運命の女神
「ん……んんっ……」
「気づいたか、勇」
「乱世……さん……?」
勇が薄く目を開いて、俺を見た。
あの後……再び教室に戻ったこの空間で、勇はその真ん中に倒れていた。
「あ……」
意識を取り戻した勇は、僅かに怯えたような表情をする。
「……そうか」
それだけで俺は、彼女も俺と同じように、あの過去を……。
『最初の出会い』のことを見たのだと、容易に気づくことができてしまった。
「わ、わたし……」
「おそらく……お前が薄々と気づいている通りのことだ」
「…………!」
「お前はオリジナルの羽多野勇によって生み出された……二番目の人間だ」
「二番目……の?」
「ああ。望むことなく、強大な力を得た……得てしまった少女が、叶わなかった自分の『未来』への希望を投影し生み出した娘。それが……お前だ」
「わたしが……」
「そして……お前と出会うため……。お前を守るために生み出された最初の人間が……俺だ」
「乱世さぁん……」
勇は、泣きそうな顔になって、俺を見遣る。
自分が作られたもの――純粋な人間ではないということ……。
持っていた記憶そのものまでが偽物であったということなどの全てのショックや悲しみよりも……。
「わたし……わたしは……」
俺のことを慮って心を痛めているその表情に……俺はやはり後悔にも似た心痛を覚える。
今にも――。
全ては性質の悪い冗談なのだと――。
そんな冗談みたいな運命など、ありえないのだと――。
笑い、言い直してやりたいなどという衝動すら、湧き上がる。
そんな、今、ここに至ってはむしろリアリティの無い嘘であろうとも……恐らくはそれすらも彼女は信じるだろう。
俺を想い、信じようとするのだろう。
だからこそ……痛い。
だからこそ……やはり真実を伝えねばならない。
「事の始まりは……仙台に投入された環境兵器から始まった」
血の桜前線と呼ばれた、大規模テロ――。
実際にはそれはテロなどではなく、とある実験の暴走によるものだという話もある。
環境兵器により崩壊せしめられた場所は人間を変質させる。
体も、心も……。
良くも、悪くも、だ。
その変質した心体に適応できなかった者にとっては等しく死か、それに近しい結果しか齎さなかったが……。
どうあれ、その状況から生き残った者は、何らかの新たな力を得る。
今の勇が獲得している精神感応のようなものや……我道を筆頭とする一部のPG生徒が操る生体エネルギーの行使など。
それをして、人類の進化などと賞賛する者も居れば……それを研究する機関も生み出される流れになったのは当然とも言える。
何よりも……環境兵器はそれら『人間の可能性の発展』を研究する過程で生まれた最悪の産物なのだから。
だから仙台の件も、テロなどではなく、政府機関が関与しているということは……。
あの晴海先生が仄めかしていたことを含めれば、単なる陰謀説の類でもないとは思える。
しかし、そも何処の誰が発端であろうが、それは俺と勇には、さして関係がない。
重要なのは――。
「オリジナルの羽多野勇は……その環境兵器に被災した」
「ほんとうの……わたし……?」
「本当の、などという言葉は、今や使うものじゃない。彼女は……あくまでお前を生み出した人間だ。今となってはお前は……ただ一人の人間だ。本物も偽物もない」
「……………………」
「そして……俺も……そうだ」
オリジナルに作り出された『何者か』ではない。
いち個人としての天道乱世。
今となれば俺はそう、断言ができる。
「彼女は……もともと、特殊な能力を持っていた。いや……実際には、その素養があったというべきか……」
「特殊なちから……?」
「予知や……予言といったものだ」
アカシックレコード――。
そう呼ばれるものがある。
正しくは、あると仮定する説がある。
過去から未来にいたるまで、この世界の全ての事象が記されているもの……もしくはそういう概念。
正確にはそれがどういったものか、果たして神などと呼ばれる者が創りたもうたものなのか、若しくはそんな存在が生まれる前から存在したものか……。
判ったものなどではないだろうし、これからも判る人間などは出てこないのだろうとは思う。
しかし……予知や予言の類が、その正しく全知なる記録の一部にアクセスし、起こりえているという概念は、この際はあるものとしておこう。
ともあれ――。
「彼女はそうした能力を、未開発ながらも持っていた。だから……巫女という役割を担っていた」
「巫女……神社……!」
勇の驚きは、やはり……過去のあの場面を見ていたからだろう。
「そのまま正しく育てば、むしろ……優秀な占い師か預言者に類するものとして、平穏な人生を送れていたのかもしれない……」
「わ、わたし……見ました……! 彼女が襲われて……そ、それで……」
「……そうだ。環境兵器に被災し……暴徒と化した連中――」
あの暴走が、純粋に環境兵器の影響によるものか……それとも、被災した事実からの恐慌かは……判らない。
ただでも99%の人間を死に至らしめる環境兵器に被災したという恐怖……。
そして、当時の政府が被害の拡大を恐れて、被災地を封鎖したことによる……見捨てられたという想い。
その何れかの理由であろうとも、人は容易く壊れる。
羽多野勇も、その中の……小さな悲劇のたったひとつであったのかもしれない。
しれないが――。
「連中の暴行の途中で……彼女は頭を強打し、その時点で脳の大半が死んでしまった」
「………………」
勇は恐らくその場面を思い返したのか……僅かに嫌悪の表情を浮かべた。
「そして……彼女の能力が暴走した」
「ぼ……暴走……?」
「ああ――」
件のアカシックレコードにアクセスするという能力――。
それが極度に肥大化した。
それまでは一方通行でアカシックレコードからの情報を得るだけの能力だったものが……双方向のアクセスが可能になったのだ。
もちろん、いかな肥大化したとはいえ、ちっぽけな人間の持てる能力でしかない。
アカシックレコード全体を書き換えることはできない。
あくまで一部分……この世界全体の始まりから終わりまでのことにすれば……ほんの一部分にも満たないものに過ぎない。
過ぎないが……彼女の周辺全体に影響を及ぼすくらいには……十分過ぎるほどのことだ。
過去にあった事象を捻じ曲げ……未来を書き換え――。
もし、これまでに神などという存在がこの世に無かったとするのなら、この世界はこのとき初めて、神と呼んで差し支えない存在を獲得したとも言える。
『始まりの女神』――。
牙鳴姉妹や、晴海先生がそう呼称していたのは……彼女がそういう皮肉を込めてのコードネームを付けられていたからだ。
「で、でも……そんなことって……!」
勇の驚きは当然のことだ。
いくら元々そういう素養があったとしても……只の人間にそれほどの事ができるなどと……。
しかし。
「全てがオカルトめいていることだから、正確な理屈をつけることは難しい。しかし……ありえないことではない」
むしろ……ちっぽけであるからこそに、できたということも言える。
笊の目が細かければ細かいほど、大きな手は入らなくとも、その目よりも小さな虫はいくらでもすり抜けられる。
綿密に組まれたプログラムであろうとも、それを止めたり誤動作をさせたりするのも、ほんのちっぽけなミスやエラーによるものだ。
もしもアカシックレコードが、それこそ神などという存在の手による笊やプログラムのようなものであれば……。
ちっぽけな人間などという存在を考慮して目は組まないだろうし、それを想定したプログラミングなどをしては居ないのだろう。
「そして……そういった、現実世界の事象改竄などということに比べれば……一人の人間を生み出すことなどは、造作もないことだ」
「…………!」
「本来俺は……彼女を……羽多野勇を守るために生み出されたのだろうと思う。しかし……俺は、それを果たせなかった……」
「乱世さん……」
今にも殺されようとしている彼女を救うには……俺は不完全に過ぎた。
なにせ現実のタイミングとしては、俺が生まれたのは彼女の脳が破壊され、能力が肥大化する寸前のことだ。
死の恐怖の寸前の不完全な覚醒で生み出されたものなのだ。
俺はただ彼女の精神が殺されるのを、見ていることしかできなかった。
いや……そもそも、その時点では発露していなかった能力で生まれたものでもあれば……。
その段階では肉体すら持っていない、幽霊のような存在でしかなかったのかもしれない。
「俺自身が記憶として持っているのは……そこまでだ」
その直後……脳死状態に近い羽多野勇は、政府の研究機関に回収された。
彼らの望んだ――いや、望む以上の能力を彼女は持ちえていたのだ。
しかし……彼女の能力は彼らの手には確実に余るものだった。
脳の活動がほぼ停止しているとはいえ……彼女は肉体が少しでもストレスを感じれば、その……現実の改竄をしてみせた。
どんなに厳重な施設に収監しようとも、彼女を捕らえておくことは不可能――というよりも無意味だ。
対応に苦慮した政府は……彼女を閉じ込めて置くための施設を作り上げた。
それが……天文学園の発端だ。
「この……学園が……?」
「ああ。彼女は……脳の大半が死して尚、『普通の生活』を望み続けた。学生として学園に通う……年齢相応の生活を……」
だからこそ……学園の体裁なのだ。
事実、最初の校舎を設立し、彼女をそこに収容してからは、その場所から『居なくなる』ということだけは無くなった。
「同時に……彼女は周囲の人間の能力を開花……もしくは強化していく影響を多数、及ぼしていたこともある」
環境兵器による人類の可能性の発現――。
ある意味において、件の機関にすれば理想の能力とも言える。
そして……。
「本人の素質などによって種類の差異はあれど、ことに……戦闘の能力に特化した能力が多数だった」
「戦いに……?」
「恐らくは……ずっと求め続けているのだろう。自分を助けてくれる存在を……」
「王子……さま……」
勇のつぶやきは、単なる連想でしかなかっただろう。
「……そうだ」
しかし……それは、ある意味で正鵠を射ている。
「学園は羽多野勇の収容と……そして同時に能力者の育成を目的として方向性が決定付けられ……肥大化していった」
現実のところは羽多野勇に関しては、持て余し気味ではあったのだろう。
そうでもなければ……彼女がこうも学園深部に収容されているはずもない。
しかし、彼女はここに来て以来……どんな場所に収容されても『抵抗』することは無かった。
機関はそれを彼女が安定したと判断したようだが……。
それにも理由があった。
「それに伴い……勇。お前が……生まれた」
「わたしが……」
「ああ。今や動けない彼女が……学園で『普通の少女』として生活をするための存在……。その欲求を満たす存在として……」
巫女ですらもない、普通の少女として……。
毎年新入生として学園に入学し……一年が終われば、再びそれまでの記憶を失い、新入生として学園に入学をしてくる。
本人も、周囲も疑問には思わない。
全て……それが自然なように、記憶はおろか、生徒としての情報全の事実が改竄されていくからだ。
「そんな繰り返しを……お前は何年も何年も繰り返してきた……」
「……………………」
「しかし……今年は違った」
「乱世さんと……出会った……」
「そうだ。俺とお前は……もともと、出会うために生み出された」
俺は鳳凰院家に引き取られることを経ながら、勇のことを無意識にずっと探し、求めてきた。
勇はあの時の記憶の断片だけを持たされ、漠然と俺を待っていた。
いつか出会える『王子様』として……。
「じゃあ……」
勇が訴えるような目で、俺を見た。
「わたしが……乱世さんを好きになったのも……?」
「勇……」
「乱世さんが……わたしを好きになってくれたのも……全部……最初から決まっていたこと……? ぜんぶ……作られた気持ちだったんですか……?」
「発端は……恐らく、そうだ」
「………………」
「しかし……いまは違う」
「え……?」
「確かに俺とお前は出会うように運命付けられていた。それが……羽多野勇の望み、願いでもあったからだ」
しかし……。
「しかし……俺とお前は、それ以上には成り得ないようになっていた」
「それ……以上?」
「お前は俺に憧れを抱く……俺はお前が気にかかり、無視はできない。しかし……そこまでだ」
「そこまで……?」
「羽多野勇の願いは……そこまででしかなかった。彼女は……その先を知らないんだ」
少女のまま心が死んだ羽多野勇は……文字通り、恋を知らないまま、時が止まってしまっている。
恋に焦がれることはあっても……その先は思い描いていなかった。
「憧れの王子様と出会う……。彼女の『現実』は、せいぜいがそこまでだった。その先は……彼女の『現実』が追いつかないんだ」
「そんなことって……」
「ともすれば……俺とお前。結ばれず……ただ、俺を憧れと見るだけの運命もあったのかもしれない」
ある意味ではそれもそれで、幸福なことなのかもしれない。
羽多野勇はその肉体の死が訪れるまで、自分の分身である勇に自分を重ね続け学園生活を繰り返させ……。
また俺と同じか近しい存在を待ち続けていったのかもしれない。
救いはないが……それはそれで、彼女の『現実』としては、幸福であったのかもしれない。
しかし……。
「決定付けられたのは……あの夏期休暇だ」
「あの……湖……ですか?」
「ああ。俺はあの時……本能的にお前を忌避しようとした。天道組を抜けろと……」
「は、はい……」
「俺の中にも無意識的にお前と結ばれてはいけないという部分があったのだろう。恋のその先……具体的に何をどうして愛に成していけばわからなかった羽多野勇の戸惑いや怯えが、そうさせた」
「………………」
「しかし、お前はそれを乗り越え……俺も、お前を受け入れようとあの時に心に決めた。互いに漠然としたままの決心ではあるが……それでも、全てはあそこで決まった」
運命は……その創造主たる、羽多野勇の望みを、願いを超えて動き出した。
「あの時に俺とお前は、自分自身の、作られたものではない運命を獲得した。同時に……羽多野勇との決別をしたんだ」
「自分たち……だけの……運命……」
「そうだ。しかし……羽多野勇はその後にも障害を生み出そうとした」
「障害……?」
「もちろん、悪意からではない。ただ……帳尻を合わせようと、無意識でやっていただけのことではあるが……」
「あくまで……わたしと乱世さんが結ばれないように……?」
「ああ。その役割を担わされた者は……もともとあった、秘めていたであろう感情を肥大化させられ俺とお前の間に、割ってはいるように仕向けられた」
「……! まさか……それって……」
「……ああ」
『それ』に気づけなかった――。
いや、気づくことさえ許されなかったのではあるが……どちらにせよ、俺の責任だ。
「鳳凰院椿芽……。あいつが……その刺客、だ」