光速の密室と100年目の遺言
視界が、冷たい白に染まっていた。
胸の奥で機械的なポンプが作動し、私の肺に何年ぶりかの酸素を送り込んでいく。粘土の高い解凍液が気道から吐き出されるたび、激しい嘔吐感とともに、感覚が末梢神経へと戻ってきた。
「———おはようございます。監督官。現在の船内時間は、地球離脱歴100年4月1日。あなたの担当する第100期、定常監視フェーズが開始されました。マニュアルに従い、監督官は業務を遂行してください。任務終了予定時期は地球離脱歴110年3月31日です。明るい未来と人類史のため、今日も頑張りましょう。」
頭上から聞こえるのは、感覚を削ぎ落とした女性の声———人類最後の移民船【ノア】を統括する自立型管理生成AI、イヴの音声ガイドだ。
私はぬめり気の残る胸元を拭い、薄暗い覚醒室の床に両足をついた。重力制御装置が吐き出す穏やかな擬似重力が、鈍く痛む身体を床へと繋ぎ止める。
人類が滅びゆく地球を捨て、新天地『プロメテウス』を目指してこの超大型船を発進させてから、すでに1世紀が経過していた。3万人の移住者と数百万の遺伝子データは、全て完璧なコールドスリープ状態下にある。船の維持管理はAIであるイヴと、10年ごとに交替で目覚める『単独監督官』———つまり、私のような人間に委ねられていた。
「イヴ、船体の状態は?」
「航行システム、推進炉、生命維持プラント、全て正常値です。予定軌道からのズレは0.002%以下。目的地到達まで、およそ368年。」
「・・・結構だ。およそ100年ぶりに目覚めたわけか。私のバイタルは?」
「認知機能、運動能力ともに解凍プロトコルの規定値内です。ただし、前頭葉の一部に軽度の機能低下が認められます。記憶の定着に一時的な遅延が生じる可能性があります。」
私は濡れた髪をかき上げ、小さく息を吐いた。
記憶の遅延。これはコールドスリープの典型的な副作用だった。自分がなぜここの監督官に選ばれたのか。地球を出発する直前に誰とどんな言葉を交わしていたのか。それらの詳細な記憶は、まるで水の中に落としたインクのように茫洋として、手応えがない。だが、日常的な作業手順や監督官としての義務は、身体が覚えている。
10年間の孤独な見張り番。それが、今期における私の仕事だ。
「イヴ、私の衣類や食事はどこに用意してある?」
「衣服や栄養剤は、今監督官がいる覚醒室の東側、監督官室に用意しています。」
監督官室に移動し内部の様子を確認する。監督官室はワンルームマンションのような構造になっている。目の前には大きなベッドが1つ。北側には簡易的な冷蔵庫が設置されており、中には大量の水と栄養剤が用意されていた。
「カレー味、ステーキ味、ラーメン味・・・。味のバリエーションは多そうだが、すべて流動食か。飲み物は、水だけか。コーラが飲みたいな・・・」
南側にはクローゼットが用意されていた。私は、灰色の整備服に身を包む。
確か地球を出発する前に、この船の開発者達が船内の構造について色々説明してくれたが、記憶が曖昧だ。
規定の水分と栄養剤を補給し、私は巡回ルートに従ってメインホールの扉を開いた。そこは、圧倒的な静寂の領域だった。
「あーーーー!!!」
私は久しぶりに大声を出してみた。喉に鋭い痛みを感じた。もちろん何の反応もない。
「どうせ誰もいないし、全裸で生活するのもありか?」
「監督官、幼稚な行動は控えてください。」
「聞いてんのかよ・・・」
縦横数百メートルに及ぶ巨大な空洞の壁面に、無数のコールドスリープカプセルが蜂の巣のように整然と埋め込まれている。蒼白いLEDの光が淡く明滅し、3万人の呼吸なき呼吸を可視化していた。彼らは皆、時を止められたまま、果てしない宇宙の夜を旅している。
孤独な足音だけをホールに響かせ、中央へと架けられた金属のキャットウォークを歩く。
中央に配置されているのは、この航行において最も重要な人物たちが眠る『優先保護区』だ。特にその中心に鎮座する特別カプセルには、このノアの建造を主導し、新惑星プロメテウスにおけるテラフォーミング(惑星の地球化)理論を確立した最重要人物——アーサー・クレイン博士が眠っている。
「イヴ、クレイン博士のカプセルバイタルを確認する。ロックを解———」
私の言葉は、途中で凍りついた。
透明な特性強化ガラスの向こう側。本来なら澄んだ解凍液と静かな冷気に満たされているはずのカプセル内部が、泥のように重く、明るい赤色で塗りつぶされていた。
「・・・何だ、これは。」
明らかに血液だ。
カプセル内部の壁面全体に飛び散り、ガラスの内部にこびりついている。その中央で、クレイン博士が横たわっていた。
いや、横たわっているのではない。彼の頸部、胸部は鋭利な何かで無残に切り開かれていた。内臓が露出し、粘度の高い赤黒い液体が、密閉されたカプセル底面に溜まっている。
「イブ! 緊急事態だ! クレイン博士のカプセル内で博士の死亡を確認! ただちにセキュリティを強化し、犯人を特定しろ!」
私の叫び声が、静まり返ったメインホールに虚しくこだました。しかし、返ってきたAIの回答は、あまりにも静かで、あまりにも狂っていた。
「警告の意味が理解できません、監督官。クレイン博士のカプセルに異常はありません。ロックは正常に維持されています。」
「異常がないだと!? 見てみろ、博士は殺されている! 血まみれだ!」
「対象カプセルのセキュリティログを照会します・・・。エラーはありません。過去、地球を離脱してから100年間、外部からの不正アクセス、物理的解錠、内部からの緊急排出ログはありません。カプセルは完全な密室状態を保っており、内部の生体反応はコールドスリープに入った状態のままです。」
そんな、ばかな。私は息を呑み、カプセルに手をついた。ガラスは冷たい。だが、内部の血液はまるで数分前に流されたばかりのように、生々しく、固まりきっていない。
外部からの侵入の痕跡はなし。
カプセルは開けられていない。
AIは殺されたことを感知できていない。
それなのに、内部で博士が惨殺されている。
なぜだ・・・。
「イヴ、生体スキャンを実行しろ。博士の死亡推定時刻を割り出す。」
数秒の不気味な沈黙の後、イブのアナウンスが響いた。
「スキャン結果を提示します。クレイン博士の細胞組織の損傷状態、および代謝停止レベルから計算された死亡時刻は、今から15分前です。」
「15分前!? 私が解凍処理を受けている最中か? それなら前の監督官が犯人だ!」
「補足します。」
イヴの声は一際冷たさを増したように感じた。
「環境ログ及び心電図アーカイブの照会結果、クレイン博士の心拍データが停止した記録日時も、今から15分前です。」
———意味が分からない。
「どういうことだ? どうやって密閉された状態の博士に危害を加えることができる?」
「原因は不明です。データの不整合、または監督官の視覚的認識の異常が疑われます。」
混乱する私の耳に、不意に船内アラートが鳴り響いた。甲高い電子音が、誰もいないメインホールを揺らす。
イブの声が静かに響き渡る。
「長距離指向性通信を受信。送信元:旧地球圏アンカーポイント。タイムラグ:100年」
「地球からの通信・・・?」
「はい。100年前に発信された通信データが、たった今、本船の受信アンテナに到達しました。映像データをメインコンソールに展開しますか?」
「・・・つけろ。」
私が命じると、目の前の空間に立体ホログラムが展開された。ノイズの混じる青い光の中に現れたのは、1人の男性の姿だった。白髪混じりの髪に、知性的な目元。間違いなく、目と鼻の先にあるカプセルの中で血に濡れている男——アーサー・クレイン博士その人だった。
ホログラムの博士は、焦燥に駆られた面持ちでカメラを見つめていた。その背景には、崩壊しつつある地球の発射基地が映っている。
『———このメッセージが届く頃、船はすでに深宇宙へ到達しているはずだ。』
博士の声がホログラムから響く。
『これを見ている未来の監督官へ。警告する。ノアの乗組員の中に、我々の計画を根底から否定する裏切り者が潜入している。奴は、コールドスリープのシステムそのものを利用して私を・・・。そしてこの航海そのものを抹殺しようとしている。』
私は息を詰めて、映像に見入った。
『良いか。奴は時間を操作する。亜光速航行による時差と、コールドスリープを利用して、誰も気づかない殺人を完成されるつもりだ。100年後の監督官、君にこのメッセージが届く時、私はすでに死んでいるかもしれない。だが覚えておけ。犯人は———』
ノイズが激しく走り、博士の音声が途切れた。
最後に画面に映し出されたのは、博士の背後に立つ誰かの影だった。その影の胸元には、監督官だけに与えられる、私と同じIDバッジが鈍く光っていた。
映像が消え、再び静寂が戻る。
100年前の被害者が、100年後の私に向けて残した警告。そして、犯人がつけていた監督員のバッジ。私は自分の胸元に手をやった。そこには、まったく同じバッジが留められている。脳裏に、強烈な眩暈が襲いかかった。
(なぜ私はこの第100期の監督官に選ばれたんだ?)
過去の記憶を探ろうとするが、やはり地球出発直前の記憶だけが、黒い霧に包まれたように思い出せない。
100年前に仕掛けられた殺人。
密室の中で鮮度を保ち続ける死体。
そして、欠落している私の記憶。
冷たい宇宙の孤島で、私は自分自身の胸に去来する、恐ろしい疑念と向かい始めていた。
「イヴ・・・第1期から第99期までの監督官のログを・・・。
いや———違う。」
私は震える声で、AIに問いかけた。
「100年前、地球を出発する夜———私は————。
私は、クレイン博士とどこにいた?」
——————————————————————————————————————
「照会します。地球離脱歴0年4月1日、21時04分。旧地球軌道上の最終チェックポイントにて、あなたとクレイン博士のアクセスログが記録されています。場所は、このメインホール、クレイン博士の特別カプセル前です。」
胸の奥が、冷たく冷えていくのが分かった。
やはり私は、100年前の出発の夜、この場所で博士と会っていたのか。
「その時の・・・詳細な会話や、監視カメラのデータは残っているか?」
「いいえ。当該時刻の映像データ及び音声ログは、あなた自身の第100期監督官IDによって意図的に消去されています。」
全身に、嫌な汗が吹き出した。
消去されたログ。100年前のメッセージで博士が告げた『監督官の中に裏切り者がいる。』という言葉。そして、博士の背後に映っていた、私と同じ監督官のIDバッジ。
(まさか私が・・・私が殺したのか?)
記憶がない。コールドスリープの副作用による単なる記憶障害なのか、それとも私自身が意図的に自らの記憶を処理したのか。
もし100年前の私が博士を切りつけ、このカプセルに閉じ込めたのだとしたら?
だが、それならなぜ死体が鮮やかすぎるのか。なぜ100年後の今、私が目覚めた直後に失血死したような状態になっているのか。
「イヴ、博士のカプセルの物理環境データを開示しろ。」
表示されたデータに、私は目を見開いた。
通常のコールドスリープの温度であるー196℃であれば、生体は瞬く間に凍りつき、完全に時間が止まる。しかし、博士のカプセルはー180℃———血液が固まらないギリギリの温度に設定されていた。
さらに、カプセルを包む重力バリアの数値が異常に跳ね上がっていた。
(クレイン博士のメッセージを思い出せ・・・)
(『良いか。奴は時間を操作する。亜光速航行による時差と、コールドスリープを利用して、誰も気づかない殺人を完成するつもりだ。』)
時間を操作する・・・
時差・・・
コールドスリープ・・・
わずかなヒントが点となり、私の脳内を駆け巡る。
いくつもの仮説が浮かんでは消えていき、何度も何度も、脳内で比較、検証を繰り返す。
「イヴ、博士のカプセルを包む重力バリアの数値は通常の何倍ある? あと、カプセルに重力をかける必要があるのか?」
「はい、通常の20倍です。コールドスリープを行うためのカプセルは、人体への影響を鑑み、地球と同程度の重力を加えることが推奨されています。そのため、この船内は地球と同程度の重力が設定されています。特別な事情がない限り、カプセル自体の重力を設定する必要はありません。」
意図的に設定された高重力・・・
やがて点と点は線となり、1つの仮説を私に導かせた。
「・・・そうか。時間の進み方を二重に遅らせているのか?」
私は脳内で物理演算を組み立てた。
まず1つ目。この船は光速に極めて近いスピードで航行している。アインシュタインの相対性理論が示す通り、『超高速で移動するものの中は、外の世界よりも時間の流れが遅くなる。いわゆる、ウラシマ効果だ。外部の100年はおそらく—————
「イヴ、この船の航行スピードにもとに、地球での100年は、この船の中では何年分に相当する?」
「はい、約40年分相当です。」
そして2つ目。カプセルを包む協力な重力バリアだ。相対性理論にはもう1つ、重力が強い場所ほど、時間の流れが更に遅くなるという法則がある。
船のスピードによる時間の遅れ。
重力バリアによる時間の遅れ。
そして、完全には凍りつかない絶妙な極低温。
この3つが重なったカプセルの中では、時間の流れがほぼ停止するほど極端に引き伸ばされていたのだ。
「イヴ、その条件に加え、カプセルに設定されていた高重力、極低体温を考慮すると、地球での100年はこの船でおいてどの程度の時間になる?」
「はい。————————————————15分間です。」
ハッと息を呑む。
100年前、何者かが博士の胸部を切り付け、息があるうちにこのカプセルへ叩き込んだ。
カプセル内の博士にとっては、たった15分の出来事。・・・だから血は凍らず、傷口から一滴、また一滴と100年という果てしない時間をかけて滴り続け、私が目覚めた今、丁度血が抜けきり失血死したのだ。
物理法則によって、15分の死のプロセスを、100年間に引き延ばしたタイムトラップか・・・。
しかし、そのカプセルの設定変更と解錠を行ったセキュリティIDは———他ならぬ私自身のものだ・・・。
「私が・・・100年前に博士を瀕死の状態にし、この100年越しのトリックで殺害したのか?」
欠落した記憶。手元に残された確証。
「イヴ、私に関係する全てのデータを検索してくれ。何か残っていないか?」
絶望に打ちひしがれる私に、イヴが冷ややかに告げた。
「監督官。100年前の『あなた自身』から送られた、音声ファイルが検出されました。」
———————————————————————————————————
音声ファイルを再生するとノイズ混じりの『私』の声がメインホールに響き渡った。
『これを聞いている未来の私へ・・・。怯える必要はない。おそらくイヴの力も借りて真相に辿り着いたのではないかな。』
『今、推測したとおり、博士を殺したのは私、いや君自身だ。しかし、君が博士を殺したのは、正義のためだ。』
過去の自分の声に、私はすがりつくように耳を傾けた。
『出発直前、私は博士の恐ろしい真実を知った。実は、新惑星プロメテウスをテラフォーミングするには、その船にも、惑星にも資源が全く足りないのだ。博士は3万人全員を生かして運ぶ気などなかった。自分と一部のエリートを除く99%の乗組員を、コールドスリープ中に肉片へと分解し、船の燃料や新たな惑星で文明を発達させるための資源とする計画を進めていたのだ。私は激昂し、3万人の命を守るため、博士を殺すしかなかった。私は犠牲の上に成り立つ文明など望んではいなかったからだ。』
胸の中に熱い安堵が広がっていく。
私は恐ろしい殺人者ではない。3万人の同胞を守るために、たった一人で冷徹な選択をした英雄だったのだ。
『だが、その場で博士を死なせるわけにはいかなかった。その上、地球はもう助からない。人類を生存させるためには、地球を脱出する必要があった。』
『その船のAIは、太陽系を脱出する最初の100年間、最高権限者である博士の生体反応が途絶えると、異常事態とみなして地球への自動引き返しプロトコルを発動する仕様になっている。地球はすでに滅びている。引き返せば人類は全滅だった。だから私は博士を100年間、死ぬ直前の状態で生かし続ける必要があった。100年経てば、船は太陽系を脱出し、深宇宙へ到達するだろう。太陽系を脱出したらそこはもう、引き返せない領域だ。』
『100年が経ち太陽系を完全に脱出した今日――博士の死亡を確認した後、船の制御を「完全自動航行モード」へ切り替えるのだ。博士の生体偽装は100年が限界だ。今日中に切り替えを行わなければ、イヴは最高権限者の死亡と判断し、残された乗組員全員をバイオマスとして船の資源とするべく、解体処理を始めてしまう。』
『私よ。船はもう引き返せない領域に入った。今すぐメインコンソールから「生存プロトコル」を入力し、3万人全員が資源にされることない安全な航行モードを確立してくれ。新惑星での文明繁栄は厳しい状況にはなるだろうが、コールドスリープ中の人体の解体は阻止できる。全員が無事に新惑星まで到達することはおそらく可能だ。』
そうだったのか。全ての謎が一気に氷解した。
今日、私がシステムを切り替えなければ、博士の計画通り3万人がイヴに解体され船の燃料にされてしまう。だからこそ過去の私は、100年後の今日、自分が目を覚まし、博士の死亡を確認した上で、船の制御を切り替えるようタイマーをセットしていたのだ。
私は自分自身が罪人ではないと信じたかった。だからこそ、過去の私が提示した完璧な論理に一筋の疑いも持たず飛びついた。私はメインコンソールにアクセスし、乗務員全員のカプセルの設定を生存プロトコルへと入力を書き換えた。
「認証完了。選別解体計画を破棄。――全カプセル、緊急解凍シーケンスを開始します。」
「え・・・? 解凍・・・? まだ目的地まで300年以上あるんだぞ!?」
排気音が轟き、カプセルのガラス壁が白く曇り始めた。
「――警告。思考パターンおよび行動ログの照合完了。」
イヴの機械的な音声が、不意に歪んだ高音を帯びてメインホールに響いた。
「隠蔽プロトコル『クレイン・トラップ』を解除します。・・・再生を開始します。」
———————————————————————————————————
コンソールの中央に、新たなホログラムが浮かび上がった。
そこに映っていたのは、薄笑いを浮かべる――アーサー・クレイン博士その人だった。
『やあ、哀れな監督官くん。・・・「100年前の私に都合よく踊らされた操り人形」と言った方が正しいかな。』
博士が画面越しに私を冷酷に見下ろす。
『君が今聞いた「過去の自分の声」・・・あれは、私が君の音声を合成して作成した偽りのログだ。100年前、君のその薄っぺらな正義感を利用して思いついた最高の復讐計画だよ。』
「な・・・にを・・・言って・・・」
指先から血の気が引いていく。
『私はこの事態を予想していた。君は100年前、私が「99%を間引く」と言ったら、きっと激昂して私を殺すだろうと。そして自動航行モードへ切り替えなければ全員船の資源として解体されるという話をすれば、君はまんまと信じ、犯行に及ぶだろうと思った。』
博士のホログラムが、冷徹な眼差しで私を射抜く。
『だが、そんな解体プロトコルなど最初から存在しない。私は君に瀕死にされることを見込んで、この仕掛けを施したのさ。私が瀕死になった場合、このプログラムが発動するよう、イヴに仕掛けを施しておいた。君が自分は3万人を救う英雄だと思い込み、100年後の今日、自らの手で、緊急解凍のボタンを押すようにね。』
記憶の奥底で、封印されていた本当の記憶が弾けて溢れ出した。
100年前の夜。血を流す博士。手に握られたナイフ。誰かを殺すなんて選べないと泣き叫んでいた自分。
『君は自分の手を汚さず誰も死なせない理想論に縋りたかったのだろう。だから、私が用意した『君は英雄だ』というメッセージを疑いもせず飛びつき、目的地まで300年も残っているこの深宇宙で全員の保護ロックを解除したんじゃないかな?』
ハッと息を呑み、私はカプセル群を見上げた。
シューという減圧音とともに、次々と開き始める3万人のカプセル。
『おめでとう、監督官。私の死と引き換えに、君の誇り高き「薄っぺらい正義感」と「罪悪感からの逃避」のおかげで、3万人全員が今、宇宙の真ん中で目を覚ます。・・・あと300年以上かかる航行の中で、数日分の酸素と食料を奪い合い、地獄のような共食いの末に全滅するといい。』
「やめろ……! イヴ、プロトコルを停止しろ! 再凍結するんだ!」
私は狂ったようにコンソールを叩いた。しかし、イヴの答えは冷酷だった。
『不可能です。緊急解凍シーケンスは最終承認されました。再凍結機能は永久にロックされます。』
『私を殺し、人類の唯一の生き残り策を打ち砕いたのは君だ。君の無知で無責任な善意が、人類最後の種を絶やしたんだよ。』
ホログラムが消え、完全な静寂が戻る。
ガラスの向こう、カプセルの中で冷たくなっている博士の死顔は、静かに私を嘲笑っていた。
足元から崩れ落ち、私は冷たい床に顔を押し付けた。
私は英雄などではなかった。狂った死人に踊らされ、己の愚かな善意で人類の未来を永遠に終わらせた世界で最も罪深い加害者だったのだ。
数分後、地獄のような宇宙の真ん中で、無知で哀れな3万人の犠牲者たちが目を覚ます。
カプセルの解凍音だけが、静かなホールに響き渡る。
(完)
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