#3 深夜の電話と急な呼び出し
「杏菜さん、まだ帰らないんですか?」
「うん、もう少し。小山くん、見積もり終わったなら、先に帰っていいよ」
MICOプロダクションでのプレゼンは、かなり手応えがあった。
次回のプレゼンで受注が決まる。少しでも良いデザインで勝負に出たい。
「杏菜さんが終わるまで待つので、飲みに行きませんか? 離婚されたなら、オレにもチャンスありますよね」
「その時間があったら、寝るか仕事する」
「あー、ですよね」
小山君が肩を落とす。ちょっとかわいそうかな。
「この仕事が決まったら、お祝いで飲みに行こうか」
「はい!」
「みんなで、ね」
「……じゃ、お先に失礼しまーーす」
小山君の教育担当は私だった。
鳥の刷り込みかと思うほど、最初から懐いてくれたのは嬉しいし、かわいい後輩ではある。
でも、離婚間もないアラサーに、社会人3年目の青年は眩しくて。
今はとてもじゃないけど、恋愛なんて考えられない。
未来ある青年には、他に目を向けてもらいましょう。
時間は23時。気付けば社内には私ひとり。
浮気現場を目撃した翌日、離婚届にサインし、その日の夜には、元夫はマンションを出て行った。
慰謝料は請求しない代わりに、私が引っ越すまでの数ヶ月、彼が家賃を払うと約束させた。
1年に満たない結婚生活、子供もいない夫婦の離婚なんて呆気ない。
気ままなひとり暮らしは好きだけど、ひとりでは広く寂しく感じる部屋は、居心地が良いとはいえない。
未練はない。
だけど、夜になるとやっぱり寝室で見てしまた不快な光景が思い出される。
自宅よりも会社にいる時間が長いのは、前から変わらないけれど……。
「そろそろ帰るか」
社内用のサンダルからパンプスに履き替え、ジャケットを羽織る。
パソコンの電源をOFFにしたら、セキュリティを入れるだけ。
――そのとき、会社の代表電話が鳴った。
普段は夜19時で留守電に切り替わるのだが、総務が設定を忘れたのか。
「お電話ありがとうございます。ゲンキライブ企画です」
鳴り続ける電話を無視はできなかった。
「もしもし?」
電話の向こうは賑やかで、声があまり聞こえない。イタズラ電話か。
『――杏菜さん?』
受話器から名前を呼ばれる。社内の人間の声ではない。
『杏菜さんだよね。良かった、電話に出てもらえて』
「あの、どちら様でしょうか」
『えー、昼間に会ったばかりなのに、分からないの?』
甘ったるい、媚びるような演技がかった声だ。
電話の横に高々と積まれた資料。
その上に置かれた、アイドル雑誌の最新号に目が止まる。
『dulcis〈ドゥルキス〉のケイタ、初主演映画! とびきりの胸キュンであなたを悩殺♡』
表紙には、半裸で金髪の男性が、潤んだ瞳でこちらを見ている。
あぁ、これか!
「もしかして、ケイタさん?」
『ピンポン、大正解』
「昼間は、ありがとうございました」
だけど、クライアントでアイドルが、なぜこんな時間に?
『会いたくなって、電話しちゃった』
「え?」
あの胸キュン映画のワンシーン。
CMでも流れたセリフを思い出す。
『ねぇ、僕に会いに来てよ』
それが、電話の受話器から聞こえてきた。さらに、ケイタは続ける。
「今すぐ、来てくれる?大事なお仕事を決めたいならね」




