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天道乱世、幽霊と会う

「……………………」


 ふむ。


 そうか。


「羽多野はちょっとしたことでも頼られるのは嬉しい、と言ってくれたっけな」


 それをそのまま額面通りに受け取るほどずうずうしい人間でないという程度の自覚はあるのだが……。


「……保健室、という場所を聞いておくくらいは……おまけとして頼めたな」


 保険『室』というからには、少なくとも校舎の中にあろうはずだ。


 それを理解しているはずなのに、なんで俺は校舎からも離れた、こんな何もない郊外で呆けているのだろうか。


「もっとも……それに答えが出せるのであれば、そもそも迷ったりしないのだろうな」


 いや。


 何度も言うが、迷った……というのは自分が迷ったと認めたときがその状態なのだ。


 だから俺は迷ってない。


 そもそも保健室に行く積りも無かったのだろう。


 うん。そうだ。そう決めた。


「……………………」


 自分自身すら納得させられてない理屈をひねくり……覚悟を決めて、その場に腰を下ろす。


「……折れてはいないが……」


 右腕を擦るようにして自己判断をする。


 ヒビくらいは入っている痛み、か。


 どのみち鎮痛剤の類はは効かないのだから、保健室であろうが我道の部下だろうが自分自身の手であろうが、治療の方法は変わるまい。


 ならば……やはり行く必要はなかった、ということだ。


 当面、面倒と思えることは……、


 この調子では、そこそこに腫れはするだろうから椿芽の目からは隠さねばならないって事だ。


「ふぅ……」


 ガラにもなく、ため息のようなものを吐き出したとき――。


「ようやく……触れたんだね」


「――――っ!?」


 視線の先に居た男が、笑った。


 間違っては居ない。視線の先に、その男は『居た』のだ。


 唐突に何もない空間から現れたのではない。


 しかし、目の前に居たことを認識できていたのでもない。


 俺がこの場所に座り、自己診断をしてため息をつく。


 その一連の動作の間もくだんの男は其処に居た。


 居た――はずだ。


 しかし俺がその男を『認識』したのは――できたのは、彼が言葉を発したその刹那、だ。


 言葉を投げられた瞬間にそれに『気付き』、言葉を投げられた後に於いては『そこに今まで居た』ことを疑うべくもないと思える。


 そこに確かに居たにも関わらず、それを『』ていたにも関わらず……俺はその男に気付くことができないで居たのだ。


 視界の中に在るにも関わらず路傍の石ころや、名も無い草花が存在として認識されないように……。


「驚かせてしまった……かな?」


「いや――」


 年齢は、俺や椿芽とそう大差はないだろう。


 その整ったかおは、中性的――というよりも、生物としての雌雄をすら感じさせない。


 繁殖するという命題を授かった、生命に等しくあるべき生命感……そういうものが一切、感じられない。


 まるで石膏か何かで造られた彫像……美術品の類に近しい。


 俺は、その涼やかな笑みも風に消え入りそうな言葉も……。


 右腕の痛みと熱が生んだ、幻の類か……と自分を納得させそうになってしまう。


「触れた……とは?」


「ふふ……」


 それが――。


 現実リアルと感じられるのは、どうあれかろうじて会話が成立していると思えるからだ。


 周囲には誰もいない、俺の主観しか無いこの場では、自分がそう感じるのならそう受け止めるしか、故はない。


「もしや、牙鳴……まどかのことか?」


 なぜ、そう返したのか。


 それは多分、あの女とこの目の前の男。それがどこか同質に感じられたからなのだ、と思う。


「いや、痛み……だよ」


「痛み……?」


「言い換えれば……現実感」


「現実……だと?」


「失くしていたんだろう? きみは……」


「……………………」


「時間が動き出したこと……そして体に血が通う感覚……。いまや全てを感じ得ている筈だ。きみは」


「……言っている意味がわからない」


 違う。


 違う。違う。違う。


 俺は……っている、はずだ。


 その意味を。


 漠然と……曖昧と。


 ただ……ただ。


 その意味を、ほぼ全ての細胞が、天道乱世という存在が認めうる、その事実を……。


 ただ、脳だけが……『こころ』だけが拒否をしている。


 目の前の男の言葉を借りて言うならば……そこだけが……心という器官だけに、まだ血が通っていない。時間が動き出していない。


 拒否を、している。


「ふふ……」


 彼はその全てを、俺の漠然とした葛藤を見透かしたかのようにわらう。


 それは……不快、だ。


 この笑みは……厭、だ。


「子供と大人……どちらが打算的だと思うかな?」


「なに……?」


 唐突な質問、だった。


 流れも蜂の頭もない……まるで唐突な。


「……………………」


 返答を待っている――。


 否。


 俺が返答をしなければ『時間は動き出さない』。


 そういった……間、だ。


「それは……大人、だろう」


「違うね」


「………………」


「ふふ……聞き方が意地悪だったのは認めるよ。本来の意味での子供……赤ん坊などは純粋さ。彼らは……夢を持っている。夢……いや、欲……と言っておくべきかな? 言葉としての綺麗さを捨てるならね」


 男は笑ったか? それは……嘲笑でも哄笑でも、嬉しさや喜びでさえもない、ただ『笑んだ』という事実だけの笑い。


「もっとも、僕はそういった時期の生物を人間とは認めていない。社会生活に適合する前の『子供』は……子供、というけだものであって、とうてい人間じゃない」


「……正鵠とも思えないが、間違いとも言い返せないか」


「それらのモラトリアムを経ての……人間である『子供』つまりは若者……などと呼ばれる時期は打算さ。『子供』時代に抱いていた夢……欲……。それらは打算によって否定される。現実的でない『欲』は空想……妄想と談じるほうが、格好良く、心地も良く感じられるからね。現実感という裏打ちがある『欲』だけが……現実味のある目標と……そう感じられる。大人の考え方なのだと思える」


 男は依然として笑う。笑うという感情なく、笑う。笑い、続ける。


「それは確かに『大人』の考え方だ。現実味のある……ある程度叶えられる夢、欲のほうが……甘美だからね。打算をするほうが、その夢はより手が届く……ハードルの低い目標となる。だから大人は打算をするべきだ」


 す……と、目を細める。


「しかし……皮肉なことに、歳を経れば経ることに、打算的な……現実味のある『夢』は魅力的な色彩を欠いていく。なぜだか判るかな?」


「いや……」


「時間がなくなるから、だ」


「時間……か」


「老いる、ということだよ」


「ならば……尚のことに堅実になるのだろう?」


「ふふ……。そうだね。少なくとも……そう思い込もうとする。いや……そう思っていることに疑問も持たなくなる。しかし……時間は冷酷だよ。人に於いて、時間こそは唯一平等なものだ」


「それは分かるがな」


「時間が有限であると気付いたとき……人は夢と呼ばれる、現実味の乏しいレベルの欲に惹かれる。もっとも、大多数はそれを欺瞞するのだけどもね」


 欺瞞――か。


「ああすればよかった、こうして於けばよかった……。そんなものはむしろ、若者の時代にしておくべきことであるとわかっているにも関わらず、だ」


「………………」


「若者であれば、多少の失敗は失敗にならない。無謀な目標でもやっておくに越したことは無い。文字通り若さ……時間がそれを赦すこともあるし、とりまく社会そのものもそれを概ねはその未熟を赦す。少なくとも……『大人』よりは世界は確実に若者に対して甘くできている」


「……かもな」


 そこには異論はあるが……あるが、それは俺のような少数の者が抱く感覚だろう。


「だがしかし……実際の若者はそれをしない。打算的なのだね。そして……その打算は悲しいかな、往々にして幼稚なものだ。若者は若者であるがゆえにそれを学ぶ時間が短い。若者は『未来が無限』と言うが……逆を返せば過去は有限、なんだ」


「過去は……有限、か」


 何か――何かが、思い起こされる――。


 俺はこの得体の知れない男の術中にでもはまっているのか?


「そして未来すらも有限が見えてきたときに気付く。そして悔いる。悔いるがゆえに……若者の時代ですら無謀に見えた『夢』にすがろうとする。実際に行動を起こすにしても……概ねの能力は若者の時代に比べ劣っている。いや……まだしも行動を起こせばそこにはある程度の満足は生まれるものだけど……」


 くっく、と……今度は声を漏らして笑った。


 それでさえ、明確な感情が見えないのはどういう仕組みなのだ。


「大概は夢想するだけ。たられば……あの時こうしていればきっとこうなったはずだ。こうなれていたはずだ……。夢のレベルにもよるけど……無謀に見えても、得られない欲だったとしても……とりあえずしておけば、そこに多少の充足は得られたろうにね」


「………………」


「曰く……あの頃はいろいろ馬鹿なことをやった、あの頃は輝いていた……。思い出は甘美だからね。それだけで人は何もない現実すら生きられる」


「ご高説は結構だがな。そろそろ何が言いたいのか……判りやすく言って欲しいものだ」


 俺は発した自分の声が、想定していたよりも焦れていることに、密かに驚きを覚えていた。


 苛立って――? なにに――?


「不純物……だと思わないかな」


「不純物……?」


「そう。打算……現実的な思考……。いや……突き詰めれば人が『思考する』『考える』……全てが」


「思考するからこそ……人はけだものではないのだろう。あんたが言ったように」


「『社会』を持っているのが人間……と言ったんだよ、さっきの言葉を引き合いにしているのならね」


「同じことだと思ったまでだがな」


「違うさ」


「………………」


「社会を形成する……それに応じた知識や技術は、人間という獣にとって必要にして最低限のものだ。けだものが吼え、牙を剥くのと同じように……極論、本能の一部分と、僕は考える。それすらもできないものは……まず人間とは呼べない。僕の理想には近くても……それは違う」


「理想……?」


「単純に強さを求めることにおいて、人間であることに限定されないのなら……それこそ肉食獣と戦えばいい。いや……ダンプカーやショベルカーと力比べをしてもいい。戦車や戦闘機と張り合えばいい。人間でありながらも、不純物を取り除き……ただあるべき形の強さを示す。それが……この場所に居るものの、根源的な『夢』じゃないのかな?」


「……真理のようには聞こえるが……な」


「ある意味で真理だよ。もともと……真理なんてものはそれぞれにしかないんだから、僕の真理でしかないけどね」


「それなら……あんたが俺に教えを説くのも、無意味に思えるがな」


「似ているから……」


「?」


「きみは、僕の真理に近しい……いや、そのものと言ったっていい」


「……個人的には御免被る」


「だろうね。なにしろ……さっきの問いも正解じゃなかった。まだまだ君には不純物がありすぎる」


 まだ……?


「……まるで教師のような口ぶりだな」


「教師……あながち間違ってもいないけど、正鵠を射てもいないかな?」


「それに、だ……」


「………………」


「まるで……自らが老人……先人……。いや、変な言い方だが、それでも尚、さらにその先にあるような口ぶりだ」


「……気に入らないかい?」


「若さ、と断じられたくはないがな」


「ふふ……。それでいいと思うよ。今は……」


「いま……は?」


「有限なのは確かさ。僕も……きみも」


 男は……それだけ言うと、満足でもしたかのように……俺に背を向ける。


「あ……おい……!」


努努ゆめゆめ忘れないことだね。今の……その実感、を……」


「………………」


 俺は……それ以上は呼びかけなかった。


 疑問はあれども、後を追うつもりもなかった。


 妙な謎かけに、妙な問答。


 普通に考えて、これ以上の議論などしてもしょうがない……と『常識的に』考えた部分は、ある。


 あるが――。


「不純物……か……」


 右手を拳に固める。


 ずきり、と痛み。そして熱。


「………………」


 恐らくは……これ以上の『言葉』には――。


 確たる意味などないのだろう、と思えたのだ。


 いま、は。



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