ほんのちょっとの、未来に。
そうして――。
世界はわたしに引き継がれる――。
わたしが語る、わたしの物語に――。
※ ※ ※
そして――。
「きゃあっ!」
わたしは――。
羽多野勇は、突き飛ばされるようにして木の根元に尻餅をついた。
判っていたことなのだから……もうちょっと器用に避けてもいいものだと思うんだけど。
「……正直、無意味な闘いというのは性に合わねぇんだが……漢を上げるってな言葉にゃ、シビれるねぇ」
「ぬ、ぬかしやがれッ!」
案の定、まるでわたしの逃げ場を断つかのように、ケンカが始まってしまう。
もちろん軍馬さんたちはそのつもりはまったくないのだろうけど……。
今度こそは、もうちょっとマシな出会いになればいいのに……って思ってたわたしの思惑は、あっさりカンタンに打ち砕かれちゃった。
『あのひと』はいつだったか、世界には矯正力があるっていってたけど……こんな瑣末なところにそんなもの働かせなくたって、って思うんだけどなぁ。
十数年の準備があったって、やっぱしこんなものなのよねぇ――。
※ ※ ※
世界は――作り変えられた。
わたしがそう望んだから。
『全てをやり直す――』
それが……わたしに遺されたあの力で、わたしが唯一に望んだ願い。
その力だって、もうわたしの中には無い。
新たに産まれて、新たに生涯を生きてきたわたしの中には。
ううん――。
ひょっとしたらまだあるのかもしれないけど、少なくとも、今のところその兆候っていうか……現われる様子はないみたい。
それに、もしあったとしても、今のわたしには、上手く付き合っていく自信だってある。
わたしに『わたし』の記憶が残っているのは……。
ちょっとしたルール違反か、それとも……いまのわたしの『力』の限界なのか判らない。
『巻き戻すにしても、主体を遺さなくてはやり直しはできない。それは語るべく主観そのものが無くなってしまうからな』
なぁんて。
ちょっとリクツっぽい『あのひと』なら、そんな風な説明をつけてくれるのかもしれないんだけど……。
少なくとも、これまでにわたしが生きてきた『人生』は、それまでにわたしが『覚えていた』人生とも確実に違ってきている。
全部が全部、繰り返しややり直しじゃないってことは……今のわたしにちょっとした不安と安堵、両方を与えていたんだけど……。
※ ※ ※
「………………」
もう一度、周囲の人たちを見遣る。
うん。
やっぱり……ここまでは一緒。
それなら――。
「未熟な撥ねッ返りとは言え、それに応えるのも、また漢……か」
「て、てめぇっ……!」
ざっ、と……いきりたった拍子に、わたしに向かって小さく土を蹴った。
「…………っ!!」
わ、判ってても……やっぱちょっとこわいっ!
反射的に思わず小さく悲鳴を上げて、身をちぢこめてしまった。
まさにそのとき――。
「げふぁっ!?」
目の前で人が宙を舞った。
「…………!?」
その、わたしを踏み越えようとした人は、拳の痕を頬に張り付かせたまま……。
やっぱり誰にも受け止められることもなく、地面に這った。
「……言っている傍からこれだ……」
懐かしい……呆れたような声が、遠くで小さく聞こえた。
そして――。
「……怪我はないか?」
「え? あ……うん……」
『あのひと』が……わたしに手を差し伸べた。
「……そうか」
相変わらずのぶっきらぼうな言葉――。
その声、そしてその表情に……わたしは胸の奥に、確かにちくりとしたものを感じてしまっていた。
「あの……っ!」
言葉が……詰まる。
「あ、あのぉ……」
何を言えば……いいんだろう。
わたしはたぶん……『最初に彼とであったとき』よりも、ずっと緊張をしていた。
わたしは――。
「……離れていたほうが、いい…………む?」
怪訝な顔を見せる。
「ふぇ?」
「どこか……怪我をしたか?」
「え? え? え?」
「……泣いている」
「え――」
わたしはそこで初めて……自分の頬に、暖かい何かが伝うのに気づいていた。
「わ、わたしは――」
「すまないな。ハンカチなどという行儀のいいものは持ち合わせていない」
「え、えと……」
わたしは……制服の袖口で、涙をごしごしとぬぐった。
なんて……なんて格好悪いのーっ!
「どこか痛めたならば……無理に逃げろとは言えまいな」
「い、いえ、あの……っ!」
「いい。そのまま……隠れていてくれ。ここから……大事な場面なんだ。俺的に」
「は、はいぃ……」
「さて、と……」
彼はは……まるで時間が止まったかのように、ぽかんと口を開けている両陣営の連中に向き直る。
「な、なんだ……お前は……」
「正義とは――」
「!?」
「正義とは……人に依り、立場に依り、そして状況に依り、様々な姿を持つもの。そこに一つの解も、定まった形もない……」
「なんだ? お前……何を……」
「しかしっ!」
「……!」
「この世に一つ、唯一の正義を語る者が居る。世界に一つ、唯一の正義を示す者が居る」
指先をずびしと突き付ける。
「暴力に苛まれる野辺の可憐を守らんとする正義を持つ男が居るッ」
「だ……誰のことだ、そりゃ……」
手を返し……親指で自らを指し――。
「正義を説き、正義を示す者……。人は其れを……この俺、天道乱世と呼ぶッ!!」
彼の名乗りで、それまで敵対していた筈の二つの陣営の両方がざわめいていく。
『あのとき』とは見ている構図は違うけど……本当に同じ。
同じ……なんだね……。
「またか。そう……事あるごとに泣くな」
「え? あ……す、すみません……」
また……泣いてたのか、わたしは……。
わたしは強くならなくちゃいけないのに――。
今度こそ、彼や彼女とも釣り合うくらいに――。
もっと――強く――。
「そこまで……涙もろくはなかった筈だがな」
「え――?」
「やはりな……」
彼は――乱世さんは、なぜかそこでタメイキのようなものを漏らした。
「俺だけかと思えば……自分の記憶もそのままか。手抜かりもここまで行けば……わざとじゃないのかとさえ思える」
「え? え? え? ら、乱世さん……」
「まぁ……主体というものがなければ世界は回らない。そうなるのも……止むを得ぬか」
「乱世さん……あなた……」
「久しぶりだな……勇」
その――私の知っている、彼の笑顔に――!
「乱世さぁぁぁぁぁぁんっ!!」
「お、おい……!」
わたしは……知らずに体が動いてた。
「乱世さぁん……! 乱世さん! 乱世さん! 乱世さぁぁぁんっ!!」
彼の首に思いっきり縋りつくようにして、抱きついた。
抱きついて、泣いた。泣きながら、笑った。
「……はぁ?」
周囲はさっきまでとは違う意味でざわついていたけど……それすらもわたしは気にならなかった。
「お……お前な……。俺とお前はここで初めて会うのだろうに……!」
「うん! わたしも……わたしも、さっきまでそのつもりだったよ……! だったのにぃーっ!!」
「だったら……それを通してくれれば……」
「乱世さんのせいっ……! そんなの、乱世さんのせいだもぉーんっ!」
「やれやれ……仕方が無いな……」
乱世さんは苦笑した。
わたしを……ぎゅっと抱きしめるようにしてくれながら。
「いい加減にしろ。この大うつけめ……って、なんだ? 乱世……その子は知り合いか?」
「あ……ああ。そんなようなもの――」
「恋人でぇすっ!」
「い、勇、お前なっ!?」
「はああああぁっ……!?」
「天道乱世さんは……わたし、羽多野勇の、運命の王子さまだからっ!!」
周囲が、しん……と静まり返った。
毒気を抜かれている……っていのかな。
「な……なにをーっ!?」
最初に正気に戻ったのは椿芽さん。
「な、なにを破廉恥なっ! というか……乱世っ! お前……一体、いつこんな娘と!?」
「い、いや……」
「そうか……! どこぞに修行で出ていた時にでもかっ! この……許婚の私というものがありながらっ!」
「い、許婚ぇーっ?」
「し、知るかっ! そんなもの……お前が勝手に言っているだけのことだろうにっ! 正確に言えば、お前とお前の親父がだっ!」
「この……浮気者めがーっ!」
「あははははははっ♪」
わたしは……むしろ、思わず笑ってしまった。
そうか――。
椿芽さんも……今度はちゃんと、自分に正直にやってるんだ……!
ちゃんと……女の子を、やれてるんだ……!
「な、何を笑うかっ!」
「笑うよ! 笑ちゃうってば、椿芽さん! うれしくて! こんなにうれしいことって、きっとないよ、椿芽さーんっ!」
「な……?」
いいな。
それって……なんだかやっぱり涙が出るよね。
「な、なんでお前は私の名前まで……。そうか、乱世! 貴様か……!?」
「し、知らん! いや……知っているとも言えるが……知らん!」
「この……痴れ者めーっ!」
椿芽さんが乱世さんの首をぎゅーって締める。
その二人の距離感が、すごく……嬉しい。
「……あ、あのよう」
軍馬さんが所在なく身を縮こめるようにして、困ったように口を挟んできてた。
「あ?」
「なんだか……取り込中みてぇだけど……。忘れられてんのか? 俺ら」
「ああ……悪い悪い」
「むぅ……。いいか、娘――」
「勇! 羽多野勇でぇっす!」
「い、勇か……。その……ハナシは後回しだ。どこぞに隠れていろ」
「心配無用でーす♪」
わたしは……椿芽さんに並んで、構えを取った。
「ほう……? 心得ありか」
「はい♪ 多少はありますっ! いいお師匠様に教わったので!」
「ふん。お前のようなか弱気な娘に武術を教えるなど、物好きな師も居たものだ」
「そうですね、すっごく……物好きで……綺麗で格好いいお師匠様でした!」
「まぁいい、邪魔にならないなら文句も言わん」
「はぁーい♪」
あ。
そうだそうだ。
「あ、椿芽さん?」
「なんだ?」
「ふたつ、ありますっ」
「ふ、ふたつ?」
「まずですねー。あそこの銅像あるじゃないですか。あれ……壊さないようにしたほうがいいですよ?」
「? 高い……のか?」
「はい。すっごく」
「そ、そうか……。ふむ。忠告、痛み入る」
椿芽さんは怪訝そうな顔をしながらも刀を構える。
それでも……結局、壊しちゃうんだろうなぁ。
まぁ……それもいっか。
「それで……二つ目は、なんだ?」
「ふたつめはですねぇ……」
「ふむふむ」
「ざんねんっ! まだ教えてあげませーんっ!」
「なっ……! からかったな!? ぐぬぬ……やはり虫の好かない女だ、お前はっ!」
えへへー♪
それはまだ秘密。
もっともっと……後でなくっちゃ教えられない、秘密。
わたしと『椿芽さん』だけの、大切な……秘密。
同じ人を同じくらいに愛する事になるっていう、二人だけの……秘密だものね!
「よし……! 天道組のデビュー戦だ。抜かるなよ!」
「て、天道組ぃ!? なんだそれは! 誰がいつそんな素っ頓狂な名前を決めた!」
「まぁまぁ、椿芽さん」
「き、気安く呼ぶなっ! 本当に好かん娘だな、お前はっ!」
「よし……行くぞ、椿芽……勇っ!」
「はーいっ!」
わたしは――。
羽多野勇は、乱世さんたちと同時に、勢いよくその一歩を踏み出した――。
今度こそわたしたちだけの為の、大事な未来への、その一歩を!
(了)