②
……東本願寺……
東本願寺は京都市下京区 烏丸 七条に位置する、真宗大谷派の本山の通称である。
きれいに整備された境内は、京都の暑さを少しだけだが、涼しくさせる雰囲気がある。
縁と桃子の二人は境内を歩いている。
縁は境内を見渡して言った。
「きれいだな……なんとなく気持ちを落ち着かせる雰囲気がある」
桃子は言った。
「縁、東本願寺は始めてか?」
「ああ…前に京都に来た時は、ここには来なかったよ」
「なるほど……初体験か」
「まぁね、でも……東本願寺に関する知識はそこそこあるぜ…」
「ほう……それは私も知らない事かな?いいだろう、聞いてみよう」
「何で上から目線なんだよ?…まぁいいや」
縁は話し出した。
「そもそも東本願寺と言う名は、通称で…正式名称は『真宗本廟』って、言うんだ」
桃子は目を丸くした。
「ほ、ほほう……」
「因みに地元では『お東』『お東さん』とも通称されている…。また、これは少し不名誉な通称だが、この東本願寺は江戸時代に4度の火災にあっている」
「そ、そうなのか?」
「ああ……だから、その火災の多さから、東を弄って『火出し本願寺』と、喩やされた事もあったんだ」
さらに縁は境内の中心にある、巨大な建築物を指差した。
「桃子さん……あれ見てよ」
縁に促され桃子はその方向を見た。
縁は言った。
「あれは『御影堂』って言って、和洋の道場形式の堂宇さ…」
「はぁ……」
桃子はすでに頭に入ってないようだ。
縁は続けた。
「あれの建築規模は間口が76m、奥行き58mもあって、建築面積においては世界最大の木造建築物なんだぜ……」
桃子は頭を抱えた。
「うむ……素晴らしい説明だ、流石は縁だ…」
桃子の様子を見て縁は言った。
「あんた……ぜんぜんわかってないだろ?」
「そ、そんな事はないぞっ!」
「嘘つけ……」
慌てた様子の桃子を見て縁は思った。
……知らないな……と…。
縁の説明にあった、御影堂を見学し境内を歩いていた二人に、一組のカップルが話しかけてきた。
女性は清楚な感じで、男性は恰幅の良く、二人とも20代後半くらいだろうか。
男性が言った。
「すみませんが写真を1枚、撮ってもらいたいのですが……」
縁は快く引き受けた。
「ええ、構いませんよ…」
男性からデジカメを預かった縁は、デジカメを構えた。
「じゃあ、撮りますよ……はいっチーズ」
縁の掛け声と共に、カップルはピースした。
写真を撮り終えた縁は、男性にデジカメを返して言った。
「観光ですか?」
男性は答えた。
「ええ、新婚旅行なんですよ……そうだ、良かったらあなた方もどうです?写真…」
「いや、俺たちは……」
縁が断ろうとすると、桃子は男性に言った。
「撮って頂ければ助かる……縁、せっかくだ…撮ってもらおう」
桃子は勝手に決めてしまった。
縁は渋々承諾した。
「仕方ないな……1枚だけな…」
桃子は男性に自分のデジカメを渡し、縁の隣に立った。
「では、撮りますよ~!はいっチーズっ!」
桃子は男性の掛け声と、同時に縁と腕を組んだ。
予想外の出来事に縁は少し怯んだが、写真撮影は無事終了した。
男性は言った。
「いや~、美男美女だから様になりますねぇ…」
そう言うと男性は桃子にデジカメを返した。
男性はこちらに一礼をして、奥さんと観光を続けるために、二人と別れた。
新婚夫婦が去ったのを確認して、縁は言った。
「何で腕を組んだ?」
桃子はとぼけたように言った。
「そんな事をしたか?」
「何を考えてんだ……まったく…」
桃子は悲しそうに言った。
「私と腕を組むのが……そんなに嫌なのか?」
「その表情はやめろ……別に嫌じゃないけど…人前だぞ」
桃子は表情を戻した。
「そうか……嫌じゃなければ良い」
「人の話を聞いてんのか?」
「新婚旅行に京都か……なかなか古風だな…」
桃子には縁の話を聞くつもりは無かったようだ。
東本願寺を観光した二人は、他にも観光を続けた。
西本願寺に東寺、城南宮などを、タクシーで巡って観光を満喫した。
各観光スポットに着く度に、縁のウンチクを聞かされた桃子は少々疲れた様子になっていた。
そして、本日の最終目的地の中書島に到着した。
時刻は午後5時を回っている。
中書島という地域は、酒蔵で有名だ。メインストリートに大手筋商店街というのがあり、その商店街はたくさんの人で賑わっている。
その大手筋商店街を歩きながら、縁は言った。
「中書島って言ったら、やっぱ寺田屋だな…」
桃子は言った。
「寺田屋?ああ……坂本龍馬の…」
縁は桃子の薄い反応に、少し引っ掛かった。
「桃子さん……まさか、知らなかったの?」
桃子は慌てた。
「ばっ、馬鹿にするなっ!当然知っているっ!」
縁はニヤリとした。
「ふ~ん……まぁ、そりゃそうだよな、何てったって作家の先生だもんなぁ」
「お前……完全に私を馬鹿にしてるだろ?」
「別にぃ……」
縁のニヤリとした表情に、桃子はそっぽを向いてしまった。
縁は笑った。
「はははは……やっぱ、桃子さんをからかうのは面白れぇや」
すると桃子は静かに呟いた。
「いいのか縁?私にそんな事を言って…」
縁は笑うのを止めた。
「なっ、何だよ……」
縁の反応を見て、桃子はニヤリとした。
「美味い物を食べたくないのか?」
「き、きたねぇぞ……飯を出してくるとは……」
「私は、優位に立つためなら、手段は選ばん」
完全に形勢が逆転してしまった。
縁は少し後悔した。
「ちょっと、調子にのり過ぎたか……」
縁の焦った姿に満足したのか、桃子はニヤリと言った。
「まぁいい、楽しい旅行だ……それに、私は大人だからな、そんな事で一々怒ってられん」
「よく言うぜ……拗ねてたくせに…」
「何か言ったか?」
縁は慌てて言った。
「いや、何も……」
桃子は仕切り直すように言った。
「では、そろそろ夕飯とするか……」
「そうだね……歩き回って、少し疲れたからな」
「では、ホテルに戻ろう……ここからタクシーで戻れば、いい時間帯になる」
「えっ?ここで済まさないの?」
縁の驚きにも桃子は動じない。
「済まさない。辺りを見てみろ、居酒屋ばかりだ……私は酒は飲まない」
流石は酒蔵が有名なだけあって、居酒屋が多い。
桃子は飲酒をしない、もちろん縁も飲酒をしない。
そうなると、居酒屋の多いこの地域に、とどまる理由がない。
「わかったよ……ホテルに戻ろう…」
こうして二人は、タクシーでホテルに戻る事にした。
タクシーを利用し、ホテルに戻った二人は、ホテルのレストランで夕飯を取った。
ありきたりの洋食を堪能し、食後のコーヒーを堪能している時だった。
「あ~、あなた方は、昼間の……」
そう言って話しかけてきた男性は、昼に東本願寺で写真を撮り合った、恰幅の良い男性だった。
「あなた方も、ここのホテルでしたか……」
縁は男性に言った。
「昼間はどうも……」
「いえっ、こちらこそ……あの後、妻と話していたんです…美男美女だって」
縁は対応に困った。
「いやいや……」
男性は気にせず言った。
「申し遅れました、私は小林と言います」
小林と言う男性は、勝手に自己紹介をしてしまった。
縁も仕方がないので、名乗った。
「僕は新井場と言います……で、こっちの女性が小笠原さんです」
桃子も仕方なく名乗った。
「小笠原だ……どうぞよろしく」
小林はニコニコしながら言った。
「妻を連れて来るので、少し待ってて下さい」
小林はそう言うと、自分の妻を呼びに行った。
「なんか……押しの強い人だな…」
縁がそう言うと、桃子も同意した。
「確かにな……ただ、悪い人間では無さそうだ」
「そうだね……行動力があるんだよ…」
そうこうしてる内に、小林は妻を連れて来た。
当然ながら、昼間の女性だった。
女性は二人に挨拶をした。
「妻の弘子です。昼間はありがとうございました…」
縁は言った。
「いえっ、そんな気にしないで…」
桃子も言った。
「そうだとも、私たちも撮ってもらったからな……お互い様だ」
すると小林が言った。
「これも何かの縁です……どうです?ご一緒に夕飯を…」
縁は申し訳なさそうに言った。
「ご厚意は嬉しいんですが……今さっき、夕飯は済んだところで……」
小林は残念そうに言った。
「そうですか……」
残念そうな小林を察して、桃子は言った。
「夕飯はもう…済ませてしまったが、明日の朝食はどうだろ?」
桃子の提案に小林の表情は明るくなった。
「そうですねっ!是非ともっ!」
こうして、明日の朝食は急遽4人で取る事になった。
納得した小林夫妻が去ると、縁は言った。
「俺たちみたいなのと、飯食っても仕方ないのに…」
「旅は道連れとよく言うが……少し違うな」
「でも、桃子さん……よく提案したな」
桃子は言った。
「あんなに悲しい表情をされてはな……」
縁は呆れて言った。
「あんたが俺に、よく使う手だろ……」
「何の話だ?」
桃子には自覚が無いようだ。
「もういいよ……」
しかし、この時縁は嫌な予感がした。
旅先や出掛け先などの、新たな出会いは……縁の今までの経験上、ろくな事がない。
そして、縁の予想通りに、事が起きてしまう。
今までの通りに……。