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乱獣の巣

「それじゃ、みなさん。今日の授業はここまで」


 古めかしいチャイムの音が教室に響き、晴海先生が教材をまとめる。


 この学園であれば、さぞかし通常の授業などはぞんざいであろうと思ってはいたのだが……。


「ちゃんと明日に備えて予習してきてね、みんな♪」


 意外にもぞんざいどころか、むしろ必要以上に真面目に、そして和やかに授業は進み、そして終わる。


 今などは、何人かは子供のように『はーい』などと行儀良くお返事までしてみせたものだ。


……クラスの大半がゴリラ然とした肉体派なので、ビジュアル的に可愛げはないのだが。


「うふふ♪ それじゃ……また明日」


 言いつつ、晴海先生が教室を出て行く。


 その要因の大半は、恐らくあの教師のお陰だろう。


「沖野先生って……イイよなぁ……」


「ああ。たまんねぇ……」


 ため息のような言葉が、まだ授業の余韻で多少は静かな教室のそこかしこから漏れる。


「俺……俺っ! この際、いっそ……!」


「お、おめぇ……まさかっ!」


「こうなったら……強引にでも……っ!」


 一瞬、『姦』の字が付く系の犯罪を懸念しなくもないが……。


「せ、先生に……らぶれたーをっ!」


「おめぇっ! ぬけがけは許さねぇぞっ!」


「で、でもようっ! 俺っ! 俺ぇっ!」


 ……ああ見えても意外にも純情派が多いようだ。


 もっとも生徒の大多数はこれまで然したる女性遍歴もなく、ただ強さのみを追い求めてきた連中ばかりであれば……。


 存外、『外』の世界よりも、そういう意味では純真で平和的になるのが当然なのかもしれない。


 もっともあの女であれば、純情ならざる『よからぬこと』を企てても、そうそう簡単にはいかないものとも思うが……。


 さて。


 それはそれとして俺もそろそろ――。


「ん?」


「どうした、乱世?」


「いや」


 俺は退席処理のために机のスロットから生徒証を抜く間際に届けられたメールを……あえて椿芽の目から隠した。


「すまん。ちょっと……用事ができた」


「用事……? 今日は新しいメンバーを探すと……」


「そっちは頼んだ」


「あ……おい! この……勝手なことをっ!」


 適当な理由も思いつかないため……俺はそう言ってとっとと逃げ出すことにした。


「乱世っ! この……横着モノめっ!!」


 サボりと思ってくれるならそれで好都合だ。


 あとあと面倒だな、とは思いつつも……。


※        ※        ※


「ここか……」


 俺は『乱獣』とプレートの貼ってある部屋の前に立った。


「特注か。しかもこの銀はメッキじゃないな」


 彫刻の成されたプレートを指で軽くなぞる。


 この頼成組――乱獣を含む4大派閥に限らず、それなりの規模を持ったグループには、その組織の大きさに応じた個室――。


『特別教室』もしくは『私教室』などと呼称される個室が与えられていることは知っている。


 実際、ここに来るまでのフロアでもいくつかの特別教室の前を通ったものだが……。


 大概は扉に直接、団体名が殴り書きされていたり、多少、丁寧なところでもプラスチックのプレートに印刷という所が大半だった。


「……羽振りのいいことだな」


 もしくは単なる趣味、の問題なのか。


 そもそも……ここから見える範囲には、この乱獣以外のプレート等はかかっていないのだ。


 もしかしたらこのフロアの全てがが乱獣――頼成直人一派のものなのかもしれない。


「さすがは学園4大派閥、と言ったところか」


 俺はそのまま目の前の扉を開ける――。


「ああ……はぁ……んっ……。んん……ん……あ、ああぁぁぁ……」


「らんじょう……さまぁ……。んっ……んんっ……あ、はぁぁぁぁぁぁぁぁ……」


 むっ、と鼻をつくような汗ばんだ肉の匂い。


 そして、部屋に入る前から漏れ聞こえていた声の正体。


 室内には多数の女性たちが……それこそ、少女と呼んで差し支えないものから、教師として差し支えない年齢に見えるものまで、一糸纏わぬ姿で転がっていた。


 そして……。


「はぁ……はぁ……はぁぁ……」


「んっ……あ……あぁ……」


 その全てが艶かしい表情を浮かべ、蕩けた声を漏らし発情していた。


 しかし、室内には彼女たちと絡む男らは存在していない。


「あ……ああんっ……。はぁ……ぁぁぁ……」


「うふ……うふふふふふふ……」


 それぞれが、理性を失した表情で……ただ、発情している。


「…………………………」


 壊れて、いる。


 それが直感であり、また事実だったろう。


 彼女たちは人間としての理性も尊厳も失い……ただ痴態を続けているだけだ。


「あ……う……うぅ……あ……はぁ……」


 声を上げ、押さえきれない情欲を自らで慰めるようにしているものはまだマシな方で……。


 中には、声を上げることすらもできず、ただ虚ろな表情のままで病的な痙攣を続けている者も居る。


 やがて――。


「遅かったな、天道乱世」


 奥のドアから、この特別教室の主が姿を現す。


「ああ……」


「頼成……さまぁ……」


 途端に、室内の女性たちの表情に、僅かな理性の灯火が浮かぶ。


 緩慢に、ではあるものの視線を彼に向け、不自由そうに体を動かして、少しでも彼に這いよろうとする。


「すまないな。まだこの校舎に慣れていない。にしても……」


 俺はもう一度、周囲に視線を巡らすようにして……。


「……いい趣味だな」


 頼成直人に向き直った。


「だろう?」


 頼成はこの間と変わらぬ、不敵な笑みではあったものの……僅かではあるものの、愉快そうな色をそこに浮かべた。


 それは俺の皮肉に応えたものではなく、子供が自慢の玩具を褒められて浮かべる類のそれと同じだ。


「気に入ったモノがあれば好きに使うといい。ここの奴等はあくまで接客用だ」


「なるほど。ここは応接間ということか」


「そうなるな。奥にはまだ使える連中をまだまだ『保管』してある」


「いい趣味だ」


 俺はもう一度言ったが、頼成はそれを素で皮肉とは受け止めず、むしろ満足そうに笑んで目の前の椅子に腰掛けた。


 頼成は手近な女の顎に手をかけ、撫でるようにしてみせる。


 女は猫のように喉を鳴らし、嬉しそうな笑顔でそれに応えた。


 その女の顔には、大きな傷が額から顎のあたりまで縦断している。それも、ごくごく最近にできたと思しき傷が、だ。


「こんな使い古しでも……女は女だ。使い道はある」


「……そうか」


「ん? どうした、お気に召さないか?」


「人並みの感覚においては、な」


「ははッ! 面白い事を言う! 人並みの感覚のある人間が、この学園に来るのか?」


「……………………」


 それは正しい認識だろうとも思うが――。


 ……いや。別にそんな議論を交わすために来たのでもないし、頼成にもそのつもりは無いのだろう。


「……まぁ、そんな急くなよ」


 俺の無言を、用件を促したものと察したのか、頼成は僅かに片方の眉だけを上げて、俺を見た。


「なんなら……そうだな。おい」


 頼成が教室に転がっている女に視線を走らせながら声を発すると……。


「……はぁい」


「……………………」


 それまで「ああ」とか「うう」とか呻くだけのオブジェでしかなかった女たちの中から、二人がのろのろと俺の方に近づいてきた。


 四つ足のけだもののように俺の前まで這いずってきた二人は、そのままかしずいて控える。


「……なんのつもりだ?」


「ふふ……。おもてなし、だよ。客人には礼を尽くす……当然だろう?」


 頼成の言葉の意味は、彼女たちの姿勢……そして何よりも俺に向けられたその発情をした視線からもすぐに合点がいくことだ。


「俺は――」


 そういった趣向は好まない、とでも言おうとしたろうか。


「中古は好まないか? それじゃあ仕方ねぇな、本題に入ろうか?」


 頼成はまるでその俺の思惑すらも察したかのように、口を開く。


「…………ああ」


 俺は、いまだに床を舐め続けている娘たちを、わざと視界から外すようにして、頼成を見据えなおした。



「用件は大まかに二つ、だ」


「二つ……?」


「ああ。一つ目は……あんたに依頼したいことがある」


「依頼……?」


「ああ。困っているんだろう? 金……いや、ポイントに、か」


「困っているという認識ではないが……まぁ、万事問題がない、とまでは言えない」


「それは請けてもらえるものと受け取っていい答えか?」


「内容次第、だな」


「そう警戒するなよ。安心しろ、俺は男の尻には興味はない」


「……面白い冗談だ。笑えるほどじゃないが」


 本当に冗談だったのか、ある程度本気だったのかわからないが、頼成は俺の心底嫌そうな言葉を受けて、愉快そうに忍び笑いをしてみせた。


「悪い悪い。意外と面白いヤツかもしれないな、お前は」


「それは俺も同感だ」


「探し物、だ」


「探し物……?」


「ああ。簡単な依頼だ」


「……そうは思えないんだがな」


 わざわざ俺などを呼びつけてさせる『探し物』、だ。


 まずまっとうでないことは誰にでもわかる。


「皿、を探して欲しい」


「皿……?」


「もちろん陶器の皿、じゃない。俺は秋津のような骨董趣味じゃない。硬い皿より柔らかくて暖かい肉、だ」


 頼成は、さも面白い冗談を言ったかのように言うが……。


 秋津雄大が実際にそういう趣味を持っているのか、何らかの揶揄なのかも知らない俺には別に笑えもしないし、そもそも笑うつもりも無い。


 というかそもそも別に面白くもない。


「……ディスク、だ」


 頼成は僅かに拗ねたような口調でそう加えた。


「探してもらいたいのは、2枚組のディスクの……1枚だ」


「ディスク……か」


 それ以上に付け加える気配が無いところを見れば、それはそのまま普通に使われている記録媒体の、あのディスクのことだろう。


 もっとも俺や椿芽などは未だに記録と証されるものは紙媒体でないと落ち着かない、それこそ骨董のようなタイプなのであまり馴染みはないのだが。


「1枚は俺が所持している。しかし……片方が先日から行方不明になっている」


「まずは部屋の片付けから始めたらどうだ?」


「カバンの中も、机の中も、念入りに探してみたが、ね」


「それならば遺失物届けだな」


「……どうやら、知っているワケではなさそうだな」


 頼成は、確認するように俺を見て……言う。


 どうも俺がそのディスク……『皿』の在り処を知っているのではないかと疑っていた感が透けて見える。


 わざと隠語めかして言ったのも、俺の反応を見るため、だろうか。


「ここに来たばかりの俺が知っていると思うほうが不思議だと思うがな」


「皿は……男闘呼組に奪われた可能性が高い」


「男闘呼組……? 我道たちか」


「ああ。あいつらに誘われたんだろう、お前は」


「……………………」


 なるほど。


 それで何かを知っていると踏んだか……それとも、そもそも俺と我道が繋がっていると考えたか。


 どのみち、我道の誘いは断ったわけだが……いま、それを馬鹿正直に言うこともあるまい。


「知らないのなら知らないでもいい。それなら……そこを踏まえた上で改めて依頼しよう」


「我道の手から……皿を取り戻してくれないかな?」


「…………………………」


「そのものを奪還しろ、とまでは言わない。正直、そこまで期待もしていないしな。手がかりでもそれなりの報酬は払う」


「……スパイをしろ……と?」


「そこまで言った覚えはないが……まぁ、実りのある情報なら買うが、な」


 こと、ここに至っては……頼成も皿だかディスクのことだけの話ではないのだろう。


 要は我道と繋がりのありそうな俺を何らかの形で利用できればそれでいい……ということだろう。


 客観的に見れば、ポッと出の新入生が、いきなり我道のような、頼成と同じく頂点の一角と接触しているのは奇異にも映るし、それなりに目立つことなのだろう。


 だからこそ頼成はその確信を持って、俺に接触してきた……と。


 もっとも、我道が俺達にたびたび接触しているように見えるのは、むしろ俺ではなく椿芽目当てのようなのだがな……。


 まぁ、これもわざわざこちらから詳らかにすることでもあるまい。


「とにかく依頼はしておく。それなりに期待もしておく」


「目をかけられたわけか、俺……いや、俺達は」


「いい方として考えておいて欲しいところだな。だからこその二つめの話だ」


「だからこそ……?」


「ああ。お前が望むなら……この頼成組に取り入れてやってもいい」


「ほう」


「もちろん、先の依頼も含めてお前の実力次第、だが……」


 頼成は俺から視線を外し、ぐるりと室内を見回す。


「?」


「お前も……そこそこにいい女を囲っているな」


「……意味がわからんな」


「そのままの意味だ。特に……あの剣士のほうは、上玉だ。ああいう……凛としたタイプは俺の好み、だ」


 ……人気だな、椿芽。


 まぁ、嬉しくはなかろうが。


「ああいう女を屈服させ、侍らすのは……愉しい」


 やはり、椿芽を置いてきたのは正解だったな。


 もちろん、椿芽が同行していたならば、この部屋の状況を見た段階で、とても依頼だか取引だかの話にはならなかったろうが。


「……それで?」


「率直に言うが……お前のツレを差し出すのなら、そのままこの頼成組に加えてやってもいい」


「………………」


「悪い取引じゃない。いかに俺の好みといえど、無名の生徒を取り立ててやるほどのタマじゃない。もう一人の垢抜けない一般生徒上がりをオマケに加えて、トントンと言ったところだな」


 頼成の言葉に、俺は明確に嫌悪感を抱いている自分に気づいていた。


 俺とはおおよそ、相容れないタイプである、と。


 ついでに言えば、茂姫のヤツがフランクに除外されていることにも気付いては居たが……まぁこれは別にいいだろう。


「どうだ?」


「お断りだ」


「……即答か。意外だな。それほど女に執心するタイプではないと思ったが」


「かもしれんな。しかし……」


「?」


「仲間を売って、しかもその見返りがあんたの下につく程度などと……天道乱世がそれほど安いタイプではない、ということも記憶しておいてもらおう」


「……大きく出たな」


「話が二つなら、用件はここまでだな」


 俺はそのまま踵を返して部屋を出ようとするが……。


「後悔しないといいが、な」


 頼成は低く呟くようなその言葉を、俺の背中に投げかけてきた。


「ああ、ひとつめの依頼については、それでもまだ生きだ。俺としちゃ、お前にキチンと依頼したものと思ってるからな」


「きちんとかどうかはともかく……ずいぶんと寛容だな」


「クク……寛容だよ? 俺は。知らなかったかい?」


 ……とどのつまり俺は、悪様あしざまに申し出を蹴られたとしても機嫌を損ねるまでもない相手、という認識か。


「それじゃ……ハナシはここまでだな……おい」


 頼成が、控えていた部下に合図をすると……。


「きゃっ……! い、いやっ!!」


「うふふ……なぁにぃ……?」


 先刻、俺に差し向けられた女二人が部下たちに脇を固められ、連れられていこうとしている。


「…………?」


「いや、な?」


 頼成は俺の視線を見て取り、言葉を先回りして続ける。


「コイツらはぶっちゃけイロイロと客に粗相そそうがあったからな。廃棄寸前だったわけだ。そして……最後のチャンスだったお前の接客にも失敗した」


「俺は――」


「お客様に心底、愉しんでもらうのがもてなし、だ。それを受けてさえもらえないなら……もう使いみちはねぇやな? クク……」


 頼成は二人を取り押さえている部下に、また指示をする。


「再調教だ。連れてけ」


「い、いやぁっ! もう……あんなのは……あんなのは嫌ァッ!!」


「あは……あはははは……。あたし……壊されちゃうの? 今度こそ……本当に壊れちゃうんだ……あははは……♪」


 まるでモノを扱うかのように引きずられていく二人を前に、俺は……。


「……待て」


「……ああ?」


 頼成は……まるで待っていた、というようなタイミングで俺を見る。


「その二人を……引き取ることは、できないのか」


 自分でも……なぜ、そんな事を言ったのかは分からない。


 仏心のようなものだとすれば……それは偽善だ。


 この部屋だけでも、既に彼女らと同じような境遇の――。


 いや……恐らくはもっと手酷い扱いを受けたであろうと目される者は数十人と居る。


 ここに見えているだけでも、だ。


 その中で一人か二人を救おうと言うのは……只の偽善。


 俺に良心、などというものの残滓があるのだとすれば、恐らくはその欺瞞。


(しかし……)


 俺がこの部屋で――。


 部屋の主である頼成を含めても、おおよそ、人間と呼び得る相手と接したと思えるのは、あの彼女だけだった。


 それだけ……いわばただそれだけのことなのだ。


「クク……。そりゃあ、手付けっていう風に取っても……構わねぇのかな?」


「む……」


 そういう――ことか。


 そういう腹積もりがあるから……俺の目の前で二人を処分しようとした。


 だからこそにタイミングを見計らっていた、か……。


「……いや。先の件は、俺が一存で決められることじゃない」


「クク……。それじゃあ、金で買う、かい?」


「………………」


「おやおや……こりゃ、困ったな。ギブアンドテイクが成立しない」


 当然こちらに相応の資金などは無いということを知っての言動だろう。


 だとすれば俺がZクラスの支給金として持っているポイントで足りる額を提示してくるとも思えない。


 そもそも頼成にとっては、そんな端金はしたがねを得ることなどは、本意などではないのだ。


 どうする……?


 力ずく、などというのが余りに無謀ということは、考えるまでもない。


 先の依頼を迂闊に飲むのもそれはそれで危険すぎることだ。


 俺が躊躇のような間を作ると……。


「ククク……。新入生を、そうそう苛めちゃ、大人げねぇよな」


 頼成は、さも可笑しそうに、笑う。


「………………?」


「冗談さ。そこまで俺も狭量じゃねぇ。せっかくここまでご足労頂いたんだ。土産のひとつも持たせるつもりじゃ、あるぜ?」


「………………!」


 羽交い絞めにされていた娘の表情が、半ばの喜びと、半ばの困惑の驚きに満ちた。


 彼女自身としてもまさか、救いの可能性があるとは思っていなかったのだろう。


「ただし……」


「…………?」


「二人っていうのは……いささか、強欲が過ぎるぜ?」


「……なに?」


「どちらか一人……だな」


「…………!」


「どっちか一人、だ。それで満足してもらわないことにゃ……な?」


 頼成は、さも面白いものを見るかのように……俺の顔を覗き込んで、言った。


 俺は――。


※        ※        ※



「晴海先生か? ああ……そうだ。天道だ」


 俺は携帯電話の使い方に悪戦苦闘しつつも、どうにか目当ての相手との連絡に成功した。


 念のためと思い彼女の番号を茂姫に登録してもらっておいて良かった。


「……いや、そうじゃない。生徒を一人……保護してほしい」


 品の無いからかいの言葉をするりとかわし、すぐに本題を切り出す。


「ふむ……。そうか。いや……詳しい事情は来て貰ってから話したほうが早いだろう。これから職員室まで……ん? こっちに来てくれるのか、それなら助かるが……こちらの場所は――」


 通話を終わる。


『あなたに来させるんじゃ、何時間待てばいいか分からない』とはどういう意味だろう。


 まぁ、向こうから来てくれるということになったのだ。良しとしよう。


「すぐに晴海先生……沖野晴海教諭が来てくれるとのことだ。安心していい」


「……はい」


「学生証はもう無いと言ったな。既に学籍が抹消されているというのなら……残念ながら退学処分になるとのことだが……」


「いえ、それは……構わないですが……」


 言葉を詰まらせる。


「……愚問だったな」


「いえ……」


「……すまない。」


「え……?」


「力不足と言うなら……責めてもらっても構わない」


 結局……あの場所から救えたのは、彼女一人きりだ。


 もう一人の娘は相変わらずの壊れた笑みのまま、連れられてしまった。


 もちろん、この娘の目の前で……だ。


 中途半端な善意は、時に悪意よりも始末に負えない。


 この娘にすれば救われはしたとはいえ、あの連れられていった彼女の犠牲の上に救われた……そういう思いが、今後常につきまとってしまうことなのだろう。


「でも……あのときは……ああするしか……」


 彼女は懸命に言葉を捜すようにして、それだけを言ってくれた。


「そう言ってもらえれば救われもするが……」


「……………………」


「それほど……酷いのか」


 あの頼成の率いる、『乱獣』の待遇というものは。


「……はい」


 その言葉の裏にある……重み、そして彼女の浮かべた沈痛の表情だけで、それは十二分に察せられる。


「わたしは……もともと、ランカーではない一般生徒でした。たいていの子が……そうなんでしょうけど……」


「……そうか……」


「通学途中に、いきなり攫われて……それから……それから……」


「……いい。無理をして……語るな」


 口にすれば……記憶は再現される。


 そのときに与えられた苦痛もそのままに、だ。


「しかし……なぜ、あんな無法がまかり通る……」


「頼成様は――」


 彼女は、解放をされた今でも、あの男に『様』をつけて呼んだ。


 恐らくは無意識だ。


 それほど頼成言うところの『躾』は苛烈だったということに他なるまい。


「頼成様は……この学園における、頂点の一人ですから……。ここでは、ランキングが……力が、全てなんです……」


「……聖徒会や教員すらも、か」


「上位団体に与えられた特別教室は……原則として治外法権なんです」


「……………………」


 それを聞き……正直を言えば、安堵するところもあった。


 あの場はああは言っても、もしかしたらまたこの娘は連れ戻されてしまうかもしれない……。


 だからこそ、すぐさまに晴海先生への連絡を取った訳ではあるが。


 とまれ、あの教室の外へこうして連れ出すことができてしまえば、聖徒会の規律は有効ということらしい。頼成もそうそう無体な真似はできないということになる。


 もっとも彼女がかどわかされた事、そのものが違法でもあれば、それは気休めの部類なのかもしれないが……。


 そのとき……。


「来たか」


 廊下の先に、見慣れた晴海先生の姿を見つけた。


 先生のほうも、俺たちを見つけたとみえて手を振っている。


「俺のできることはここまでだ……。あとはあの先生を頼るといい。ああ見えて意外にできた先生だ」


 事情についての突っ込んだ話となれば、むしろ男の俺がいないほうがいいことが多いだろう。


 俺はこのまま退散しようとするが……。


「あ、あのっ……!」


「なんだ……?」


 呼び止められ、振り返る。


「ありがとう……ございます……」


 彼女は俺の目をみつめ、初めてみる笑顔で、そう言ってくれた。


「いや……」


 俺がそう、ぶっきらぼうにも聞こえるように言ったのは……柄にもなく、照れていたとでもいうのだろうか。


「本当に……本当に、ありがとうございました……」


 俺の背中に向けて……彼女は、もう一度……そう言った。



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