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ジャガンナンド~強くあるために必要な、ほんのいくつかのこと~  作者: 神堂 劾
強くあるために必要な、ほんのいくつかのこと
107/110

始末の、段

 あのとき――。


 時間にすれば一年にも満たぬあの日、俺と椿芽が潜り抜けた境界――。


『こちら』と『あちら』の側を分かつ、門――。


 あの、夢の残滓を浮かべつつに潜った門とも思えるのは……俺の感傷なのであろうか。


 そこに――。


「……………………」


 そこに――椿芽は、居た。


矢張やはり……此処ここか、椿芽……」


「椿芽さん……」


 俺と勇が声をかけると――。


「ああ――」


 そこで椿芽は初めて気づいたかのように――。


「来たのか、乱世――」


 否――確実に、そこで気づいて、俺を見た。


 椿芽は全身を血にしたたらせていた。


 大半は羽多野勇オリジナルを筆頭に頼成や我道を含む、斬った相手の返り血ではあろう。


 あろうが……全てがそうではない。


 ないことを、俺は知っている。


「我道は……?」


「え……?」


「いや、な……。先程まで……話していたのだ。いまは……いないな……? そうか、居ないか……。ふふ……不思議だなぁ……?」


「我道なら……お前が斬ったのだろう」


「なに、を……?」


 童女の目で、きょとん、と見る。


 俺が始めて会ったときとおなじ――。


 いや、それ以上に、と謂うのも妙な表現ではあるが……それよりも澄んだ目だ。


 美しいと――素直にそう思えた。


 それは俺にとって、懐かしく、そして新たに嬉しい感性でもある。


「我道は……生きているだろう? 殺しては……いないよ?」


「ああ、そうだ」


「そうだろう? そうだ……ふふ……」


 憑き物が落ちた――。


 人が生きる上にいて、必要なはずの憑き物までもが、だ。


「まぁ、いい……。いいや、それは……うん、いいよ……」


 椿芽は嬉しそうに、顔を笑みで満たす。


「来てれて嬉しいよ……。ほら……」


 椿芽は枯れた街路樹を仰ぎ見る。


「ほら……桜もね、咲いている。あの時と……同じだな」


「桜……? で、でも……」


 勇が怪訝な顔を見せるいとまもない。


「え……?」


 はらり、と花弁が舞い――。


「これは……」


 季節どころか刻そのものを取り違えたかのように……桜が狂い咲いた。


「うふふ……」


 その、只中ただなかに……椿芽が居る。


 血塗ちまみれた、椿芽が。


 桜には血と屍が似合う――。


 それは、樹の下に死体が埋もれているという詩的な表現に拠るものではない。


 桜が……彼の花こそが、まず血を好むものなのだ。


「乱世さん、これって……」


 勇に頷く。


「ああ……。今や……椿芽には関係がないのだ。時も……事象も……あまねく全ての物事が」


 桜が咲いていると思えば――桜は其処そこに有る。


 有れば良いな、と願うことすらもない。


 そこに有るべきであれば全て在り、無きとあれば全てがい。


「椿芽は……喰った。いや……喰われたのだ」


 言い違いではない。同義の……ことだ。


「それは……羽多野勇あのひとの……」


「そうだ。あの……彼女が持ってしまった『力』にだ」


 全ての未来を決定――または変造せしめる能力――。


 それは真実、この世から消えることのない能力なのだ。


 仮にその持ち主がせたとしても――。


 否、それを持っていた羽多野勇オリジナルの少女が死亡したからこそに、その力は椿芽に受け継がれた。


 受け継がれたからこそ、あの少女は死ねた、と言い換えることすらもできる。


 言葉遊びに近しいものであるが……。


「あの力は……どうあれ、世界にとっては必要なものなのだ」


 だからこそ……受け継がれる。


 幾度ともなく、連綿と受け継がれる。


「ええ、でも……」


 勇も既にそのことには気づいている。


「でも……一人の手にあってはいけないもの……!」


 そうだ――と、頷く。


 それは大同小異……人、それぞれにあれば良いものなのだ。


 だれか一人にかたよって持たされていいたぐいのものではない。


「椿芽には……否、鳳凰院家には、そも、あの力と同種のものが受け継がれてきたが」


 未来全てを見透かす――。


 そんな能力は、武術の頂点、到達点としては明白に手に余る類のものなのだ。


 宗教、まじない、加持祈祷かじきとうの類であったほうがむしろ収まりは良かったのだろう。


 しかし――どうあれ、個の人間の手には余るものには違いない。


 鳳凰院流を極めることによる、遺伝子、生体としての異常は……その警告――。


 否、拒絶か。


 俺が何時か見た、鳳凰院流初代の生んだモノ――。


 それは畸形きけいがどうのというものではなく……既に人の体裁さえ模したものですらも無かったのだから。


「世界にこそ必要ではあっても……個人が持ちえてはならぬものなのだな、あれは……」


「はい……!」


 俺は……あの話を思い出す。


 絶望や苦しみが一杯に詰まった箱――。


 撒き散らされた跡に、唯一残されたのはひと欠片の希望――。


 パンドラの箱と――言ったか。


 箱一杯に満ちていたのが絶望であり、残されていた欠片が希望であったからこそ、世界は回るのだ。


 逆であったのなら……それはどうだ。


 世界に満ちているのは、薄められた毒でいい。


 酸素か水か――。


 いずれ充満をしている、過ぎたれば致死に至る物質の中で足掻あがくことこそが――。


 少なくとも人間にとっての幸福なのだ。


「もう……いいかい?」


「……ああ」


「おや」


 椿芽は……そこで勇に気づく。


「居るじゃないか。勇……お前も」


 また、童女のように笑む。


「……ええ」


「ふふ……役者が……そろったじゃないか、なぁ?」


 笑む。


 それだけで俺も勇も、ともすれば錯覚をしかねない。


 俺も……勇も……。


 本当に、いま……彼女が望んだことで、この場に現われたのではないのだろうか。


 俺は冥宮校舎の地下で勇を結局、見失い――。


 勇も矢張り、自分のものでない記憶の狭間で戸惑っていた――。


 ここに現われた――現された段階で、新たに記憶を植えつけられたのでは――。


 椿芽の力で帳尻を合わせられたのではないのだろうか。


 もちろん、それは妄想だ。


 しかし、椿芽には現実、その能力がある。


 望みのままに帳尻を合わせることができる。


 俺も勇にも現実リアルが有るのは……其処そこに椿芽が居るからだ。


(椿芽は……そんなことを望んではいない。全てを無くしてしまうなどと……)


 だからこそに……椿芽はすがるしかない。


 俺と唯一のつながりと――。


 少なくとも彼女自身はそう思ってしまっている、強さということに拘泥――執着をすることにしか。


「私はねぇ……乱世」


 椿芽は俺を見た。


 泣き笑い――。


 その形容が相応しい表情で。


「失くして――しまったよ。全て……お前とのつながりを……」


 歩を踏み出すと、濡れた音が響く。


 脚からしたたるあかい――赫い、血が。


「だが……失くすと……強くなった。そう……そうなのだよ、乱世……」


「………………」


「何かを失くせば……人は強くなる。隙間が無ければ……埋めることはできないじゃないか。そういう……ことだったのだなぁ……」


「……椿芽」


 ならば矢張り――。


 椿芽の腰から下を濡らすのは……己の血か。


 そのことに気づいた勇が、ちいさく喉を鳴らす。


「椿芽さん……あなたは……!」


「いいんだ……勇、いいんだ……」


 椿芽は笑む。


 泣きながら……笑む。


「これで……いい。いや……これだからこそ、いいんだよ……」


「椿芽」


 俺を見遣みやる、椿芽の瞳は……くまでも純粋だ。


 美しい――。


 俺は恐らく、素直にそう思った筈だ。


 いまや――。


 鳳凰院流としてのしがらみも、人としての未練からも――。


 そして、おんなとしての呪縛をも断ち切った椿芽は――。


 世界の何よりも美しいものなのだろう。


 だからこそ――


「始末を――つけよう――」


 だからこそ――刹那せつない。


「ああ……!」


 だからこそ――


「嬉しいなぁ……乱世……!」


 だからこそ――儚い。


「ようやく……私を……わたしだけを見て、れたのだねぇ……!」


 椿芽、笑んだ。


 そう――だ。


 人の――夢と、書く字のようだ。

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