幽世の決着
「この先だ……」
俺は廊下の先に『彼女』の気配を感じ、確信する。
勇:「はい……!」
同じように、やはり『彼女』を感じているであろう勇も、前方を見据えたまま、頷く。
この先――。
『彼女』が眠るその場所で、俺たちは決着をつけなくてはいけない。
「……………………」
その……決着の意味合いについては、勇ももう気づいている。
だからこそ新しく生じた苦悩も、ある。
「……気に病むな……などとは言えないが……」
「……はい」
『彼女』を止める――運命の連鎖を断ち切るためには……。
『彼女』を殺さねばならない。
運命を操るという『彼女』の能力は、『彼女』自身にも制御のできていないものだ。
もはや、『彼女』自身にもそれを止めることはできない。
「俺が……やる」
「で、でも……!」
「いや……それが……彼女自身の望みでもある」
「………………」
本来であれば、そこに勇を同道させることすらも、俺は躊躇ったことだろう。
しかし――。
これは、ひとつの覚悟だ。
俺と……そして勇の……。
勇にも、もう自らの知らないところで運命が動くような想いをさせてはいけない。
それはかつては俺自身が一番に嫌ったことではなかっただろうか。
それでいて俺は、勇を慮るつもりで、彼女に真実を隠し同じ想いをさせてしまっていた。
だからこそ……。
――もう、何ひとつも隠さない。互いの運命さえも――。
だからこそ――。
「……わたしは……」
「勇……?」
「乱世さんの気持ちは……判るんです。でも……」
勇は俺の方を見て、言う。
「わたしは……乱世さんのほうが心配、なんです」
「俺、が……?」
「……はい。乱世さんは強いです。やっぱり、強いです。わたしなんか……比べ物にならないくらい」
「それは……」
――違う。俺は――。
「だけど……。それだけに、何かのきっかけで折れてしまいそうな……そんな儚さも、ある……」
「………………」
「もしかして……この先で『彼女』と向き合ったときに……それが折れてしまうんじゃないか……何かが変わってしまうんじゃないかって……」
「勇……」
「だからわたし……一緒に行くんです。こわいけど……つらいけど……。乱世さんがそうなってしまうことは……もっと、いやだから……」
「………………」
「だからわたし……!」
「……ああ。そうだ……確かに、そうだ」
「乱世さん……」
「……そうしてくれ、勇……。俺を……支えてくれ」
「……はい……!」
俺が言うと、勇はようやくに笑みを作って、頷いてくれた。
「……すまない、な……」
「え?」
「いや……」
結局俺は――。
こと、ここに及んでも、勇を庇う振りをして、自分を守ろうとしていた。
どこかで未だ、勇の保護者のような素振りをしようとしてしまっていた。
しかし勇はあくまで自分の想い、考えで俺とこうしている。
純粋な意味と動機に於いて、俺を守ろうとしてくれている。
俺も勇も、もう『彼女』の手を、庇護を離れて一人の人間として生きている――。
その意味を、判っていなかったのは、やはり俺のほうだったのだ。
「行くぞ……その先だ……!」
「はい……!」
決着は近い。
しかし――。
(妙……な……?)
俺には僅かな違和感があった。
確かに彼女はもう、俺や勇を阻もうとする意思はない。
しかし……。
仮に彼女の『意思』が、俺に殺されることを願っていたとしても――。
彼女の本能はあくまで自動的なものだ。
当然に、その身を滅ぼそうとする者に対して――。
俺や勇に対しての抵抗はあると思っていた。
いたが……。
(先刻までの感覚が、ない。ここは……今やただの廊下だ)
『彼女』の生み出した異なる空間などではない。
ただの……学園の地下。
『彼女』を収容するために作られた人工の施設。
それがひとつ、気になっていた。
「乱世さん……?」
「……いや」
どうあれその先、その扉を潜れば終わりだ。
俺と勇はようやく、そこにたどり着いた――。
※ ※ ※
『その場所』にたどり着いた俺と勇は――
「………………!」
「これは……!」
先ず――。
鼻をつく、血のにおい――。
それが厭な予感を弥が上にも掻き立てたのは確かだ。
そして……。
「乱世さん……あれ……!」
勇が蒼白な顔、震える指で差したのは――。
「………………!」
恐らくは『彼女』が『保管』されていた場所。
無味乾燥なベッドと、『彼女』自身をモニターするために配置されていた機材の類。
それらは今や……無残に破壊され、残骸となって其処かしこに散らばってしまっている。
そして、その残骸の中心にあったのは――。
「羽多野――勇――」
『彼女』の……残骸。
「ひどい……」
勇が嗚咽をかみ殺すようにして……目を逸らした。
それは無理からぬことだ。
『彼女』はいまや……元の姿を認識することも難しいまでに寸断されていた。
「椿芽か……!」
太刀筋を見るまでもない。
周囲に転がる機材やベッドは、それとして破壊されたものではない。
中心の人間……『彼女』を断ち切る際に、偶さかに斬られただけのことだ。
躊躇の欠片もなく……ただ斬った。
「……………………」
その凄まじい惨劇の痕跡のなかで唯一、『彼女』の頭部だけが原型を留めて転がっている。
勇と同じ顔をしたその女性は……薄く目を開け、小さく笑むようにすらも見えた……。
「俺は……また約束を果たせなかったな……」
歯噛みをするのは、悔恨だけのことではないのだろう。
彼女を手にかけなくとも済んだ……椿芽が為遂げてくれた……。
そんな安堵をしそうにすらなる、自らへの憤りだ。
「ら、乱世さん……」
「ああ……」
勇が見たものには、俺も気づいている。
壁に血を墨に、切っ先を筆に記されたであろう、その文字……。
『現世にて』
「決着を……つけよう、と……。そういうことか、椿芽……」
「乱世さん……椿芽さんは……」
「……ああ」
『彼女』を殺した時点で……椿芽は『彼女』の生み出した呪縛からは解かれている。
とすれば……その先は恐らく、椿芽の意志……。
尋常ならざる、今のあいつの明確な意思。
「呪縛の中に飲み込まれたか……それとも……」
もはや……『そんなこと』とは関係がなくなってしまっていたのか。
『彼女』の介在は、あくまできっかけ――。
全ての行動は椿芽自身のものであったのか。
また俺は……見誤っていたのか。
椿芽の……秘め、隠した情念などのことを。
「乱世さん……」
「ああ……。判っている。大丈夫だ……俺は……」
「………………」
勇はそれでも、俺を案じるような表情をしていた。
「大丈夫だ……少なくとも、まだ……」
「乱世さん……」
「あいつが望むなら……それを決してやらねば……。それこそ、俺は……情けない男で終わってしまうよな……」
行かねば――ならない。
あいつの望むまま……あいつとの決着をつけるため……。
(現世、か……)
あいつの遺した言葉が全てだ。
既に幽世での決着はついている。
あとは……女神の手を離れたこの世界のなかで……。
これから軌道を外れ、誰にも見えない方向へと動いていく、この世界での決着をつけねばならない。
原因、要因の類を絶てば、全てが八方に丸く収まる――。
この世界というものは、そんな簡単なつくりにはできていないのだから……。