椿芽VS興猫
色々とありつつも、昼食を終えて校舎の外に出ると……。
「おっかえりー♪ おにーちゃん」
街路樹の上から興猫が降ってきた。
いや。文字通り。
「やっと補習終わったにゃ? 興猫、待ちくたびれたにゃー」
興猫は俺の首にしがみつくように、肩車の要領で俺の上に乗っかってきた。
「……待っているのはいいが……もうちょっと普通な待ち方にしてくれ」
「にゃー?」
……いつぞやの重量のある戦闘用装備だかなんだかだったら、多分俺の頸は折れてると思う。
「こ、このっ! またお前は乱世にっ!」
「そ、そうですよ……うらやましい……」
「……は?」
「い、いえ……別に……」
「にゃー♪ あたしは乱世おにーちゃんの仲間にゃ。こんなのは当然のスキンシップ♪ にゃ~?」
俺の上に乗っかったまま、頬ずりなどをしてくる興猫。
「いや……それはどうだろうか」
「え……と、当然ですかっ! すきんしっぷは当然なんですかっ!」
「……羽多野、どうした。目がちょっと怖いぞ」
「にゃん♪ 当然にゃ。なんなら勇もやってみればイイー!」
「わぁーい♪」
「……俺が潰れると思う」
「い、勇までっ! 何を惑わされてっ! はしたないっ!」
「あ……は、はぁい……」
椿芽に引き止められ、羽多野がひどくがっかりしたような表情を見せるが……俺としては助かった。
「そ、そもそも……興猫っ! お前……こないだまでと全くキャラが違うではないかっ!」
「えー? そうかにゃー? ま、それだけ親密度が上がったってことでー」
「……俺の上で普通に会話しないで欲しい」
「もともとお前は我々の戦力増強で入ったのであろうが! それを暇を見れば乱世とベタベタしているだけではないか!」
「あらら。まるであたしがお荷物とかお邪魔虫とかみたいに言うー」
「じ、事実……現状ではその通りだ」
「ふぇーん。おにいちゃん、椿芽がいじめるよぉー?」
「……そろそろ降りてはくれまいか」
「なーんつって。あたし、ちゃーんとやることはやってるのよね」
「な……何を……?」
「ほれほれ☆」
興猫は(依然として俺の頭の上で)生徒手帳を開いてみせる。
「こ……これは……」
「待ってる間、ヒマだったから、ちょちょいと5試合くらいしてきちゃった。ポイントみんなにも入ってるでしょ?」
「うわ。FランクPGグループ二つと……Gランク三つ。我らが天道組のランクがJまで上がってるもき!」
「ふふ~ん♪ 軽い軽い」
「お前……一人で、か」
「あったりまえにゃ」
まぁ、こいつが本気で戦えばいかにランクでは格上とはいえ、名前の知れたランカー以外は物の数ではないかもしれないが。
「し、しかし……! これでは……」
「まぁ、俺たちの鍛錬にはならないな」
それでなくとも現状一番優先したい、興猫と勇を加えた連携の練習は未だにできていない。
「まぁまぁ。その辺はおにーちゃんたちが補習期間を終えてからでいーじゃない。ポイントに関しては別にあって困るもんでもなし」
「まぁ、それはそうだが」
「乱世……! お前まで……」
「い、いや……」
現状、まともにポイント戦ができない以上……。
まだ当初の負債も残っていて、ランクも高くない俺たちにすれば、正直ありがたくないとはいえない。
「ふふ~ん♪ あたしは全然、おにーちゃんの役に立ってんの。少なくとも……椿芽に比べればずっと」
「な……何を……っ!」
かちり。
久しぶりに椿芽の刀の鍔が鳴った。
「あら? やる気?」
言うなり、興猫はようやく俺の頭から降りて……。
「なんならお望み通り、稽古つけてあげてもいいけど?」
「……言わせておけば……!」
まさに売り言葉に買い言葉。椿芽が抜刀し、構える。
「ちょ……! 椿芽さん! 興猫ちゃんも落ち着いて!」
「………………」
「………………♪」
二人には、もう羽多野の言葉も届いておらず、闘いの間合いで対峙している。
「ら、乱世さん……!」
「いや……」
これは……いい機会かもしれない。
興猫の、いわゆる教科書に捕らわれていない闘い方は……。
俺にとってそうであったように、椿芽にとってもそれなりの実りがあるはずだ。
椿芽の方は頭に血が上っているが、興猫には余裕がある。
そうそう事故にはならない………………と、思う。
(まぁ、いざとなれば割ってはいることもできるか……)
俺は茂姫の方を見て促す。
「了解もき。グループ内での練習試合を提出するもき」
茂姫が手帳を操作すると……。
『練習試合、承認。この戦闘では個人単位のポイント移動のみとなります。制限時間は30分。途中の強制終了はリーダーにのみ権利が与えられます――』
いつもの開始前のお題目、ルール説明が設置されたスピーカーから流れる。
「……………………」
椿芽は開始前に、刃を返そうとするが――。
「あ、峰打ちとかそーゆーの、いいから」
「なに……?」
「当たるつもりナイし。それを負けた理由にされてもイヤン、だしぃ?」
「……後悔するなよ」
チキ……。
椿芽は返しかけた刃を戻し、構えなおす。
「ら、乱世さんっ……!!」
「いや……大丈夫だ」
むしろ、椿芽の頭に血が上っていれば上っているほど――。
(あいつには……あの獣、には……当たらない)
『始めっ!』
試合開始のコールと共に動いたのは、椿芽だ。
「喰らえっ……!」
一気に縮地で間合いを詰める。
が――。
「にゃ♪」
「な……っ!?」
刹那、椿芽が興猫の姿を見失う。
その狼狽は、離れて見ている俺にも明瞭と判るほど。
「こっちこっち♪」
声は椿芽の頭上から。
興猫は跳躍したのだ。
欠片も予備動作を見せずに。
「くっ……」
通常の剣術において、上方からの攻撃は範疇の外、だ。
あくまで剣術は地に足を置いての武術。飛翔する獣を追うものではない。
もちろん鳳凰院流も只の道場剣術でない以上は、跳躍する相手に応じる構えもあるが……。
あくまでそれも、所謂普通の武術の範疇。人間の枠組みの中でのこと。
現実に於いての獣よりも早く、そして高く飛ぶ相手――。
興猫のような逸脱した相手を想定するものではない。
無論、椿芽とて、この学園で数多の逸脱した相手を見てきた。
枠組みにない戦い方に関して、多少の警戒はあったはずだ。
しかし、それでも尚……。
(なお……興猫は、疾い……!)
「ちぃっ……!」
跳躍した興猫を、どうにか視線で追おうとするが……。
「そんなの振り回して……重くない?」
「……っ!?」
既に興猫は死角になる範囲を巧みにかいくぐり、椿芽芽の懐に入って首筋に息を吹きかけるように、囁いた。
「おのれっ……!」
「おっとと」
椿芽は咄嗟に横薙ぎに払うが……そんなものが掠る相手ではない。
興猫はわざとオーバーアクションでからかうようにそれを避けて見せる。
「あぶないあぶない~。お洋服、斬られちゃうとこだった♪」
「く……」
「ま……当たれば、だけどもね♪」
興猫はわざと椿芽を挑発している。
(そのことに椿芽自身が気付かなければ……勝機はないな)
「当てて……見せるともっ……!」
「無理無理♪」
興猫は先の跳躍ほど派手ではないものの、巧みに椿芽の剣の『死角』に入り込んで幾度もの斬撃を躱す。
「お……おのれぇっ!!」
「ふふん♪」
そして、そんな風に椿芽をあしらいつつ……。
(…………♪)
さりげなく俺の方をちらり、と見て笑う。
まるで『こういうこと……でしょ?』とでも言うように。
「そこまで察して……とはな」
苦笑する。
「え?」
「本当に稽古をつけているつもりなんだろうさ」
俺が意図をしたように。
「け、稽古……? でも……あれって……」
「そうもきよ。椿芽ねーさんがからかわれてるようにしか見えんもき」
「興猫は、剣を使う者にとっての死角……どうしても隙が生じる所だけを使って椿芽の斬撃をかわしている」
「え? そ、それって……」
「この学園において通常の枠組みが通用しない連中の中で上を狙うのなら、早期に気付いておかねばならない弱点、だ」
剣術に限らず、むしろ極めれば極めるが程に自ずと現れてしまう弱点、というものは確実に存在する。
それは技や構え、挙動のひとつひとつに関する隙、というものもあるだろうし……。
動作が速くなれば速くなるほどに、その動き、態勢における『死角』というものは露になる。
もちろん、それぞれの武術にはその弱点、死角を補おうとする工夫もあるものだが……。
『弱点を補う』ということそのものが『弱点を認める』ことであり、極論で言えば対症療法のようなものだ。
人が万能ではなく――。
360度全天を見通せる視界も持ちえるはずもなく、攻撃した刹那、すぐさま構えに戻れる程の速さを獲得できるものでもないのなら……。
『弱点』というものを100%に解消できるものではない。
(しかし……弱点、死角をそれと知っていれば、限りなく100%に近い解消は望める)
それを興猫は実地で椿芽に教えようとしている。
「くそっ……! ちょこまかと……!」
「当たらない、あたらにゃ~い♪」
……多少、愉しんでるフシもあるようだが。
「もちろん、椿芽が弱いという訳じゃない。それは俺が保障もする」
「それじゃ……どうして……?」
「相性の問題もあるが……まず、この状況だな」
「状況……?」
「ああ。街路樹や、街灯の設置されている柱、校舎の壁面。ここには多面的に動くことが強みの興猫にとって、有利なものが多すぎる」
それにより、興猫は持ち味を活かして三次元的な動きが遺憾なく発揮できる。
椿芽がそれに応じた動きをできれば、まだいい勝負にもなるのだが……。
(やはり……プライドが邪魔するのか……)
どんな状況であろうとも、あくまで自分の土俵……自分の定規の中で応じてしまおうとする。
鳳凰院流の後継者としての自負が、そうさせてしまうのかもしれない。
(しかし、それでは……)
椿芽に……この先は有り得ない。
「…………………………」
再び間合いが離れたところで……椿芽は刀を鞘に収める。
「にゃ? もしかして……降参?」
「すぅ……」
椿芽はそのまま瞑目し息を大きく吸った。
「ふふん♪」
興猫はそれに応じて、慎重に構えた。
「ふふ……ちょっとはマシなのが来る……かにゃ?」
もちろん実戦に於いては、この椿芽の精神統一は、とんでもない隙、だ。
あくまでも興猫がそれに応じた練習試合であるからこそ成立するものではある。
「………………ッ!」
先刻までとは比較にならない速さの縮地。
「ッ!!」
さしもの興猫も、僅かに反応が遅れた。
「遅いッ!」
その刹那……。
確かに興猫は、椿芽の挙動を『見て』かわした。
しかし……結果、椿芽はまるでそれすらも予期していたかの挙動で興猫の先に周り――。
「ちっ……!」
先程までと同様に、椿芽の死角を縫い街路樹の背に『確実に隠れたはず』の興猫の胴を刃の先で捉えていた。
「……取った」
「……みたいね」
椿芽の刃は、振り切られてはいない。
胴をかばうように交差された興猫の両腕数ミリで……寸止めをされている。
「いまの……なんです……?」
「椿芽ねーさん、まるで……」
「ああ。相手の動きを予知、した」
『読んだ』『予期した』ではない。
あくまで……『予め、知った』のだ。
「もしかして……椿芽ってば、エスパー?」
さしもの興猫もそのカラクリまでは見抜けず、困惑の顔で言うが。
「鳳凰院流……七の段。無刹……種や仕掛けなどひとつたりと無い」
相手の僅かな挙動……気配……反応。
それらだけでに留まらず、周囲の環境や状況などの全ての『情報』を読み、相手の動きを2手から3手を読む。
思考として読むのではなく、それを自分の全身……肉体そのもので『知る』。
それが『無刹』。
あらゆる意味において速さを追求する鳳凰院流においては、究極である『光よりの逸脱』に至る為に必要不可欠のものであると同時に、最高難度に近い技。
椿芽の技量ではまだ時間もかかれば、知りえる手数も多くて二手だが……。
その性質上、一度放たれてしまえば、相手にそれを回避する手段はない。
それを防ごうにもかわそうにも……『防ぐ』ことも『かわす』ことも既に知られている結果なのだから。
しかし……その分、負担も大きい。
「試合終了だ」
『了解。試合終了を承認。ダメージ量によりポイント数を算出……』
アナウンスが流れる前に、俺は椿芽の元まで歩み出ていた。
「う……」
「おっと……」
膝から崩れかけた椿芽の肩を支える。
「す……すまない」
「礼は鼻血を拭いてからにしてもらおう」
言いつつティッシュを差し出す。
「う……ま、またか……」
若干、恥らいつつ、鼻を拭う。
『無刹』は、無意識的にではあるとはいえ……脳にかける負担が大きい。
今回のように頭部への血流がいや増し、破れやすい鼻腔の毛細血管が破れるのはまだ軽いほうで……ひどい時には頭痛や眩暈から失神の危険もある。
無理な使い方をすれば、それこそ脳に甚大なダメージを及ぼすことすらもあるという。
「たかが練習試合だ、無茶をするな」
「し、しかしだな……」
「いいから鼻を拭け」
「うう……」
「椿芽おねーちゃん、ごめんなさぁい……」
「お……おねーちゃん!?」
「わたし、どうしてもおねーちゃんと一回闘ってみたくてぇ……それで、つい……」
「む、むぅ……。いや、私こそ……つい、大人気なく……」
……俺にすれば、臭すぎるにも程がある興猫の演技だが、椿芽はつきあいも浅いせいか、完全に真に受けている。
「でも……やっぱり椿芽おねーちゃんも強いんだねぇ。尊敬しちゃう♪」
「ま、まぁな……。つい本気を出してしまったが……怪我はないか?」
興猫の言葉に、気を良くしてか、そんなことまで言う椿芽。
……鼻血出てるってば。
「はぁい♪」
言いつつ興猫は俺にだけわかるように目配せしてきた。
(まったく……)
食えない『猫』、だな。
確かに『無刹』には遅れを取ったが……。
椿芽のあの太刀筋では、興猫の腕を――。
あの、鋼の義手を両断する勢いは取れていなかっただろう。
俺を気遣って、椿芽に華を持たせてやった……ということか。
「ふふん♪」
興猫はまるでその俺の考えを肯定してみせるかのように……小さく笑ってみせた。