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ランカー生徒との闘い

 翌日――。


「アニキ、首尾は上々もき」


 茂姫からの報告が上がってきたのは、その日の放課後すぐだった」


「おお、茂姫。ということは……」


「今晩、12時。第16番校舎の3階で取引もき」


「なるほど」


 夜の校舎内であれば、外よりも人目につきにくい。


 この辺は流石というべきか、きちんと段取りしてくれたようだ。


「我道本人が来るのか?」


「いちお、メールの返事は本人名義もき」


「なんだ、直接交渉したのではないんだな」


「我道は今日、授業に出てないもきよ。それに直接やりとりしたら、どっちこっち目に付くもき」


「そうだな」


 昨夜は気軽に引き受けたように見えたが、ちゃんと俺が考えていたことまで見越して引き受けてくれてはいたのか。


 なんのかんの言って、こいつもやっぱり優秀ではある。


「で……取引には誰と行くもき?」


「俺と椿芽……羽多野は連れていかないほうが得策か」


「もきねー。あ、茂姫はどうしときゃいいもき?」


「交渉には居てくれたほうが助かるが……まぁ、お前も非戦闘要員だ。離れた場所に居てくれたほうがいいだろう」


「OKもきよー。んじゃ、テケトーに離れたとこから無線で参加するもき」


「ああ、頼む」


※        ※        ※


 同刻、チーム『乱獣』、頼成直人私室――。



「……なるほどな。クク……やっぱり、監視はつけておくものだ」


『間者』からのメールを確認し、忍び笑いを漏らす頼成。


「ルーキー殿は俺を出し抜こうってか。ふふ……舐められたもんだ」


「さて、それでは、どうするか。俺が直接出てもいいが……」


「捨て駒には捨て駒をぶつけるのがセオリーっちゃセオリーか? アレにも多少は役に立ってもらったほうがいいな。ならば……」


「クク……そうだな、あいつをぶつけることにしよう……」


 頼成は新しいオモチャの遊び方を見つけたかのように、さも愉快そうに笑った――。


※        ※        ※


 0時近く、第16番校舎3階廊下――。


「聞こえるか、茂姫」


 俺は茂姫の用意してくれた、襟元の小型無線に呼びかける。


『あいあーい。かんどりょうこーもきー』


 向かいの15番号校舎の渡り廊下に待機している茂姫からの声が骨を伝達し、かなりクリアに聞こえる。


「お前は念のためその場所から、あの気色悪い人形で――」


『バイスたんもき』


 あまりにクリアすぎて茂姫の一転して不機嫌なニュアンスさえはっきり伝わる。


「……バイスたんで周囲をチェックしていてくれ。アイツは高性能なんだろ、できるよな」


『あいあい♪ まー、こっからじゃ流石のバイスたんも動体センサーも完璧とはいいにくいもきけど』


「まぁ、保険のようなものだ。大体でいい」


『あいあいさー』


 いったん無線を切る。


「……大仰なものだな」


 椿芽が呆れたように言うが……。


「言ったとおり、保険のようなものだ。我道自身はそうそうはかりごとをするタイプとも思えないが……」


 頼成はやはり警戒すべき相手であるとは思えるし、男闘呼組おとこぐみにも正攻法頼みなタイプでなさそうな相手は居た。


「しかし……この時間でも、そこそこ人影はあるものだな」


 椿芽は廊下の傍らにできた、ダンボールの家をまたぐようにしながら、言う。


 あらゆる意味において、自由がモットーであるこの学園では、別にこの地時間帯でも校舎への立ち入りが禁止、ということでもない。


 実際、多々の理由から寮や宿のない無宿生徒が廊下や教室で暖を取っていたりする姿も、こうしてたまに見受けられる。


「踏んでやるなよ。ともすれば……俺たちもそうなっていてもおかしくはなかったのだから」


「こ、怖いことを言うな」


「そうも考えれば、あんなボロでも屋根がある分はありがたいとも思えるだろう」


「……ここなら床は抜けない、とも考えられれば……どっちがいいとは迂闊に言えんが……」


「そういう考え方もあるか」


「にしても……これでは、そうも大仰に人目を避ける意味もないのではないか?」


「外に比べればそれでも少ないだろう」


 学園市街地などは24時間、眠らないと言っても過言ではない。


 俺たちの寮がある裏山近辺などは静かだが、学園周囲の敷地内には、警備の聖徒会員だけでなく、人通りはそこそこに絶えない。


「それに、人目が全くない……というのもそれはそれで安心できない」


 現実、校舎の中も人影は少ないとはいえ、24時間体制でカメラによる監視は行われているはずだ。


 自治団体の聖徒会が、いざという場合にそれほど頼りになるとも思えないが……。


 それでも最悪の場合においては頭の片隅に非常時の選択肢として考えておいて損はないとも思う。


 存在するものは全てなにがしかの検討材料に入れておくべきだ。


「まぁ、いいがな。お前の妙な心配性は今にはじまったことでもないがな。まったく、その慎重さをどうして普段の生活に活かせないのか……」


「しッ……!」


 俺は足を止め、気配を探る。


「なんだ。またそうやってはぐらかすから――」


「いや……」


 俺は椿芽を押し留め、襟元の無線に耳をすます。


『……アニキたちの背後、10メートル前後に追跡する影ありもき』


 ……まだ、我道と落ち合う予定の教室には遠い。


 トイレならば廊下反対側が近い。


 24時間営業ののコンビニ購買は階が異なる。


 たまたま同じ方向に歩んでいるとは考えにくい。


「乱世……?」


 俺はくるりと振り返り……。


「……誰だ」


 後方に呼びかけた。


 何がしかの意味を持った尾行であれば……気付かないフリをしてやる意味はないだろうと思う。


 まさかとは思うが、頼成の手のものなら、この段階でとぼけておく必要がある。


「………………!」


 軽く息を飲む気配。


 尾行者としての技量は低い。


「尾行か!? 何者だ、出て来い!」


 椿芽がその漏れ出た気配を察し、気色ばむ。


「………………」


「……応えられも、出てくることもできないというのであれば、狼藉者か。ならば……」


 椿芽が鍔に指先を乗せた。


 相変わらず極端な出方をするとも思うが……まぁ、この場合は良しとしよう。


 しかし、先の柱に隠れているであろう、この気配は……?


「わ……わわっ! ま、待ってくださいっ!」


「い、勇……!?」


 椿芽の殺気を感じ、慌てて飛び出してきたのはやはり羽多野だった。


「お前……どうして……?」


「え、えへへ……。ついてきちゃいました……」


「ついてきたって……」


 椿芽が困ったような顔をして、俺を見る。


 まだ戦力として不安な羽多野は、危険かもしれないので置いてきたのだが……。


「す……すみません……」


「……茂姫、聞こえるか?」


『あいあい。こっちでも確認したもき。勇ねーさんもきね、それ』


「ああ」


「あ、あの……乱世さん……」


 羽多野は勝手なことをしたと俺に怒られるとでも思って、身を竦めるが……。


「まぁ、来てしまったのは仕方がない。やはり……そうは言われても気になるのだろうしな」


「は、はい……すみません……」


「確かにいつまでも過保護なままでも仕方ないか」


「は、はいっ」


「それでも羽多野はちょっと離れてついこい。その上で危険が及ぶような場合は……」


「は、はいっ! 自分の身は自分で守りますからっ!」


「よし、いい返事だ。茂姫……」


『りょうかいもきー。勇ねーさんの周囲を中心に警戒しとくもきよ』


「ああ。それじゃ……いくぞ」


「は、はいっ!」


 何故か嬉しそうにしている羽多野を連れて、そのまま行くと……。


「……随分と、甘い裁量だな?」


 椿芽が俺にだけ聞こえるよう、憮然とした表情で声をかけてくる。


「そうか? しかし……」


 ここで追い返すというのも、それはそれで危険――。


「……わかるが……!」


「……なんで怒る」


「……別に」


「…………ふむ」


 そのまま、なんとなく無言で歩く。


「……………………」


「……乱世?」


 再び足を止めた俺の表情に気付いてか……椿芽が怪訝そうに声をかけてきた。


「乱世……さぁん?」


 少し離れた距離で、羽多野も、また。


「妙、だな」


「妙?」


「……人が……居なくなった」


 気付けば廊下の隅の不法居住生徒も、ダンボールの家を残したまま姿を消している。。


 これまでたまにすれ違った、巡回の聖徒会員もしばらく絶えて久しい。


「……我道が人払いを……?」


「いや……」


 こちらは頼成のこともあるから、こんな大仰に警戒もしているが……。


 我道にすれば本来は『何をそこまで』というような、単なるディスクの受け渡しだ。


 そんな気の回し方をする可能性は……乏しい。


 もちろんゼロではないが、その場合はあまりいい方向に話が向かっていないようにも思える。


 気のないフリを装いつつも、やはりディスクを入手したく、強引にでも奪おうとしているか……。


 それを含めた何がしかの理由で、俺や椿芽を罠にかけよう、と狙っているのか……。


 俺は我道と対話した印象と、そんなことをするメリットが考え付かないということから、それはないというポーズを続けてはいたものの……。


 やはり、状況だけで鑑みれば根拠の有無に限らず『悪いほう』の可能性から考慮しはじめている。


『アニキ! 前方に動体反応』


「む……」


 無線で茂姫に言われるまでもなく……俺も椿芽も、その人影に気付いていた。


「我道……か?」


 いや……人影は我道よりもずっと小柄だ。


「あんたかい。あんな……ふざけたメールを出してきたのは」


「あれは……四天王の……」


「シェリス……? あんたが代理なのか?」


 シェリスは俺たちの手前、数メートル――恐らくは彼女の間合いギリギリで足を止めた。


 その意図といえば――。


「ガドーなら来ないよ」


「……なに?」


「あいにくガドーへのメールやその他は、あたしら四天王を通してから本人に伝えるモンなんでね」


「なるほど……」


 しかし彼女の雰囲気から、どうにも穏便な取引……という流れになるとも思えない。


「ふっかけたもんだね、こっちの弱みに付け込んで……」


「………………?」


 茂姫からの話では、まだ取引の内容や、まして金額の事柄はなかったはずだが……。


 茂姫が独断でふっかけたのか?


(任せる、とは言ったがそれならそれで報告しておいてくれないとな……)


 しかし、ここでこっちの手際の悪さを露呈する必要もないとは思う。


「あくまでこちらの希望、と思ってもらえればいい。それに……」


 まだ内容に関しては、我道に直接確認してもらわない限り、どう転ぶか判らない。


 もしもこの保有するディスクが頼成のものであったのなら、また状況が違うという前提でこちらは来ているのだから。


「悪いけど……どうあっても、そいつはいただくよ」


「……なに?」


 こちらの考えを見透かした――というほど器用そうには見えないが。


「そして頼成のところにも持っていかせない。ふん……生真面目そうなカオして、とんだコウモリだね」


「……なんだと?」


「しらばっくれたって……! 男闘呼組と頼成をハカリにかけようなんざ、10年早いんだよ!」


「なに? ちょっと待て……!」


 それは……明確に話が違う。


 俺は、目の前のシェリスと、無線の茂姫。同時に呼びかけたつもりだったが……。


『……………ニキ……! ……無……が……妨害を……!』


 通信機からは既にノイズしか聞こえてこない。


「どうした、乱世……!?」


「罠、だ。何らかの……」


「なに……?」


 瞬時に脳が動いた。


「なんだい? なにか小細工を考えてんじゃないだろうね!」


 目の前のシェリスが計ったとは思えない――。


 そして我道の指示というものでも――。


 そしてこちらの意思伝達における、明確な齟齬――。


 いかな茂姫とて、そうまでこちらの意思と違うことを送りつけているとは思えない――。


(やはり……何か、企み……はかりごと……! 『何者か』は分からないが……)


「力ずくでも、そいつはこっちにもらうよ。男闘呼組四天王……シェリスとしてね……!」


「待て……! 俺たちは荒事を起こすつもりはない」


「あんな生意気な文面を送りつけておいて、いまさら……! それにね……」


 シェリスは何故か一瞬だけ、椿芽のほうを見た。


「……?」


「ふん……いいさ! ともかくこの学園でね! 闘いを避けられるなんて思わないほうがいい!」


 シェリスは手甲から鋭いとげを伸ばし、戦闘態勢を取る。


「く……」


「ふん……こうすりゃ、逃げられないだろ?」


 言って、シェリスは監視カメラに赤く発光するIDカードを向ける。


「ランキング戦、登録。男闘呼組・シェリスと……天道組の二人」


 カメラのセンサー部がわずかに明滅する。


「条件は相互の総合ポイントの総がけ総取り」


『了解。承認開始』


 カメラ脇のスピーカーから、対戦を管理している聖徒会担当員の声が聞こえる。


(まずい……)


 シェリスの提示した条件では、この場で挑戦を受け敗北すれば、シェリスの賭けた保有ポイントの全てが負債となって俺と椿芽に圧し掛かってくる。


 シェリスの保有しているポイントがどれほどかは確認していないが、少なくともランカー上位の一角には違いないレベル。


 ただでもマイナスな俺たちの状況であれば……それはもう取り返しの付かない状況になりかねない。


『天道組代表、天道乱世……条件を承認か』


「……どうする、乱世……」


 加えて、挑戦を受けずに逃走すれば、それだけでも非紳士的行為だなんだで全額ではないが賭けられたポイントの何割かのマイナスが付く。


 しかもシェリスはあえて「1対2」の自分が不利なハンデ戦を申請した。


 その、俺たちにとって有利な状況で逃走したとあらば……マイナスの割合は非常に高くなる仕組みだ。


「乱世……!」


 どうする――?


※        ※        ※


「逃がさないよッ!」


「ちっ……!」


 一応、最初の選択として……逃走の気配を見せてみたが、どうもそう上手くいきそうにはない。


 シェリスからは俺たちとの間合いを1ミリたりと離さない気配が伝わってくる。


「乱世……!」


「ら、乱世さん……」


 羽多野まで一緒のこの状況では、恐らく逃げ切るのは無理か……!


 かと言って――。


「ガドーを……男闘呼組をコケにしてくれたオトシマエは、この場できっちり付けてもらうんだから……!」


「………………」


 今のシェリスに、事情を説明し、納得してもらう自信もない。


 いや……。


 そもそも、ここに至る過程の選択肢において……頼成と我道を天秤にかけたのは事実といえば事実なのだ。


 それを虚仮こけにしたと取るのならば、言い訳も見苦しい。


「ならば……!」


 IDカードを操作し、カメラ前に掲げる。


「ふぅん……? ようやくやる気になったんだ。そうこなくちゃ……!」


「やるか、乱世……!」


「我道が……男闘呼組がライバルであるのなら、いずれは打破せねばならない相手には違いない」


「ああ。それは……確かに……!」


 椿芽も抜刀をし、構える。


「コソ泥にしちゃいい覚悟じゃない。いいよ、それなら……」


 シェリスが再びIDを掲げると、お互いのIDの光が青へと変わる。


「お膳立ては整えてあげるわッ!」


『ランキングバトル、相互承認。男闘呼組・シェリス。天道組・天道乱世、鳳凰院椿芽。対戦認証』


 設置されたスピーカーからバトル承認の音声が流れた。


『対戦時間は……』


「無制限だッ!」


『了解。対戦時間、無制限。バイタルサイン低下により決着』


「律儀だな」


「ちゃんとした承認戦で叩き潰してやるのさ。今よりも、もっと最下層にまで落としてやるッ!」


「そう、思うようにさせるものか……! 乱世、お前は勇を……!」


「……ああ」


 俺は、僅かにためらいつつも、それに従う。


「女の背中に引っ込んで……情けないってんだよ!」


「………………」


 挑発には乗らない。


 しかし……不安は無いでもない。


「私相手を役者不足と言うのなら……頭に乗るな、女ッ!」


「あんただって……女だろうにさッ!」


 先に間合いを詰めたのは、シェリスのほうだ。


 椿芽の得物が刀であれば、わざわざその間合いに付き合ってやる必要もないということだろう。


「違うなッ……! 私は……鳳凰院椿芽は……剣士だッ!」


 同時に椿芽も間合いを詰めた。


「なッ……!」


 刹那、横薙ぎに引かれる刃の残光。


(浅い……しかし……!)


 この行動は、シェリスにとっても予想外ではあったはずだ。


 椿芽は刀をコンパクトに構え、半ば突きの姿勢から懐に飛び込んでそれを薙いだ。


 普通、刀を持つのならば、その間合い……リーチを活かし、詰めてこようとする相手を迎撃することがセオリーだろう。


 しかし、椿芽は敢えて刀の間合い、それより近くまで踏み込んで応じた。


「ちぃっ……!」


 すんででかわしたものの、シェリスの動揺はまだ続いている。


「せいっ……!」


「思い切りのいい……ッ!」


 間髪を入れず足元を薙ぎ払った刃をステップでかわす。


「逃がしは……ッ!」


 逆袈裟に切り上げられた椿芽の刀を、自らの得物である棘付きの手甲で受け止める。


「く……!」


 あの手甲……硬いな。


 恐らくは手甲だけではなく足のレガースや、体の各部を邪魔にならない程度に覆っている防具も同じように飾りではあるまい。


「やるもんだ……ちょっと、ビビったよ」


「………………」


 相手の虚を突く意味での椿芽の行動ではあったが……実際のところ、それは苦肉の策の面もあった。


 この、屋内――廊下という場所では、刀はその本領を発揮しきれない。


 勿論、鳳凰院流も実戦の武術であれば屋内戦闘での技術も持ってはいる。


 しかし受けに回る形でそれをしても、防戦からの闘いに終始してしまう恐れもある。


 それゆえ、先程の先手必勝、奇襲の策でもあったのだが……。


さかしいね……こいつっ……!」


 左手の手甲で刃を受け止めたまま……右手の棘で椿芽を狙う。


「椿芽さんっ……!」


「………………!」


 しかし、次の瞬間――。


「な……にっ……!?」


 椿芽は柄から左手を離し、シェリスの腕を受け止めつつに絡めて地面に引き倒していた。


「……鳳凰院流は実戦の武術。そこいらの道場剣法と一緒にしてもらいたくはない」


「こ……この……!」


 衝撃から復帰したシェリスは、即座に跳ね起きつつ、手刀の一撃を椿芽に放つ。


 しかし、それは椿芽も予期していたこと。して苦も無くそれを流した。


 再び……間合いが開いた。


「冗談じゃない……! こんなネズミ相手に不覚なんて取ったら……それこそガドーに合わせる顔が無いんだよッ!」


「……気負うのは勝手だがな」


 椿芽は今度は正眼に構え、シェリスを見据える。


「こちらとしては……そうそう甘く見られても困る」


 もう、先のような奇襲は成功させてはくれまい。


 そう覚悟しての構え、だ。


※        ※        ※


「はぁっ……はぁっ……!」


「どうした? 息が上がっているぞ」


「う……うるさいっ……!」


 毒づきつつも、間合いを保ったまま息を整えるシェリス。そしてそれを鷹揚に迎えつつ、視線を外さない椿芽……。


「椿芽さん、押してますね!」


「……ああ」


「乱世さん……?」


 まずいな――。


 確かに椿芽は、終始受けに回ってシェリスのスタミナを奪うことに徹してきた。


 そしてそれは確実に功を奏している。


 しかも、シェリスは椿芽が初手に繰り出した密着間合いでの斬撃を警戒する余り、思い切った踏み込みが取れなくなっている。


 もちろん、そこまで見越しての椿芽の奇襲ではあったわけだが……。


「………………」


 俺は……ちらり、と窓の外に視線を走らせる。


 先刻までは翳っていた月が、今は煌々と廊下を照らしている。


「ふふン……」


「……なんだ」


「今のうちに攻めてくるべきだったんじゃない? 回復を待ってくれちゃったりして、さ。それも正々堂々……ってこと?」


「………………」


「ううん、違うね……。できないンだろ? そうそう容易には、さァ……」


「………………」


 確かに……。


 奥義のうちの大半が制限されるこの状況では……椿芽はまだ決定打を以って攻めに転じる余裕がない。


 多少、スタミナは削いだとはいえ……まだ油断できないことは、相対している椿芽自身が一番良く知っていることだ。


 そして……。


「太刀筋は……だいたい見切ったし。フフ……」


「……大きく出たな」


「フフフ……」


 月が翳った宵闇の中であれば……


 繰り出される斬撃は、実際の威力や速度を超えて、相手を牽制できうるものだ。


 人間の視力が光を捉えて知覚されるものであれば、周囲の光量が乏しければ乏しいほど、その認識は難しくもなる。


 しかし……今は、月という明瞭な光源が生まれている。


 椿芽にしても、まだ全ての技術を出したわけでは到底ないが……。


 この限定空間の中では、それでも手数そのものは絞られてくる。


 シェリスの言う『見切った』というのも、丸々と大口ではないだろう。


 太刀筋そのものを完全に見切る、というのは相応の達人であっても、簡単なものではない。


 しかし……。


 相手がこの状況で『どう出るか』『どう反応するか』という部分については、実のところ、そうそう選択肢が多い訳でもないのだ。


 それが実戦で言われる、『見切った』という意味だ。


「羽多野……可能な限り、ここを動くな」


「え? あ……は、はい……!」


 羽多野は俺の囁き程度の指示を、善く理解してくれる。


「乱世さん……気をつけて……」


 言いつつ廊下の柱に身を隠す。


「攻めあぐねてるなら……こっちから行くよ……!」


「ちっ……!」


 姿勢を低くし、再度間合いを詰めようとしてきたシェリスを迎撃しようと構える椿芽。


「やはり速いか……ッ」


 やはり先刻の疲労は演技か。


 だが、そこまでは椿芽も判っては居た筈だ。


 しかし――。


「…………っ!?」


 次の瞬間、シェリスは両手の棘を振るいつつ、跳躍した。


 反射された月光に、椿芽が僅か1秒に満たない刹那、目を細めた隙に……シェリスの姿は既にそこに無かった。


「……そっちかっ……!」


「遅いよっ!」


 それでも、残像に等しい僅かな影の動きを追ってぎりぎりに反応した椿芽だが……。


「くぅっ……!」


 跳躍した壁を三角に蹴り、その反動で斬り付けたシェリスの鋭利な棘の一打を、直撃こそかわしたものの右肩に浅くない一撃を喰らってしまっていた。


「あたしは休ませたりなんかしないからねッ!」


 再び壁を蹴って跳ぶ。


 飛んだ先の壁を蹴り、また跳ぶ。そして、隙あらば一打を加えてくる。


「むぅっ……!」


 咄嗟に刀で受け流すも、裂かれた利き腕に力が入っていないため、半ば押し切られている。


「そらそらっ……!」


 シェリスはもはや地面に足を突くこともなく、まるで壁を用いた八艘飛びのように壁を蹴り、その反動で跳び続けながら、切れ間無く椿芽を攻め続けている。


 余程の瞬発力と、バランス感覚……空間把握の能力が無ければできない芸当だ。


 椿芽もそれをかわしこそしているものの、攻撃に転じる余裕は無い。


「椿芽っ……!」


「来るな、乱世っ!」


 椿芽が俺を制止したのは、プライドからの言葉ではない。


 シェリスのこの連続攻撃は、致命傷を与えるがための攻撃ではない。


 だからこそ、椿芽も片腕で凌ぎきれているのだが……。


「ふふ……そろそろ……行くよ……ッ!」


 あくまで牽制。目を、そして気配を惑わせるのが目的。


 この連続の中で致命の一撃を放つ隙を狙っている。


 だからこそ……椿芽も防戦するしかない。


「…………っ!」


 右肩から散った血の飛沫が跳ねる。


 その僅かな隙に――。


「なっ……!?」


 椿芽は、シェリスの姿を完全に見失った。


「椿芽っ! 上だっ!」


「……!」


 天井を反動の為の壁として……シェリスはそこに居た。


 全身のバネを収縮させ、次の一撃に転じる勢いを溜め込みつつ。


(重い一撃が……くるぞ……!)


「…………来るかっ……!」


 椿芽もそれを察し……咄嗟に受けの構えを上げる。


「くらえっ……!」


 刹那……シェリスの身体が溜め込んでいた力を一気に吐き出し、両腕の棘を突き出すようにして、椿芽を襲った。


「く……うぅっ……!」


「圧して……貫くっ……! クリムゾン・ギムレット!」


 比喩ではなく現実に、椿芽の刀とシェリスの棘……ぶつかりあったその間に火花が散る。


「まだまだッ!」


 受け止められたことを物ともせず、そのまま火花と共に着地した地面を蹴り、椿芽の防御をまさに強引に押し破ろうとするシェリス。


「ち……ぃっ……!」


 普段の椿芽ならば、この程度の体重差であれば、力押しにも応じることもできたろうが……。


 右肩のダメージは俺が推し量っていたよりも深刻らしい。


 ぎりぎりのところでその爪の突進を押さえ込んでいるのが精一杯のようだった。


(助けに入るか――? いや――まだだ――!)


 俺がいま背負っているのは、椿芽だけではない。


 不用意に動けば、背後の羽多野すら危険に晒す可能性がある。


 俺がそう判断した刹那――。


「く……そっ……! 舐めるなァッ!!」


「…………っ!!」


 強引に刀身に絡められた棘を払い、流す。


 キンッ!


 そのままいささか強引にではあるが、シェリスの主武器である手甲の棘を叩き折ってみせた。


(いかん……!)


 折れた棘は勢いを失せず――!


「……っ!!」


 俺の後ろの柱に隠れていた羽多野に向かって――!


(羽多野――!)


 宵闇のなか、バッ……! と血が飛沫しぶいた――!


「あ…………」


「大丈夫か……羽多野」


 折れた棘は……俺の掌に突き刺さる形で受け止められている。


 咄嗟ではあったものの、念のため……アクセラのギアをファーストまでは上げていたことが功を奏した。


「ら……乱世さん……」


 棘が貫通した掌の傷からこぼれた血飛沫を浴びただけで、羽多野は無事だ。


「………………」


「羽多野……!」


 しかし、その血を見てのショックか、緊張がピークに達したのか……そのまま意識を失い、膝から崩れるように落ちてしまう。


 俺は咄嗟に羽多野の身体を受け止めつつ、その体を安全な場所にそっと横たえてやる。


「椿芽……交代、だ」


「乱世……?」


「その肩ではそれ以上は無理だ」


 言い、歩み出た。


「しかし……!」


「任せろ。俺は……お前の『力』だ。その……手にした刀と同様にな」


「……判った」


 椿芽はそれ以上は言わず、後ろに下がってくれる。


 意地を張るには、流石に大きすぎるダメージでもあるのだろうが……。


「ふぅん? ようやく……女の背中から出てきたんだ。色男さん、は……」


「戦士とは……いかな犠牲を払っても勝つがことにこそ意義がある。友のため、主のため……時に財や欲得のためであることもあろう」


「な、なんだい……いきなり……」


「しかし……ッ!」


「…………ッ!?」


「志なき力はただの暴力。主の為と気負うのはいいが……その為に真実への眼が曇るのは愚かだ。だから裏で糸引く真なる敵の言葉にすら騙される」


「あたしが……?」


 恐らくシェリスを俺達にぶつけたのは頼成だろう。


 もともとシェリスは俺達に信用があったとは言い難い。


 また、我道が椿芽に好意を持っているのを隠さないことは、シェリスにとってそれはそのままおもしろくもないことなのだろうし……。


『我道のため』という名目さえ与えてやれば、こうして頭に血を上らせ、俺達とぶつかりもする。


「志がないからこそ――」


 俺は掌に刺さった棘を抜き取り、廊下に投げ捨てる。


「こうも容易く、お前の『剣』は折れる」


「くっ……」


 もっともこの流れで、シェリスを今更に諭せるとは思ってなどいない。


「この世にひとつ……折れぬ剣を持つ者が居る。世界にひとつ……折れぬ志を持つ者がある」


「……いちおう、聞き返してやるよ。どいつだい、そんなスーパーマンは、さ」


「天道乱世……この俺だ」


 拳を固め、構えを取る。


「ふざけたヤツ! とっとと……決着付けてやるっ……!」


 再度、シェリスは壁に跳躍し、反動を込めて飛ぶ。


「……同感だ」


 何度めかの跳躍のあと――。


「なにっ……!」


 俺は造作もなく、突き立てられようとしたシェリスの腕を跳ね上げ――。


「ぐぅっ……!」


 返す刀、シェリスの身体を裏拳で凪ぐ。


 俺を甘く見ての大振りということもあるが……セカンドの領域ならば、この程度の動きは止まっているようなものだ。


「ここまで来たら……闘い以外に有り得ない」


「なるほどね……ただの色男じゃない、ってことか」


 裏拳のダメージに顔をしかめつつ、再度間合いを取るシェリス。


「ああ。これが……天道乱世、ということだ」


「……会話になってないよ、あんた」


 シェリスはさっきまでの余裕を消し、椿芽と対峙していた時と同じかそれ以上の気勢を以って俺に対峙する。


経緯いきさつはどうであれ……椿芽を傷つける者を、俺は許さない」


「乱世……」


「ふぅん……それが『折れない剣』かい。とことん、色男で行くつもりなんだ、あんた」


「お前の言う意味合いとは違うかもしれんがな」


「ふふ……面白いじゃない」


「………………」


 目は、慣れている。


 技もくだんのシェリスの言葉を借りるレベルで言うのなら、『見切って』いる。


 しかし……それは当のシェリスとしても、承知のことだろう。


「いくよっ……!」


 シェリスが跳んだ。


 先刻見せたように、壁と壁を蹴りつつの連続攻撃。


「…………!」


 そしてそれは……先刻までのものよりも、随分と速い。


 セカンドの領域でも、追いつけていない攻撃がいくつか混じっている。


 一撃に力を込めるのではなく……無数の棘の中に、中程度の攻撃を混ぜ込んでの連続。


(サード……? いや……まだ早い……)


 シェリスはまだ実力を隠している。


 ここで勝負に逸るのは危険だ。


 連撃をかいくぐり、その間合いから離れる。


「……やるじゃない」


「切り替えしが早いな。いきなり加減もなにも無し、か」


「アンタたち程度に、そうそう時間もかけてられないのさ。アンタは最初っから本気で……すぐに倒して見せる。そして……」


 シェリスは、俺の後ろの椿芽を指す。


「あの女は……その後でゆっくり料理して、ガドーへのお土産にしてやるさ。ガドーも欲しがってたみたいだしね」


「……安い挑発だな」


「ふふん? どうかしら」


「真偽どちらにしても、それは失敗だな」


「……?」


「どちらであろうと……俺はその挑発に乗るからだ!」


「……は?」


 シェリスが怪訝そうな表情をするよりも早く――俺は動いていた。


「なにそれっ! 速ッ……!」


 サードには至らないまでも、セカンドの限界ぎりぎりまでを瞬発力に注ぎ込む。


「……! こっちだろッ!」


 ついてくる――流石――しかし――。


「く……ぅっ……! 重いっ……!」


 攻撃の気配を察し、背後に回りつつ体を捻っての俺の肘を、咄嗟に右腕を畳みつつ受け止めるシェリス。


 そこまでの反射は予測していた。しかし。


「なんで……っ! こんな重いのを……打てるッ!?」


 驚愕の表情のまま、衝撃を殺しきれずに膝を付く。


 シェリスの衝撃は見当の甘さなどではない。


 彼女クラスの武闘家であれば俺の体格やこれまでの応酬から、ダメージその他をリアルな『感覚』として推察ができる。


 そも、防御というものは固すぎても柔らかすぎても良くはない。


 来るべき打撃に対して固く取りすぎれば次の反応が遅れるし、柔らかすぎれば当然のごとくそのまま崩される。


 そういう観点においては、いまのシェリスの防御は敵である俺の目からしても完璧なものであったと言えるだろう。


(しかし……!)


 いまはその完璧さ、が逆に仇となった。


 セカンドの領域を極限まで速度と打撃に絞り込んだ俺の一撃は、想定以上に重い。


 肉体面においても精神面においても、『予想外』の衝撃は大きな動揺と、判断処理の為の隙と空白を生む。


「ち……!」


 もちろんその点においても、シェリスは考えうる最小限の時間で抑えたはずだ。


 コンマ数秒――。


 ともすれば脳や神経を伝達する電気信号と等しい程度の僅かな空白。


 しかし、それは俺のいまここにいる『領域アクセラ』においては致命的にすぎるほどの時間。


 俺はそのまま――当てた肘をシェリスの防御に重ねたまま、体を強引に捻りきり――!


「げぅっ……!」


 回転そのままの勢いに、更になぎ払うように回し蹴りを重ね当てる。


シェリスはそれも受け止めようとはしたものの、態勢を崩した不完全な防御ではそれを殺しきれない。


 受け止めた腕……肘ごと、脇腹に蹴りがめり込んだ。


「げほっ……!」


「圧して貫くとは……こういうことだ」


「乱世……お前……」


 椿芽が後ろで息を呑む気配が感じられる。


「……………………」


 アクセラのセカンドまで椿芽に知られるのは、まだ早い、とは思った。


しかし……俺は目の前の相手を過大にも過小にも評価しない。


この相手――シェリスはアクセラなしで妥当できるほど、甘くない相手だ。


 その証拠に……。


「げほっ……! ちっ……あばら二本くらい……イかれたかも……」


 言いつつも、其れで尚、不敵に笑みを浮かべつつ、立ち上がる。


 闘志そのものは、いささかも消えていない。


「……バイタルでの勝敗なら、もう決するダメージのはずだ」


「……かもね」


「加えて……お前は椿芽を相手にした後での連戦。誇りを傷つけられる結果にはならないだろう」


「……かもしんないね」


「……それでも負けは認めてくれないか」


「へへッ」


 シェリスの表情が明らかに変わった。


 覚悟の……顔だ。


「無傷で倒せないってんなら……こっちもやりようはあるんだよッ!」


「……っ!」


 拳の一撃をぎりぎりに払う。


「うらぁっ!!」


 もちろん……それで攻撃が止まるシェリスでもない。


(むしろこれが……本来のスタイルか……!)


 手刀や棘で切りつける、貫く攻撃ではなく……正統派な打撃の乱打。


 あくまで体重を乗せての純粋な打撃であれば、俺に及ぶほどの重さではない。


 しかし。


(その分は……手数、スピードで補う……鍛錬されたいい拳だ)


 いかにアクセラを用いていても、クリーンヒットを受ければダメージは無視できない。


「どうしたっ……! さっきの威勢は……ッ!」


「………………」


 これ――だ。


 この攻防が無くては――闘いではない。


「くそっ……! まともに当たればっ……!」


 シェリスはファイトスタイルを変えたことで先刻までの余裕は消えている。


 ましてや椿芽との対戦で、いかに温存していたとはいえ、既に体力は消費してのことだ。


 俺もアクセラの使用による体力の消費は著しいが……このまま守りに徹すれば、先に体力を失うのはシェリスのほうだろう。


(守れば……安全に勝てる)


(バイタルチェックによる判定ならば、ポイントマッチとしても負けはしない)


(冒険は避け、安定した形で椿芽を守る)


(それが……天道乱世だ)


(天道乱世の……はずだ)


 そうだ。


 それが……天道乱世。


 そのはずだ。


 しかし――。


 どくん――と、心臓が跳ねた。


 何かを意識したわけではない。


 ないが――。


「………………!」


 先刻――。


 羽多野を守ったときの傷……血が視界に入った。


 あか


 それが――。


「なッ……!?」


 俺のかおにマトモに決まった拳に、誰よりも狼狽したのは当のシェリス本人だ。


「ばッ、馬鹿にしてるのかっ……! わざと食らって……ッ!」


「本気で――」


「なに……?」


「本気で……行かせてもらう」


「な……なにをっ……!!」


 シェリスは挑発されたと取ったのだろう、表情がみるみると怒りに変わる。


「ふざけやがって……!」


「………………」


 俺は――ただ、事実を言ったまでだ。


 しかし――そう取ってくれたのならばそれでもいい。


「……………………」


 シェリスが飛び退り、間合いが開いたことを機にセカンドを安定させる。


(サード――だ)


 一瞬。一瞬のみで充分だ。それで充分。それならば充分。


 現在の体力だとそれで後はないが――。


 それで――この『敵』は倒すことができる。


(いや)


 ちがう。


 目の前のモノを、確実に破壊できる。


「………………」


「笑った……? お前……どこまで……あたしを馬鹿にッ!」


 笑った? 俺が? まさか。


 いや――。


 天道乱世ならば――わらうのか。


 この状況を――愉しむのか。


「馬鹿に……するなぁッ……!!」


 来た。


 先に来た。


 今までとは明らかに違う。


 当たれば終り。


 強い拳だ。


 アドレナリンにまみれた脳に、思考の断片だけが舞う。


 冷静な考えではとてもない。


 しかし冷えている。


 熱く……熱く冷えている。


「………………サード」


 がちり、と歯車が嵌まる音がする。


 シェリスの突進を受け、俺も疾走はしる。


 疾走りながら、ゆらりと拳を構える。


「そんな見え見えのッ……!」


 シェリスが哂う。


 彼女にしてみれば、真正面に飛んできたモノを弾くだけ。


 簡単なこと。


『ここに来ると判っているものをただ当たらないようにすればいいだけ』


 その上で、自らの拳を、手甲に装備された棘を俺の心臓に突き刺すだけ。


 そういった……余裕以前の、至極当然のかお、だ。


 俺の拳が――。


「軽く弾いて――!」


 シェリスの腕に弾かれ――。


「…………え?」



 ぐしゃ――り――。



 伝わるのは、ただ砕ける感触。


 正確に、寸分と狂わず、真っ直ぐに。


 シェリスの防御をした左腕に着弾した俺の拳は――。


「う……ああああああっ……!」


 シェリスの左腕を、ほぼ完全に粉砕していた。


 ありえない形にねじくれ、内部の骨欠によって裂けた皮膚からは、思い出したように血があふれ出す。


 彼女は二つの誤算を犯した。


 ひとつは一点に集中したアクセラ領域の威力。


 受け止めるのではなく、多少自分の攻撃の威力が削がれたとしても、無難にかわすべきだった。


 打ち抜くこと一点に特化したギアの拳が、まともな人間の身体で受け止めきれる筈などない。


(ヒントは……さっき出ていたはずだがな)


 先刻、俺には常識外の威力を持った攻撃がある、とアバラ二本と引き換えに学んでいたはずだ。


 俺の中で……いや、今や俺自身と化している『誰か』が哂う。


 もちろんシェリスの性格と、直前における挑発で、彼女が己のプライドからそれを受け止める以外に選択肢を選ばない、ということもっておきながら、だ。


 そしてもうひとつの彼女の失敗――。


「ぐうううぅぅっ……!」


 シェリスは折角、あとコンマ数秒で着弾していた筈の右拳を引き、その破壊された左腕を抑えて悶絶している。


(まだだろう)


 まだ……痛み、ではないだろう。


 破壊された己の肉体は、その本人に、まず視覚情報として衝撃を与える。


 痛い。


 痛いはず。


 痛いに違いない……。


 その視覚情報は、現実の痛覚情報を遥かに超えたダメージを与えうる。


 彼女は右腕で俺を打ち抜くべきだった。


 痛覚が痛覚として脳に至る前に、手刀を、棘を……俺の心臓に食い込ませるべきだった。


 哂う。


 誰かが、その甘さを、わらう。


 けたけたと、狂いわらう。


 もちろんそれも彼女の攻撃が心臓ではなく、あえて心臓は外し致死には至らないだろう部分を狙っていたこと……。


 流石に憎むべき相手であっても殺人はしない――したくないという意識も、っていて、だ。


「……………………」


 俺は……シェリスの右肩を掴み、引きずり起こす。


「ぐ……あああぁぁぁぁ……」


 うめき声を上げ、俺を睨む瞳にも、もう……力は無い。


 いや……睨んでいる体裁も、ない。


 怯えている。俺の想定外の威力に。見込みの甘さではなく。この威力にはどうあっても敵わないという、決定的な畏れ。


(さすがにそろそろ……本来の痛覚も来始めている、か)


 いや。


 まだだ。


 右腕があれば――俺を――椿芽を充分に殺せる、じゃないか。


「……………………」


 そうだ。足も危ない。潰さなきゃ、蹴られる、じゃないか。


 いや。


 いやいやいや。


 歯もある。いや。頭そのものだって武器になる。体があるなら何かしらの抵抗はできる。俺ならできる。ならば目の前の怯えたこいつにもできておかしくない。


 ならば。ならばならばならば。


「う……あぁ……」


 呻く。気を失うか。それでも脅威でなくなるわけじゃない。脅かすものでないという保証などない。ならば、ならば。


「乱世……。おい……! 乱世……!」


 嗚呼。


 人間はなんて面倒なんだ。


 これじゃ――。


 これじゃ、本当に、殺してしまうしかないじゃないか――。


「乱世っ! そこまでだっ! もう……決着はついた!」


 椿芽が……俺の腕にすがりつく。


「椿芽……?」


 明確に感ぜられる体温。


 その暖かさに反比例をして……。


 冷える。


 頭が、身体が。


『…………告。警告。参加者のバイタルサイン、低下。判定勝利。勝者は速やかに戦闘を中断、判定結果を待て。繰り返す……』


 麻痺していた聴覚に、スピーカー越しの声がようやく届いた。


「そこまでだ……乱世……!」


「……………………」


 シェリスは、痛みかショックか……もしくはその両方か、既に意識を失っていた。


「乱世……!」


「……ああ。判っている。判っているよ」


「………………」


 俺は……無理に常態の表情を作って、椿芽に向けた。


 いつ――?


 いつから――だ――?


 何時いつから……俺は俺で無かった……?


 記憶は例のごとくに明瞭だ。全て覚えている。


 シェリスとの闘いの一挙手一投足に至るまで。


 そして……自分がしようとしたことも全て。


「大丈夫……問題ない。問題は……」


「乱世……」


 俺がどんな言葉を返しても……椿芽は、ただ不安げに……。


 俺のことを見詰め続けていた。


「………………」


 それを責める視線と感ぜられたのなら……それは俺の側の問題なのだろう……。


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