生きていればこそ
「椿芽さんが……?」
「ああ。今にして思えばという所だが……あいつには、オリジナルの羽多野勇に取り込まれる要素が多すぎた」
鳳凰院流の次代当主という立場……。
その目に見えない重圧と、女であること、『強くあらねばならない』という想い……。
これだけでも、この学園を根底で支配する羽多野勇の『強いものを求め生み出す』という願いに強く呼応したものだろう。
現実……同じ女性というだけで、牙鳴姉妹を筆頭として、龍崎志摩やシェリスなどはどこか羽多野勇の意思に引かれていたように見える部分が強かった。
しかし――。
他のこの学園の女生徒の大半がそうであるように、『彼女』に引かれはしても、今の椿芽のような極端な同調を達した者は居ない。
龍崎はパンクラスのメンバーとして、強さの研鑽をスポーツ的なモチベーションとして昇華し切れていた。
シェリスは我道への忠誠心と愛情の中間に自分を置くことで自分を満たしていた。
牙鳴姉妹、ことに姉に至っては強さと引き換えに心を殺ぎ、その錬度を研ぎ澄ますことで『彼女』の意思を受け流した。
椿芽だけが……常に満たされに欲求のまま――。
『彼女』の根底にある、満ちぬフラストレーションに近しいものとしての同調を受け続けた。
いや――何よりもの原因は――。
「俺と……そして勇。おまえと近しいところにいたことなのだろうが……」
「わたしと……乱世さんが……愛し合うようになったから……?」
「………………」
俺は黙したまま、頷く。
「あいつの秘めていた気持ちに気づかなかった……いや、気づかないようにしていたのは……俺、だ」
「……………………」
「あいつが俺に恋慕に近しい情を抱いてくれていることは……いくら昔の俺でも、まったく気づかないということはない。しかし……それはまっとうな恋愛ではない。俺はそう思っていた」
「真っ当な恋愛じゃない……?」
「ああ。物心をついたあいつの近くには俺以外に身近な異性はいなかった。ましてや……鳳凰院流の特殊な環境で育てたれた身でもあれば……」
もっとも――。
今にして思えば、親父殿は、そういった娘を案じ、半ば確信犯的に俺をあいつに宛がったのだろうが……。
「あいつは俺を見て育つ以外に選択肢はなかった。ましてやその時の俺は、『かつての俺』だ。確たる意思も志もない、ただの人形だ。しかもその人形は……平気で人を殺める」
「………………」
「そんなものを抱き込まされて抱くものは……まともな少女が持つ恋慕ではない。だから俺は道具に徹した。俺自身もどこかで恐れていたんだ」
椿芽が俺に惹かれ――同調をしていくことが、だ。
だからこそ俺はあいつの前では愚鈍や無能にも徹した。
本能として自らを研鑽し、強くあらねばならないという意思はあった。
しかしそれ以上に椿芽を超えてはならないと――。
あいつの夢に代われる男になってはいけないのだと――。
「だから俺は……」
「……それ、違います……!」
「勇……?」
「乱世さんは間違ってる……」
「俺、が……?」
「それは……その椿芽さんの気持ちは……それでも正しいんです。わたしは……そう、思う……」
「………………」
「選択の余地がなくても……仮に当時の乱世さんが危なっかしいものだったとしても……」
勇は俺をまっすぐに見詰める。
「それでも……椿芽さんのその気持ちは……乱世さんに抱いた気持ちは……正しい。ただしいこと……なんです……!」
「勇……」
「乱世さんは……その気持ちに応える義務があった。どんなカタチであれ……どんな結果になろうとも……」
「………………」
「わたしだって……わたしだって、だからこそ……引かなかった。椿芽さんの……乱世さんに対する気持ちに気づいてからも……ううん、気づいたからこそ……!」
勇は強い意志を持って言葉を継ぐ。
「たぶん……。昔のわたしなら、引いていたんでしょうね。さっき……乱世さんが言ったように、わたしは……昔のわたしは『その先』を望まなかったから……。憧れのものに憧れる……それだけで多分、満足だった。それが叶うことも望まなかったから……わたしは、乱世さんを素直に追いかけることができた」
勇の言葉に……俺は、彼女との最初の出会いを思い出す。
俺を『王子様』などと呼び――。
ほんの数時間が前にであっただけの俺に、ああも真摯に……素直に感情をぶつけてくる――。
後先を考えもせず、心得もない闘いの場に身を晒そうとした――。
「結ばれることを望んでないからこそ……あんなことだってできる。できてしまう……。あの頃の……あれ以前のわたしもきっと、昔の乱世さんと同じ……」
「勇……」
逃げることも……飛び込むことも、向きこそ逆であっても、真意は同じ……。
本質から目を向けるのを避け、逃げ続けることと同義……。
勇はそういうことを言いたいのだろう。
「でも……! いまは……今は違います。わたしは……それでも乱世さんを愛してる……!」
「………………」
「椿芽さんと対立したって……椿芽さんから愛する人を奪い取ることになったとしたって……! だからって、逃げられない。譲ることなんてできない。自分がまるっきり正しいなんて思えなくても……優しい女じゃなくなったとしても……一歩も……引かない」
勇は再び、俺をまっすぐに見つめる。
あの時と……昨日、椿芽と対峙したときに見せた、惑いも迷いもない――。
美しい――そう形容するしかない、純粋な眼差しで……。
「人が人を好きになるって……そういうことだって思います……! 好きになってもらうことって……!」
俺は一言を返すこともできない。
そうだ……そう、なのだ……。
「……そうだ。その通りだよ、勇……」
「乱世……さん……」
「お前が……正しい。お前も……椿芽も……。今にしてなら、俺にはわかる……。俺がやってきたのは……畢竟、逃げだ。それが……今となればわかる。今となれば……苦しくも、ある……」
「乱世さん……。そう……それで……いいんです。それが……人間なんだもの……」
「ああ……」
奇麗事だけで道は進めはしない。
理詰めや計算だけでは想いは届かない。
生きていればこそ――。
生まれて落ちてから、心底からまるごと汚れに染まった人間も居ないのと同じく……。
ひとかけらの汚れもなく生きていける人間なども居はしない。
今や一個の人間となった俺や勇は……。
そういう意味においての「覚悟」も持ちながら生きていく――。
いや、生きていかねばならない。
「乱世さん……!」
「ああ。行こう……!」
まずは……『彼女』との対峙。
そして――。
(椿芽……!)
もうひとつの……そして最後の決着をつけなければいけない。
それが……俺と勇に架せられた新たな運命であるのなら――。