補習授業
補習授業終了のチャイムが鳴り響く。
「お……終わったか……」
ぐったりと机に突っ伏す椿芽。
だらしない……と思わなくもないが、今終わった授業は椿芽最大の弱点である数学だ。
他の大多数のように、ある程度聞き流したり、適当にしてもいればそうそう疲労も溜まらないのかもしれないが……。
こういう時に、生来の真面目な性格が仇になるらしい。
「はいはい、それじゃ今日はここまでね。みんあ、補習だからって明日も遅刻しちゃダメよ? 遅刻や欠席をすれば、その分、補習期間は伸びちゃうんだから♪」
ううむ……。
相変わらず、晴海先生は元気だ。
只管受動的に授業を受けている生徒がこうも疲弊しているというのに。
「うう……補習期間は、あと……三日か? 四日……だったか?」
椿芽をここまで疲弊させてあの笑顔なのだから、恐るべきものだ。
「五日だ。ほら、昼メシに行くぞ」
「うう……嘘でも三日と言ってくれればいいものを……」
「気休めを言っても仕方ないだろ。学食で羽多野たちが待ってるぞ、ほら」
「うう……」
※ ※ ※
「あ、乱世さん! 椿芽さん……どうしたんですか? そんなにぐったりして……」
学食では既に羽多野と茂姫は食事を終え、なにやら談笑していたようだった。
「うう……。勇は元気だな……。通常クラスの補習は存外、楽なのか……」
椿芽はまだ頭の中に『工場の煙突(=1)』や、『あひる(=2)』、『赤ちゃんのお耳(=3)』だかがぐるぐるしているらしく……半ば倒れこむように学食のテーブルに伏した。
「え? そ、そんなことはないとは……思いますけど……」
「逆だろ逆。通常クラスの方がどう考えてもレベルが高いはずだ」
「うう……」
少なくとも内容に関しては大多数が未だに九九もおぼつかない連中を相手にしているPG生徒クラスのような補習授業ではあるまい。
ついでに一応、フォローしておけば……羽多野がいかなレベルが低いと言っても、PGクラスの授業とはそもそもレベルの違う所での低さ、だ。
実際、先月までの勉強会では晴海先生に頼れない日は、羽多野が先生役になっていたわけだしな。
「精進が足りないだけだ、精進が」
「お、お前に言われたくない。そ、そもそも……剣の道に、分数だか、小数点だか、連立方程式だかは必要ない!」
「……実際に過去の達人全てが学があるとまでは勿論、言わないが……少なくとも武士と言われた階級にはある程度の学が必須ではあった。無論、全てが全て博識秀才であったとは言わないが……」
「う……」
「宮元武蔵も五輪の書を例にせずとも書の嗜みはあったし、著名な武人ほど、知的な趣味や嗜好に精通していたとも言う。勿論、全てが全てそうであったとは言わないが……」
「判った。私が悪かった。むぅ……相変わらず、口だけは達者な……」
ふむ。
こう、いつもと立場が真逆だと……ちょっと気分がいいな。
「乱世……お前の苦手の英語の補習のときに……覚えて居ろよ」
椿芽の苦し紛れの呪詛の言葉も、その心地よさで聞こえない。
「でも、乱世さんたちは、今まで補習だったんでしょう? ウチは2時間くらいでしたから……」
「お陰で、ずいぶんとココで暇を持て余したもき」
「な……なんとっ!? そ、それはズルいっ! 我々などは午前いっぱい……5時間みっちりだというのにっ!」
「まー、PGクラスの補習は、学力向上云々よりも、なんつーか……ペナルティ、罰みたいな意味あいが強いもき」
「ば、罰か……」
「学園としても、脳ミソ筋肉のPG生徒に学力なんか求めてねーもき。一応、教育機関としての体裁があるから名目上学力も見てる、ってだけもき」
「……はっきり言うな」
まぁ、そうでもなければ、補習を賭けてのバトルなんてものは非公式であろうが認められるはずもないか……。
「ま、椿芽ねーさんのように、ちゃんと卒業して、ちゃんと結果を出して、って人間は稀有もきから」
「稀有……か?」
「レアもきねー。大抵の人間は、テキトーにここで暮らしてくことを選んじまうもき。ここの生活はコツさえ覚えちゃえば案外、楽もき」
確かに……。
この学園の中には、生活においても娯楽においても、求めるものが全て揃っている。
茂姫の言うことも、まんざら極端な話でないと思えるのは、市街地にはどう見ても学生とは思えない程に年季の入った顔も散見された。
我道の仲間の幽玄をはじめ、PG生徒の中にも、それは少なくない。
もちろん、この学園が義務教育の機関でない以上、入学の年齢が一定であることでもないし……。
茂姫の話では、学生相手の商売の為に出稼ぎ入学してくる人間も居るらしい。
もちろん、それは素質を見抜かれて招待された者や、希望して入学試験をパスした者でもないから非合法入学であり、取り締まりの対象にはなっているらしいが……。
今まで見たところでは、例の聖徒会が厳しく取り締まっている、というほどでもないようだ。
せいぜい、公的にバレたら追い出されるレベルのルールにしか見えない。
「目標とか考えずテキトーに暮らしてくのが、この学園じゃ一番楽もき」
そんな話をしていると……。
「よう、天道。それに……鳳凰院ちゃんもご機嫌麗しゅう」
我道がいつもの三倍増しくらいに機嫌よく声をかけてきた。
いつもの改造制服姿ではなく、アロハなんぞを着て小脇に浮き輪なぞ抱えている。
「……ちゃん、は止せ」
「おっと……ご機嫌斜めか」
「ガドー! また浮気ーっ!」
一緒に居たシェリス――こちらも派手で露出度高めな夏仕様――が我道を睨むが。
「うっせーなぁ。ちょっとくらいいいだろ? つーか……なんだ? お前らもしかして補習か?」
「もしかしなくてもそうだ」
「チーム全員か?」
「全員だ」
「ううぅ……」
椿芽が再びテーブルに突っ伏す。
「へへ……ザマぁねぇなぁ。せっかく、お前ら、ランキングの方もノってきたのによぉ」
「返す言葉もない」
「そもそも夏休みっつーのはエンジョイするためのモンだぜ? 補習なんざで潰しちまうのは勿体無ぇ」
「返す返すも言葉もないな。しかし……一度、アンタに勉強のコツを教わりたいものだ」
あの……九九ですらおぼつかなかったブラッドたちの状況で、どうテストをクリアしたのかは、ちょっと興味がないでもない。
「ああ、試験をクリアできたのは俺とシェリスだけだ。あとの連中は全員、補習コースだ」
「……やはりそうか」
「あたしはちゃーんと合格したもんね! ガドー、ほめてほめてー♪」
「ああ、えらいえらい。きっちり図ったように赤点ラインぴったりだったが、ひとまず偉ぇ」
「えへへー♪」
……あまり褒められてない感じはするが。
「しっかしよぉ……何もクソ真面目にチーム全員で補習を受けることは無かったんじゃねぇか?」
「……は?」
「確かよぉ、同一チームだったらその中の取り決めで誰か一人……とまでは言わないが、補習期間の押し付けができたハズだぜ?」
「なん……だと……?」
「そうすりゃ、補習を受けないメンツで遊ぶ――もとい、バトルのほうだって続けられただろ?」
「なんと!そんなことができるのであらば、すぐに乱世に押し付けよう! すぐだ! いますぐにだ!」
「……怖いことをさらりと言うな」
「ああ、ダメだダメだ。そのルールは補習スタート前に申請しなくちゃな。後からの申請でできるようになると、何らか不正ができる可能性があるとかなんとかでな」
「ぐぬぅ……時既に遅しか……」
ごすん、とそこそこの音をたて、再度机に突っ伏す椿芽。
……可能だったら本気で俺に押し付けるつもりだったな。
「しかし我道、他の連中が補習で苦しんでる最中に、お前たちだけ夏休みをエンジョイだと……それはそれで立場的に良くないんじゃないのか?」
「ンな事ァねぇぞ。俺はリーダーとして信頼されてるからな」
「ふむ、流石は男闘呼組を束ねるカリスマといったところ――」
「……そう思っているのは勝手だがな」
俺が言いかけたところで、椿芽が突っ伏したままで口を挟んでくる。
「乱世は気づいていなかったようだが、今日の補習はブラッドとやらと一緒だったが……半泣きだったぞ」
「う」
「それから、あのジャドとかいう奴もずっとお前への呪詛を呟いていた」
「うう……」
……良く見ているな、椿芽。
あと、余程に鬱憤が溜まっているのか、普段より若干、攻撃的だ。
「そ、そういえば……ユーゲンも、こないだ晩酌しながらグチってたような……」
ダメ押しでシェリスからの証言までもが。
「ううう……マ、マジで?」
「……あんた、いつかクーデターを起こされるぞ」
逆恨みっちゃあ逆恨みではあるが。
「う、うるせぇっ! いいんだよ、俺はっ! その分……あいつらの分まで、バトルの方で頑張るからな!」
「……その格好と浮き輪を装備して、どう頑張るのか」
「いーのいーの! 今日はガドーはあたしとデートなんだからっ! 試験クリアのご褒美だもんねー?」
「ああ、まぁな……」
「………………」
いつか本当に下克上されるかもしれんな、こいつは。
「しかし……」
「こ、今度は何だ?」
また別の証言が来るのかと、若干逃げ腰の我道。
「いや……てっきり、あんたを始め、補習などがない生徒は外に帰省をしているものだと思ったが……」
見る限り我道だけでなく、他の生徒もかなりの数が学内に残ってるようだ。
この学食も、休み前と人の数はそうそう変わっていない。
「帰省、だぁ?」
「ああ。そういうものだと思っていたが」
「笑えねぇ冗談だな、オイ。ここに居る連中に、帰るトコなんてあるはずねぇ。俺やシェリス……他の四天王連中も含めてな」
「どういう……ことだ?」
「お前や鳳凰院がどうなのかは知らねぇが……この学園に来た連中は、外じゃ持て余されてた連中がほとんどだ。文字通り家のねぇヤツもいるが、大抵は……」
「……家族に持て余されて……ここに入れられた。そういうことさ」
シェリスが寂しげな表情で言う。
「ここはそういう意味じゃ、吹き溜まり……いや、監獄みてーなもんだ。ま、少なくとも俺に関しちゃ、望んで入ったってとこでもあるがな」
「そ、それは……! それは違う! この……天文学園は……武術を志す者にとっては……!」
椿芽が身を起こし、言い返す。
一種のステータス――。
学園を卒業することは、流派にとっての栄誉――。
そう。
だからこそ……椿芽はここに来た。
「……言いたいことはわかるぜ。確かにそれも事実っちゃー事実だ」
「ならば……!」
「だから……そういうのは、家や看板を背負ってるヤツ……鳳凰院、お前さんのような連中だけのことさ」
「わ、私は……」
「俺やシェリス、四天王たち……。帰るとこも無い連中にとったら、この学園がもはや家、みてーなもんだ」
「……もう、やめよ……」
「ああ。悪かったなシェリス。つまんねーこと……思い出したか」
「……ううん。いい……けど……」
「もっとも俺たちだって、ずっとここに居るつもりは無ぇけどな。ここで一番ってぇのになったら……次は外でさらに強いヤツを探すさ」
「我道……」
「まぁ……外だろうが中だろうが……結局、そういう生き方しかできねぇからな。俺たちは」
「ああ。それに関しては……同感だ」
「ま、そういうこった。んじゃな」
「ああ」
我道はそのまま……シェリスと一緒に立ち去った。
「ああいった部分は……見習い、目標にせねばならないな」
「あ、ああ……それは……判る。志は違えど……」
我道にしてもシェリスたち四天王にしても――。
いや、他のランカーPG連中にせよ……あのハングリー精神が強さの理由であることは間違いないのだろう。
そういう意味では、まだ椿芽には精神的な弱さがあることは否めない。
もちろん、俺に関しても……だろうが。
「学園で稼いだポイントは、そのまま現金に換算されて、卒業の時に奨学金になるってこともあるもき。イヤガウエにも弱肉強食になるもきよ」
「なるほどな……。お前が俺たちに近づいてきたのも、そもそもその為だったろうしな」
「ま、そーゆーことになるもき」
「そういえば……今の今までスルーしていたが……お前はなんで補習を受けてないんだ」
「もき? 自慢じゃないけど、もきはフツーに成績優秀もき。補習なんかそもそも関係ないもき」
言われてみれば……外見のちんちくりん加減で、勝手に『できない側』と始めから思ってたが……。
例の『バイスたん』だかいう物体も、こいつが自分で作ったものだったっけな。
そういう技術イコール学業の成績ではないかもしれんが……少なくとも馬鹿ではなかったはずだ。
「そういえば……勉強会の時も、一人でテキトーに遊んでたな……」
「それならそれで……茂姫ちゃんが先生になってくれれば、問題なかったんじゃないですかぁ?」
「だって聞かれなかったもきー」
「お、お前な……」
「乱世……次の試験では、補習はこいつに押し付けよう」
「ふむ。いい考えだ」
「もきー!? つーか補習前提じゃなく、普段からちゃんとやっとけってハナシもきー!」
「うう……」
「……正論だ」
茂姫の前で平伏せざるを得ない、俺と椿芽。
「もき!」
「……スミマセン」