祝勝会
「かんぱーいっ!」
「かんぱいもきー」
「か、かんぱーい……」
ここでガラスのグラスがぶつかり合う音が響けば、それなりにいい感じだったのだろうが……。
実際には紙コップのぶつかるぺしゃり、という音だったので、それほどでもない。
まぁ、どれ程格好をつけて見せようとも祝勝会の会場は所詮、いつものZランク寮の俺の部屋な訳だが。
「やー。でもなんのかんのあったもきけど、そこそこ上手い感じに収まったもきねー」
結局――。
『皿騒動』に関しては、結果うやむやという感じではあったものの……。
俺が男闘呼組の四天王である、シェリスを下したことだけは事実だ。
俺たち『天道組』に関しては、これまでの状況からは信じられないほどに大量のポイントが加算され……。
ランクとしては今までZからY、X……と小刻みに上がってきたものを一気に飛び越え、Rランクまで上昇した。
皿――ディスクについては、シェリスを保健室に運ぶついでに職員室に詰めていた晴海先生に強引に押し付けてきた。
シェリスを下した際のポイントで儲けとしては十分にすぎる。
我道はともかく、頼成に目を付けられている可能性がある以上は、この現物を所持しておくのは危険が高すぎる。
もちろんディスクが実際に我道のものである可能性も残ってはいるが……。
今晩の顛末をヤツに説明する際に、その旨も教えておけばいい。
あとは我道自身が自分の紛失物として職員室に受け取りに行くかどうかはヤツ自身に委ねる。
ともあれ、今はこうしてランク急上昇の件を純粋な成功とし、ささやかながら祝勝会をしようという事だった。
「ランクは上がったけど……まぁ、アニキたちには弁償金があるから、しばらくはまだまだ貧乏暮らしもきねー」
「そ、それを言うな……」
「当面、このボロ寮からは出られんな……」
「うう……」
もっともこれまでのように聖徒会だかの嫌がらせなどは大人しくなるとは思うし、学食のランクも随分と上がるはずだ。
それだけでも……まぁ、精神衛生上、良くなる。
「えー? いいじゃないですか。ここ……私好きですよぉ?」
「勇のフォローは時に痛いな……」
「天然は強し、もき」
「いえ……本当にそう思ってますってばぁ。うーん……わたしもここに引っ越してきちゃおうかなぁ……」
「それは止したほうがいい……」
「えー?」
「椿芽の言うとおりだぞ、羽多野。いい歳の女の子が、こんな半ホームレスな生活は良くない。その歳で早々と女性を捨てる必要はあるまい」
「……なぜだろう。私も勇に同じようなことを言おうとしたはずなのに……お前の口から聞くと腹が立つのは」
「いちおうモキも同感もき」
「えー……でもぉ……」
羽多野は唐突に俺によりかかるようにして……。
「そしたらぁ……乱世さんと……いつも一緒にいられるじゃないですかぁ……」
などと言った。
ほんのりと上気した顔で……俺を見つめつつ。
「ぐむっ……!」
「おい、羽多野……」
「はぁい?」
「……酔ってるな」
「あはははは! わかりまふぅ~?」
「おわっ! とっときの一升瓶がいきなり一本空いてるもきっ! 何時の間にっ!?」
「乱世さぁん……わたしの……王子さまぁ……」
ぐでぇ……とますます俺にしなだれかかる羽多野。
「こ、こらっ! 乱世! なんと破廉恥な……っ!」
そして何故か俺の襟首をねじり上げだす椿芽。
「……なんでこの状況で俺が破廉恥を仕掛けてる側なニュアンスなんだ」
「おうじさまぁ~……」
「こ、こら! は、離れろっ! ちょ……このっ!」
椿芽がしなだれかかる羽多野を器用に避け、俺だけをぽかぽか殴りだす。
「……そして何故、俺だけが一方的に暴力を被らねばならないのか」
そして……これまたいつの間にか椿芽も出来上がっているのか、基本的に力の制御ができてない。
痛い。ものすごく痛い。
「やー、盛り上がってるもきねぇ」
「乱世さぁ~ん……。ひっく……!」
「この……らんせっ! ふ、ふらちものぉ~っ!」
「……この阿鼻叫喚を盛り上がりと見るのはお前の勝手だが……」
言いつつ……俺も視点が定まらない気がする。
いや……もともと、『薬物』の中で唯一、アルコールだけは苦手な部類ではあったのだが……。
う。
これ……腰が抜けてるような気が。
「乱世さぁ~ん……すりすり……」
「くっつくなぁ! この……は、はなれろ~!」
羽多野は俺に体を預け、抱きつくようにさえしてきて……椿芽は相変わらず襟首をねじり上げながら俺を殴る。
「……おい。茂姫すけ」
「なにもきか? アニキ。切れ間無く殴られつつも器用にポーカーフェイスで」
まぁ……これだけ酔っていても、かたくなに俺だけを標的にしている椿芽はある意味、大したもんだとは思うが……。
「はふ~」
羽多野は羽多野で、気合の入ってない言葉と裏腹に、俺を締め付ける力がどんどん上がってきているように思える。
忘れてはならないことだが、羽多野の技能は例の問答無用な怪力だ。そしてそれは基本、我を忘れた時にこそ真価を発揮する。
……ふむ。
なんとなく……ぼんやりと命の危険を感じてきた。
しかし、その前に……一応、はっきりさせておきたいことがある。
「茂姫……これは普通の酒か」
「いたって普通もきよ? 何故だか日本酒なのに、火が付く度数があるもきけど」
「それは……げふっ……もほや日本酒とは……ごふっ……言えん……」
工業用アルコールとかじゃなかろうな。
いつぞやの晴海先生に盛られた薬物より、ずっと効き目が強いぞ……。
「らんせさぁ~んっ! ぎゅーって……ぎゅーってしちゃいますぅ~♪(ぎう~)」
「この……乱世っ! いいかげん……離れろぉ~っ!(ぽかぽか)」
むぅ。
酒が回ってきたのか……それとも、物理的なダメージのせいなのか。
だんだんと……こう、意識が……。
薄れ……………………。
………………。
※ ※ ※
「うう……」
「……酔いは醒めたか」
「あ、ああ……」
あの後、本気で生命の危機に直面した俺は、とりあえず羽多野を手早く押さえ込み、愛用の万年床にユルめな裏投げの要領で放り込んだ。
多少、手荒いかと思ったが(そうでなくては本気で振りほどけ無かったのだ)、布団に倒された時点での羽多野は、何故か顔を必要以上に赤らめ目を潤ませながらのものすごい至福の表情を浮かべていたので結果オーライとする。
その直後「やさしくしてくださいねぇ」などとよく分からない言葉を漏らすか漏らさないかで即座に寝息を立てたのでこれも良しとする。
そして、そんな作業の間も切れ間なく俺をグーで殴り続けていた椿芽だったが、羽多野が寝息を立てたか立てないかの辺りで刀の柄に手をかけたので、こちらは即座に当て身で昏倒させた。
多少、扱いに若干の差があると思われるかもしれないが、ここは大目に見てもらうしかない。
なにしろこっちも必死なのだ。祝勝会、即、刃傷沙汰とか流石にバイオレンスが過ぎる。
結局……羽多野も茂姫もそのまま完全に酔いつぶれてしまい、いまや俺の部屋で寝こけてしまっている。
羽多野にしてみれば、奇しくもあの寮への体験宿泊となってしまったわけだ。
先の万年床以外、大した寝具などない部屋だが……まぁこの季節ならそうそう風邪は引かないと思う。
どっちみち羽多野のような普通の女の子には多少、キツいお泊りには違いないだろう。
この一夜で懲りてくれればいいんだが……。
とりあえず目の前の危機は回避したが、このままだと明朝、確実に天道組全てが寝過ごして遅刻だろう。
俺はその憂き目を回避すべく、椿芽に関してはそのまま肩に担ぎ上げ、このいつもの沐浴する泉に問答無用で投入してみたのだ。
「……しかし、ものにはやりようというものがあるだろうに」
今更ながら椿芽が不平を言うが。
「もちろん俺も起きる努力はするが……仮に寝過ごした場合、お前は一方的に俺を殴るだろうに」
「勿論だ」
「即答か」
「私の酒を抜いて置くという努力を怠ったのなら、それはお前の不手際だ」
「……理不尽だ」
「ふふ……」
椿芽はそこでこらえきれなくなって、軽く吹いた。
「乱世……腕を見せてみろ」
「ん? ああ……」
椿芽は俺の掌の……羽多野をかばってシェリスの棘が刺さった部分を診る。
「……無茶をして……お前というやつは」
一応、あの後に晴海先生にも診てはもらった。
骨や神経はおろか主要な血管もほとんど避けて貫通していると、先生は驚いていたようだが……。
当然だ。そうなるようにしたのだから。
「この程度――」
「無茶のうちにはいらない、などと言うのなら……やっぱり殴るぞ」
「それは御免被る」
「まったく……」
椿芽は苦笑するようにしてから……。
「……痛むか?」
包帯が巻かれたその傷を撫でるようにしてみせた。
「いや……平気だ」
「そもそも……掴むなり、叩き落とすなりできなかったのか」
「できなくは無かったのかもしれないが」
もし何かの間違いでもあったのなら、羽多野が――というのは俺の中でさえも言い訳に過ぎなかったのかもしれない。
あの時の、俺は――。
「それに、私が察するに、あれは勇に当たる軌道ではなかったと思ったが」
それも事実だ。
そもそも、もしも確実に羽多野に当たりそうであれば、椿芽は例え戦闘中のシェリスに背を向ける危険を犯してさえ、縮地――神速の移動法――を用いてそれを阻む選択をしただろう。
「どうかな……俺は咄嗟だった」
さっきのように、後付けの理屈ならばいくらでも思いつく。
椿芽が羽多野を守るため、シェリスに背中を向ける危険を侵させないため……先に動いた、などと。
しかし……やはり実のところは違うように思う。
(俺は……あの時、血を目にしたかったのかもしれない……自らが流す、あかい、血を……)
その実感は、意味を成さない。理屈も何もない。しかし……俺自身が『あの時はそうだった』という確信だけ感じている。
俺の――赫を――。
「乱世……痛むのか?」
「ん? いや……」
俺が……自分自身の意味の分からない思考の果てに顔を顰めたのを勘違いしたのか、椿芽が不安げな表情をしていた。
「それにしても」
俺はそんな自分の中の不快な思考を断つため、意識的に軽薄を気取る。
「今日の椿芽は優しいな、少し調子が狂う」
「わ、私は……!」
椿芽は俺が想定したよりもずっと、動揺した顔を見せる。
「その……なんだ。お前にきつく……厳しく当たることもあるが……。別に……お前が……傷つくのを見たい訳ではないし……そういう状況で何も感じないというワケでは……ない……!」
「……………………」
「ふ、二人きりしか居ない、チームの戦闘要員なのだ。その……なんだ……不確定要素によって負傷したり、敗北を喫したりするのは困る……。い、いや……違う……違うな、そうではなく……」
椿芽は顔を赤らめたままで、ただ困惑の度合いだけを強めていく。
「え、ええいっ! なにが言いたいのだ、私はっ!」
「すまん、椿芽……」
「な、なぜお前が謝る」
俺は自分の掌に重ねられていた彼女の手を優しく握る。
「ら、乱世……」
「判っている。俺は……わかっているつもり、だ……」
「そ……そう、か……?」
「ああ。俺は……分かっている……つもりだ。お前の言いたいことは……全て」
「乱世……」
「だから……すまなかった」
「……………………」
そうだろうか――。
本当に、そうなのだろうか――。
少なくとも……いま、この時点において。
これまで里で俺や親父殿、そして少数の使用人や門下生らとひっそり暮らしていた頃ならば、ともかく……。
この学園で羽多野をはじめ、たくさんの良き、そして悪しき人間と触れ合うことで……。
それまで止まっていた時間を自らの中で取り戻しつつある、椿芽のことを……。
俺はどこまで分かってやれるだろうか――。
『不純物……だと思わないかな』
いつかの『幽霊』の言葉が蘇る。
『打算……現実的な思考……。いや……突き詰めれば人が『思考する』『考える』……全てが』
そう――なのか――?
「不純物……なのか……」
「え……?」
つい……口にしてしまっていた呟きに、椿芽が怪訝そうな顔を向けた。
「いや……」
俺は苦笑するように、自分の呟きを――。
あの正体不明の男が口に舌言葉を否定する。
実際……。
口にしてみてわかることだが……その言葉は、俺に……不快感をもたらした。
(不純物などではない……決して……)
俺にしても……椿芽にしても、だ。
「それにしても……」
椿芽は落ち着いた笑みを取り戻し、俺を見る。
「ん……?」
「強く……なっていたのだな、お前も……」
「あ――」
「ふふ……。なんだ、その……間の抜けた顔は」
「い、いや……」
そうだ。
それも……あった。
俺は……遂に、椿芽の前で……アクセラを……。
自分の『とっておき』を使ってしまっていた。
それは俺にとって……俺の中のルールにおいて、重大な違反だ。
俺は――。
「もしかして――」
「……………………」
俺は、椿芽よりもつよくあっては――。
「もしかして……照れているのか?」
「あ? い、いや……そうかもな……」
慌てて、笑みをつくる。
「ふふ……止せ止せ、柄にもない」
「そ……そう、だな」
「少し……安心した」
「なにが……だ?」
「お前も……ちゃんと鍛錬を続けていたんじゃないか。私の見ていないところで……」
「い、いや……」
「なんだ? それも恥ずかしいのか? ふふ……お前にそんな可愛らしいところがあったとはな」
「からかうな」
「正直……見せ場を持っていかれたのは業腹だが……」
「す、すまん……」
「ばか。謝るな。むしろ……私は嬉しい」
「うれ……しい?」
「ああ。これで……それこそ安心して背中を任せられるというのも確かにあるが……」
「………………」
「少し……不安だったからな」
「不安……か?」
「ああ。ここに一緒に来るまでは……お前は武術を志すのを辞めてしまったのかとすら思っていた」
「まさか……」
「一緒に鍛錬をすることも……いつからか無くなったろう?」
「そうだったかな……」
「私に惚けても仕方なかろう。お前は……いつからか、ずっと、あの……ふざけた芝居か漫画のような見得切りの練習ばかりだ」
「それは――」
「だから……お前が共にこの学園に来るといったときも、物見遊山程度のこととすら思っていた」
「……似たようなもんだ。俺は……ただ、招かれたから来たようなものだ。自発の考えじゃない」
それは――嘘、だ。
嘘だ――が。
「それも知っているさ。長い付き合いだからな……」
「………………」
「まぁ……何にしても……お前がちゃんとしていてくれたことが嬉しいのさ。保護者、としてはな」
「椿芽……」
椿芽が笑んだので……俺もそれに合わせて笑った。
俺は――。
椿芽を超えてはならない。
それは……彼女の『感情』などを慮っての優しさなどでは決して無い。
彼女の夢を……目標を支えること……。
それこそが俺の存在理由の全て、なのだから。
だから、これは俺のエゴ、だ。
それで……それだけで……いい。