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聖徒会長、牙鳴円

 翌日の昼休み――。


「よう」


 学食の卓に着くなり、我道が隣に座ってきた。


「今日はあの嬢ちゃん……鳳凰院は一緒じゃないのか?」


「ああ。昨日の悶着があったからな」


 椿芽のヤツは、一旦寮に戻って買い置きの食材で昼食を取るとのことだ。


 もちろん、俺もそうすれば、このランク相応の粗食なメニューよりは腹もふくれたろうが……。


「俺はあの寮まで戻ると、午後の授業に間に合わない恐れがある」


 まだ、慣れないな。この校舎の広さは……。


「なんだそりゃ」


 我道はそれを何らかの冗談と受け止めたのか、ちょっとだけ苦笑して見せた。


「そんじゃ、お前に用はねぇな」


「そうか」


「………………」


「………………」


「………………」


「…………行かないのか?」


「……お前な。淡白にもホドがあんだろ。ちったぁツッこめよ。まるで俺が女にしか興味ねぇみたいだろ」


「違ったのか……!」


「……うーわ。その初めて見るお前の素で驚いた顔が、異常にムカツクな」


「気に障ったなら一応、謝りはするが」


「ちっ……」


 我道は何故か拗ねたように、テーブルに肘をついてそっぽを向いた。


「……正直、昨日はちょっとガッカリしたぜ」


「……なんの話だ?」


 粗食の利点は食事の時間が早く済むという一点だな。


 ポットの茶は飲み放題のようだが色の濃さに反比例して味がない。


 まぁ、水腹でも一時ひとときは持つ、か……。


「聖徒会は一応の自治組織だが……別に絶対じゃねぇ。今更言うまでもないが、この学園じゃ、力だけが絶対だ。規則だのなんだのと言ったって、逃げ切っちまえばそれ以上の追求もない。ルールってのは守りたいヤツが守るためにあるもんだ」


「意外と回りくどいんだな。何が言いたい?」


「さぁな。ただ……ツレの女がコケにされて黙ってるってなぁ、ちょいと男が下がるんじゃねぇの?」


「……かもな」


「それに、だ」


「?」


「一度目を付けられれば……ああいう手合いは面倒ってもんだぜ?」


「言わんとすることは判るが……」


 ことん、と湯呑みを一度卓に置く。


「やっぱり昨日の件はあんたの差し金とでも?」


 俺はそこで初めて、我道を見た。


「だとしたら?」


 我道もこちらを見て、口元を歪めた。


『挑発してますよ』と顔に書いてあるかごとくの表情を作って。


「なるほど、やっぱりあんたじゃなかったか」


「……あっさり見抜くなよ、つまんねー」


「まぁ、昨日も言ったが元々違うと思っていたしな。そもそもがあんたの芸風じゃない」


「芸風ってお前な……。ま、確かになぁ」


 我道は一転、愉快そうに笑う。


「俺の芸風、じゃねーわな」


「期待に添えなかったことは、やはり謝罪しておくべきかな?」


「いらねぇいらねぇ。男に頭を下げられても腹も膨れねー」


「そうか」


 女性に下げられれば腹も満ちるとでも言うのだろうか。


 そんなどうでもいいことを考えつつ、茶のお代わりを腹に詰め込もうとすると……。


「乱世さん!」


「ああ、羽多野……どうしたんだ? てっきり椿芽や茂姫と一緒かと思っていたが……」


「あ……」


 羽多野は、我道に気付いて、僅かに身を強張らせる。


「……俺、邪魔か?」


 我道はそんな羽多野の様子を敏感に察し、逆に恐縮でもしたかのように、俺に耳打ちしてくる。


「いや……」


 確かについこの間まで普通の一般生徒だった羽多野などは、PG生徒、それもその頂点の一角である我道などには、やっぱり気後れする部分もあるのだろうが……。


「羽多野もそんなに怯えることはない。この男はこう見えて、そこそこ普通に話の判る人間だ」


「そうそう、フレンドリーが売りなんだぜ、俺」


「……………………と、思う。多分。恐らく。確証はないが……」


「……お前な、フォローしてくれるんなら、ちゃんとやってくれ」


「まぁ、少なくともいきなり取って食ったりはしないはずだ」


「そ、そうですか……?」


「ああ。むしろ、女に頭を下げられるとそれだけで腹が膨れるという」


「言ってねぇし!」


「言ってたんじゃないか?」


「ふふ……」


「ん? どうした?」


「いえ……その。ふたつ、あります」


「二つ?」


「私、我道さん……っていうか、PGの人たちってもっと怖い人かと思ってました」


「う、ううむ……。やっぱそうか……。そうだな……そうだよなぁ……」


 軽く頭を抱える我道。


「気にしてたのか?」


「ま、まぁな……ちょっとはな……」


 とうてい『ちょっと』には見えないが。


「もうひとつ。乱世さんと我道さんって、もうお友達だったんですね」


「は……はぁ!?」


「ふむ……その認識についてはどうかな、羽多野」


 俺と我道が同時に反応した。


「違うんですか?」


「まぁ……友達の尺度も人それぞれだ。ちょっとした顔見知りでも友達と認識する者も居るには居るだろうが……」


「……俺だってお前とそんなノンキな関係になったつもりはねぇんだがな」


「気が合うな。おっと。ということは……やはり友達、なのか?」


「なんでそうなる!」


「ふふ……やっぱり仲がいいじゃないですかぁ」


 羽多野はさっきの緊張はどこへやら、すっかり笑顔で俺の隣の席についた。


「おい、天道。この嬢ちゃんも……わりと天然か?」


「ふむ。天然、というのもそれはそれで人それぞれ尺度が――」


「……もういい。天然は天然を呼ぶのかもな……」


 何故だかどっと疲れたような表情を見せる我道。


 意外と面白いヤツだな。


 おっと、それよりも……。


「羽多野。それよりも、なんでまたここに?」


「あ。忘れるトコでした。二つありますっ!」


 ずびし、と例のごとく俺にVサインを突きつける羽多野。


 いつもの調子を取り戻して、今にも俺に目潰しでもしてくれそうな勢いだ。


「乱世さん、お昼……もう食べちゃいました?」


「ん? ああ……いましがた」


「はうぅ……そうですか……」


 へにゃり、と勢いを失うVサイン。


「うん? もうひとつはどうした?」


「え……。あの……でも……」


「途中でやめられるとむしろ気になるぞ」


「え、ええと……お弁当作ってきたんですけど……」


「む」


「そうですかぁ……もう、お昼終わっちゃいましたか……」


「待て、羽多野」


「はい?」


「確かにメシは食った。食ったが……足りているとも、もう入らないとも言った覚えはないぞ」


「え? そ、それじゃ……」


「ああ。ありがたくいただく。というかいただかせていただく。それはもう全力にていただきます」


「わぁ……!」


 ぱっ、と表情を輝かせる羽多野。


「……やっぱ……俺、邪魔じゃねーの?」


 なんだかまた肘をついて拗ねはじめる我道。


 難しいお年頃のようだ。


「そ、それじゃ……早速!」


「ああ」


 俺が羽多野の出してくれた弁当に手をつけようとすると――。


「そこまでだ、天道乱世」


 昨日の朝の繰り返しのように、例の『聖徒会』の一団が現われて俺達の周囲を囲む。


 まるでそれまでタイミングを計っていたかのように――。


 いや、事実そうだったのだろう、手際があまりにも良すぎる。


「昨日の没収で懲りていないようだな。流石は会長や副会長も認める問題児か」


「……今日に関しては校則を犯しているつもりは無いのだがな」


 羽多野はまだ正式ではないとはいえ、俺達のグループの一員だ。


 彼女が作ってきた弁当を、俺が個人的に貰うことには何ら問題は無いはずだ。


「ルールを犯しているか、犯していないか。それは我々が判断することだ」


「………………」


 視線の隅で、我道がニヤニヤと笑っている。


 それは……。


『な? これが『目を付けられる』ってことだ』


 ……とでも言いたげな表情。


 もちろんこの聖徒会の一団を畏れている雰囲気などは微塵もない。


 むしろ、先の俺との会話を踏まえて、出方を見ているような……そんな態度だ。


(挑発には、乗らない)


 そう思っていたはず、だ。俺は。


「とりあえず、これは『証拠品』として没収させてもらう」


「あっ……! だ、だめっ」


 羽多野が弁当箱を庇うようにするが――。


「抵抗するかっ!」


「きゃっ……!」


 聖徒会のメンバーに叩き落された弁当箱が学食の床に転がり……衝撃で解けた包みから、中身が零れた。


「あ……」


「……………………」


 羽多野が悲しげな表情を見せた瞬間……俺は半ば反射的に椅子から立ち上がっていた。


「……手助けは、いるかい?」


我道はわざと丁寧に……区切って言うようにぼそり、と言った。


「………………」


「……そうかい」


 そんなやり取りの間にも……。


「………………っ」


 無残な有様の弁当を、羽多野は拾おうと床に屈む。


 目の端に涙を滲ませながら……。


「押収すると……言ったろうに……!」


 それが逆に勘に触ったのか、聖徒会の男は彼女の手を踏みつけようと足をあげ――。


「……っ!!」


 半ば覚悟していた手を踏みつけられる痛みがいつまでも来ないことに、羽多野が恐る恐る閉じた目を開く。


「平気か、羽多野」


「ら、乱世……さん……!」


「き……貴様っ……!」


 気色ばんだのは、先の……羽多野を踏みつけようとした男ではない。


 その男は何か言おうにも、たったいま俺に殴り飛ばされて転がっており、どう贔屓目に見ても数時間は口をきけまい。


「……下がっていろ、羽多野」


「は、はいっ!」


 昨日に続き、緊張感が学食内に広がる。


 もっともやはり昨日と同じく、被害を受けないように避難するのは一般の生徒のみ。


 PG生徒と目されるものたちは、我道と同じく好奇の視線で成り行きを見守っている。


「抵抗するかっ……!」


 聖徒会の連中が、例の警棒のような得物を構え、俺を取りかこむ。


 その布陣が整ったのを見て、俺は――。


「食事とは!」


「………………!?」


「食事とは……生物にとって侵さざるべき、神聖な行為。人慣れた飼い犬、飼い猫すらもそれを邪魔されれば主にさえ牙を剥く」


「貴様、何を……」


「まして……けだものあらざる人においては好意を以って作られた弁当を無碍に扱われる様を見過ごせなどはしない」


「乱世さん……!」


「やれやれ……。昨日たぁ打って変わって勇ましいこった。まるで……なんだ。白馬の王子様、だねぇ……」


「はいっ!」


「あ?」


「乱世さんは……私の王子様、ですからっ!」


「……そ、そうか……」


 ……何かまたも王子様扱いされてる気はするが(そしてその情報がよりにもよって我道に流出した気配もあるが)今は良しとする。


「この世に一つ、その非道を赦さない者が居る。世界にひとつ、剥くべき牙を隠さない者が居る。空腹に耐え、心を説くもの……人は俺を天道乱世と呼ぶっ!」


「……純粋に食い物の恨みも混じってねぇか」


 それも否定はしない。


「ふ……ふざけたヤツめっ……!」


 取り囲んでいた連中が、大仰に構えていた警棒のようなもののスイッチを入れた。


 バチ……!


 視認できるほどの放電。


 いわゆる護身用のスタンガンの類とは比較にならない電圧がかかっているのは目にも明らかだ。


 自治団体であれば、相応の装備があるものであろうことは推しても知れる。


 そして、こんな性格の学園であれば、それが『普通』で考えられるよりも遥に高威力のものであることも。


「………………」


 多勢に加え武器を手にした余裕か……連中は包囲をゆっくりと狭める。


 鎮圧、という意味に於いては、電圧は効率的な武器だ。


 電圧を加えられれば、人の体は萎縮し、麻痺をする。


 それは人体における生理的な反応であり、鍛錬に寄ってどうなる類のものでは、基本は無い。


 そしてその効果は、件の得物……概ね1メートル弱の警棒の、ただ一箇所を触れさせるだけで得られるものなのだ。


 彼らに浮いた余裕も当然といえば当然ではあるだろう。


 しかし――。


「制裁をっ……!」


 一斉に包囲を詰め、警棒を打ち据えてくるが――。


「なっ……!?」


 それら全てをことごとくかわした俺に手首を押さえ込まれた聖徒会員が表情を凍りつかせる。


「……鞭か長い棍にでもすべきじゃないか?」


『当てるだけ』と考えれば考えるほどに、それを振るう打点の意識は、その警棒の頂点のみに集中する。


 こちらはその先端の軌跡だけを見ていればいいのだから、そんなものがまぐれ以外で当たるものではない。


 いや……。


 打ち据えてきた連中は5人。たった5つの『点』だけを見て、かわすのであれば、まぐれでも当たりようは無い、か。


 鞭のように弧の軌跡を描くものか、もしくはこれよりもリーチの長い棍か刺股さすまたのような物ででもあればいくらか違うかもしれない、と言ったつもりだったが……。


「なにをっ!?」


 それを彼らが理解できるまでに懇切丁寧にレクチャーしてやる必然も、暇もない。


 そんなことをしてやる間もあるのなら、だ。


「ぎゃっ!?」


「ぐわっ!?」


 押さえ込んでいる男の手をそのまま引っ張り、お仲間相手に『先端を軽く当てる』好例を見せてやるまでだ。


 仲間の武器で二人がその電撃に崩れる。


「貴様……ぐふっ!?」


 そして、警棒の持ち主を手刀で打ち据え、これで3人が昏倒。


 残るは2人、だが……。


「ぐ……!」


 瞬きの刹那に数を半分以下にされてしまえば、その残る二人にも既に気勢は見えない。


 周囲で賭けをしていたと思しき連中からブーイングが飛ぶが、それすらも最早、彼らの意識には入ってはいまい。


(こんなもの……なのか?)


 それは、別に増長ではなく、多分に落胆。


 いかな末端であろうとも自治団体と呼ばれる連中がこんなものでは、もはや法は法であるまい。


 騒ぎ云々の以前に、まず俺としては、いかな義憤があろうとも、弱い者に拳を振るうつもりもない。


 俺が拳を下ろそうとしたそのとき――。


「―――っ!?」


 ぞくり。


 背中を濡れ布で撫でられるかのような悪寒。


 久しく感じ得なかった殺気。


 いや――。


 我道や頼成、そしてあの秋津や真島などにも強者の気勢は感じ得てはいた。


 いたが……この感覚はそういうものとも、また異質だ。


「どういう騒ぎか、これは!」


 あの牙鳴遥という、聖徒会の副会長がヒールの音を響かせながら学食に入ってきていた。


 いや――


「ふ、副会長……」


「そ、それに……」


「……………………」


 華美な装飾の刀を携えた長い金髪の女――。


「か、会長……」


「牙鳴……まどか、さま……!」


(アレ、か……)


 この気配はあの会長・牙鳴円と呼ばれた女のものだ。


 もちろん、牙鳴遥にも我道ら上位ランカーと同じ強者の気、は感じられる。


 しかし……。


「………………」


 あの女……恐らくは遥と姉妹であろう面差しの、聖徒会長のほうは、明らかに異質だ。


 学園に来た時、あの最初の騒ぎの時に姿を見たときも、それは感じていた筈なのだが……。


 あの時に感じ得た『におい』よりも遥に濃密なものを感じえるのは、単に先日よりも距離において近しいからのことではあるまい。


「何の騒ぎか、と聞いている」


「こ、これは……その……」


 気付けば、周囲の野次馬も声を潜めている。


 先の一般生徒と同じように、こそこそと学食を出て行く者も少なくはない。


「ちっ……」


(我道……までもが……?)


 あの我道ですらも、まるで『厭な者が出てきた』とでも言わんばかりに表情を曇らせていた。


 彼の先の発言、『学園では力が正義』ということに照らせば、あの会長と副会長は我道と同じかそれ以上の『力』を有している、ということになるのか……。


(成る程……末端がこの有様でも自治団体として通用する理由……か)


「説明をせよと――」


 副会長が更に語気を強めようとした刹那――。


「……………………」


 口ごもるというより、もはや硬直して動くこともできない残りの聖徒会メンバーの前に、あの女……円が歩み出る。


「い、いけません……御君おんきみ……っ!」


 遥はそれまでの冷静な表情を隠しもせずに崩してそれを止めようとしたようだが……。


「………………?」


「い、いえ……」


 ただの視線ひとつ――。


 それも円にすれば睨みすえた、というような類でもない……変わらぬ涼やかな、感情の読めない視線だけで、萎縮させられる。


「………………」


 円は俺の傍らを、ゆるりと過ぎ――。


「ひ……ひぃっ!」


 そして聖徒会メンバーの、目の前に。


「……………………」


 俺はその彼女を視線で追う――。


「……!?」


 只の一瞬――。


 そう。眼球で牙鳴円の姿を追うだけの一瞬――。


 それだけの、コンマ一秒にも至らない間に……その腰の刀は抜刀されていた。


(居合い……でもないのか……?)


 以前に見た時、俺はこの女の技が居合いと見ていた。


 それは椿芽にも見られる、常態の癖……自然体の振る舞いからの予想だったが……。


 しかし、それは違う。


 違った。


 鑑みればそう勘違いをしていた故に、あの時はこの『異質』を感じられなかったのかのかもしれない。


「………………」


「お……お……」


 お許しを――


 そう言いたかったのだろうか。


(いや……!)


 何故、そう考える? なぜ俺はそう思った?


 彼らにすれば、この女は上司、だ。


 この状況であれば、普通に鑑みて……救いの主であるはずだ。


(まて――)


 待て。


 待て。


 待て。


 ならば……いま、そう判断する思考が俺にあるのなら。


 なぜ、いま横をすれ違うときに、俺は彼女を警戒しなかったのか。


 なぜ、いま俺は構えすらもせず、ただ馬鹿のごとくに棒立ちなのか。


 なぜ、俺は『殺される』という、今にして当然の恐怖すらも抱かなかったのか……!?


「……………………」


 怯える男の前で、円が動いた。


 それは……斬撃ではない。


 そればかりか、俺の持つあらゆる観点、あらゆる知識からにおいて、攻撃の範疇ですらもない。


「ひ――」


 ただ――。


 ただ無造作に『手にしていたもの』を上げたに過ぎない。


 緩慢に。緩慢にとしか見えない所作、で。


 と―――ん――。


 そして『それ』は、同じく緩慢に――。


 否、一種、優雅とすら見える所作で、その哀れな男の肩に『置かれた』に過ぎない。


 刃を返した刀の峰で、ぽんと小さく肩を叩く――。


 いや、叩くとすら形容するのはふさわしくない……やはり、まさに置いただけのような所作。


 それだけで。それだけのこと、で。


「……………………」


 男の瞳がぐるり、と裏返った。


 それだけのことで、その男は人間のカタチでは無くなった。


 正確には……正しい人間の骨格ではなくなり、床に崩れた、のだ。


 刀の峰が当てられた肩、鎖骨の辺りがぐしゃりとひしゃげ、あり得ないカタチに腕全体が捻じくれている。


 まるで熱したナイフをあてたバターのように、何の抵抗もなく。


 糸の切れた人形のように崩れたその姿勢は、強烈な打撃を受け、意識を刈られた者特有のものであったが……。


 その表情に苦痛は見えない。ただ先刻までの恐怖に引きつった顔のまま意識をなくしている。


 恐らくは苦痛で失神したのではない。


 恐怖が意識を刈った、のだろう。


 口元から、こぽりと赤交じりの泡が漏れて床に零れた。


 死んでこそ居ないが……危険な状態に違いはあるまい。


「………………」


 円はその男に一瞥も呉れることなく、目の前で起こったことを理解すらもできていないであろう、残る一人に視線を向けた。


「ひ……ひぃ……」


 引き攣れた、声とも呼べない声を漏らす男の前で先刻と同じように得物を上段に掲げた。


 今度は……刃を返すこともなく。


「……………………くす」


(…………っ!)


 刹那――俺はようやく動いた――。


「…………?」


「ぐ……」


 気付けば……体が動いていた。


「ら……乱世さんっ!?」


 俺は円の刀を右腕で受け止めている。


 もちろん、刃を、ではない。刀の鍔を二の腕で、だ。


(な――んだ――?)


 円は刀を『振り下ろした』のではない。先刻と同じく……ただ、置こうとしただけ、だ。


(それでこの衝撃……!? 全身の骨が等しく揺さぶられたかのような……!?)


「………………?」


 円は……初めて小さく表情を見せた。


 僅かに小首を傾げるように、『なんで?』とでも言うような……。


 無垢に極まりない表情ではあったのだが。


「……この男は……もう、戦意はない」


 背後で件の男が倒れるのが聞こえた。


 恐らくは、最初の犠牲者と同じように、恐怖に意識を刈られたのだろう。


 しかし、そちらに意識を向ける余裕は、俺にない。


 今のたった僅かの言葉を吐くだけでも……背骨が軋む。衝撃が殺しきれていない。


「……知ってる」


 円は口元を歪めて……わらった。


 ドーパミンで麻痺し切れない恐怖が、依然として悲鳴を上げる背骨を、さらに刺激してくる。


「……………………」


 笑みの表情は、僅かな間だったろう。


 再び表情を素に戻した円は……やはりゆるりとした所作のまま……刀を納めた。


 そして、そのまま無防備にくるりと踵を返し――。


「……飽いた」


 緩緩ゆるゆるとした足取りと所作のまま……学食を出て行く。


「は……」


 その背に礼をしたのは遥一人。あとは沈黙のみに見送られ、その『異質』は場から姿を消す。


 それだけでその場にようやく正常に酸素が循環し……時間が正しく流れたかのような弛緩が感じられる。


「……運べ」


「は……はっ……!」


 遥の言葉で、一呼吸遅れて時間を取り戻した聖徒会員が床に崩れた、かつての仲間を運んでいく。


「……手遅れかもしれないが」


 遥は苦虫を噛んだかのような表情を浮かべ、そのまま行こうとするが……。


「……俺へのお咎めはなし、か?」


「……非がこちらにあるのは知ってここに来た。故の粛清、だ」


「ほう」


 てっきり何らかの理由をつけて処罰があるものとは思っていたのだが……。


 俺のその感嘆の声をどう捉えたのか……。


「……規律があればこその自治だ。そして、公正な判断があればこその権威。この学園とて無法ではない」


 そう、付け加えた。


「気に障ったならば謝るが……」


 皮肉でも何でもなく、俺は素で感心したつもりだったが。


「必要はない。……行くぞ」


 遥は聖徒会の連中を引き連れて、学食を出て行った。


(ふぅ……)


 息を大きく吐く。


 衝撃も……概ねは体から消えた。


 概ねは、だが……。


「乱世さん……だ、大丈夫ですか……?」


「ああ、大丈夫だ」


「すみません……私なんかの為に……」


「気にするな。羽多野は……俺たちの仲間だからな」


「乱世さん……」


「ちょっとは見直したぜ、色男」


「……アンタの挑発に乗ったわけじゃないけどな」


「そりゃ残念。しかし……」


「……?」


「最後のは蛮勇だな。いや……無謀つってもいい」


「そ、そうですよ……! あの……聖徒会長に……!」


「羽多野……」


 羽多野が涙さえ滲ませて言うのに、俺は少し気圧された。


「女を泣かせるようじゃ、まだまだ王子様ってぇのには程遠いな」


「……あんたまでそんな事を言うな」


「お嬢ちゃんを守るため、ってぇとこまでは認めるがな。聖徒会のザコまで庇ってやる必要なんかあるか。むしろあの手合いの数は、減ったほうがいいんだ」


 我道は妙に苛立たしげに吐き捨てる。


「なんだ? あんたまで俺を心配してくれてた……とでも?」


「……気持ち悪いこと、言ってんじゃねぇ」


「だろうな」


「俺が業腹ごうはらなのは……」


 我道は俺の右腕……先刻、牙鳴円の刀を受け止めた腕を掴む。


「……っ」


「ちっ……」


 やはり……この男は気付いていたか。


 牙鳴円の刀を受け止めた腕は、早くも赤黒く腫れ始めていた。


「これじゃ……お前さんの実力を見るのはまた延期だな……」


「心配してくれてたんじゃないか」


「ンなクチが叩けるんなら、心配の必要はねぇわな」


 我道は肩を竦めて苦笑した。


「いい医者なら知ってるぜ。まぁ……こないだのジジイ、幽玄のことだがな。ボケ入っちゃいるが、腕は確かだ」


「え……? ら、乱世さん……怪我を?」


「いや……たいしたことはない。にしても随分と親切なことだな」


「親切で言ってんじゃねーって……知ってて言ってんだろ」


「判るか」


「判るね」


「まぁ……気持ちは有難いが、遠慮しておこうか」


「恩義があると、拳が鈍るってぇか?」


「知ってて言ってるだろう?」


「知ってて言ってるね」


「ともかく気持ちだけ受け取っておく」


 言って、俺は学食を後にした。


「あ……! ら、乱世さん待って!」


※        ※        ※


「やれやれ……」


「……ほっほっほ、随分とご執心ですなァ、御大将殿」


「せっかくボケ防止にお前に仕事を呉れてやろうと思ったんだけどな」


「ほっほっほ。それはそれはご配慮痛み入りますのう」


「ちっ……。久々に退屈しのぎができると踏んでたんだがなぁ……」


「手負いの相手では詰まらないですからのう」


「ふん……」



※        ※        ※


「本当に……大丈夫ですか?」


 学食を出た廊下を一緒に歩きながら……羽多野はまだ心配そうな顔をしていた。


「ああ。平気だ。それより……」


「あ、はい。保健室に寄っていくから授業には遅れるって、椿芽さんたちにお伝えすればいいんですね?」


「ああ。助かる」


「そ、そんな……助かるだなんて……」


「羽多野……?」


「えへへ。二つ! ありますっ!」


 ずびし。


 と、例のごとくVサイン。


 そろそろ慣れてもきたので目潰しの危険はないが。


「……なんだ?」


「ちょっとしたことでも……頼りにされるって、嬉しいですよ? 仲間……っていう感じでしょうか」


「かも……な」


「それと……」


「それと……?」


「えへへ……。改めて、って感じになっちゃいましたけど……助けてくれて、ありがとうございましたっ! 王子さまっ!」


「は、羽多野……」


「えへへ……」


「その……王子様ってのはやめてくれって言ってるだろうに……」


 さっきは我道にまで揶揄される始末だ……。


「うふふ♪ ごめんなさぁい。それじゃ……!」


 羽多野は俺に手を振りつつ……廊下を駆けていく。


「………………」


 羽多野が去ったあと……。


 俺は自分が彼女に手を振りかえしたりしていたことに、気付く。


(何を……やってるんだか)


 どうも羽多野にはいつも調子を狂わされる。


 やはりそれは今までに相対したタイプとは違うからなのだろうが――


(……?)


 今までに――会ったことがない――。


 そう――なのだろうか――。


 何かが胸の奥でちくりとしたものが疼く。


 それは――。


 それは俺が今の俺になる前の……。


 欠落した記憶の欠片か――。


 まだ俺に何某なにがしかの『こころ』が有った頃の――。


「………………」


 いや――。


 考えるのは、止そう。


 少なくとも今の俺……。


 天道乱世の全ては、あらゆる意味に於いて、椿芽に……鳳凰院椿芽に貰ったもの、だ。


(それで……それでいいはずだ)


(そう……それだけでいい……いいはず、だ)


 俺はいつもの自分を取り戻し……そのまま保健室へと歩を進める。



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