#1 雑居ビルの屋上で聞く大ニュース
深夜に帰宅したら、玄関に見慣れない靴があった。
自分の物ではないし、どう見ても女物だ。
だからといって、逃げ出したりしない。
「あ、あん……!」
寝室のドアを開けたら、まさに絶頂、クライマックスという最悪のタイミングだった。
思わず乾いた笑いが込み上げた。
人はどうしようもない現実に直面すると、笑ってしまうものらしい。
「なんだよ、なにがおかしい」
「残業して帰ってきたら、夫婦のベッドで夫と知らない女が真っ最中でした。笑う以外になにがあるのよ」
血は繋がらないのに戸籍上は家族である男が、ベッドの上、素っ裸で正座をしている。
「それとも、私が泣いてすがるとでも思った?」
「杏菜は、そんなことしないだろう」
「うん、そうね」
結婚生活はわずか1年。
それでも、お互いの性格くらいは理解し合えている。
「あの~、すみません、わたしは帰ってもいいですか?」
毛布で必死に胸元を隠した女が口ごもる。
チラリと視線を投げると、潤んだ瞳を返された。
まるで、私がいじめてるみたいじゃない。
「安心して。あなたに何も請求したりしないから」
「え、本当に?」
「当然よ。部外者だもの」
私は床に落ちていたレースの下着をつまみ上げると、女の頭にふわりと乗せてあげた。
「ここからは夫婦の話があるの。今すぐ消えてくれる?」
◆◆◆
ああ、気持ちとは裏腹になんて青い空だろう。
「禁煙、挫折したのか」
勤務先のビルの屋上で一服していると、背後から声がかかった。
「やめるのを、やめました」
「ふぅん。妊活は?」
「それもやめました」
もう、誰に遠慮もしなくていい。
「杏菜に産休を取られたら、仕事が回らなくなるところだった」
「和泉さん。それ、今どきはアウトな発言ですよ」
「優秀な人材だと認めてるんだ。素直に受け取ってほしい」
和泉さんが隣で煙草に火をつけた。
「離婚しました」
二人が吐き出した紫煙は、雲ひとつない青空に溶けて消えていく。
「やけ酒なら付き合うよ」
「和泉さん、禁酒中じゃなかったんですか?」
「私も、やめるのをやめたんだよ」
なるほど。無理をしたところで、結局はどこかで歪みがくるだけか。
「やっぱり、仕事が原因か?」
和泉さんも離婚していて、小学生の息子さんは元のご主人と暮らしている。
バリバリ仕事をこなす女性だけど、ふとした瞬間に、寂しそうな顔をする。
「いえ……価値観の相違です」
私はライブグッズの企画会社で、チーフデザイナーとして働いている。
ペンライトからアクリルスタンドのデザイン、製造管理、自社サイトの運営まで何でもやる。
社員30名程度の小さな会社。
よく言えばアットホーム、実態は「来た依頼は拒まず」の無法地帯。
大手から零れ落ちてきた端端の仕事や、パチンコ店や風俗店のPOPなんかもある。
業界の常だが、生活は夜型に振り切れている。
「彼はごく普通のホワイト企業勤めでしたし、元々、根本的な考え方が合わなかったんですよ」
自分の「好き」を形にするクリエイター気質と、安定を第一とするサラリーマン。
仕事に対する熱量の違いを、私はどこかで軽視していた。
そのズレを放置したまま結婚に踏み切った、私自身の見通しの甘さが招いた結果だ。
「それにしても、暑いな。もう夏は終わりじゃないのか?」
「喫煙ルームがあるキレイなビルに引っ越したいですね」
エレベーターもない5階建ての古いビルだもの。
「でかい案件でもあればなぁ」
「夏のボーナスも寂しかったですしね……」
ふたりで重いため息を吐いたときだ。
「和泉さーーん!」
屋上の重い鉄扉が勢いよく開き、営業の小山君が飛び込んできた。
「あ、杏菜さんもいる! ちょうど良かった、聞いてください。ビッグニュースですよ!」
「くだらない話だったら承知しないよ」
私はさらに、もう一本に手を伸ばした。
「あの、人気アイドルの『dulcis〈ドゥルキス〉』のツアーグッズの依頼がきました!」
「……あ?」
「なんですって?」
火を点けていないタバコをくわえたまま、和泉さんが呆然と口を開けた。
「嘘でしょう」
泥臭い仕事ばかりしている小規模会社に、なぜ、そんな巨大案件が舞い込んできたのか――。




