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ジャガンナンド~強くあるために必要な、ほんのいくつかのこと~  作者: 神堂 劾
強くあるために必要な、ほんのいくつかのこと
108/110

決着の、段

「あぅっ……!」


「勇ッ……!」


 足を薙がれかけバランスを失して倒れた勇に、声はかけるが見ている余裕は無い。


「ははッ……!」


 皮一枚を引き戻しの斬撃が、薙ぐ。


「ち……!」


 勇に意識を向けさせさえしない。それだけ……椿芽は速い。


「そんなものか!? 違うだろうに!? 違うよな!? 違うぅッ!!」


「乱世さ――」


「立つな! そのまま伏せろッ!」


「っ……!」


 言葉を最後まで聞かず、勇はただ伏した。


「善くぞ見えたッ!」


 椿芽が嬉しそうに叫ぶ。叫びながら、薙ぐ。俺と勇の間に割り入るように踏み出し、薙ぐ。


 俺が飛び、勇が伏す。


 その……僅かに生じた隙間を、椿芽の太刀が、まるで縫うように過ぎた。


 俺はそのまま、文字通りに空気を蹴るようにして、飛ぶ。


 勇もまた、俺や椿芽の動線すら見ずに、転がる。


 今度こそは善く出来た舞踏のように、その合間の地面を椿芽が踏む。


「楽しい……楽しいな、乱世ッ!」


 正三角形を形作るかのように離れた間合いで……椿芽も、俺も、勇も……それぞれに呼気を整える。


「ああ……」


 否定をしない。


「こんな感覚は……恐らく生き様のうちで二度は無かろうさ。お前だけだ……椿芽」


呼気を整えるはざま、息を吐くついでの中に、言葉を乗せる。


「ああ……!」


 椿芽は未来さきを視ていない。


 視るつもりも有りはしない。


 この闘い、この状況こそが……椿芽の最後の望みであるからだ。


 この俺たち3人だけの空間こそが、椿芽の純粋な望み、なのだ。


「なんでッ……!」


 動ける程には呼気が整った。


「なんで……こうしなかった!? できなかった!? させなかった!?」


 椿芽の踏み込み繰り出す突きをかわす。


 右か? 左か?


 その選択が脳に過ぎるまえには、体を右にかわしている。


 いや――。


「そういうものだ……! ままならぬとッ……!」


 そう認識する前に、体は切っ先の変化を敏感に感じ取り……。


 足を滑り込ませるかのようにして椿芽の姿勢の死角である右下を滑りぬけている。


「なぜだッ……!?」


 刹那に、頭のすぐ後ろに殺気が過ぎ……その可也かなりあとに刃が過ぎた。


 そのときには俺は既にていを返し、身を起こしている。


「お前は……俺を求めなかった。その実に求めても……呉れなかったろう……!」


 ザザ――。


 俺の足、椿芽の足、それぞれが地を滑り、結果の上で間合いが開く。


「それは――」


 椿芽もまた、残身すら見せてもくれずに、切っ先を正眼まで戻している。


「言い訳だ」


 ぴたり、と切っ先が1ミリのぶれもなく定められる。


「ああ……卑怯な言い方だろうな」


 俺はスキとならぬほど、腕を振り血管の血を流す。


「自覚はあるのか。ふふ……成長をした。乱世は……」


「成長をしない……生き方もあったのだろうが」


 ハッ、と足りない分だけの酸素を手早く取り込む。


「それこそ卑怯だろうよ。責めるのか、私を……」


「いいや」


 きりきりと肺と脳が痛む。


 神経伝達の速度すらをも超えた闘いは、著しく体を痛めつける。


「責めるものなど……ここに持ち込んではいない」


 が、それも今は心地よくさえ感じる。


 生きている――と。


「ふふ……だよなぁ……」


 満足げな笑みを一瞬浮かべ……。


 つ、と……勇のほうを見遣る。


「椿芽……さんッ……! あなたは……ッ!」


 応じて、勇が間を詰める。


 無謀ではない。かといって策もない。


 ただ……俺と同じく、椿芽に応えるがため。


 応えたいが、ため。


「勇……! 羽多野……勇ゥ……ッ!」


 椿芽の斬撃は僅かに鈍ったか。


 意図ではない。意識の所作ではない。加減でもない。情により生じた油断でもない。


 ないが――。


「あなたという……ひとはァーッ!」


 勇もまたそれを見越し、懐に飛び込む。


「お前が……ッ! お前が現われなければ、私は……!」


 椿芽が返してみせるは、嫌悪か憎悪か。


「私は……居られたッ! そこに……その場所に居られたッ!」


 その類の言葉を吐きつつも、まるで精巧な機械のように刃を返して応対しようともするが――。


「知ってる……! でも……でもォッ……!」


 既に勇は椿芽の襟にまで手を伸ばしてしまっている。


「でもだとッ!?」


 太刀での応対ができる間合いではない。


「わたしは……会ってしまったんだものッ!」


 むずかるような所作で襟から狙いを外そうと肩を振る椿芽。


「生まれて……芽生えてしまったんだものッ!」


 しかし勇の腕はまるで糸でも繋がっているかのように、するすると動いて襟を捉える。


「言うか、綺麗ごとをッ……!」


「そうよッ! 現実だから綺麗では済まないのッ!」


 椿芽の襟をとる――。


「だけど……そう言うしかないじゃないッ! そうするしかないんじゃないのォーッ!」


 そのまま椿芽を引き倒す――。


「そうだッ!」


 いや――引き倒す直前に、椿芽は自ら引かれる方向へ跳んだ。


「あぐっ……!」


 勢いのまま、柄頭が勇の鳩尾を強かに打った。


「だから……こうしているッ!」


 椿芽は当たった瞬間に当たったと認識、それをねじ込むように力を込める。


「こう……せねばならんよなッ……!」


 勇は引かない。ここで押し切られれば必殺の間合いに放り込まれてしまう。


「あなた……はァ……ッ!」


 呼気が寸断され、意識が刹那に飛ぶが。


「あなたはこんなにも……!」


 胸の筋肉や横隔膜の力だけで柄を押し、強引に酸素を肺までねじ込む。


「こんなになったって……女じゃないのォッ!」


 勇はそこから強引なまでのやり口で、柄頭と自分の体の隙間に逆手を滑り込ませて、押し返すようにして見せた。


「女で……ヒトでッ……それで――それでェ――ッ!」


 それだけで――


「それで……なんだァ……ッ!?」


 椿芽の体勢は僅かに崩れた。


「それで満足はできなかったのッ!?」


 しかし、足を踏みしめる。


 「わたしと……わたしだけと闘う事がなんでできなかったのッ!」


 足首の腱がねじ切れそうになるのも構わず、ただ支えの役割として地面に突き立てる。


「それをお前が言うのかッ! 羽多野……勇ゥーッ!」


「言うよォーッ!」


 意地と意地の衝突。結果的にしか過ぎないが、僅かに間合いは椿芽に有利な程に開いた。万全ではないが、太刀が有用できる程度に。


 そのままであれば、胴か足か――何れかを勇は椿芽の太刀に持って行かれただろう。


「椿芽さん、卑怯だッ!」


 ドガッ――。勇が有り得ない姿勢で地面を蹴りつける。足指のいずれかが軋み、軽く見てもひびが、ともすれば数本が折れたかもしれない。


 が――!


「弱いんだ、あんたはァッ!」


「知っていることだァッ!」


 ゴッ――!


 二人の額が音を立て激突する。頭蓋が悲鳴をあげ、脳が揺さぶられる程に、激しく。


「鳳凰院――椿芽ぇーッ!」


「羽多野――勇がァーッ!」


 二人の絶叫が、顔同士ただ紙一重の隙間で同時に交差する。


 その刹那の間には、おそらく俺にさえも漏れぬ圧縮された意識の交差も多くあったろうに思う。


「ぐっ……」


「あぐっ……」


 刹那、どちらがどちらを蹴ったのか。


 同時のその打撃は、二人の間合いを再び大きく広げる。


 勇にすれば、その刹那に再度、手か足を極めることもできただろう。


 椿芽にすればその刹那に斬の追撃を浴びせることもできたろう。


 しかし、それは、しない。


「勇……!」


「平気ッ……!」


 そんなものでは――。


 小さくダメージを与えて相手を弱らせるなどという方法こそは――楽しくない――。



『楽しいな――』



 椿芽の言った、その言葉が全てなのだ。


 正鵠せいこく、ではない。


 ないが――。


「椿芽さん……やっぱ強い……!」


「……ああ!」


 勇もまた……『楽しんで』いる。


 もとより嬉しい訳がない。


 喜ばしいことなどであるはずもない。


 説得や話し合いか……その類で決着がつくものであれば、それに越したことは無い。


 こうして、生死の狭間で闘い会うことを望んだ覚えも無い。


 理不尽に怒りもすれば、泣けるものなら泣きもしよう。


 一欠ひとかけらたりとも、好んだ状況であることはない。


 だからこそ、楽しくは、ないのだ。


 正鵠を射てはいないのだ。


 しかし――。


 矢張り、『楽しい』、のだ。


「……疼くんだ」


 その感覚こそは、今の椿芽には相応しいものではあったろう。


 椿芽は全てを捨て、無垢と成っている。


「疼くか」


 俺はうつろを捨てて人の血を通わせている。


「椿芽さん……」


 勇は人としての生を、正しく今、歩みだしてきている。


 俺たちは……正しい意味において、いまここに……生きている。


 余人が50か80のよわいを経て受けうる幸福を、俺たちはこの刹那だけに感じている。


 それは不幸か? 幸福か?


 パンドラの箱には、矢張り、希望が充満している方が正しかったのか?


 それは知らない。


 知らないが――。


「そう……ひどく、疼くんだ。ひどく……」


 椿芽は己の下腹を撫でた。


「ここまできて……ここまで来なければ……」


 新たな血が、内股を伝った。


「感じ得なかった……」


「欠けて……いたのだな、お前も……」


「椿芽さんも……」


「疼くんだよ」


 もう一度……言った。


「失くした子宮が、今更に……求めるんだ」


 涙がはらりと零れた。


 それすらも……美しいと俺は感じる。


「どうすれば……良かった? どうしていれば良かった……?」


 泣く。


 ただ、泣く。


 それは自らの今の有様を憂いてではない。運命にでもない。そこに後悔はない。だから違う。


「椿芽……さん……」


「教えてくれよぅ……勇……。どうして……こんな風になってしまったんだァ……?」


「椿芽さぁん……」


 勇が、泣く。


 誰を想って? 椿芽ではない。自分にでもない。俺ですらあるはずもない。


「何が……間違った……? 何が……正しかった? どうしていれば……良かった……?」


「正しいことなど……何も無い」


「乱世……ぇ……」


「間違っているものをひとつ求めるのなら、世界が、だ」


「せかい……」


「この世界で生きるには……真面目に過ぎたのだ」


 椿芽も……勇も……俺も。


 生きるという願いに……あまりに実直すぎた。


 欠片かけらを埋めることが……できなかった。


「だからこそ……なのか」


「だからこそ……なのね……」


 ふたり……得たり、と小さく微笑んだ。


「そうだ」


 だからこそ……難しかったのだ。


 誰にでもある苦しみ……そういうものを受け入れるには。


「乱世――」


 椿芽は……笑んだ。


 今度こそは……憑き物の落ちた顔――。


 否、『憑き物を得た』、顔で。


「お前たちは……こうも優しいのだな」


 切っ先を……向けた。


「乱世さん……」


 勇も俺に添うように立った。


「……ああ」


 俺も勇も……椿芽を見遣る。


「決着を……つけよう」


「はい……」


 俺たちは対峙する。


 どれほどの時間がそうして流れたか――。


 いや……時間は無意味なのか。


「あ――」


 そうしている緊張こそが……俺たちの悦びなのだ。


「疼きが――?」


 風を頬に感じる。


 桜の花弁が椿芽の肩に貼りついた。


「――止まった……」


 緊張は……解体ほどかれねばならない。


 時間は……流れなくてはならない。


 決着は……付かなくてはならない。


「は――――――ぁ―――」


 地を、足が、血に濡れた、足が、蹴った。


「乱世ええええぇぇぇぇぇッ!!」


 椿芽がはしった。


 そのこえさえ聞ければ、理解わかる。


 椿芽も気づいたのだ。


 この場に在るモノ。


 そのどれがここで消えるべきか。


 そのどれが残り然るべきなのか。


(椿芽――)


 椿芽の無垢か――。


 俺の得た血肉か――。


 勇の人としての面差しか――。


(椿芽――何もてらわずに、いまは言おうか――)


 俺と――勇が椿芽のそれに応じようとした刹那に。


「勇――」


「え――?」


 俺は……勇を突き押した。


「あ――っ!?」


(椿芽――よ――)


「乱世さん……!?」


 俺はその勇にひとつだけ笑みを向けて――。


「椿芽ええええぇぇぇぇぇぇぇッ!!」


 椿芽に応じて走り出した。


「おおおおおおおおおぉぉぉッ!!」


(俺は――お前を間違いなく愛していた――と)


「おおおおおおおおおぉぉぉッ!!」


 刹那に――。


 椿芽は――笑んだろうか。


 勇は――何かを叫んだ。


 俺は。


 俺は――――――。

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