第一話 前半 「家督継承の儀」【彩華院 視点】
年の瀬。凍てつくような冬の朝気が、大極殿・朝堂の床を白く冷やしている。
今日行われるのは、今年最後にして、ここ数年で最も重要な意味を持つ朝議である。
私、先帝である彩華院が静かに朝堂へ入ると、それまでさざめいていた貴族たちの声が、凪が訪れたように一瞬で止んだ。
完全な静寂。
衣擦れの音さえも不敬に感じられるほどの静謐の中、私は滑るように進み、御座所の左後ろ、御簾の奥へと控える。
私に続き、娘である現帝・彩氷が御座所へと座した。
私は扇で顔を半分ほど隠しながら、御簾越しに階下の広間を見下ろす。
そこには三公爵、六侯爵、そして昇殿を許された中級貴族ら二十名ほどが左右に整然と居並び、一斉に平伏していた。
そして、その中央正面。
ひときわ鮮やかな深紅の衣を纏った二人が、大地に額を擦り付けている。
四公爵家の一翼、赤鳳家の現当主・翔蓮と、その四女・翔密ある。
今日の朝議の主役は、紛れもなく彼女たちであった。
ふと目を凝らせば、翔密の重厚な仕立ての着物の裾が、小刻みに、微かに震えているのがわかった。
(……緊張しているようね)
内心で、少しばかりの同情を覚える。
年が明ければようやく二十四。
その若さで、この国の均衡を左右する「赤鳳」の名を背負うのだ、無理もあるまい。
しかし年が明ければ、彼女はこの緊張を、そして言葉に尽くせぬ重責を、一生涯、肌身離さず背負い続けることになる。
夫・夢城の姪でもある彼女は、私にとっても可愛らしい存在ではあるが、こればかりは、しっかりして貰わねばならない。
「陛下、一同揃いましてございます」
この場で最年長、黒亀家当主・奈穂が、深く落ち着いた声で口火を切った。
彩氷が微かに、しかし威厳を持って頷く。
「本日は、そこな赤鳳家より重要な報告があるとの由。伏してお聞き届けいただきとうございます」
奈穂が再び頭を下げると、彩氷が再び静かに頷く。それを見届け、私が一歩前へ出た。
「帝は、『申せ』と仰せである」
私の凛とした声が朝堂に響く。
天照大神の御霊を宿す帝の声には、万物を動かす「言霊」が宿る。
ゆえに、帝が軽々に言葉を発することは許されない。
私の役目は、その沈黙の意志を言葉に紡ぐ、いわば帝の「声」そのものであった。
「ははっ。私、赤鳳家当主・翔蓮が具申致します。――年を明けると、我が孫たる吉祥丸が無事、五歳となりまする。しかるに私、翔蓮は本日をもちまして当主を辞し、娘・翔密へ家督を継承したく、伏してお願い申し奉ります」
翔蓮が一層深く平伏した。
男子出産継承。
男女比が百対一というこの呪われた国において、男子を産んだ女性の価値は、何物にも代えがたい。
ましてや、五歳という『死の閾』を無事に越えて育て上げた功績は、一族の位を永遠に盤石にするほどの輝きを持つ。
特に四公爵家において、男子の誕生と成長は、国家そのものの繁栄と直結する最大級の慶事なのだ。
さらに言えば、赤鳳家は先代が私の夫・夢城を産んでおり、極めて強い「男系」の血筋である。
この継承に異を唱える者など、この朝堂には一人として存在しない。
むしろ、皆がこぞって、新当主となる翔密と何らかの縁を結ぼうと虎視眈々と狙っていることだろう。
(……まあ、それはそれで、若い彼女には毒でしょうけれど)
再び、彩氷が小さく頷いた。
私はそれを受け、再び言葉を紡ぐ。
「吉祥丸が無事五歳を迎えたこと、誠に目出度い。この功績を以て、翔蓮の隠居と、翔密の赤鳳家継承を認める。――と、帝は仰せだ」
「ははっ! お認め頂けたこと、誠に感謝の言葉もございません。私・翔蓮、当主を辞した後も、誠意帝にお仕えいたしますこと、ここに誓います」
翔蓮は淀みない口上でそう言うと、再び深く一礼し、滑るような所作で三公爵の席へと移動した。
後には、中央に一人、新しく赤鳳家当主となった翔密が残された。
その刹那――。
先ほどまで微かに揺れていた彼女の着物の裾が、ピタリと止まった。
(……覚悟を決めましたね)
私は、心の中で深く頷いた。
彼女は今、当主である母に守られながら男子を育てるという「暖かい場所」から、自らが盾となり、国を背負い、男子を守るという「冷たく厳しい戦場」へ出る覚悟を決めたのだ。
すべては、あの子――吉祥丸を守るために。
明日から、吉祥丸は私の管理する福宝宮に入る。
そこには、千年の歴史が積み上げた「男子教育」の厳格な型がある。
作法、教養、歴史、音曲……学ぶべきことは山を成している。
けれど、ただ型を教えるだけでは足りないのだ。
私は思う。
この殺伐とした過酷な国で、彼が多くの女性たちから熱烈に愛され、そして守られる存在になるためには、何よりも「陽だまりのような明るさ」が必要だと。
隠し事なく、屈託なく笑いかけ、戦いで凍てついた女たちの心を解かす、春の陽光のような存在。
それこそが、理想の男子のあり方だと私は信じている。
一方で、学問を司る翔蘭義母様は、全く違うお考えをお持ちのようだ。
あの方は、月のように静かで、繊細な感性を持つ「静寂と優雅」こそが、人の心に深く寄り添う最上の徳だと考えておられる。
どちらが正しいわけではない。
どちらも、あの子がこの女たちの海を生き抜くために必要な、最強の武器なのだ。
だからこそ、私たちは一切の妥協なく、それぞれの信じる「正解」を、あの子という真っ白な料紙に叩き込んでいく。
時にあの子は、私たちからの矛盾する教えに戸惑い、迷うだろう。
「笑え」と言われ、「静かに」と言われ、その狭間で涙することもあるだろう。
だが、その迷いと葛藤の先にしか、万人の心を一瞬でさらい、癒やす「真の器」は完成しないのだ。
私たちは、愛しい孫のためにこそ、心を鬼にして導かねばならない。
ドォン
と、朝議の終わりを告げる太鼓の音が響いた。
それは、私たち女たちが総掛かりで一人の少年を慈しみ、磨き、理想の御子へと彫刻していく、長く、残酷で、しかし美しい日々の幕開けを告げる合図であった。




