3.うむぅー、ムーゥ!
前半多少暴力描写あります。苦手な方は読み飛ばしてください
荷車に乗せられどれぐらい経っただろうか。ドナドナされている最中もがんばって声を上げ続けたのだが、結局助けが来る事はなかった。
やがて荷車が止まり、私はまたくそ野郎に担がれ、どこか地下室のような場所へと運ばれた。
もちろん、その間も精いっぱい抵抗したのだが、手足を縛られ、ウゴウゴとしか動けない私ではまさに暖簾に腕押し。
抵抗むなしくあっさりと連れ込まれてしまったのだ。
もーやだ……。
なんでこんな目に。
本格的にマズイ感じになり、目に涙が浮かぶ。
手足を縛られ、地下室に連れ込まれるとか、それなんて破滅フラグ……。
くそ野郎は私を地下室の壁際まで運ぶと、ドサッっと石の床へと落とした。
「っ。」
痛い。
だから! なんで! いちいち! 高い所から落とすの!
手足を縛られているためまともに受け身が取れず、背中から落ちる。
なんとか身を縮めて頭は守ったが、その分、背中にガッツリと衝撃がきた。
このくそ野郎、私を痛めつけて楽しんでいる気がする。短時間で背中にどれだけ青痣が増えただろうか。
とにかく、現状を確認しなくては。
私は痛みを堪えながら、膝を胸の方へ引き寄せ、腹筋を使って体を起こす。
地下室はどうやら八畳程度のようで、大きなテーブルとイスが六脚あるだけだ。他に家具のようなものもなく、がらんとしている。
人数は……テーブルにいるのが三人。そして、私をニヤニヤしながら見下ろしているくそ野郎とその横にいるヤツ。ここにいるのは全部で五人。全員男だろう。
……どうしたらいい?
大人の男が五人。
石造りの地下室。
入り口は一つだけ。
手足は縛られて、猿ぐつわで声をあげることもできない。
わかるのは。
私一人でこの状況から脱するのは不可能だろうということだ。
「―――。」
「――! ―――っ。」
私が自分の置かれている状況のマズさに顔を青くしていると、くそ野郎が仲間らしきヤツに何か声をかけた。そして、仲間らしきヤツも何か言葉を返したらしいのだが……。
え?
何言ってるか全然わかんない。
びっくりしてくそ野郎を見上げながら眉を顰めてしまう。
何語なのかを確認したくて、まだ話を続けているくそ野郎たちの声に聞き耳を立てた。
ええー……。本当に何言ってるかわかんない。
先程は唐突でわからなかっただけかと思ったが、こうしてしっかり聞いてみても何を言っているのか全然わからない。
日本語じゃない。たぶん英語でもない。韓国とか中国とかアジアっぽい感じもしない。
まあ、日本語以外はほぼわからないから、予想でしかないんだけれど。
何語かはわからなかったけど、わかったことが一つ。
そうか、私は外国人にさらわれたのか。
そう思って、男達の顔を見てみれば、ここにいる男達の顔は日本人のそれとは違う。
じゃあ、何人?と聞かれるとまったくわからないけれど、私のよく知っている顔とは違うのは明らかだった。
最初に手足を縛られ、ナイフを突きつけられながら聞いたあの言葉。
私が怯えていたから聞き取れなかったのかと思ったが、そもそも言語として理解不能だったんだ。
意外な発見に目を丸くしていると、くそ野郎が会話を終え、こちらを見下ろす。
そして、私の手の縄をグイッと掴み、引っ張り上げた。
「ブムゥッ。ムーゥ! 」
縄に私の体重がかかって手首が擦れる。
痛みに抗議の声を上げたが、あっさりと無視され、壁に取り付けてあったフックのようなところへ手首の縄を引っ掛けられた。
「ッ。」
無理やり立たされたような体勢になり、驚きと痛みで息を飲んだ。
ツライ。
この体勢嫌だ。
フックの位置が微妙に高くて、手をしっかりと上に伸ばしていても、つま先立ちをしないと手首に体重がかかりとても痛い。
仕方なくつま先立ちでバランスをとって立つしかないのだが、足も縛られているためバランスがとりづらくよたよたと揺れてしまう。その度に手首に縄が食い込みギリギリと痛みを伝えてくるのだ。
「ムッ、ムッ。」
手首の痛みとバランスの取りづらさで声が漏れる。
そんな必死な私をくそ野郎は嘗めるように見た。
あーやだ、あーやだ! やだやだ!!
くそ野郎の視線が気持ち悪くて、生理的に涙が出る。
本当に嫌だ。この体勢。この感じ。
なんとなく先が想像できてしまい、足がガクガクと震えた。
そのためにバランスが取れなくなって、また手首がギリギリと痛む。
私が私史上最高にかわいくなったのはこんなもののためじゃない。
大学行って、サークル入って、友達作って、好きな人作って。
そんな楽しい日々を送る。そのためのかわいさなんだ!
「ムー! ムゥムゥムゥ! 」
必死で声を上げて、眉をしかめて真剣に怖い顔を作る。
それでもくそ野郎はニヤニヤ笑ったまま、こちらへ近づいてきた。
そして、私が来ている春らしい黄色のざっくり編みのニットとその下に着ている白色の発熱素材でできたクルーネックTの裾を掴んだ。
その裾をゆっくりと上へと持ち上げていく。
「ムゥー!! 」
やめろぉー!!
手首が傷むのも構わず、必死で体を揺するがくそ野郎の手が止まる事はない。
ついに胸の辺りまでたくしあげられてしまった。
もうやだ。
涙が出る。
誰か助けて。
男の手が胸に懸かる。
「っ―――! 」
その時、部屋にいた男の一人が何かを叫んだ。
ついで、ドガンッという大きな音と共に地下室の扉が開かれ、人がなだれ込んでくる。
私の胸に手をかけようとしていた男がはじかれたように振り向いた。
今だ。
くそ野郎が私に背を向けた。
私はつま先立ちで立っていた足を曲げ、グッと自分のお腹へ寄せた。
全ての体重を手首の縄で支える事になり手首が今までで一番傷んだが気にしなかった。
曲げた足を思いっきり、くそ野郎の背中に向けて伸ばす。
「っ。」
くそ野郎の背中にその足が届くと、くそ野郎は息を飲み、数歩たたらを踏んだ。
あははっ、やり返してやったぞ!
私の力ではくそ野郎に与えた痛みなんてほんの少しだろう。
けれど、私の蹴りで数歩たたらを踏んだせいでこの地下室に踏み込んだ人たちにあっさりと捕まった。
本当なら私を人質にして粘る事もできただろうが、あっという間に御用である。
いい仕事した!
いい仕事したよ、私!
散々私を痛めつけ、ニヤニヤ笑っていたくそ野郎に一矢報いた。
しかし、この仕事。ノーリスクではありませんでした。
「ムゥゥゥゥっ! 」
肩が……!
左肩が、外れる……っ!
どうやら手首の縄を支えに一気に体を伸ばしたために、肩にかなりの負担がかかったらしい。
くそ野郎を思いっきり蹴りたいがために、左肩の関節の可動域を超えてしまい、肩が外れかけてしまったのだ。外れてはいない。外れかけだ。
痛い。これ、本当に痛い。
誰か、下ろして。
未だ手首の縄をフックにかけられている私はつま先立ちである。
関節を入れようにも腕を伸ばした状態にされており、自分では関節を入れられないのだ。
「ムウ! ムゥ! 」
早く、だれか。
声を上げながらも少しでも左肩の負担をなくすために精いっぱいつま先立ちをする。
そして、なるべく左肩を下げようと体をひねって空しい努力をした。
すると、どうやら誰かが来てくれたようで、腰の辺りをふわりと持ち上げられた。
手首の縄にも手が伸ばされ、ようやくフックから外される。
「ムゥ、! 」
早く、肩、肩!
ゆっくりと地面に下ろしてくれるがそれどころじゃない。
肩です! 左肩です! 猿ぐつわでわからないと思いますが、左肩がヤバイんです!
地面の上に座りながら、目と体の動きとで必死に説明する。
「――?」
私を助けてくれた人――茶色の髪でなんかイケメン――が何か優しく聞いてくれたが、わかんないよー?わかんないけど、肩をー肩を―!
そんな私の必死の訴えが届いたようで、私の肩を気にしながらゆっくりと入れてくれる。
いたーい
いたーい
いたたたた
いだぁあーい!
……あ、入った。
「ムゥ。」
ようやく去った痛みにほっと息が出る。
何よりも肩を優先したため、猿ぐつわや手足の縄はそのままになっていたが、私を助けてくれたイケメンは私が暴れなくなった事を確認すると、私の後頭部で結ばれていた猿ぐつわをとってくれた。
おお、よだれ、ヤバイ。
「あ、すいません。」
イケメンによだれ姿を晒すなんて申し訳ない。
ごめん。生理現象。
「――。」
イケメンは何やら優しそうに話して、猿ぐつわのよだれが染みていない部分でそっと拭ってくれた。
ひゃー。
なんかもう、なんかもうひゃーである。
猿ぐつわをずっとされてかなり口角がヒリヒリとしていたし、涙もかなり出ていたが、この行為が胸にきた。
「―――?」
イケメンが何かを聞いているようだが、わからない。
どうやら私はくそ野郎たちだけでなく、イケメンの言葉もわからないらしい。
とりあえず困ったように微笑んでみる。
わかんないよ?
イケメンは何かの答えを待っているようだが、私にそれが答えられるはずもなく……。
とりあえず、このイケメンをしっかり観察してみることにした。
赤茶色の髪は男の人にしては長く、少しクセがあるようだ。
耳の横でスッと流れて、襟足へとつながっている。
うん。ゆるパーマをかけてばっちりセットしてるホストみたいな髪型だな。
こちらを優しく見つめている瞳は琥珀色。
しっかり通った鼻筋と薄い唇で女の人が好きそうな顔をしたイケメンだ。
服装は騎士っぽい服装をしている。
いや、私は騎士を見た事がないから、アニメとかマンガでこんなだった気がするだけだけど。
ほとんどが黒色で、ところどころに青色の装飾が施されている。
そして、その肩からはマントをつけているようだ。
そういえば、ここに突入してきた人たちも同じような服装をしていた。
今、その人たちはここで捕まえた男を連行している所のようだ。
もちろん、あのくそ野郎も連れていかれている。
きっとこのイケメンたちは警察か何かなのだろう。
先程までの嫌な体験はもう終わったのだ。
私は助けられたのだ。
そっか。助かったんだ。
急に助かったという実感が沸いてくる。
自転車で坂道を下ってただけなのに、よくわからない怒涛の波に飲み込まれた。まさか誘拐されて身の危険を感じるとは思わなかった。
……でも、何も終わってない。
知らない建物
知らない言葉
知らない人々
まだ何もわかってない。
わからない事ばっかりだ。
私は怒涛の波に飲み込まれたままなんだ。
くそ野郎から逃れられた事で興奮気味だった心が一気に冷めていく。
目の前のイケメンは困ったように、私の顔を見つめていた。
「―――。」
こちらを怯えさせないように、優しく優しく言ってくれているのだろう。
「あの、私、わからないことばっかりで……。」
私の言葉が通じるとは思わないが、イケメンの目を見て、そっと言葉を紡ぐ。
イケメンは一瞬目を大きくしたが、すぐに優しい目に戻り、自分の首の辺りをゴソゴソと触った。
そして何やら琥珀色のキレイな石のついたネックレスを取り出し、それを外した。
わぁ、綺麗な石だな。
その琥珀色の石に目が奪われる。
するとイケメンはそれを持ったまま、私の頭を抱くような形で体を寄せてきた。
「わわっ。」
思わず声が出て、体がビクッとなってしまう。
どうやらイケメンはそのネックレスを私につけてくれようとしているらしい。
イケメンにそんな気がないのはわかるが、これはドキドキしちゃうよ!
そんな私のドキドキを知ってか知らずか、イケメンはネックレスをつけ終わると私から体を離した。
そしてこちらを見てニッコリと笑った。
「どうかな? これで言葉がわかるかな? 」
男の人らしく低い、けれど優しい声が響く。
「あ! わかる。わかります! 」
「良かった。俺の方も君の言葉がわかるよ。」
おおー! 会話が会話が成立している!
今まで何言ってるかさっぱりわからなかったのに、しっかりと意味がわかる!
「このネックレスのおかげですか? 」
先程までの違いと言えばこのネックレスだ。
イケメンはそうだよ、と頷いた。
「その石には特別な力があるんだよ。さ、それよりもこの縄を取ってしまおう。かわいそうに、痛かっただろう? 」
私の手首の縄を見て、眉を顰める。
私が散々暴れたせいか、手首は縄で擦れ、すこし血が出ているようだった。
「縄を切るのにナイフを使う。怖いかもしれないけど、君を傷つけるためじゃないから安心して。怖かったら目を瞑っていてもいいから。」
ゆっくりと優しく声をかけてくれる。
たぶんイケメンは言葉が通じない間にも何度もその事を言っていたのだろう。
私がここで暴力を振るわれたり、ナイフで脅されたりしていたら、助けるために使われるナイフも怖がるかもしれない。
そこできちんと話をしてから縄を切ろうとしていたのだ。
優しいな……。
この人イケメンで優しいとか……天使か!
イケメンは私の手を傷つけないように気をつけながら縄を切ってくれる。
私は手が自由になると手首をぐるりと回し、擦れたと思われる傷口を見た。
「あ……左手にすごい跡が……。」
右手は所々に擦り傷があるだけだが、左の手首は縄の跡のような物がぐるりと一周している。私が最後に放った蹴りのせいだろうか。
私がそれを見ていると、イケメンは胸からハンカチを取り出し、そこに巻いてくれた。
「これで大丈夫。」
ニッコリと笑う。
ひゃー。
優しい。
天使。まじ天使。
イケメンは次に足の縄を切ってくれている。
私はその隙に発熱素材でできた白色のクルーネックTの裾をしっかりと下へと伸ばした。
くそ野郎に捲られたときに上にずり上がってしまっていたのだ。
黄色のざっくりニットはゆるめなのですぐに下まで降りてきてくれたが、クルーネックTはそういうわけにはいかなかったから。
「よし、じゃあ行こう。」
そうこうしているうちに足の縄も切れたらしい。
イケメンが私の手をとりそっと立たせてくれた。
そして、自分のつけていたマントを外し、私をそっと包んでくれる。
ひゃー。
あまりのイケメンぶりに本当にびっくりだ。
恥ずかしい。恥ずかしいんですけどー!
更になんと私の膝の裏に手を入れ、そっと抱き上げてくれた。
これはお姫様抱っこですね。
もう一度確認しよう。
うん。お姫様抱っこだね。
「っ……あの、重いんで、いいです。歩けます。」
ひゃー!
自分の状況が本当に恥ずかしくて、下ろしてくれるよう必死に、本当に必死にお願いする。
たぶん、顔が赤くなってるし、声も上擦ってしまったけど、イケメンにこんな事されたら、だれだってこうなるはず! 私だけじゃない!
「でも、今まで縛られてから疲れてるよね? 」
イケメンが優しい目でこちらを見る。
ちかーい。ちかいよー。
「それに靴だって履いていないんだから。」
そう言われて、あわてて自分の足を見た。
あ、お気に入りの黒いドット。
そういえば、靴下しか履いてないんだった……。
あれ? 私、靴下のまま庭園を走ってたの?
はて? と疑問が浮かぶ。
靴の事に関して、何も思わなかった。
外に出るなら少しは考えてもよさそうなのに。
「赤くなったり真剣になったり忙しいね。」
考え事をしていた私の耳にイケメンの優しい声が響く。
クスッと笑うその顔が素敵で。
今まで考えていた事があっという間に霧散する。
そして、私は思った。
私史上最高にかわいくなったのはこの人のためだったのかもしれない、と。