『ユウ』と『ソラ』──。
「柊さん。ちょっとあの木陰で休憩しようか」
「……うん」
小人さんの案内で深い森を抜けると、そこには青い空と自然に囲まれた緑の大地が広がっていた。そしてその先には、街と街の間を繋ぐ一本の主要街道と呼べそうな道が続いている。
小人さんに昨晩のお礼を言ってから、私──柊美空は南雲君と二人でひたすら道に沿って進んでいた。
とはいえ、アスファルト舗装もされていない足場の悪い地道を、体力不足の自分が軽快に歩けるハズもなく、森を抜ける際の疲れも相まって、私は早々にその場で座り込んでしまう。
それを見かねてか、彼は道から逸れた先に見える一本の大きな木を指差し、私たちはその木陰で一時休むことに。
「ねえ、南雲君。これからどうするの?」
私は早速、木の幹に背中を当て座り込み、そのまま靴を脱いで痛い足首をさすりながら、つい他人事みたいに隣で立って水分補給をしている彼に向かって言葉をこぼしていた。
ここまで何から何まで南雲君に頼り切りなので、たまには自分から状況の打開策を提案したいけど……正直、今の私では役に立てそうな意見の一つも言えない。結局また彼に頼ってしまう自分が本当に嫌になる。
そして南雲くんはペットボトルのキャプを締めつつ呟く。
「うーん。正直、さっぱり……かな」
「え……?」
そんな彼のアッケラカンとした言葉に自然と顔が呆けていた。
いや、南雲君のことだ。彼なりに何か考えがあってこの先を進んでいるのかと、私は勝手に思っていた。それがまさか無計画だったとは、本当に信じられない。
「……ま、仮にもあのままおじさんの家に二人して居座るってわけにはいかないし」
「そうだよね……」
それには私も同意見だ。さすがに小人さん夫婦とあのまま同居というか、家に居候するなんて、たとえ優しい小人さんたちが許しても、こちらが居心地が悪い。私のちっぽけなメンタルが完全に崩壊する。
「かと言って、あの暗い森で僕ら二人だけのサバイバル生活、ってわけにはいかないよね?」
「うん、そだね……」
「だったらさ、とにかく今は前に進むしかないじゃん」
確かに南雲君の言う通りだ。これから何をするにしたって、結局は前に進むしかない。立ち止まっていたら、何も始まらないのだから。
「でも、一応当面の目的はあるにはある」
飲みかけのペットボトルを大事そうにカバンにしまいつつ、私に向かって南雲君が歯切れよく言った。
「目的?」
「そう。元々僕たちがこの訳わからない世界に迷い込んだ原因は何か分かる?」
「ええっと……南雲くんが告白を目的に私をあんな鏡の前に呼び出したから?」
「うっ」
あれ、何だか南雲君がダメージを受けてる。でもそれ本当のことだし、でもあれは誰のせいでもなく、ある意味不可抗力であって、今は全く南雲君のことを恨んでないよ?
「それについては深くお詫びします」
「いえいえ、全く気にしないで?」
「……な、なぜ疑問形? いやいや本当にごめんなさい。そ、それよりも、そう、そうだよ。鏡。あの『大鏡』が僕らをこの世界に飛ばした元凶なんだよ」
大鏡。
確かにあの時突然、私は鏡の中に吸い込まれた。真っ暗闇の中、無我夢中になって右手だけを伸ばした。だけど、その後のことは記憶が曖昧だった。気づけばあの森に立っていた。彼と一緒に──
「そうだよね。あの鏡が原因。だから何?」
もう色々と訳が分からなくなって、つい口調が荒くなってしまった。感情がすぐ表に出てしまう私の悪い癖だ。これが原因で周りに嫌な思いさせてしまう。
「ふふん」
でも南雲君は、そんな横暴な態度の私を気にも留めず……というか、何故か得意げになって話を続ける。
「僕はこの世界の鏡を使えば元の世界に戻れるんじゃないかと思う──」
(元の世界に戻れる? この世界の鏡を使う?
一体どうやって?)
彼の言葉に頭の中が疑問符だらけとなった。
「元々鏡は、古代の墓の副葬品や神への捧げ物によく使われていたんだ」
「ふーん。そうなんだ(ええっと……ふくそうひん、て何?)」
「ほら、『八咫鏡』とか、有名でしょ、あの三種の神器のさ」
「うん。有名だね(やたのかがみ? 全然聞いたことが無いよ?)」
「だろ。あと『神鏡』、『宝鏡』とかさ、昔からやたらに神格化されてたり、人々に崇められたりして──」
「うんうん」
しんきょう? とか、ほうきょう? とか、よく分らないけど、何故か彼の話は説得力があって自然と頷いてしまう。
更に南雲君は話を続ける。
「だから、あの大鏡が異世界に通じていたのも何だか納得しちゃうんだよね。だったら、この世界のどこかに元の世界に通じる鏡があっても不思議じゃないと考えてる。仮にも何でもありの異世界なんだし。鏡からこの世界に来たのだから、その逆もありだと僕は思う。」
「ありえるかも」
南雲君の考察は、若干夢物語が入っているけど、このまま何もせずよりかは、この不思議な世界を二人で旅しながら、鏡はともかく、元の世界に帰還出来る方法を探す選択も私は有りだと思う。とはいえ、少々問題がある。
「ええっと……南雲君。私とこのまま一緒で大丈夫かな?」
「え、何で?」
「だって仮にも私、南雲君をフった女だよ。そんな女とこのまま一緒でいいの?」
今まで言えなかった本心をつい彼にぶつけてしまった。最悪、彼の返答次第でこのまま別行動もあり得る。そんな事になったら、私はこの世界で一人ぼっちになってしまう。そんなのは絶対に嫌だ。一人は寂しい。今更勝手だけど、南雲君にはこのまま私と一緒に居て欲しい。
「正直、何も思わないかと言うと、多分嘘になる」
「……うん」
「そこで僕は考えたんだけど──」
私は、ゴクリ、と息を飲んだ。
「二人で名前を変えない?」
「へ? ど、どういうこと」
名前を変える? この流れで南雲君は一体何を言いたいのかが分からない。
そして彼は、私の目を見て話を続ける。
「ほら、よくゲームなんかで最初にプレイヤーのネームを入力するでしょ。あんな感じかな」
「私、ゲームとかやらないし、ちょっと分からない……」
すると南雲君は「う〜ん」と唸ってから、
「だったらさ、メールのアカウントとかで、ちょっと自分の名前をいじったりしない? たとえば自分だと、悠一のイチを取って『ユウ』とかさ、それなら分かる? いわゆるハンドルネーム的なやつ」
「うん、それなら分かるかも……」
「だから、そういうこと。この世界での僕らは出会ったばかりのプレイヤー。お互いが協力して、このゲームをクリアする仲間。その設定でどう?」
「だから、ゲームで例えられても私分からないし──」
言いつつ、私は思わず笑顔になった。やっぱりゲームのことはよく分からないけど、彼が言いたいことは何となく理解した。私と彼はこの世界を旅する仲間。だからこれからお互い協力して世界を渡り歩こう、ということ。
「──でも、それで良ければ、ええっと……これからもよろしくお願いします」
「うん、こちらこそよろしくお願いします、ってことでお互いなんて呼び合う? 取りあえず僕のことは、うーんそうだな。さっき言った『ユウ』でいいや」
「ユウ……ユウね。これから南雲君のことはそう呼ぶね」
ユウか。私は頭の中で何度もその呼び名を復唱した。この先、悠一、と彼のファーストネームを気安く呼び捨てするのは流石に抵抗があったし、かと言って名字呼びだと、何だかそれはそれでよそよそしいので、その点、彼の提案は的を得ていたと思う。
お互いの性別とか関係無くハンドルネームを呼び合うことで、男子女子の変なしがらみから解放された気がする。
そして、私は今日から『ソラ』だ。
私は『美』しい空ではなく、ただの『空』。
晴れたり曇ったり雨風雪──笑ったり泣いたり怒ったり、常に感情がマイペースな『ソラ』だ。今の私にピッタリの名だと思う。
「──じゃあ、そろそろ出発しますか、ええと……ソラ」
「うん……ユウ」
思いの外、長い休憩だったけれど、私たち二人は再び街道を歩き出す。初めの目的地は、この先にある『旧中人族の街』その目的は、出来る限りの物資調達と元の世界に戻る方法の手がかり調査だ。
今までは南雲く……じゃなかった、ユウに頼り切りの私だったが、今度は旅仲間のソラとして、少しでも彼の役に立てれるように努力しようと思う。
「柊さ……ソラ、飴いる?」
「うん。欲しい」
前途多難かも知れないけど、とにかく頑張ろう。