


「………………」


「ただ……君の本質は、それを求めてはいない。あるべき物語の姿を……そして往々に腰を据えられる原因、そして理由を見つけることを。そんな……至極当たり前の道程を、ね」


 男――『幽霊』は、無邪気にも見える笑みを俺に向けつつ――。


「だから、これは多分に、僕の願望、というものもあるのかもれないのかな」


「相変わらず……言いたいことが見えないな」


「願望……なんて、人じみたものを言ってしまったついでに加えれば、僕は君に立ち止まって欲しくないのかな」


 幽霊は俺の言葉を無視するように、相変わらずの調子のままで続ける。


「考えること……それも不純物として鑑みられるのならば……やはりそれは不必要だね。時間が一軸、そして止められない不可逆なものであれば、停滞していることもまた、緩慢に進んでいることに他ならない」


「………………」


「それなら……止まっている、と考えていることそのものが、無益なことじゃないかな。緩緩ゆるゆると時を浪費する……生を消費する、緩慢かんまんな自殺の行為さ」


「……先刻は立ち止まることも有益、などと言っていたと思うがな」


「一般論ではね。そんな枠組みに在る、天道乱世ではない……そうじゃないかな? 望むと望まざるとに関わらず」


「……………………」


「ふふ……そんなに怖い顔をしなくても。言ったように、全てを決めてしまうのは君だ。僕にすれば……残念ながら」


「……それはそうだ。俺の事なのだからな」


「勿論、僕にもそれを誘導することはできる。願望……などというものに突き動かされて、君を、僕のためにあるべき方向に、ね」


「……俺が……他人の言う通りに進むような人間だとでも?」


「勿論、そうは思ってない。そして……僕もそれを望んではいない。だからこその今の発言さ。箱の中の猫は、蓋を開けてしまえばそこに在るのは猫以外の何物でもないのだから」


 男はおそらくシュレディンガーの猫を引き合いに出して居るのだろうが……。


「恣意によって進まされたという事実は、それこそが大きな不純さ。そんな人為的なものでは……僕は満たされない。欲しくもない。死んだ猫は飽くまで死んだ猫さ。箱の中に在ろうが無かろうが……いずれ腐臭を以って知らされる。事実をね」


「……俺の知っている猫の話とは多少、ニュアンスが違うな」


「そうかい? ふふふ、それにさ……」


 男は……やんわりとした所作のまま、それでも明瞭はっきりと俺に指を突きつける。


「決めているはずだね。きみは……」


「俺が……?」


「そうさ。過去か。未来か。現在か。どこに『理由』を……『理屈』を求めるか」


「なに……?」


「答えを求めている訳じゃないさ。恐らくそれは、君にも認識できてはいないはずだ。ただ……これまでの行動が、全てを雄弁に示しているだけ」


 現在――過去――未来――?


 何の事を言っている――?


(しかし……もしも、そのどれかに重きを置くのだとすれば……)


 俺は――俺ならば――。


「なるほどね……」


 男は……まるで今の俺の考えを読んだかのように……どこか満足げに笑みを浮かべた。


「……なんだ。幽霊は……心まで読むとでも言うのか」


「まさか。人がそこまで万能になれるものなんて……いかな君だって思ってもいないくせに」


「……まぁな」


「言ったとおりのことさ。君は……既に道を示している。迷っているように見せて……既に進みはじめても、いる」


「な……に……?」


「迷っているように見せているのは……あくまでもポーズさ。自分自身への……ね。そこに『説得力』を……物語としての『必然』を与えようとしているだけさ。自分自身が納得をするためのね」


「………………」


「さて……と」


「……行くのか」


 男は縁石から腰を上げ、午後に差し掛かった夏の日差しを、さも眩しそうに見上げてみせる。


 それだけのことで……俺は目の前のこの男を見失いそうになっているのだ。


 やはり……希薄だ。


 存在だけではなく……何もかも、が。


「流石にこう暑いと参ってしまうね。次に……君とこうして話ができる時が、涼しくなっていることを祈るよ」


「……………………」


「ふふ……」


 涼やかな笑みを残して……男は――幽霊は消失した。


(いや……)


 俺が認識できなくなった……という方が正しいのだろうか。


「………………」


 俺の……道……?


 そしてそれは既に決していると……男は言った。


 その本意どころか、表向きの意味すらも今の俺には判らなかった……。


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