聖女
気が向いたら更新されます。気長に読んでください。
ああ、どうしてだよ。
ジュネは教会の長椅子に座って嘆いていた。
涙がいっぱい目のふちにたまっていて、今にも決壊しそうなのを必死に無表情で耐えた。
そうしなければ、今にも自殺を選んでしまいそうだったから。
混乱は、飛躍して怒りに飛んだ。猛烈な怒り、憎しみ、悲しみ、溺れるような苦痛……。
首を吊るか。
はたまた腹を刺す?
それとも従者に、殺してくれと頼むのか。
――ひと思いに、悪逆の限りを尽くして死んでやろうか。
彼女は愛していた人だった。愛していた《キャラクター》だった。それに《この身は成り代わってしまった!》許せない。
どうしてそれが許せよう。全くもって理解しない。他者の人生だ。どのように生きても、あの子の、愛すべき人生だったはずだ。
あたしが台無しにした。
あたしが。
あたしが、全部。
転生? 馬鹿げている。神様は冗談がお好きだ。物語の中に転生なんて、腹が黒いにもほどがある。
ジュネは泣き笑いで上を向いた。
手は硬く膝の上で組まれて、祈りを作っている。
《ゆるさないから》
天意を翻し、ジュネは言った。
《絶対に許さない》
全員許さない。婚約を破棄した王子も、あの子を追い詰めた幼なじみも、なんだかよくわからない貴族連中も。
なによりあたしをゆるさない。
腹の奥で燃えさかる使命感は、真っ白に焦げるような死の匂いを帯びていた。
聖女ルミネージュ、もといルミネは勇猛果敢だった。貴族の生まれながらも、神の声を聞いたことをきっかけに、騎士としての道を歩むことになる。そういった内容の、乙女ゲームだった。
ジュネはそのゲームを出したブランドの大ファンで、《聖女ルミネとみつかいたち》は発売日に買ったほどだった。デラックス版である。
ジュネは年を取るごとに、腰が重くなっていった。本、映画、劇場……音楽……乙女ゲームだけかろうじて終えていた。これまで年と体力に奪われたら、どうしよう、なんて思っていた矢先だった。ドンピシャに好みの容姿、設定、キャラ。
二次創作では男性キャラの夢小説しか書いたことはなかった。だけど、ルミネージュだけは違った。
『世界に神がおられるのなら、どうして貴女を戦場になど送るのです』
ルミネは微笑んだ。
『そのお声は、強制したのではありません。目覚めよと言われたのです』
そこで、号泣した。疲れていたのだろう。実際、この日は二徹目だった。
まるで聖母ジャンヌダルクを、脚色して乙女ゲームに閉じ込めたみたいな人だ。ジュネはルミネの気高さに夢中になって、プレイした。
そして、たくさん、たくさんの二次創作をした。それはインプットもアウトプットも死んでいたそれまでのジュネとは思えないほどの速度で、量産していく。
『アアーッ、ルミネ様最高ーッ!』
そして死に至る。
まだ二九だった。このままオタクのまま三十路になるのかなあ、なんて友達と言っていたのに、なんてこと、あっけなく奇病に掛かって死んだ。
うそだ、大健闘した。でもだめだった。
それでも納得した最後だった。最後には、笑って言えたくらいには、穏やかに終われた。
生まれ変わるときには、またおかあさんのこどもにしてください。
『クソが』
ビクッと従者のリックが肩を揺らす。信じられないモノを見る目でジュネ……もといルミネを見ていた。
転生して十日後、ジュネの初遠征である。
この国はルミネに頼り切って復興し、ルミネに頼り切って、存亡の危機に陥る。それを攻略対象たちが支えたり、差し違えたりする、乙女ゲームというより大河ドラマだ。
ならばそんな国、最初からない方がマシではないか。
神様。
神様は、居る。こんなおかしなことにできる力を持ったデウスエクスマキナは実在している。それは確定した。
だが、どこに。ジュネがルミネだというのなら、早く出てきて申し開きをしてほしい。
あたしの死を、尊厳のないものにしないでほしかった。
馬にまたがっての騎乗というのは存外肩が凝る。
ジュネは前方の草原をにらみつけた。クレッシェンド帝国とレンドリック王国の境目――王国の最前線。片道四日。最南地帯が見えてきた。
転生したジュネが一番最初にやったことは髪を切ることだった。男のように刈り上げて、断髪した。
男たちは惜しむような声を上げたが、うるさかった。唯一幼なじみのライモンドだけが「どんな髪型でも君は似合ってる」と言ってくれた。だからなんだという話だが。
「はあ」
「あの、ルミネージュ様、お疲れでしたら砦でやすまれてください」
「いえ、時間が惜しい。会議の場に連れて行ってください」
戦場の前線に立つ、聖女ルミネの出生地が今回の戦場だった。
奇跡の少女、神の声を聞いた者。神地だ。であるなら守り通さねばならぬ。
それを、敵国もわかっていて選んでいる。
そもそもが、ゲームでは聖女ルミネージュを手に入れるために帝国が始めたいくさだった。ゲームが現実となったいまでは、誰もが『なぜか帝国が攻めてきた』としかわからない状況だが。
だっていうのに魔女としてつるし上げる第一歩。神の地の蹂躙だ。バッドエンドでは、そうしてなんど処刑されたことか。
ジュネは歩みを進めて、誰より先に会議に向かう。そこには多くのむさ苦しい男たちがひげ面を並べて居る。
中央にいるのは――クロフォード。
聖騎士クロフォード。
目配せを受け流すようにジュネは目を伏せた。
「お集まりのところ、緊急事態だ」
フェルディナンド元帥が口を開く。
「我々が到着するより以前、帝国は村人を手に掛けた」
「なっ……」
「それでは虐殺ではないか!」
「王国兵が砦に引きつけられている間に、浅瀬から別働隊が侵入していたそうだ」
ゲームと違う。ジュネは眉をしかめながら話を聞く。
「そうだ。虐殺に相違ない、そのくせ我らが来るまで戦を始めない分別がある。王国を、見下しているのだ。卑怯な不意打ちをしかけずとも、天意は我らにあるといって」
「愚かな」
ジュネが口を開くと、場は静まりかえった。
「人には天分があり、天意は皆に降り注いでいます。誰ひとり神の御意志からは逃れられぬと言うのに」
「ルミネージュ殿……」
ジュネは内心怒り狂っていた。ゲームと違う、ゲームと違う、神はジュネにはルミネの民をすら守らせないつもりなのだ!
――「ゲームとちがう」?
……ああいや、その上、ルミネの信仰心すら、疑わせる形で帝国を先導しているのだ。
「必ずこの村は守る。絶対」
作戦会議ではジュネの作戦はいつもより通りやすかった。ほとんど誰もが拮抗している状態を、苦い勝利とはなっても、圧勝など出来るはずないと思っていたし、何より聖女の故郷だ。
誰もが持つ信仰こそが国の守らねばならぬ健やかなる勝利の種だった。それを、むざむざ渡すなどありえない。
ルミネの作戦は、いつも素っ頓狂だ。それでも今回、みなそれに賭けた。
ジュネの考えた作戦はこうだ。
ジュネが、中央で交渉をする。ひとり前線に出て、帝国と交渉をする。人質に取った村人たちを返してもらう。
ひげ面の貴族たちは鼻で笑った。しかし、ジュネが無表情のまま、淡々と続けると戦慄したような顔になった。
彼らは必ず村人を帰す。そして、私を人質に取るでしょう。それが成立したとき、先ほど言った作戦を実行してください。
背後から、彼らに奇襲を掛けるのです。
実際帝国は以前より神の象徴であるルミネを執着してほしがっていたし、村人を帰すことで他国に見聞を汚さずに済むとあれば、必ずとは言わずとも、ルミネを捕虜にすることを選ぶだろうと貴族たちにも思われた。
ジュネは神を憎んでいたが、誰より神を信じている。この状況でむざむざルミネを酷い目に遭わせるならば、ジュネをこの器に入れた意味がなくなるはずだ。
それは楽観ではなかった。直感だ。
「自ら出てくるとは。ルミネージュ・バトレー」
「……ごきげんよう。天気が良いですね今日は」
ふん、と鼻を鳴らして目の前の帝国兵士は言った。
「それで? お嬢さんは何がしたいのかな?」
「村人を帰していただきたいのです」
ジュネは淡々と言った。
「いやだね、と言ったら」
「私があなた方の人質になります」
それを聞いて場が少しだけ盛り上がった。嘲笑だ。無謀な行いだととがめるような声だった。敵国であるのに、動揺が垣間見えた。
中央の兵士は周囲を見渡して、伏兵がいないかを見ると、再び視線をジュネに戻す。
「よろしいので?」
「はい。たかだか私ひとりで村人の命が救えるならば安いものです」
――「また」だ。また、違和感がある。罪悪感、のような。
兵士は手を上げて、それと同時にジュネの体は縛られていく。そして、乱暴に引っ張り上げられて、引きずられていく。ジュネはまっすぐ目の前を見た。そこには流れの速い川があって、深夜にそれを使い、小舟で小隊を移動させている。12回。12隻分の王国兵が、すでにここを包囲している。
村人のところまで連れて行け、と言ったジュネに、彼らはニヤニヤとした顔で了解と言った。
――厭な予感がする。
それでも、その予感に見ない振りをして、ジュネは足を進めた――。
惨状。
ひとりはすでに死んでいる。
ひとりは殺してくれと泣き叫んでいる。
ひとりはいたいよ、ママ、とあえいでいる。
ひとりは声もなく倒れている。
「お望みの人質だ。解放しよう、約束通り」
具合も悪かったしな。ゲラゲラとした爆笑があたりを包み込む。
沸騰するような怒りが、ジュネの体を包み込んでいた。そして、同時に羞恥心が、カッと顔をあぶり続けていた。
これだ。違和感。
ジュネは思い至った。ルミネのことは気にするのに、村人のことはゲームと違うと、そう思った自分が確かにいた。
あれは、この人たちの人生を軽視した考えではなかったか。
混乱とともに、しかしジュネの思考は冷え切っていた。
「あなた方に……聞きます」
「おうおう、なんだいお嬢ちゃん。あそこの具合なら最悪だったぜ」
「これで、全員ですか?」
一呼吸置いてから、再び爆笑。
「死体で良けりゃもっとあるけど」
「そうですか」
ジュネはそう言うと、小屋の天井をにらみつけた。
天意。
これが。
これが?
「そこのやつは昨日傷口から傷んでおっ死んじまって」
「……」
あと1日早ければ。ジュネの頭に無謀な思考が走る。
兵士のうちの1人がジュネに手を伸ばした。
「聖女様は神のご加護があるか?」
短い髪をわしづかみにされて、ぐい、と引っ張り上げられる。
「おい、そのへんで……」
ジュネは痛みに顔をしかめた。ほかの兵士も冗談が過ぎるとたしなめているのに、彼はヘラヘラと笑っている。
「あそこの具合は、まだ誰もしらねえんだったな?」
その瞬間だった。
焦げ臭い匂いが、あたりを包む。一本の矢が、小屋の周りに刺さっていた。ジュネは手に仕込んだ破片でロープを切った。
わかっていた。
わかっていたはずだった、それが助けの合図だと、わかっていた。
「このアマッ、」
それでも。
「失礼」
兵士の腰の剣を引き抜く。
場にいる全員が、兵士の口から血が流れていることに、先に気がついた。
「コフッ……」
それは一瞬のことで、ジュネは彼に襲われる前に彼の胸に剣を突き刺していた。
「あえ?」
誰もが戦慄に息をのんだ。刺された兵士は、何が起こっているのかまるでわからない顔で自分の胸元とジュネを交互に見ている。
「な、なんで聖女がころ、」
――さて、なんでこうなったんだろう。
ジュネもそう思う、と内心で同意しながら、キンと冷える頭で、息を深く吸った。
震える手が、剣をはなそうとするのをもう片方の手で押しとどめながら、何度も跳ねる兵士の体を突き刺した。ジュネにはそれが、血しぶきのスプリンクラーのようにびちょびちょとあたりを血浸しにしてるようにみえた。
周囲の剣士たちは、誰ひとり動かなかった。
聖女の殺しが、あまりに稚拙だったから。あるいは、それがあまりに切実だったから。
そして、清廉潔白だったはずの聖女ルミネが、人を殺したから。
刺すたびに動きが洗練されていく。
笑いはジュネの喉からなっていた。ジュネは次の獲物を捕らえていた。
「奇襲だーッ!」
その声にも小屋にいる兵士たちは身動きもとれなかった。ジュネが笑いながら斬撃を繰り出していく。
一人目を超えたら、それが洗礼だったかのように、見違えるように戦鬼となった。
体の動きがまず違う。相手が動くより先に、小柄な体は俊敏に傷を付けた。
まるで蜂のように刺していく。その刃の先には、猛毒が塗られてるように兵士たちの傷は痛んだ。
ルミネの体の記憶が、ジュネを戦女神とさせた。
狭い小屋だ、矢も燃えている。外に出たい。なのにジュネだけしか動けない。
最後にひとりが耐えきれずやっとの事で小屋の外に転がり出たとき、あたりは燃え上がっていた。人質をひとりずつ救出するか、兵士を追うかの二択で、ジュネは人質を選んだ。
今の状況で人質を助けても、外の兵士に殺されるかもしれない。
理屈じゃなかった。
ただ、この人たちに生きていてもらわねば、ジュネは困るのだ。
それは自分の罪悪感もあったし、戦略上の都合でもあったし、ジュネが知っているルミネの意志でもあった。
ジュネの中に宿ったルミネが、囁くように行動に疼いていた。
煙を多く吸いながら、なんとか三人とも救出することができた。皆、抵抗しようと、暴れる気力も残っていない。その痛々しさに、呼吸が詰まる。
最後の一人。
死体であった一人に手を伸ばそうとしたときに、小屋が崩れはじめた。
「ルミネージュ殿!」
その声に引っ張られるように、ジュネは身を守るように小屋を出た。
その女は災害だった。
燃えるような瞳、髪色、真っ赤な唇から漏れるのは、血色の愛執だ。
人を殺す。契約を迫る。土地を大きくする。豊かに栄えた国を見て、女は恍惚と言う。
『ああ、クレッシェンド! 国のために、もっと国を狩りましょうね』
手には編み物をしながら。
「なればこそ、神のみ印を手に入れましょうね」
と、女は『たしなめた』。
「決して殺してはなりませんよ。あれは神の象徴なのですから」
手元において、愛でるものですよ、と女は続ける。
その嘲笑すら髪を愚弄しているものであるのに、女は本気で『信じていた』。
それが神の恩寵の扱い方で、神の意思であること。
敵国に現れたそれは帝国という『国』のための象徴であること。
だからきっと彼女も『わかってくれるでしょう』。
そうしてしたたかに微笑んでいる。
国のために、国を得るために、国を大きくするために、国を豊かにするために、国を増やして狩りましょう。
女の名はエミルナ・G・ローゼナー。
国家の母にして若干十六の娘。
殺戮無慈悲の悪役令嬢。
通称を、帝国の紅き魔女である。




