天道乱世
校門を通れば、その先は全て学園の敷地のみが広がる。
この市街地のように見える場所も、全ては学園の敷地であり、設備。
職員が運営する施設もあれば、外部企業からの出店もあるとのことだが、その大半は学園生徒が運営しているという。
生活施設――通称に学園市街地と呼ばれるここだけでなく団地のように立ち並ぶ寮施設も……。
果ては、遥か遠方に見える山々すらも、学園の『設備』ということになっている。
(成る程、これは隔絶、だな……)
先刻の椿芽の言葉が、再度頭を過ぎる。
しかし……やはり俺の違和は消えない。
ともあれ、それから、更に飽き果てるほどの道のりを歩いて……。
「……ようやく校舎、か」
椿芽は疲労はしていないものの、飽いてはいるようだった。
「ああ、中央第一校舎……新入生はここに集まれとのことだな」
俺と椿芽は校舎の前――所謂学園内で一般的に使われる意味合いでの『校門』にたどり着いた。
「……毎日の登校も一苦労だな、これは」
寮の位置にも依るだろうが、先程の学園市街地を離れてここまでの道程にはそれらしき施設はなかった。
「それも修行の一環だ、うつけめ…………と言いたいところではあるが、さすがにそうもいくまい。寮からは通学用の路面電車も通っているらしい」
「成る程、それは助かるな」
「加えて……自転車はもとより、車やバイクの通学も認められていると聞く。無論、非公式ではあるが……」
「聞くだけなら至れり尽くせり、というところだが……」
「ああ。この学園のルールでそこまでの恩恵を受けるのは、そう容易くはあるまいな……」
椿芽はあえて含みを持たせて俺に返してきた。
「まぁ楽しそうでは、あるが」
「お前はまた暢気なことを……」
「大胆不敵、じゃなかったのか?」
「暢気の方に統一、だ」
「ふむ。それは残念」
そこまで話したとき――。
「…………!」
人間が――文字通り、飛んできた。
「…………っ」
「おっと」
正確には飛ばされてきた、と言うべきなのか。
とりあえず俺も椿芽も優しく受け止めてやる義理はない。
……哀れ、その飛んできた男は、顔からスライディングするような器用な体勢で地面に転がった。
足先が痙攣しているところを見れば……まぁ、とりあえず生きてはいるようだ。
もっとも、そのダメージは地面に転がったことよりも、こちらに飛ばされてきた段階でのものが大半のようだ。
受け止めて遣らなかった責任を、こちらが感じてやる必要もないだろう。
「手前ェら……我らが参年パンクラスの軍馬銃剣サンの登校と知っての狼藉かよッ!」
「ッざけんな! 枯れかけの参年坊に、この弐年怒黒組が道ィ開ける道理なんざねぇッ!」
校門内の敷地で睨み合う十数名程の生徒。
「どうやら……対立派閥の小競り合いのようだな」
周囲では他の無関係な生徒たちが、悲鳴を上げながら避難していく。
「ん……?」
よくよく観察してみれば、その慌しい動きの中には、どう見ても『そういった』騒動に不慣れのように見える生徒も居るようだったが……。
「なんだ?」
この学園は『そういった』手合いを育成する為の学園のはずだが……。
「パンクラスと怒黒組の対立に居合わせたら……そりゃ、通常生徒は逃げるもきよ」
俺の疑問にまるで答えるように言う声。いつのまにか隣に他の野次馬に紛れて奇態な風体の生徒が、いた。
「通常……生徒……?」
「アンタ、新入生もきか? この学園は何も腕力ばっかの人間が入ってくるワケじゃないもきよ」
「そうなのか?」
「タンジュンな戦闘能力だけじゃなく、様々な素養を買われて入ってくる人間も多いもきよ? モキみたいに」
「それが……通常生徒、か」
「ここでは自分自身の身は自分で守るのが原則もき。だから、こういう場合はとにかくとっとと逃げる、が鉄則もき」
「ふむふむ。んで……俺に懇切丁寧にそんな説明をしてくれる、お前さんは?」
「申し遅れましたでもき。モキは壱年未所属、無道茂姫もき」
「もきもき?」
「茂姫、もき」
「……とりあえず、名前か自分称か語尾かをきちんと区別してくれるとありがたいが」
件の生徒――茂姫とやらは、俺の言葉をさっくり無視して続ける。
「もきはいちお、PG……ランク持ちもきけど、見ての通りか弱いおにゃのこなので、ご多分に漏れずこうして避難完了してるもき」
「……とりあえずお前さんの性別もようやくこれで判明した」
「もき? 冗談キツいもきー。こぉんなぷりちーなおにゃーのこをとっ捕まえて」
「……失礼だったら謝るが、あまりに俺の中の『ぷりちー』の範疇とかけ離れていたもんでな」
ぼさぼさの前髪を鼻の上まで垂らし、自分の身長ほどもあるツギハギだらけの怪しげな人形を抱えてるような風体を可愛いというのなら……俺のセンスは随分と世間からかけ離れているようだ。
とりあえず制服が女子のものであるという、普通は最大のヒントに成りえる素材を見落としたのは悪かったが。
「それはそれとして」
茂姫はさらりと流して睨みあいを続ける二つの集団に視線を戻す。
釣られ、俺と椿芽もそちらに目をやった。
「片方は弐年の中堅派閥、怒黒組もき。もう片方は……参年のやっぱり中堅派閥……パンクラスもき」
「ふむ」
頷いてはみたものの、あまり区別はつかない。言われてみれば、どこかそれぞれの制服のデザイン――改造の個性差に統一感があるような気もするが。
「そんで、そのパンクラスのその後ろに控えてるのが、パンクラスの幹部生徒、軍馬銃剣もき」
その男は確かに俺も先刻から注視はしていた。
「そこそこの手練れのようではあるな……」
椿芽が同じようにその軍馬なる男を見つつ、言う。
「ああ」
他は実際、絵に描いたようなチンピラ、という風情だが……あの男だけは、雰囲気が違う。
動きを見てみないうちは迂闊に言えまいが、少なくともそこそこの修羅場を潜って居なければ身に付かない立ち振る舞いでは、ある。
「ほうほう。判るもきか? もっとも……パンクラスの中では、ナンバー3にも入らないけどもき」
「ほほう……」
あれでナンバー3以下――。
確かに……これは面白そうだ。
「おい」
椿芽がいつの間にか俺の方を諌めるように睨んでいた。
「関わるな、よ。まだ我々は入学手続きを終えていない。ここでの闘いは何の意味も持たないのだからな」
「……わかってる」
「……ちゃんと私の目を見て言え」
正直を言えば少々は後ろ髪を引かれないこともないが……椿芽の言葉なら、従わなくてはならない。
俺はまだ疑わしそうに睨んでいる椿芽に、もう一度返答を返そうと――。
「…………!?」
「クチで言ってもわかんねぇようだな……お前らなんざ、ポイントの足しにもなりゃしねぇが……」
「どっちがだ! こっちは……この場で軍馬銃剣のタマぁ取って、漢、上げさせてもらうぜ!」
俺の目は、その一触即発の状況の渦中で――。
「あ………あぅ………」
その場にへたり込んだまま、蹲っている女生徒を見つけていた。
「あー……。ありゃ、逃げ遅れもきねー。災難もき。巻き込まれて骨の一本二本で済めば御の字もき」
同時にそれに気付いた茂姫が、出鱈目に十字を切りながら、そんな風に言った。
その間にも――。
「……この軍馬銃剣、正直無意味な闘いというのは生に合わねぇんだが……漢を上げるってな言葉にゃ、シビれるねぇ」
「ぬ……ぬかしやがれッ!」
双方は今にも衝突しそうな緊迫感を強めてきている。
「怒黒ントコの、未熟な撥ねッ返りとは言え……それに応えるのも、また漢か」
軍馬という男が、悠然と構えを作る――。
「…………っ!!」
女生徒が、怯えたように身を縮めた――。
「や……野郎ッ!!」
興奮し切った双方が、まるで彼女のことなど見えていないかのように動き、それを蹂躙しかけ――。
「……………………!」
「あ……お、おいっ!」
その、全てが一瞬に行われようとした刹那――。
「げふぁっ!?」
また一人、ヒトが空を舞った。
その……女生徒を踏みつけようとした男は、俺の拳の痕を頬に張り付かせたまま……。
先刻の一番目と同じように、誰にも受け止められることもなく、地面にしたたか転がった。
「……言っている傍からこれだ……」
椿芽の呆れたような声は聞こえていたが……。
「……怪我はないか?」
まずは、目の前のこの女生徒のことが先決だ。
「え? あ……はい……」
その女生徒は、きょとんとした顔をして、俺を見る。
「……そうか」
安堵と同時、彼女の表情に対し、僅か胸の辺りにちくりとしたものが疼くのは、やはり車中での夢の残滓か……。
「あ、あの……っ!」
彼女は我に返って俺に何か言おうとするが……。
「……離れていたほうが、いい」
「え? あ……でも……」
「いや、是非とも離れていてくれ。ここからちょっと大事な場面なんだ。俺的に」
「は……はい?」
「……恩義を感じて呉れているなら……急いでくれ」
「わ……わかりましたっ!」
女生徒は小走りに戦闘圏外にまで離れていってくれた。
「さて、と……」
俺は……まるで時間が止まったかのように、ぽかんと口を開けている両陣営の連中に向き直る。
「な、なんだ……お前は……」
一番最初に我に返り、俺に言ったのは先の軍馬銃剣。
「正義とは――」
軍馬を見据え、俺は指先を突きつける。
「!?」
「正義とは……人に依り、立場に依り、そして状況に依り、様々な姿を持つもの。そこに一つの解も、定まった形もない」
「なんだ? お前、何を――」
「しかしっ!」
「……!」
「この世に一つ、唯一の正義を識る者が居る。世界に一つ、唯一の正義を示す者が居る」
指先を更に軍馬銃剣に突き付ける。
「暴力に苛まれる野辺の可憐を守らんとする正義を持つ男が居るッ」
「だ……誰のことだ、そりゃ……」
手を翻すようにし……親指で自らを指す。
「正義を説き、正義を示す者……。人は其れをこの俺、天道乱世と呼ぶッ!!」
「な……なんだそりゃ! どこの誰がお前をそう呼んでるっつーんだ!?」
「俺だっ!」
「手前ェで言ってるだけかよっ! 何様のつもりだっ!」
「問われて言うのなら、俺様という事だ!」
「……即答かよ。あ、あのなぁ……」
「当然だっ! 仮にも自分自身のことでもあれば……まず、自分が言わないで誰が言うというっ!」
「う……ううっ!?」
「人は自分自身の事に疎いもの、などという認識も有るには有るがそれでも赤の他人に比べれば余程に弁えているものなのは必定! その自分の言葉が信じられぬとは……逆に問おう、貴様こそ何様の積もりだッ!!」
「うううっ!?」
「ぐ……軍馬さん、こいつ……おかしいですよ」
「あ、ああ……。確かにおかしい……いや……! むしろ……馬鹿だ! それも、飛びぬけた極上の馬鹿だ!!」
「だ、だったらイチイチこんなヤツの言葉なんか真に受けちゃ……」
「しかし……! こいつは……馬鹿だが……馬鹿には違いないが……! いや……馬鹿だからこその『何か』があるッ!」
「…………はい?」
「俺には……俺には判る……! この……パンクラスの四番槍、猛将・軍馬銃剣には……!」
「ええええええ……」
「俺やウチの猛者ども……。いや……下手をすればウチの大将や他の派閥のリーダーにすら匹敵する、何かが……!」
「は、はぁ……」
校庭が、しん……と静まり返る。
先刻まで口々に騒がしくしていた野次馬も……そして、当の怒黒組、パンクラスの両陣営すらも。
その緊迫の中で――。
「いい加減にしろ。この……大うつけめ」
椿芽が俺の頭を叩く音が響いた。
「何をする。痛いぞ」
「騒ぎを起こすな、と私は言ったろうが!」
「しかしだな……」
「全く……大した実力も無い癖に、こういう騒動にはすぐに首を突っ込んでいく。尻拭いをする私の身にもなれ!」
「頼んではいないぞ。今までも……そしてこれからも、だ」
「私は父上に、貴様の保護者も仰せつかっているのだ!」
「むう」
……そう言われてしまってはな……。
「軍馬さん……! あいつ……やっぱり単なるハッタリ野郎ですよ! 女になんかあしらわれてやがる」
「あ……ああ。そのようだな……。しかし……?」
「ほら……行くぞ。もう、当初の目的は果たしたのだろう。ならばこんな縺事には、何の意味もない」
そう言って椿芽は俺を強引に引っ張っていこうとするが……。
「いや……ある!」
「……一応聞いてやる。なんの意味、だ」
「行きがかりではあるが……俺は自分の正義を説いた。ならば次はそれを実の行いで示す番だ」
「……もう一度言うぞ。意・味・な・ど・な・い。これは命令だ」
「むう……」
『椿芽の命令』では仕方ない。
俺が不承不承ながらも従おうとすると……。
「お……おいっ! そこの女っ!」
怒黒組の男が椿芽の肩を掴むようにしてきていた。
「……そこの……おんな……だと?」
かちり。
鍔が鳴る。
ポーカーフェイスを気取った椿芽のその微妙な表情の変化に気付いたのは……たぶん、俺だけだったろう。
「今更遅ェんだよっ! こんだけ上等切られて……この怒黒組がハイそうですかと見逃すとでも思ってんのか!」
「そうだッ! 女のクセに邪魔ァこいてんじゃねぇっ!」
「女の……クセに……?」
かちり。
先ほどよりも……強く、激しい音。
俺は……さり気なく、半歩――椿芽の間合いから離れた。
「マワされねぇウチに、とっととそこを――」
男の言葉は最後まで終わらなかった。
「げぎゃっ!?」
次の瞬間……手をかけていた男の腕は何十もの斬撃に晒され紙くずのようにくしゃくしなモノと化している。
かちんっ。
椿芽の腰で納刀の音が響く。
「口の利き様には気をつけて貰おうか。この下種め……」
足元には、必要最小限の動きにより擦られた痕跡。
鳳凰院流抜刀術・天地ノ神降雷――。
椿芽の最も得意とする居合いの聯撃だ。
恐らくその場で椿芽の抜刀から納刀を目に焼き付けられた者は、俺のほかには、精精があの軍馬くらいなものだろう。
「峰打ちはせめてもの温情。其処で地を舐め、軽口を反省するがいい」
「………………」
聞いちゃいない。
それはそうだ。各部の痛点に秒の間を置かず叩き込まれる聯撃。
その痛覚情報の嵐は瞬時に脳をオーバーヒートさせ、昏倒せしめる。
峰打ちであろうと――いや、峰打ちであればこそ、その威力は純粋な打撃として存分に発揮されるものだ。
痛点を打つだけでも済ませられるのが椿芽ではあるが……怒りに任せたその衝撃は哀れな男の腕の骨を粉々に粉砕してしまっている。
白目を剥きながらの失神もむべなるかな、だ。
「こ……このッ! クソ女っ!」
「この場で剥いて、頼成組にでも肉奴隷として売り飛ばしてやるッ!」
「当然……その前に怒黒組全員で愉しませてもらうがなッ!」
言わずとも良いようなNGワードの嵐を連発する怒黒組とやらの連中。
……まずい、な。
「ほう……ほう……?」
かちりかちりかちり。
今や……鍔鳴りは何らかのリズムを刻んでいるかと思えるほどだ。
「貴様ら……一人残らず、性根を修正せしめてやるッ……!」
言いつつ『半分がた本気』の構えで連中に向かっていく椿芽。
「あの按配ならもはや、俺を止めるどころではないな。加減ができればいいが……」
まず無理か。
「さて……」
「…………!」
俺は……軍馬銃剣に向き直る。
もとより俺が興味があるのは、最初からこの男くらいだ。
「軍馬さんっ……!」
「いや……」
前に出ようとした忠臣たちを制し、軍馬は自分から一歩、前に出た。
「こいつは……俺が相手をする」
言って……やや重心を低めに構えを取る。
「ふむ」
俺はといえば……腕を小さくぐるり、と回し、文字通り肩を鳴らしてそれに相対した。
「それが構え、か?」
「期待に添えなかったのなら謝るが」
「ふふ……。俺は貴様を思いやって確認してやったんだぜ……!」
次の瞬間、軍馬は弾かれたかのようにそのまま懐に飛び込んでくる。
「投げられた後に負けの言い訳をコかれても面倒だからなッ!」
早い……!
「ぐ……!」
「ほら……! 捕らえたぞ……っ」
低い体勢のまま……俺の腰の辺りに組み付き――。
「そう……りゃっ……!!」
「…………!」
そのまま木の根を引っこ抜くかのように、俺を力任せに抱え上げ――地面に叩き付ける――!
「ふん……。少々気負いすぎたか。入学早々に病院送りとは流石に同情するぜ」
そのまま踵を返し、立ち去ろうとする軍馬だが……。
「なるほど……だいたいこんなものか」
「なっ……!?」
強かに地面に打ち伏せられた筈の俺が声を投げてきたことに……軍馬は信じられないという態で振り返る。
「よっ……と」
そのまま……足の反動だけで身を起こす。
「お前……っ!!」
「生憎……頑丈が取り得でね」
もっとも僅かのタイミング、地面に突いた両手で衝撃を殺していなければ、意識くらいは刈られていたかもしれないが。
「折角、こんな学園に来たんだ。まずは味わってみたい……というのが人情じゃないか?」
「……なるほど、な。やはり見込み違いでは無さそうだ。正直嬉しいぜ」
「それに相手の技をいかに受け切るかってのは……むしろ、あんた達の土俵だろ? 意外なことじゃない」
「ふふ……。生憎と、俺はガチの主義でな」
「そうかい」
言って今度はやや半身に体を構える。
どうする……?
『アクセラ』のギアをひとつ、上げるべきか……。
しかしこんな段階で、沢山のギャラリーの中、手の内を晒すのも、面白くない。
それに――。
怒黒組やらとの闘いに夢中になっているとはいえ、椿芽も居る。
あいつに――俺のこの技――アクセラは、できる限り知られたくない。
俺の技は、あくまであいつを……椿芽を守る為のみの『剣』なのだから。
「それじゃ今度は、本気を出しても恨まれることはなさそうだな……!」
軍馬が低い体勢に構え、先刻のように――。
いや、先刻よりも格段に早く……激しく走りこんでくる。
殺気、か。
確かに今度は本気も本気のようだ。
ならば――!
(決めた……! 上げるっ……! ギアを……!)
俺がそう考えた瞬間――。
「乱世……!?」
その、軍馬の発する一流の殺気を感じてか怒黒組を粗方に処理し終えていた椿芽がこちらに気付いた。
「乱世ーッ!!」
そして俺を不利とでも見たのか、こちらに割って入らんと向かってくる。
(ちっ……)
俺は反射的に『アクセラ』を使うことを躊躇した。
このままなら俺は再度、地面に叩きつけられるのが必定――。
誰の目にもそう見えたことだろう。
しかし。
「なにッ……!?」
「やらせんっ……!」
しかし椿芽の『縮地』のスピードは、あの体勢と距離からでも十分に間合いを詰め、軍馬をも標的にできる。
もとより鳳凰院流の剣技は、『視界に納まる範囲全てが間合い』というものだ。
行く末に於いては、目に映ると同時の斬撃――。
つまりは光の速度に到達することが極致であるとすらされている。
「鳳凰院流が伍の段……迅雷、参るッ!」
「ちぃっ……!!」
しかし軍馬も矢張り只者ではない。
即座にその肢の筋力のみで前方の大地を蹴り……慣性などの物理法則一切を強引にねじ伏せ、制動を仕掛けてみせる。
間一髪、軍馬は制服ごと胸の皮一枚を斬られただけで、椿芽の放った文字通りに音速の刃をかわして見せた。
椿芽の太刀は、そのまま俺たちの背後……校庭の入り口近辺にあった銅像を熱せられたバターのごとく、軽く両断する。
「椿芽……」
「馬鹿者ッ! あれほど無茶はするなと言っただろうっ!」
「あ……ああ。すまない」
「まったく……!」
「ふん……。女に救われるとはな」
「何を……!」
椿芽が軍馬に対峙し、例のごとく鍔を鳴らす。
相変わらず相手が多少、格上であってもこの癖は治らない。
「女で……悪い、か」
「ふん……。悪し様に言ったつもりは無いんだがな。ことにこの学園ではそれ程意味の無いことだ」
「………………」
椿芽の太刀に『身』が入り、抜刀の体勢に入る。
「おい……俺の相手を――」
持っていくな。
そう、言いかけた刹那。
「そこまでッ!」
凛とした聲が、その空間の気勢を一断した。
「…………ッ!?」
「ちっ……聖徒会か……」
その聲に、椿芽も軍馬も気を解いた。
只、徹る聲ならば、軍馬はともかく椿芽は一顧だにしなかったのだろうが……。
今の聲には、明瞭にして、圧倒的な『気』があった。
いや――。
「この戦闘行為は学園に認知されていないッ! 況してや聖徒会長、牙鳴円様の御登校の列前である! 弁えよッ!」
銀髪を首元あたり、短めに刈りそろえた女は高圧的な所作で野次馬たちを制しながら、同じ意匠の制服の一団と共に悠然と歩み寄ってくる。
そして……その背後に控えているのは、長い金髪の女生徒。おそらくはあれが聖徒会長の牙鳴円とやらだろうか。
「……………………」
「はっ……。御君よ、直ちに。見よッ! 円様は大層にご立腹で在らせられるッ! 即刻に関係者を拘束ッ! この副会長、牙鳴遥が直接に聴取を行うッ!」
牙鳴遙なる副会長の女の聲は『気』に依らずとも、その場を圧する強さを秘めている。
(いや……。やはり、それよりも……)
底知れないのは、その背後に控える……円と呼ばれた女の方、か。
「……………………」
伏せ目のままに未だ一言も発さないその女は……腰に提げた得物から、椿芽と同じく剣士に類するのは間違いあるまい。
華美な装飾の制服に合わせた飾り、ではない。
それが証拠に……離れた距離で貌さえ曖昧な程であるにも関わらず……。
ここまでぷぅんと匂い立つかのように感じられる血の臭気は、どうだ。
無防備に帯刀をだけしているかのように見える素立ちでありながら――。
否、だからこそに感じられる不気味さがある。
「くそ! 面白くなってきたところだってのに……聖徒会と悶着を起こすのは面倒ってもんだ」
「聖徒会……?」
「ああ。この学園の公認自治組織だ。俺はズラかるぜ。お前も……この学園に来たのなら気をつけておいたほうがいい」
「ああ。そうらしいな」
軍馬は口元をへし曲げるような表情をしてから、そのまま全速で駆け出していった。
なるほど……今のは笑み、の積りなのか。
見ればパンクラスだけでなく、椿芽のお陰で半ば壊滅せしめられていた怒黒組の連中も、要領よく撤退を始めている。
残っているのは――。
「は……離せっ! 私は拘束などされる謂れなどはないっ!」
見れば椿芽が聖徒会とやらの連中に取り巻かれている。
「新入生か……! 早々にやってくれたものだなッ!」
ふむ。
気付けば、俺の周りにも何人かの連中が包囲、のようなものをして見せているか。
無理に拘束してこないのは、俺が特に抵抗する気配もないので輪を狭めてこないだけのようだ。
「……椿芽、お前が暴れるからだ」
「お、お前にだけは言われたくないぞっ! ええい、触るなというのにっ! 別段、逃げたりはしないっ! そもそも私たちは巻き込まれただけだ! 最初に騒動を起こしていたのは、あの怒黒組だかパンクラスだかのほう……」
「勘違いをしているようだが……」
気付けば、例の遙という女が、どこか呆れたような顔で俺たちを見ていた。
「実のところを言えば、別に乱闘を咎めている訳ではない。この学園でそんなものをいちいち処罰していたら我々は他の公務ができんからな」
「な、ならば……!」
「きみ達の罪状は……アレ、だ」
遙嬢は、米噛みの辺りを押さえるようにしつつ……指先で『或る方向』を指した。
「あ……」
それは先刻まで、椿芽と軍馬が対峙していた場所……。
そこには椿芽の剣で見事に両断されて転がる銅像の成れの果て。
初老の恰幅のいい胸像の台座には……『初代学園長』との銘があった。
「器物破損……などと言う題目を付けずとも……外の世界でもこうは言うだろう。壊したものは弁償しろ、と」
「う……ぁ……。し、しかし……」
椿芽は何故か俺の方を見るようにするが……。
「ふむ。なるほど……筋は通っている」
「お前……」
俺が納得したように頷くと……椿芽は脱力したように肩を落としたものだった。