椿芽と乱世
「しかし……最下層とは言え、想像に勝るボロだな……」
とりあえずどうにか事態を収めてから、寮とやらを検分する。
その「とりあえず」の5文字間に俺は3度ばかり窒息しかけたが……。
「羽多野を正式に加えてなくて正解だったかもしれないな……」
羽多野には、とりあえず正式な活動は明日からとして、寮に――。
彼女がいま現在住んでいる寮に帰した。
不承不承という感ではあったものの、とりあえず俺の言葉には従ってくれるようだったが……。
「あーもー! モキもそうすればよかったもきー!」
玄関先の床を踏み抜きそうになって足を引っ込めた茂姫が、悲鳴のような声を上げる。
あいつはあいつで、既に自分の普通生徒寮の部屋は引き払ってしまったらしい。
羽多野とは対照的に俺の言うことにきっちりと従ってくれるのは、あいつの数少ない長所のようだが……。
こうして後から文句は言うので、そうそう大差はない。
「流石に、羽多野のような普通の娘をこの環境にいきなり投入するのは酷かもしれないからな」
「モキも少女もきよ~」
「そういやそうだったな」
「もき~」
「ふん。いやに彼女のことを慮るものだな」
「……何が言いたい」
「別に」
「だから、アレは向こうが一方的にだな……」
「別に、と言っているだろう、王子様?」
「ぐ……」
「ってゆーか……ここは……もう、男とか女とか以前の問題な気がするもきよ……」
「確かにな……」
いったい築年数はどれくらいなのか。少なくとも二桁の年数は経過していないとこんなに老朽化はしないだろう。
大きさはそれなりのものだが……いや、それゆえ自らの質量で自壊しはじめているようにさえ思える。
実際、傾いてるし。
「いや……中はまだマシなのかも知れない。とにかく……部屋を見てみよう」
※ ※ ※
「……………………」
「……………………」
「………………もき……」
そこを部屋と呼ぶのはかなりの慣用さか、かなりの豪胆さが必要だったろう。
床は(廊下や玄関と等しく)そこかしこが腐って抜け、抜けていない床は「抜けかけている床」というだけの区別。
壁の意味不明の落書きなどはまだしも彩りと言えるほどで……。
大半は壁そのものが崩れて欠け落ち、10以上はあるはずの部屋の区別というものを大胆なまでに無くしていた。
埃は層を成し、ゴミは放置され、虫が這い回り、這い回らない虫は死骸となって、無言の存在感を醸している。
あれは……苔むした骨か?
犬猫か何かのものだとは思うが……。
「……誰だ? 中はマシかもしれないと言ったのは」
「……判った。俺が悪かった」
「これじゃ……せめて掃除するまでは住めないもきよー」
「まだしも野宿の方がマシと思えるな」
少なくとも、外なら床の抜ける脅威は無いからな。
「わ……私は嫌だぞ! 仮にも鳳凰院の娘が、転入初日にいきなり野宿など……!」
「野宿に家柄も蜂の頭もないだろう」
「う、うるさいっ! 掃除をするならするで、すぐにしてしまうぞ!」
椿芽はどうにか野宿を避けようと奮起するが……。
「いや……それは無理だな」
「な、何故だっ!」
俺はちょっとかがみこみ……。
「……電気が来ていない」
床に転がっていた裸電球のスイッチを捻る。
当然のように、電球は瞬きもしなかった。
「陽も落ちた。これでは掃除もままなるまい」
「う……。し、しかし……」
「……茂姫」
「あいさー! どっかでテントかなんか、調達してくるもきー」
茂姫はびしっ、と敬礼のようにして、早速走り出していった……。
「……諦めろ。今日は野宿だ」
「うう……お前のせいだお前のせいだお前のせいだ……」
「わかったわかった。俺のせいでいい。いいから……出るぞ。これ以上暗くなると、どこが抜けない床かの判別も難しくなる」
「うう……。鳳凰院の次期当主が野宿など……」
※ ※ ※
「アニキー、お湯が沸いたもきよー!」
食料の調達から戻ってきた俺を、茂姫の能天気な声が迎える。
「おお、手際がいいな……って、お前はどれだけ沸かしたんだ」
見れば……石で簡単に組み上げられたカマドの上に、ドラム缶いっぱいの湯が煮立てられている。
「もき。そっちはお風呂もきよー。調理用はこっちもき」
確かにその傍らには一回り小さなハンゴウがくつくつと湯気を立てている。
「……本当に手際がいいものだな」
鑑みれば、ぎりぎり学園の灯りが届く寮の前でキャンプを張ると決めてから、茂姫の動きは迅速だった。
自ら言ったとおり、どこからかテントやハンゴウなどを一式そろえてきて見せたり……。
こうして湯を沸かす手際も堂に入っているように見える。
「モキの特技は諜報活動もきよ。この手のことは基本のうちもきー」
「なるほど。初めてお前の利用価値を見出すことができた気がする」
「モキもそれはアニキとして純粋な褒め言葉として受け止めておくもきー」
「しかし……風呂とは考えが至らなかったな」
俺は摘んできた野草の類を下ろし、素直に感心する。
寮が学園から離れた裏山などにあるせいか、わりと食せるものに恵まれていたのは不幸中の幸い、か。
一応、学園の基礎ルールとしては、日々の生活に足る分は至急されるということらしいが……。
早々に莫大な負債を負った俺たちとしては、可能な限りの切り詰めは必要だろう。
ということで、最低限は茂姫の持っていたポイントから食材を購入し、あとはこうしてサバイバル……ということになった。
「そりゃアニキ……過半数がおにゃーのこもきよ? 当然っていえば当然もき」
「そう、か? まぁ……それはいいとして、椿芽のヤツは?」
「ねーさんは、さっきから姿が見えないもきー。トイレにしたら長いトイレもきねー」
「ふむ……」
「あ……アニキ、また……どこいくもき?」
「ちょっと探してくる」
「アニキは心配性もきねー。じゃ、もきはその間に夕飯の支度、しとくもきよー」
「ああ、頼む」
※ ※ ※
「ふぅ……いくらなんでも……あんな風呂に入れるものか……」
「ましてあいつのいる前で……」
「誰の居る前で、だ?」
水の匂いを頼りにそう浅くない茂みをかき分けてきてみると、やはりそこに椿芽が居た。
「誰って………………うわっ! 乱世っ!」
たどり着いてみれば……そこは、小さな泉のような場所だ。椿芽はそこで沐浴をしていた。
なるほど、近くにこんな場所があったか。
「こんなところに居たのか。お前……せっかく茂姫のヤツが湯を沸かしているというのに」
「お……お前こそなんだ! いきなり……!」
椿芽は必要以上に狼狽しているように見えた。
確かに驚かせはしたろうが、これでは椿芽のほうが余程に修行が足りないとも言える。
「いきなり? 何がだ?」
「何がって……お前……」
「そういえば……お前はあまり湯浴みは好きでなかったか。しばらく前から俺や師匠と湯に入らなくなったしな。しかし、沐浴とは……これまた古風だな」
「う……。ま、まぁ……な」
ようやく落ち着きを取り戻したのか、椿芽は背を向け、ご丁寧に肩あたりまで泉に浸かる。
「どうした? 何か……おかしいぞ、お前」
「う、うるさいっ! もう……いい」
「……? まぁ丁度いい。できれば茂姫のヤツも居ないところで話したいこともあった」
俺は泉の岸辺に腰を下ろした。
「二人だけで……か?」
椿芽が表情を引き締め、俺の話を聞く態勢を整えてくれた。
「ああ。あいつはいまいち判らないところはあるとはいえ、根底で良からぬことを企む手合いではないとは思っているが……それでも、用心は必要だ。ことこの学園においてはな」
「う……うむ」
「日中、あの教師……沖野晴海の接触を受けた」
「沖野……先生の?」
「ああ。もっとも……先方も確たる何かがあってのことではなく……あくまで探りを入れてきただけのようだが……」
「何か……話したのか?」
「いや……確信的なことは特に。学園に何かしら不利益になる目的を持って入ってくる人間をチェックするという名目だったが……」
「引っかかる……と?」
「それだけなら、ああまで手の込んだ方法は取らないだろう。いや……手の込んだ、というよりは……趣味的、か」
「何か……されたのか……!?」
「ああ。口の中に舌をねじ込まれた」
正確には、おそらく奥歯あたりに仕込んでいたカプセルを舌先で器用にねじ込まれた、という所だが。
「な……っ!」
「案じなくとも……俺がその程度の手にかかるものか」
「そ、そうじゃなくて……その……し、したのか……! あの……先生と」
「? ああ、させられた……というべきだが」
「……………………」
「しかし、その時点から相手と方法を間違えたという他ないな。よりにもよって、俺に、だ」
「……………………」
「知っての通りだろう。俺になまじの薬物は効かない」
「そ、それは……知っているが……」
「籠絡か……もしくは動揺を誘おうという狙いもなくはなかったろうが、それこそ輪をかけて無駄だ。これも知っている通りだな。俺にその手の奸計は薬物以上に効果がない」
「………………」
「俺にはそういった事に動くべき心がない。ないものは揺らすことも掴むこともできない」
「ああ……そう、だな……。そうだったな、お前は……」
「ああ。そうだ。こんなことは言うまでもなく、お前が一番に知っていることだろうが……」
「…………ああ。そうだな。判ってる……お前は……人形、だものな。私の……」
「ああ。俺はお前の剣、だ。あの日からずっとな」
「………………ああ。そうだ。これまでも……これからも、だ」
「……なんだ? 改まってそんなことを……。やはりおかしいぞ、お前」
「そ……そんなことはない……!」
「そうか……?」
「そう、だ……!」
「ふむ……。判った。とりあえずこの話はここまでにしよう」
「………………」
「とにかく……お前も気をつけておいてくれ」
「……ああ」
俺は僅かに椿芽の態度は気にかかったものの……そのまま、茂姫のところに戻ることにした。
「もっとも……お前ならば心配は要らないとは思うがな」
「当たりまえだ。お前は……自分の心配を……しろ」
「ああ、そうだな……」
去り際、いくらか椿芽にいつもの調子が戻ったのを確認して……そのまま、立ち去った。