桜庭姉妹の日常5:虚構的真実
何故、人間は肉体的・精神的な自己同一性を重んじるのか。
その理由は、紛れも無く個としての自己を持っているからと考えられる。
例えば、小説に描かれた自己は、純粋に個としての自己ではない。
では、生命科学により複製された自己は、個としての自己といえるだろうか。
やあ。僕は考えている。
僕は僕専用の狭い研究室で転がっている。
広さは四畳半くらいだけど、三分の一を机とデスクトップが占領している。
設計図やら機械のコードが敷布団の代わりだよ。
桜は青々とした翡翠色に覆われている。
冬の寒さに蕾をつけ、来年の春には再び僕達のこころを満たすだろう。
なんてね。
いつもの挨拶がまだだったね。僕は桜庭菊花だよ。長い栗色の髪が自慢の、いまどきのJKさ。
自宅に帰ってから、制服を着替えないまま、研究室にこもっているよ。
そろそろ着替えてシャワーのひとつでも浴びたいかな。
妹の初花は栗色の髪を纏めて、小さなポニーテールをしているよ。
姉妹揃ってロリだよ。……成長しないね。特に身長が低いままだね。
今日は日曜日、初花はまだ寝ている。なにせまだ朝の五時だから。
ちなみに僕は徹夜だよ。一睡もしないで学校に行ったこともあるよ(実話)。
僕は機械類から廃熱される生暖かい空気を肌で浴びる。すごくねむい。
うーん、どういうことだろう。
一枚の書類を手にして、眠たげな眼で見上げた。
いつもならこのへんで寝るけれど、どうにもこうにも眠れない。
僕の持っている紙切れには、初花の実験データが記されているからだ。
桜庭重工の電子ロックされたファイルをハッキングしたら出てきちゃった。
見たところ、ここの研究員が、父さんには内密で書いたものらしい。
これはそれを印刷したもの。もちろん、ハッキングの痕跡は消してある。
内容を簡単にまとめてみようか。
クローン計画についての倫理的な議論が行われる。
桜庭初花の事故死により、桜庭重工は、初花の遺体からサンプルを回収して、クローンを生成した。これは企業秘密である。
桜庭重工内で、クローンの人権を議論する研究会を立ち上げることとなる。
政府はクローン技術の成功を聞きつけた。情報が漏れている。桜庭重工にクローン技術に関する多額の出資を秘密裏に行う。政府はこれまでも、桜庭重工に対して出資を行ってきた。今さら出資額が増えても、誰も疑問には思わないだろう。
次に、肉体をもとの初花にまで成長させ、記憶を刷り込む。
初花の葬儀後、クローン初花を社会に溶け込ませる方法を議論する。
政府の要請を反映し、初花を認識しづらくなるような波を発生させる装置を初花の脳内に埋め込む。教育機関には政府高官を通じて、すでに根回しが済んでいるという。あわせて、他の実験も行うよう政府から要請があった。
初花の人間としての成長を止め、二十四時間体制で監視する。これはクローンとしての寿命や、実用段階での有用性などを測定するための実験である。
桜庭重工のクローン人権協議会は、倫理の観点からクローン計画の凍結を発表した。特に、桜庭所長は、「愛娘を粗雑に扱うな」と、強い反対を表明している。
政府は協議会の決定に譲歩し、最低限の実験は続けるよう要請してきた。
桜庭所長の提案により、桜庭初花本人に、実験への協力を要請するに至る。
初花の希望では、菊花と同じ高等学校に通わせるようにとのことである。
われわれは所長に内密で、桜庭菊花を捕獲、調整槽で記憶の改変を行う。
以降、桜庭菊花を副次的な実験対象に含める。
うんぬん、かんぬん。読むだけで眠くなるから、もうやめていいかな。
僕達近しい人間には、初花を認知できる。遠い人間には、認知できない。
その程度のものだと思っていたら、もっとえげつなかった。
うん。びっくりしたよ。こうして眠れないくらいだからね。
でも、僕はもう十分びっくりしたから、これ以上びっくりできないのさ。
じゃあ、僕が実験されたことに嫌悪感はないかって? うーん……。
記憶にないものだから、あんまり気分が悪くならない。
僕が科学者気質というのもあるかもしれない。
科学者というより発明家だけどさ。
実験に犠牲はつきものだからね。真理を探究するためなら、仕方ないかな。
でも、初花に無茶苦茶な実験を押し付けるのはだめだよ。
初花は僕みたいに実験をする側の立場じゃない。はじめのうちは、初花の意思確認すら行われていなかったみたいだし。実験する側の責任を持たない人間が、どうして本人意思確認もなく実験されなければならないのだろう。
僕はいつだって自分の研究欲求にいくつかのストッパーを掛けているつもりさ。
彼らは倫理的に間違ったことをしているという自覚はないのかな。
実験で犠牲にしていいのは、必要最低限の家畜と植物と、実験する側の人間と、自分の身体と時間だけだよ。実験されることを許容した人間は、実験の対象にしてもいいけれど、身体や生命を脅かすような扱いをしてはいけない。
僕はそう考えているから、例えば、僕の発明品《痴音マイク》の音波の出力は、本当のことを言うと、人体に影響を及ぼさない最小限レベルまで抑えてある。《歌姫マイク》の音痴モードだって同じ。実際に死人が出たら困るからね。
何度も僕の身体で実験したからね。本当だよ?
よいせ。僕はごろりと寝返りを打った。
コードが頬に当って結構痛い。コードの形に赤くなっているかもしれない。
さてと。僕がキャトルミューティレーションばりの実験をされたかどうかはさておき、初花は実験のことを知っているのかもしれない。
初花に聞いてみる?
うーん、僕がこの実験のことを知っていることが研究員に人達にバレたらどうなる? 僕はまたキャトルミューティレーションされてしまうかもしれない。
それに、初花は自分がクローンだってことを、僕に知られたくないのかもしれない。テセウスの船みたいに、同じ初花に見えても、同じ初花ではない、って理由で。まあ、不慮の事故で無くなった初花はちゃんとお見舞いするし、新しい初花は新しい僕の妹として暖かく迎えるけれどね。
あ……そういえば、いままで認知されにくくなっていた初花は、僕の発明した虹色のクリスタル、正式名称《認知クリスタル》のせいで、学校のみんなから認知されやすくなったわけだよね。学校のみんなは……先生などは例外として、初花がクローンだって知っているのかな。もし知らないなら、死人が蘇って、てくてく歩いて登校してくるわけだから、怖いかもしれないね。あるいは、死亡保険金詐欺だと思われるかもしれないね。でも、実際、初花がしっかりと認識されるようになってから、みんなからはちょっと気味悪がられる態度を取られるばかりだったから、どうでもいいか。きっと、僕なら初花を蘇生しかねないと思っているのだろう。もうそれでいいや。
はてさて。僕はごろりと反対に寝返りを打つ。
……これ、放置しておいて、実害はないのかなあ。
僕は違和感を覚えはじめているけれど、このままだと僕と初花は延々とJKの一年生として過ごすことになりそうだ。僕は実験ができればそれでいいし、初花は、僕がペンダントをあげたときから、今の生活に満足していそうだし……。
うん、決めた。
僕は一枚の機密書類を丸めて、口の中に放り込んだ。
とっても甘い。舌でぺろぺろ舐めて、飲み込む。
僕特性の《チョコレート印刷機》なら、どんな書類でも美味しく食べられるよ。
もちろん、保存は効かないから、食べるのが前提だね。
ちなみに、用紙には専用の《チョコレート用紙》、インクには専用の《チョコレートインク》が必要だよ。用紙やインクには、ホワイトチョコレートのほかにも、ベリーチョコやレモンチョコ、ミントチョコなどがあるよ。インクはCMYKを揃えたいところだよね。
さて、僕はひと眠りしようかな、その前に、悪さをした研究員や政府の方々には、ちょっとおしおきが必要かもしれないね。
僕はパソコンでちょっとハッキングをして、お灸を据えることにした。
初花クローン関係の資料を、すべて公園のあひるの画像ファイルに置き換える。
あひるさん可愛いよ。
もとのデータは僕の持ち運びHDDに保存しておく。
もし、バレても、桜庭重工と政府の実験対象、つまりは、みんなのアイドル桜庭菊花の仕業だとわかれば、誰も文句は言えないしね。
うん。当たり前だけど、みんなはマネしちゃダメだよ? 絶対だよ?
僕は、僕の身体を3Dチョコプリントして、僕の百分の一フィギュアを作った。
できたての僕を父さんの机の上に置いておこう。
書置きには、僕を食べて! と、意味深なことを書いておこうかな。
よし。着替えて、シャワー浴びて、お布団で二度寝しよう。
そうだ、いいことを思いついた。
今日の発見をもとに、小説を書くことにしよう。
文系科目をおろそかにすると、初花に怒られるから、その勉強も兼ねてだよ。
JKとして勉強する時間はたっぷりあるからね。(了)
そういえばセリフがない。