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椿芽の変化

そしてその夜のことだ。


「邪魔するぞ」


「………………」


 例のごとく、沐浴をするための泉にて椿芽と会う。


「なんだ、椿芽。妙に味のある顔をして」


 苦笑しつつ、俺も冷えた水に体を浸す。


 今日という日はさすがにこの水も心地いい。


 当然……昼に負傷した右腕はさり気なさを装いつつ、椿芽の視界からは隠すよう務めるが。


「顔に関してお前に言われる義理はひとつたりとも無いつもりだが……」


 椿芽は何故か俺から顔を背けるようにしながら、拗ねたような口ぶりをしてみせる。


「そうか? それじゃ、なんだ」


「……お前は……なんで私が沐浴をしているときに、決まって現れるのかと……」


「うん? 前に言ったろう。二人だけでないと話しにくいこともあると……」


「聞いた。それは……聞いたが……」


「?」


「その……なんだ。何も沐浴の時でなくとも……勇のお陰で部屋もできたろう、それぞれに」


「そうか。それもそうだな。それじゃ……」


 とりあえずの汗は流した。腕のほうはむしろ椿芽の視線が無い方が冷やしやすいかもしれない。


 俺はそのまま水から上がろうとするのだが……。


「ら、乱世! どこへ行く!」


「ん? いや……それならば後でもいいのだろう。上がったら部屋まで来てくれ。そこで話そう」


「い、いや……その……な……」


「なんだ? まだ……何かあるのか?」


 こうも歯切れの悪い椿芽も珍しい。


「いい……」


「は?」


「い、いいから……そのままここで話せ」


「しかし、お前……」


「い、いいから! 後でなどと……効率も悪い。それに……」


「それに?」


「……………………」


「椿芽……?」


「う、うるさい。とにかく……このままでいい」


「そうか? お前がいいのなら、構わないが……」


 俺はそのまま、手近な場所に腰を下ろす。


 椿芽の許しが出たのであれば……体はもうちょっと冷やしておきたい。


「………………」


 明日からのことを鑑みれば、やはり右腕は今のうちに冷やしておくべきだろう。


 それに――。


 今日のあの牙鳴円との接触で、俺はあの時咄嗟に不完全ながらもアクセラを使ってしまっていた。


(使わされた、というべきか……)


 アクセラの瞬発力の要は脚部の筋肉だ。


 実際のところ、あれを使った後は俺の下半身、ことに足回りの筋肉はかなりの時間、その余韻によって高熱を持ち続ける。


 自在に使いこなすためには、まだまだ鍛錬が必要だな……。


「お、おい……乱世」


 可能なら、このまま今日の鍛錬もこの泉を利用して行いたいところではあるが……。


「……乱世?」


 しかし、ここは寮に近すぎる。


 鍛錬の音が届かないとも限らない。


 もっとも……。


「乱世」


 もっとも、だ。


 昨夜のあの場所ではまたあの興猫ふうなおとかいうヤツが現れないとも限らない。


 そうなれば、結局アクセラの鍛錬はできないか……。


「……乱世」


 しかし。


 また新たな場所を、となれば……また陽が出るまで帰ってこれないという危険もある。


「……おい」


 ふむ……困ったものだな……。


「………………」


 ごす。


「……痛いぞ」


 気づけば、右頬にめり込む椿芽の拳。


 ふむ、椿芽も椿芽で鍛錬を欠かしてはいないらしい。いい拳だ。


「起きたか?」


「寝ていたわけではないぞ」


「同じようなものだ、ぼうっとしおって。何か話があったのではないのか」


「……っと、そうか。すまん」


「まったく、お前というやつは……」


 椿芽は苦笑するが。


「……すまん」


「よせよせ、別に今に始まったことでもなし……今更、謝られても――」


「いや、違う」


「ん?」


「今日の昼のことだ。結局……騒ぎを起こしてしまった」


「ああ、それのことか……。それこそ今更、だ。お前が騒ぎを起こすことなど今に始まった事では……」


「いや……。少なくとも、俺はお前が起こすなと言っていた騒ぎを、自ら理解していながら起こした」


「……聖徒会との悶着のことか?」


「ああ」


「ふん、それこそ……やはり今更、だろうに」


「いや……。少なくとも、聖徒会に関しては元々お前自身が自制したことだ。俺は、そのお前の意思を結果、無駄にする形にしてしまった」


「乱世……」


「それは……今までのこととは意味が違う。俺は――」


 お前の――。


 椿芽の人形であるべきなのに――。


「……構わん」


「………………」


「お前の暴走については諦めている、と言ったはずだ」


「しかし……」


「それに、だ。事の仔細は勇に聞いた。その状況でキレない乱世は……乱世じゃない」


「椿芽……」


「少なくとも……私の知っている天道乱世ではない、な」


「試されたのかな、天道乱世は……鳳凰院椿芽、に」


「ふふ……どうかな。しかし……お前がやらなければ、いずれ私がやっていたろうさ」


「そうか……」


 俺は多少なりとも安堵した。もちろん、自責の念がそれで消える訳ではないのだが……。


「それで……?」


「うん?」


「それだけでは……ないのだろう? お前が、わざわざ私に謝る為だけに二人きりの時間をつくるほど、空気の読める人間だとも思っていないが」


「手厳しいな。そして……何とも分かってらっしゃる」


「ふふ……付き合いも長いからな」


 俺は昼間の件を思い出しつつ、いったん表情を引き締める。


 牙鳴 まどか――そしてあの謎の男――。


 それら、俺の理外たる存在のことを踏まえて、だ。


「これからは、ある程度強気に攻めて行く必要がある……と、俺は思う」


「程度問題では、私も同意見だな。しかし……」


「ああ。大きい派閥……そして、聖徒会に舐められない程度の動きをするにはまだ若干、不安はある。人員的な意味でも……」


「……個々の実力的にも、か」


 椿芽はそこで初めて表情を硬くした。


 その理由は明白だ。


「羽多野に聞いたとは思うが、昼に牙鳴円と接触した」


「………………」


 副会長のほう、牙鳴遥の実力については概ねの察しはついていた。


 俺も、椿芽も、だ。


 もちろん、最初に遭遇したときに件の牙鳴円に関してもそれなりに実力は推し量ってはいたものだ。


 しかし……。


 しかし、だ。


「正直……予想以上だった。いや……ともすればそんな程度のものですらないかもしれない。あれは……」


 ずきり、と腕が痛む。


「あれは……レベルそのものが違う。少なくとも今の俺たちに於いては……」


「お前がそこまで言うのなら……そうなのだろうな」


「……珍しいな。お前がそうも簡単に認めるなんて」


「当たり前だ。実力に関してはともかく、私はお前の目に関しては信頼している。そしてお前は自分の見たものを過大にも過小にも評価したりしない」


「………………」


「それに……私自身も、あの転入初日に牙鳴円を見たときに、重々感じてもいた」


「椿芽……」


「多少の差ならば私だって強がりも見せよう。並みの努力で追いつける差であれば、自分の成長を見込んで、虚勢も張りはするが……」


 椿芽は僅かに目を伏せた。


「私だって、自分の実力に慢心をしているわけではない。今が自分の成長の限界とも、それに近しいとも思っていない。だからこそ、自分への鍛錬も欠かしはしない。お前と違ってな」


「ああ」


「しかし……そういった日々の鍛錬、切磋琢磨ではとても追いつかない……次元の違うものを……感じた」


 椿芽がそこまで言うのは、単純に俺と同じレベルの違う相手と対峙したショックから来るものだけではあるまい。


 同じく刀を使うものとして、俺では図りえない何かの壁を感じているのかもしれない。


 しかし――。


「弱気か?」


「冗談を言え」


 椿芽は……僅かに眉を吊り上げて、俺を睨んだ。


「お前も……『今の』私たちに於いては、と言ったろう。そして私の先の言葉も、これまでの鍛錬では、という意味で言ったつもりだ」


「ほう……」


「越せない壁、などとは思っていない。むしろ……明確な目標を与えられたと、いくぶん嬉しくすら思うくらいだ」


 その言葉は虚勢ではあったろう。


 しかし、先刻椿芽が言った意味合いにおいての、虚勢だ。


 ネガティブな意味でのそれとは根本の意味合いが違う。


「ならば……これまで以上の鍛錬を己に架せばいい。未だ見ぬ限界でも足りなければ、それを越えればいい。ただそれだけのこと、だ」


「そう……だな」


 ともすればドライに見られがちな椿芽ではあるが……その実、根底に燃えているものの温度は、限りなく高い。


 俺などよりも、それは……遥かに。


 ただ、家や流派……そういった、己の背負うものを必要以上に認識しているがゆえ、そういう面が主として出にくいだけのことだ。


 もちろん、俺はそういった部分は理解していたつもりではあるが……。


「安心したよ」


「安心、だと?」


「ああ。椿芽は……変わらないな」


「乱世……?」


 そういった部分を、身内にしか――。


 今のこの学園に於いては、俺だけにしか見せないことには、若干の心配はあった。


 心というものはある意味において、臓器だ。


 それが内包するもの……。


『誇り』『気概』『情熱』といった類の感情は――。


 時に栄養を与えなければ……そして折に触れて外に排泄しなければ、そのままに活き腐れていく。


 内に秘めた『感情』は、呼吸というものをさせなければ……大概の臓器がそうであるように、本人も知らないうちに変質していく。


 もちろん、稀にはそれがいい方向に変じることもあるが……大概の場合においては、悪い方向に変じていくのが往々だ。


『ここが自分の限界だ』『ここまで頑張ればもういいだろう』などの、意識としての下方修正という魅力に人間は抗えないものだ。


 だからこそ人間は時に自分の意思を他人に詳らかにする必要がある。


 時に『そんなことは無理だ』と諌められ、時に『いやもっとできるはずだ』と勢いを付けられ……。


 それにより、『心』という臓器はその活動を活発にする。


 もちろん、やはりそこにおいては、それにより転じることが良い場合もあれば悪い場合の両方の場合があるのだが……。


 少なくとも椿芽には、そういったことを、積極的に外部の人間がしてやったほうがいいと、俺は思っている。


「……また考え事か?」


「ん? ああ……」


「本当に仕方の無いやつだ」


「そうだな。自覚はしている」


「私の心配をするよりも……お前の方こそ、もっと切磋琢磨をするべきだ」


「そうか?」


「当たり前だ。確かに、あの牙鳴円とまがりなりにも対峙できたことなど、今日のお前は私の予想を超えていたが……」


「………………」


「それでも……まだまだ、だ」


「だろうな。それも自覚している」


「せめて、毎日欠かさず基礎の鍛錬は続けろ。なんなら私が……」


「いや……俺は自分の実力を把握している。俺は今のこれが限界さ」


「乱世……」


「それに……天才というものは、基本的にそういった努力は必要ないもんだ」


「またそんなことを言う……。お前というのはいつもそうだ。地味な努力をしたがらない。それで天才などと、どの口が言うのか」


「それでも、お前の足手まといにならない程度にはなっているだろう? だから……天才なのさ、俺は」


「……どちらかというと、屁理屈か……サボりの天才だ、お前は」


「上手いことを言う」


「はぁ……」


 椿芽は呆れたように、大げさなため息をついてみせる。


 これも……まぁ、いつものことだ。


 クールダウン、というヤツだな。先の理論で言えば、心にはこういうことも必要だ。


「それで……それだけか?」


「ああ、もうひとつ……羽多野のことだな」


「勇の……こと?」


「ああ。同じ非戦闘要員でも茂姫はしたたかだ。ある程度は自分のことは自分で守れるだろう。しかし……」


「彼女は……そうはいかない、か」


「ああ」


 羽多野は本人自身も言っていたように、格闘技についてはまるっきりの素人のようだ。


 あの段階から鍛え上げるには……少なからず時間を要するだろう。


「しかし……彼女は素質を持っているんじゃなかったのか? お前の見立てでは」


「それは間違ってはいないが、な」


 時間がかかる――と言った。


 僅かばかりの才能も無い人間は、いくら鍛えても無駄だ。


 いや……多少、語弊があるか。


 何か身体に重大な欠陥でもない限りは、どんなに歩みが遅かろうが人間は確実に進歩は、する。


 努力が才気を上回ることさえも、ある。それは認める。


 しかし……この学園において、いま俺たちを取り巻いている現状では、その進歩をそうそう悠長に待っていられる余裕はない。


 そういった意味では、まだしも羽多野は時間はかかれどモノになる程の才気は感じられる、という事だ。


 だが――。


「今後、聖徒会にせよ対抗勢力にせよ……何がしかの陰謀でターゲットになりえるのは、彼女だろう。単純に実力として弱いという意味ではなく……」


「まぁ……イメージ、というか……見た目の意味でも、か」


「ああ」


 真っ先に「与し易い」と思われるのは、おそらく羽多野だ。


「茂姫が気を悪くしそうな分析だな。もっとも……私自身ももそう思っているが」


「今後は彼女のガードも考えよう。少なくとも……羽多野の実力に目処がつくまでは」


「そういえば今日からだったんだろう? 彼女に稽古を付けるのは」


「ああ。さっき、ざっと身体能力は見たが……流石に今日はあんなことがあったからな。本格的な稽古は翌日からに持ち越しだ」


「……………………」


「……なんだ?」


「いや……。お前にそんな配慮ができたのか、と。素で驚いている」


「失敬だな。俺ほど他人を配慮する人間は居ないぞ」


「……真顔で言うと、余計に悪質な冗談に聞こえるな……」


「お前は俺を貶める思考しかできないのか」


「それで……そのガードは当面お前がする、と?」


「まぁ、それが妥当だろう。基本的に今のチーム状況ではオフェンスはお前だ」


「それは判るが……」


「戦闘時だけではない。当座はその他の時間も……ある程度は守ってやらねばならないだろう」


「……………………」


「なんだ、その顔は……。当然だろう? さっきも言ったとおり、俺は鍛錬の必要もない。時間的に余裕があるのは俺だ」


「わかるが……な」


「………………?」


「お、お前こそ変な顔をするな!」


「……いや。別に変な顔をしてる自覚はないんだが」


「とにかく……わかった! その件は了承した!」


「ナニを怒ってるんだ。お前は……」


「う、うるさいっ!」


「しかし……またちょっと安心した」


「な、なにがだ」


「いや……お前のことだからな。現状の戦力の問題から鑑み……反対されるかと思っていた」


 普通に考えれば……やはり羽多野をチームから外し、俺と椿芽のツートップにするほうが妥当だ。


 先日に見たように、戦いはいつも一対一ではあるまい。


 いくら素質がどうのという理由を付けても、やはり羽多野を外すのが合理的な判断だ。


 まして、明日からは攻勢に出よう、というのであれば。


「……わかっていて言っているのだろう」


「さて、一向に?」


「ふん……時に貴様は底意地が悪いことがある。ここまで関係を持ってしまった以上、無碍むげに追い出せるわけなどあるまい」


「ほほう?」


「……笑うな」


「…………」


「わ、笑うなと言っているっ! ああ、そうだとも。お前の思っている理由のとおりだ」


「そう、か」


 椿芽は羽多野に好意を抱いている。


 もともと友達の一人も居ない山奥で生活をしてきたのだ。それは当然のことなのだろう。


 俺としては願わくば羽多野が椿芽にとって、俺以外にも心を許せる人間になってくれれば、とさえも思っている。


 それが原因で彼女をチームに居させているのであれば、俺も確かに『意地が悪い』のだが。


「まだ笑うか。イヤなやつだ、お前は……」


「なんのことか一向に?」


「全く……!」


 椿芽はそう言って……苦笑しながら、泉から上がった。


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